osho samadhi समाधिः 日本語

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ch8 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1

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ch8 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1
 
  
 
黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)
The secret of the Golden Flower
 
 
 
ch8 : The Secret of Secrets, Vol 1
 
 
 
chapter 8
Real is for Always
本物はずっと永久・永遠だ
 
18 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
質問 1
the first question
 
幻滅・覚醒 disillusionment と 祝い celebration の間の
関係性について話していただけますか。
私は
…同時に死にゆくことと生まれ来ること…
その2つの混合を不思議に感じています。
 
WOULD YOU TALK ABOUT THE RELATIONSHIP BETWEEN
DISILLUSIONMENT AND CELEBRATION. 
I’M FEELING A STRANGE MIXTURE OF THE TWO 
– A DYING AND A COMING TO LIFE AT THE SAME TIME.
 
 
 
(osho)
 
ベヌ ゴパル Venu Gopal、
マインド(思考)mind は空想・幻想 illusion の中で生きる live。
 
そして、空想・幻想 illusion の中で生きる live ことは惨め miserable である、
なぜなら、それらは満足 fulfilled であることができないからだ。
 
あなたは望み hoping 続けることはできる
しかし、あなたはいつも蜃気楼 mirage の中へと動くだろう。
 
あなたが望む hoping その場へと達した瞬間、
蜃気楼 mirage は消え去るだろう、
あなたはまったく絶望 despair であるだろう。
 
あなたの絶望 despair からあなたは再び望む hope だろう。
 
 
 
望み hope は
その人自身がなんとかして生存 alive を維持するためのただの努力 effort だ。
 
あなたは再び空想・幻想 illusion を作り出すだろう。
 
 
 
そしてこれが全てのゲームが続くあり方だ、
 
あなたは絶望 despair の中にある、
その絶望 despair から
あなたは空想・幻想 illusion を作り出す。
 
その空想・幻想 illusion から
もっと絶望 despair が作られる、
 
そしてその絶望 despair から
もっと空想・幻想 illusion を作り出す。
 
そうして、人は
絶望 despair から 空想・幻想 illusion へと、
空想・幻想 illusion から 絶望 despair へと
続いていく。
 
祝い celebrate のためのエネルギー energy は残っていない。
 
あなたは
絶望 despair と 希望 hope の間で
絶え間なく緊張 tension している。
 
あなたの生 life は何でもなくなる nothing が
どちらか、と、どちらであるべきか、の間で
緊張 tension している。
 
 
 
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あなたは『存在 being』を感じることができない、
あなたは「〜になる becoming」ことに夢中 engrossed なままだ。
 
You cannot feel being, 
you remain engrossed in becoming. 
 
「〜になる becoming」は惨め misery だ、
『〜である being』は祝い celebration だ。
 
Becoming is misery, 
being is celebration. 
 
祝い celebration はない
なぜなら、なんらかの欲 desire が満ちている fulfilled からだ
…なぜなら、欲 desire が無いことはいつも満たされる fulfilled からだ。
 
Celebration is not because some desire is fulfilled 
– because no desire is ever fulfilled. 
 
欲 desire は満足 fulfilled であることはできない。
 
欲 desire は現在の瞬間 present moment を避ける avoid
唯一の道だ。
 
欲 desire は未来 future を作りあなたを遠くへと連れて行く。
 
 
 
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欲 desire は麻薬 drug だ。
 
欲 desire はあなたを興奮 stoned のままにする、
欲 desire はあなたに現実・本物 reality を見ることを許さない allow
 
…現実・本物 reality とは今ここ herenow だ。
 
 
 
祝い celebration とは、
「〜になる becoming」という全ての旅 trip を落とし drop
ただ、ここ here に『在る being』ことだ。
 
「〜になる becoming」が消える時、
「〜になる becoming」の全ての煙が消える時、
そこには『存在 being』の炎 flame がある。
 
まさにその炎 flame が祝い celebration だ。
 
 
 
祝い celebration はどんな原因 cause も無い。
 
Celebration is without any cause. 
 
祝い celebration は単に私達であるからだ。
 
Celebration is simply because we are. 
 
私達は祝い celebration と呼ばれるものから作られている。
 
We are made out of the stuff called celebration. 
 
祝い celebration 
それが私達の自然な状態 natural state だ、
…木々に花が咲き、
鳥たちが歌い、
川が海 ocean へと流れる
自然 natural と同じだ。
 
That’s our natural state: to celebrate 
– as natural as it is for the trees to bloom, for birds to sing, for rivers to flow to the ocean. 
 
祝い celebration とは自然の状態 natural state だ。
 
Celebration is a natural state. 
 
 
 
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祝い celebration は
あなたの欲 desire と それの満足感 fulfilment、
あなたの希望 hope と それの満足感 fulfilment とは
何も関係ない、
祝い celebration はすでに状況 case だ。
 
しかし、祝い celebration を見るとは
それはあなたの『存在 being』の
最も奥深い中心 center(中核 core)で
すでに起こっている happening、
 
あなたは「〜になる becoming」を落とさ drop なければならない、
あなたは「〜になる becoming」は
無駄ということを理解しなければならない。
 
 
 
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だから、なにか途方もなく美しいことが
起こっている happening のだよ、ゴパル Gopal。
 
それを許しなさい(受け入れなさい) Allow it。
 
そうだ、それはまさしくそうだ。
 
 
 
あなたが完全に幻滅・覚醒 disillusionment である時
あなたはもうそれ以上、空想・幻想 illusion を作らない
 
…それが私が意味する完全なる幻滅・覚醒 disillusionment だ…
 
 
 
幻滅・覚醒 disillusionment はみんなの生 life の中で何度もやって来る、
しかし、幻滅・覚醒 disillusion から出ると
あなたは再び新しい空想・幻想 illusion を作り出す。
 
あなたは空想・幻想 illusion なしでは生きる live ことができない、
それは習慣・癖 habit になっている、
何生もの many lives 習慣・癖 habit だ。
 
あなたは現実・本物 reality のありのままで
生きる live ことができない、
あなたは他の何かになりたい
…あなたはいつも他の何かになりたい。
 
You cannot live in the reality as it is, 
you want it to be something else 
– you are always wanting it to be something else. 
 
 
 
そして、現実・本物 reality は
誰かがその人自身を変えることに
義務・責任 obligation はない。
 
And reality has no obligation to anybody to change itself. 
 
(現実・本物 reality が)
あなたの欲 desire について
気にしない doesn’t bother ことは良い、
 
さもなければ、混沌 chaos であるだろう
なぜなら、とてもたくさんの人々が欲している desiring、投影している projecting からだ。
 
現実・本物 reality はありのままだ、
あなたの欲 desire によって全く影響されない unaffected。
 
Reality remains as it is, 
utterly unaffected by what you desire. 
 
それはあなたの欲 desire をけっして気にしない。
 
 
 
しかしひとたび、あなたが完全に幻滅・覚醒 disillusioned したならば…
 
私が意味する
「完全なる幻滅・覚醒 absolute disillusionment」とは
あなたはもはやどんな空想・幻想 illusion をも作り出さない、
あなたは単にそのままである
…もし、絶望 despair であっても、
あなたはそのままである。
 
あなたはそのままである、
あなたはそれを受け入れている。
 
You remain in it, you accept it. 
 
 
 
あなたが絶望 despair を受けいる accept 瞬間、
絶望 despair は消え去る、
 
なぜなら、絶望 despair は
希望 hope の影 shadow でのみ
存在する exist ことができるからだ、
 
絶望 despair はそれ自身では存在する exist ことはできない。
 
あなたは空想・幻想 illusion なしで
ただ絶望 despair であることはできない、
それは不可能だ
 
…それはまるで、影 shadow だけが道を歩いくことと同じくらい不可能なことだ。
 
もし、あなたが歩くならば影 shadow はあるだろう、
しかし、影 shadow だけでは歩くことはできない。
 
絶望 despair は空想・幻想 illusion の影 shadow だ。
 
 
 
もし、あなたが完全に幻滅・覚醒 disillusioned したならば、
絶望 despair は消えはじめる。
 
そして、新しい『存在 being』、
新鮮な『存在 being』、
生き返り resurrection、
祝い celebration が
あなたの中に生じる arises。
 
 
 
アニルッダ Aniruddha は質問にこう書いている
彼がここに来た時、彼は私について
広大 vast で、特別 special で、並外れている extraordinary と思っていた、と。
 
今や彼は言う、
 
「とても多くの日々をあなたと一緒にここで暮らしていると、
あなたは普通 ordinary に見える、
どの他の人と同じ。
だったら、なにについて大騒ぎしているのか?」
 
 
 
私には
あなたの要求 demand を満たす fulfil ための
義務・責任 obligate はない。
 
私はただ私である、全く普通 ordinary 。
 
I am just as I am, utterly ordinary. 
 
現実・本物 reality は普通 ordinary だ。
 
Reality is ordinary. 
 
薔薇は薔薇であり薔薇だ。
 
The rose is a rose is a rose. 
 
石は石だ、
 
The rock is a rock, 
 
川は川だ。
 
the river is a river. 
 
現実・本物 reality は完全に普通 ordinary だ、
全く utterly 普通 ordinary だ。
 
Reality is absolutely ordinary, utterly ordinary. 
 
私は普通 ordinary の人だ。
 
I am an ordinary man. 
 
 
 
すると、あなたと私の間の異なり difference は何かな?
 
その異なり difference は、
 
私は私の普通であること ordinariness を祝い celebrate、
 
あなたはそれを祝ってはいない。
 
それが異なり difference だ。
 
私は私の普通であること ordinariness を歓迎 welcome している、
私は私の普通であること ordinariness と全く至福に満ちている blissful、
 
あなたはそうではない。
 
 
 
私は『〜である being』だ、
あなたは「〜になる becoming」だ。
 
I am a being, 
you are a becoming. 
 
そこには異なり difference がある。
 
There is the difference. 
 
 
 
私が特別 special ということではない
私は普通 ordinary だ
 
…それはまったく無意味だ nonsense…
 
もし、私が特別 special ならば
すると、あらゆる人々は特別 special だ、
 
もし、あなたが普通 ordinary ならば
すると、私は普通 ordinary だ。
 
 
 
私たちは同じ現実・本物 reality に属している belong。
 
私はまったく普通 ordinary だ。
 
しかし、異なり difference は
私は私が普通 ordinary であることを
祝っている celebrating っていることだ。
 
私は恨み grudge はない、
私は苦情 complaint はない、
私は、私ではない誰か、になることを試さない。
 
私は私自身を完全に受け入れている
…私を変えたいというものはこれっぽちさえない。
 
このくつろぎ relaxation の中で、
この受容 acceptance の中で、
祝い celebration は私に起こりはじめた。
 
 
 
今、アニルッダ Aniruddha は言う
彼は困難 difficulty な中にいると。
 
彼は彼自身に彼の困難 difficulty を作った。
 
私は誰ひとりにも私が特別 special であると話したことはない。
 
それはあなたの考え idea だ、
あなたの投影 projection だ。
 
そして、実際には、
なぜアニルッダ Aniruddha は私のことを特別 special だと思ったのか?
 
彼の奥深くに、
特別 special でありたい、という思いがある、
だからこそ、彼はここに滞在した、
 
それを見てごらん、
 
「ここに特別 special な人がいる、
だから、特別 special になるなんらかの秘密があるはずだ。
この人からそれを習おう
そうすればあなたもまた特別 special になることができる、
そうすると、あなたはもう普通 ordinary ではない。」
 
人々は普通 ordinary であることに対して
このような非難 condemnation がある。
 
 
 
私は普通 ordinary であることに
途方もない尊敬 respect がある
なぜなら、
普通 ordinary は現実・本物 reality だからだ。
 
神 God は存在 existence の中で
最も普通 ordinary なものである
…そうであるべきだ。
 
God is the most ordinary thing in existence – has to be. 
 
いかにして神 God が特別 special であることができるのか?
 
…何と比べて compared、誰と比べて compared?
 
神 God は独り alone だ、
神 God は特別 special であることはできない。
 
神 God は普通 ordinary であることしかできない、
薔薇や孔雀や鷲や、川や岩や雲と
同じくらい普通 ordinary だ。
 
 
 
しかし、アニルッダ Aniruddha は
奥深くに特別 special になりたいという
欲 desire があるに違いない。
 
 
 
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人々は
特別 special になるために
導師 master を捜す search。
 
人々は
彼らのエゴ(欲・自我)ego の欲 desire から
導師 master を捜す search。
 
まさにその捜す search ことが
エゴ(欲・自我)ego の旅 trip だ。
 
すると、自然に、ある日あなたは
幻滅・覚醒 disillusioned になるだろう…
というそれがあなたの空想・幻想 illusion だ、
 
私はそれについて何ひとつもすることがない。
 
 
 
もし、あなたが私になんらかの投影 project をするならば、
いかにして、私はそのために責任を負わなければならないのか?
 
あなたは投影する project、
早かれ遅かれ、あなたの投影 projection は落ちるだろう。
 
実際に、私はあらゆる方向から助ける
そうすると、それは壊れる broken、粉々になる shattered、
そうすると、あなたはありのままの私を見ることができる、
そうすると、ある日あなたは
あなた自身のこともありのままのあなたを見ることができる。
 
私の全体 whole の教えは、
特別 special になること、
非凡 extraordinary になることへの
ばかげた努力を全て落とす drop ことだ。
 
あなたがどこにいても
あなたが誰であっても
ただ、現実・本物 reality のありのままのあなたを楽しみなさい。
 
祝い celebration なさい。
 
これを私は祈り prayer と呼ぶ、
これを私は宗教 religiou と呼ぶ、
その人の『存在 being』の祝い celebration。
 
 
 
それは神 God からからの贈り物 gift だ。
 
ありのままであることは
あなたが尋ねることができること以上だ。
 
ありのままであることは
最も偉大な奇跡だ。
 
 It is a gift from God. 
Just to be is more than you can ask for. 
Just to be is the greatest miracle. 
 
どんなそれより偉大な奇跡が起こることができるのか?
 
 
 
ベヌ ゴパル Venu Gopal、
途方もなく美しい何かが途上にある。
 
再びそれ以上空想・幻想 illusion を作らないように。
 
マインド(思考)mind は試す try だろう。
 
マインド(思考)mind に耳を傾けないように。
 
幻滅・覚醒 disillusioned のままでありなさい。
 
 
 
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それは死 dying の一種のであるだろう、
なぜなら、あなたは空想・幻想 illusion をとおして
今まで生きてきたからだ。
 
それはあなたの栄養分 nourishment だった。
あなたは死んでいる dying ように感じるだろう。
 
しかし、死 die、
そして、この死 death と共に
新しい生 life があなたの中に生じるだろう、
あなたは生き返る resurrected だろう。
 
煮え切らない lukewarm ように死なないように、
完全に、全面的に、死になさい die totally, wholly。
 
この死 death の出来事を許し受け入れなさい allow、
そして次の瞬間に、この死 death から、
何か新しい生 life が生じる
 
それはあなたが見たことがない
そして、それはあなたの内にいつもあった
…ただ、あなたがそれを見ることができなかった。
 
 
 
そして、アニルッダ Aniruddha にも私は言おう、
それはとても良い、アニルッダ Aniruddha。
 
今、あなたは私の現実・本物 reality を見ている。
 
私は1人の普通 ordinary の人だ、
 
そして
私はあなたをも普通 ordinary にするために
ここにいる。
 
私はあなたが
あなたのエゴ(欲・自我)ego の旅 trips から出ることを助けるために
ここにいる。
 
私はあなたの
このすばらしく普通であること ordinariness を
祝う celebrate ことを助けるために
ここにいる。
 
その後にだけ、あなたは神 God へ感謝する grateful。
 
 
 
あなたは何を試そう trying としているのか?
 
…他の誰かになる becoming ことを試している trying、
 
あなた自身を飾る decorate ことを試しているのか trying?
 
しかし、それら全ての飾り decorations は
偽造 falsifications になるだろう。
 
 
 
あなたはけっして他の誰であることはできない、
あなたはあなた自身であることだけしかできない。
 
You can never be anybody else, 
you can only be yourself. 
 
 
 
薔薇の花が蓮の花になる方法はない。
 
蓮の花が薔薇の花になる方法はない。
 
あなたはあなた自身であることだけできる。
 
You can only be yourself.
 
もし、あなたがそれを許し受け入れる allow ならば、
祝い celebration であるだろう、
なぜなら、惨め misery の可能性はないだろうからだ。
 
そして、惨め misery になるエネルギー energy は
祝い celebration のエネルギー energy になる。
 
もし、あなたが
惨め misery になることへと動くエネルギー energy を
許し受け入れること allow をしなければ、
他にあなたは何をするのだろうか?
 
それはあなたの中の泣くこと cries のエネルギー energy と同じだ
…それは笑い laughter になることができる。
 
それはあなたの中の嫌うこと hate 酸っぱく苦く sour bitter なるエネルギー energy と同じだ
…それは愛 love になる。
 
それは破壊 destruction になることができるエネルギー energy と同じだ
…それは創造 creation になる。
 
エネルギー energy に異なりはない。
 
The energy is not different. 
 
 
 
あなたが特別 special な誰かになる becoming という
エゴ(欲・自我)ego の旅 に
引き込まれている engaged 時は、
あなたの全生涯は長い悲劇 tragedy でしかない。
 
 
 
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アレキサンダー Alexander と
ブッダ 覚者 buddha の
異なり difference はなんだろうか?
 
アレキサンダー Alexander は
特別 special でありたい、
全世界を所有 possess したい、
たぐい稀 unique でありたい。
 
では、ブッダ 覚者 buddha は?
 
ブッダ 覚者 buddha は単に自分自身でありたい。
 
どこかへ行く必要はない、
誰かになる必要は全くない。
 
未来 future は必要 needed とされない。
 
時間 time は要求 required されない。
 
ブッダ 覚者 buddha は
ありたい何かにまさにこの瞬間にあることができる
なぜなら
その人はすでにそれだからだ。
 
Buddha can be this very moment what he wants to be because he already is that.
 
 
 
しかし、アレキサンダー Alexander では、
百万回生まれ変わっても十分ではないだろう。
 
彼の旅は未完成 incomplete のままだろう、
彼はけっして結論 conclusion をもたらすことができないだろう。
 
それは悪循環 vicious circle だ。
 
彼は何度も何度も不満 frustrated であるだろう、
そして、その不満 frustration から彼は
より大きい空想・幻想 illusion 
より強い空想・幻想 illusion 
を作るだろう。
 
彼はより大きくより強い空想・幻想 illusion が必要になるだろう。
 
 
 
それは麻薬 drug のようだ、再び言おう。
 
もし、あなたが麻薬 drug やどんな薬物 drug を摂取するならば、
遅かれ早かれ、あなたはそれに慣れる accustomed ようになる。
 
すると、あなたはそれのより多くの量 quantities、より強い服用量 doses を必要とする、など。
 
小さな空想・幻想 illusion はしないだろう、
ひとたび、あなたがそれらに慣れたら accustomed、
あなたは大きな空想・幻想 illusion を必要とするだろう。
 
これが人々が狂気 mad になるあり方だ。
 
狂気の人 madman の空想・幻想 illusion は
完全に現実・本物 reality と反対 contrary だ。
 
今や、その人はその人の空想・幻想 illusion の中だけで生きている
 
ありのままの現実・本物 reality を見る合間 intervals の時さえなく、
真実 truth の一瞬さえない。
 
彼は単に彼の空想・幻想 illusion の中で生きる。
 
彼は狂気の人 madman だ。
 
 
 
そして、他の人々はより小さな狂気 madness があるだろうが、
狂気 madness はある。
 
その異なり difference は
度合い degree 、量 quantity だけだ、
しかし、質 quality ではない。
 
あなたがあなたのありのままの
あなたの『存在 being』の中で
くつろぐ relax 用意 ready がない限り、
あなたは正気 sane ではない。
 
Unless you are ready to relax into your being as you are, you are not sane.
 
 
 
私は普通 ordinary だ、
 
私はあなた方に言う
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ は普通 ordinary だ。
 
そして、私はあなた方に言う
全てのブッダ 覚者 buddha 達はいつも普通 ordinary だ。
 
それがブッダ 覚者 buddha 達の
特別なこと specialness だ、
なぜなら、この世界の中では
誰1人普通 ordinary でありたくないからだ。
 
That is their specialness, 
because in this world nobody wants to be ordinary. 
 
それがブッダ 覚者 buddha 達の
並み外れたこと extraordinariness だ、
なぜなら、その人達は
普通 ordinary であることを選んだ人々だからだ。
 
That is their extraordinariness, 
because they are people who have chosen to be ordinary. 
 
それがブッダ 覚者 buddha 達の謙遜 humbleness だ。
 
 
 
エス Jesus は言う、
 
「おとなしく従順な者達は神 God の王国にて幸いあり。
Blessed are the meek for theirs is the kingdom of God.」
 
エス Jesus による「おとなしく従順な meek」という意味はまさしくこれだ、
 
神 God であるという意味は
あなたであるということだ、
何かに熱望するということではまったくない、
くつろぎの状態の中で生きるということだ。
 
to be just what God has meant you to be; 
not to aspire to anything at all; 
to live in a relaxed state.
 
 
 
あなたの空想・幻想 illusion が壊れたこと
それは良い、アニルッダ Aniruddha。
そのことで私に感謝しなさい。
 
私があなたの空想・幻想 illusion を
全くサポートしないことに
それに感謝 grateful を感じなさい。
 
もし、あなたが何ヶ月間もそれを持ち運んでいるならば、
それはあなたの課題 work だけだった。
 
私はそれのサポートではなかった。
 
しかし、
今や彼は私が普通 ordinary であるという問題が
再び彼に生じていると思うことが
彼の質問に表れている。
 
But his question shows that now he thinks I am ordinary the problem is arising for him again. 
 
すると、彼はここで何をしているのか?
 
すると、彼は他の並み外れた誰かのところへと再び行くべきだ。
 
Then what is he doing here? 
Then he should go again to somebody else who is extraordinary. 
 
 
 
今が彼のための決定的な瞬間 decisive moment であるだろう。
 
Now will be the decisive moment for him. 
 
もし、私が普通 ordinary だとわかるならば、
彼は普通 ordinary であることの美を理解し、
祝い celebration がはじまるだろう。
 
If, seeing that I am ordinary, 
he understands the beauty of being ordinary, celebration will start. 
 
もし、彼が不満 frustrated を感じるならば
…私が彼を騙した、
私が並み外れているように装い偽っていたり
今や彼は私がそうではないことを見つけた…
すると、彼は新しい空想・幻想 illusion を持つだろう。
 
If he is feeling frustrated
– as if I had deceived him, 
as if I had been pretending to be extraordinary 
and now he has found that I am not – 
then he will have new illusions.
 
彼は他の誰かに彼の欲 desire を投影する project だろう。
 
彼は別のスクリーンを見つけるだろう
そして再び、彼は不満を持つ frustrated だろう。
 
そして、彼はより大きな服用量 doses を必要とするだろう、
遅かれ早かれはや、彼は、
人々を不当に利用したり
あなたの空想・幻想 illusion に応じて装い偽る
何者かの犠牲者 victim になるだろう。
 
 
 
だから、私は サッティア サイババ Satya Sai Baba にとても反対している。
 
彼はあなたの投影 projections を助けようとしている。
 
それが彼の努力の私の批評 criticism だ。
 
彼はあなたの投影 projections と共に行こうと試す。
 
彼は自立した independent 人ではない、
彼はあなたに依存している depends。
 
あなたは(あなたの欲 desire を彼に)投影する project
そして
彼はあなたの投影 projections を満たそうと試している
 
…少なくとも、あなたが、
奇跡を起こすことができて
なにもない所から物を表すように見せかけることができるような
特別な人 special man に近く close 近い vicinity 存在であることを
彼は装い偽るだろう。
 
 
 
さあ、アニルッダ Aniruddha は
サッティア サイババ Satya Sai Baba のような人の犠牲者 victim になることができる
なぜなら、彼はこれを特別 special だと思う、
普通 ordinary の人はそれはできない。
 
それは真実 true だ、
しかし、普通 ordinary の手品師 magicians はそれをしている。
 
しかし、これらの手品 tricks はとても危険 dangerous だ。
 
彼の利用・搾取 exploitation はとても微妙だ。
 
アニルッダ Aniruddha は
どんなペテン師 charlatan の犠牲者 victim になることは簡単にできる。
 
 
 
今が彼の決定的な瞬間 decisive moment であるだろう。
 
彼は選択 decide しなければならないだろう、
 
並み外れた特別であること extraordinariness への全ての欲 desire 
全ての投影 projections
を落とし drop
彼自身が普通 ordinary になり
その起こったことを祝い celebration
この普通 ordinary の人と一緒に生きることか、
 
または
 
彼は彼の空想・幻想 illusion を他の何かへ投影 project しなければならないか、
 
すると、あなたはずっと続けて行くことができる。
 
それがいかにあなたが何世紀もの間、続けてきたことだ。
 
That’s how you have been going on for centuries. 
 
何度生き返っても何生もの間、あなたが続けてきたことだ。
 
For so many lives you have been going on and on. 
 
あなたは単に
あなたのスクリーン screen を変えてきただけだ、
しかし、あなたは
あなたの投影 projection (空想・幻想 illusion や欲 desire)を落として drop いない。
 
あなたはあなたの投影 projection (空想・幻想 illusion や欲 desire)を持ち運んでいる
あなたの希望 hopes の全てのフィルム film を、
夢 dreams、や欲 desire を。
 
あなたはそのスクリーン screen と一緒に不満 frustrated になるだくだ
…「このスクリーン screen は正しくない」…
だから、あなたは別のスクリーン screen を探す。
 
あなたはいつ、あなたの投影機 projector やフィルム film を落とす drop のかな?
 
When are you going to drop the projector and the film? 
 
あなたはいつ、あなたの全てのエゴ(欲・自我)ego の旅 trip を燃やす burn のかな?
 
When are you going to burn the whole ego trip? 
 
まさに今この瞬間に死 death は起こる、
そして、生き返る resurrection。
 
 
 
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ベヌ ゴパル Venu Gopal、あなたは言う、
 
「私は
…同時に死にゆくことと生まれ来ること…
その2つの混合を不思議に感じています。
 
I’m feeling a strange mixture of the two – a dying and a coming to life at the same time.」
 
それがいかにはじまりに起こることだろう、
あなたは少しだけ死ぬ die だろう
そして
あなたは少しだけ生まれる born だろう。
 
それから教訓を学びなさい、
完全に全面的に死ぬこと
すると、あなたは完全に全面的に生まれる。
 
Learn a lesson from it: 
die totally so that you can be born totally. 
 
するとあなたは知るだろう
一瞬一瞬、人は死ぬ die
だから
一瞬一瞬、人は再び新鮮で若くなる…生まれる born。
 
And then you know that each moment one has to die so that each moment one again becomes fresh, young – is born. 
 
これが一瞬一瞬起こることができる、
そして真の生 true life は
死と生き返る death-resurrection、
死と生き返る death-resurrection
から成り立っている consists。
 
一瞬一瞬それは起こる happen、
一瞬一瞬人は「過去 past」に死ななければならない。
 
そうしてはじめて、
「今ここ now here(現在 present)」で在ることができる、
祝い celebration がある、
大きな喜び joy がある、
大きな開花 flowering がある。
 
黄金の華 Golden Flower は咲く blooms 
もし、あなたが「過去 past」に死ぬ die 用意があるならば、
もし、あなたが完全に「今ここ now here(現在 present)」に在るならば。
 
そして、あなたは完全に「今ここ now here(現在 present)」に在ることができる、
 
もし、あなたが「未来 future」のどこにも欲 desire を持たない場合にだけ、
 
もし、あなたが他の誰かになりたい欲 desire  を持たない場合にだけ。
 
And you can be utterly in the present 
only if you have no desire to be anywhere else in the future, 
if you have no desire to be somebody else. 
 
これを私は光明 enlightenment と呼ぶ。
 
This I call enlightenment.
 
 
 
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質問 2
The second question:
 
なぜ、愛は精神の成長のためにとても
必要不可欠できわめて重要なのでしょうか?
 
WHY IS LOVE SO ESSENTIAL FOR SPIRITUAL GROWTH?
 
 
 
(osho)
 
愛 love と気づき(覚醒)awareness は
極性 polarity の最も高い形だ。
 
Love and awareness is the highest form of polarity
 
極性 polarity とは…
男性 man と 女性 woman、
生 life と 死 death、
光 light と 闇 darkness、
夏 summer と 冬winter、
外 outer と 内 inner、
陽 yang と 陰 yin、
魂 soul と 体 body、
創造主 creator と 創造物 creation。
 
愛 love と 気づき(覚醒)awareness は
極性 polarity の最も高い形、
最後の極性 polarity 、
超越 transcendence が起こるところだ。
 
Love and awareness is 
the highest form of polarity, 
the last polarity, 
at which transcendence happens.
 
 
 
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愛 love には 2つ two が必要だ。
 
Love needs two. 
 
 
 
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それは関係性 relationship だ、
それは外に行く(積極的)outgoing だ、
それはエネルギー energy が「外向 outward」に動く。
 
対象となる客体・客観 object がある、
最愛 beloved だ。
 
その対象となる客体・客観 object は
あなた自身よりもっと重要 important になる。
 
あなたの喜び joy はその対象となる客体・客観 object だ。
 
もし、あなたの最愛なるものが幸せ happy ならば、
あなたは幸せ happy だ、
あなたはその対象となる客体・客観 object の1部になる。
 
そこには依存 dependence の一種がある、
そして、その他が必要とされる。
 
その他なしではあなたは孤独で寂しい lonely と感じるだろう。
 
 
 
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気づき(覚醒)awareness は
まったくの独りあることの中で
まさにあなた自身で在ることだ、
まさに注意深くあることだ。
 
Awareness is just being with yourself in utter aloneness, just being alert. 
 
 
 
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それは関係性 relationship ではない、
相手は全く必要とされない。
 
It is not a relationship, the other is not needed at all. 
 
それは外に行く outgoing ではない、
それは内に行く ingoing だ。
 
It is not outgoing, it is ingoing.
 
愛 love は
あなたの『存在 being』の外の光 light の動きだ。
 
Love is the movement of the light out of your being. 
 
気づき(覚醒)awareness は
逆転の動き reverse movement、
『存在 being』である源 source に帰る、
再び源 source へと戻る
光 light の 逆流の動き backward movement だ。
 
Awareness is the reverse movement, 
the backward movement of the light to the source again, 
returning to the source. 
 
 
 
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これはイエス Jesus が言うリペンタンスだ
…悔い改めるの意味ではない、
源 source へ帰るの意味だ。
 
This is what Jesus calls repentance 
– not in the sense of repentance, 
but in the sense of returning to the source.
 
 
 
パタンジャリ Patanjali はそれを
プラッティアハーラ PRATYAHARA と呼ぶ、
 
ホーム home へ帰る coming back home、
 
マハヴィーラ Mahavir はそれを
プラッティクラマーナ PRATIKRAMAN と呼ぶ、
 
自分自身に帰る coming back to oneself、
 
円 circle は完成する the circle is complete。
 
 
 

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『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
THE SECRET OF THE GOLDEN FLOWER は
このあなたのエネルギー energy の逆転の動き backward movement の
基礎 based だ、全面的な基礎 totally based だ。
 
しかし、逆転の動き backward movement は
唯一、もし、あなたが前方 forward へ動くならば可能だ。
 
あなたは愛 love の中へと入って行かなければならない、
あなたはあなた自身へ来るように関わらなければならない。
 
それは逆説的 paradoxical に見える。
 
You have to go into love, 
you have to relate in order to come to yourself.
It looks paradoxical.
 
 
 
子供は
再び子供になるために
世界の中で迷わなければならない。
 
その無垢 innocence が
再び真の無垢 innocent になるために
全てのずるく悪賢い cunningness 混乱 turmoil や計算高いもくろみ calculation の中へと入って行かなければならない。
 
子供は無垢 innocent だ、
しかし
その子の無垢 innocence は 無知 ignorance だ。
 
聖者 saint もまた無垢 innocent だ、
しかし
その人の無垢 innocence は 無知 ignorance ではない、
体験 experience があり、
熟していて ripeness、
成熟だ maturity。
 
 
 
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その人は再び無垢 innocent だが
再び偉大なる重要性 great importance がある
…その人はその人の無垢 innocence から
もう取り乱されることはできない。
 
He is again innocent, 
but that again has great importance 
– he cannot be distracted from his innocence anymore. 
 
子供はきっと取り乱すだろう、
 
どのアダム adam もエデンの楽園から去らなければならない、
エデン Eden の楽園、それは無垢 innocence の世界。
 
どのアダム adam も世界の中へと入っていかなければならない、
世界の泥 mud の中へと、
なぜなら、そこでだけ、
あなたは成熟 mature になるだろうからだ、
あなたは熟す ripen ようになるだろうからだ。
 
そこでだけ、あなたは学ぶ learn だろう、
 
そこでだけ、あなたは
無垢 innocence の美しさ beauty の対照 contrast を見るだろう、
無垢 innocence の素晴らしさ splendour を理解するだろう。
 
 
 
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あなたが無垢 innocence の美しさ beauty を学んだある日、
あなたはそれに『気づく aware』ようになる、
あなたはホーム home へ帰ったのだと。
 
The day you have learned the beauty of innocence, 
you have become aware of it, 
you will have come back home.
 
 
 
アダム adam は
もし、彼が楽園から去っていなければ、
キリスト Christ になることはできない、
彼は子供 child のままだろう。
 
The Adam cannot become Christ if he does not leave paradise; 
he will remain a child. 
 
アダム adam の意味とは「外向 outward」の動きだ、
キリスト Christ の意味とは「内向 inward」の動きだ。
 
Adam means outward movement, 
Christ means inward movement. 
 
 
 

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アダム adam の意味とは愛 love だ、
キリスト Christ の意味とは気づき(覚醒)awareness だ。
 
Adam means love, 
Christ means awareness. 
 
 
 

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キリスト Christ とは円 circle の完成 complete だ。
 
The circle is complete. 
 
 
 
アダム adam とキリスト Christ の異なり difference は
進む方向 direction だけだ。
 
The difference between Adam and Christ is only that of direction. 
 
アダム adam は外へ向かって(外向) extrovertedly 行く、
そして同じ人が、 
180度の方向転換をして後ろを向くと
その人は内向 introverted になる、
それはキリスト Christ だ。
 
 
 

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アダム adam はキリスト Christ の可能性を秘めている potential、
キリスト Christ はアダム adam の現時点 actualized だ。
 
 
 
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愛 love はとても必要不可欠できわめて重要 essential だ。
 
あなたは
あなた自身を手に入れるために gain
あなた自身を失わなければならない lose。
 
愛 love は
全面的に totally あなた自身を失う losing 可能性だけだ。
 
あなたが全面的に totally あなた自身を失う lost 時、
その後、あなたは
あなたが何を成したのかを『思い出す remember』ことができるだろう。
 
 
 
それはまるでいつも海 ocean の中で生きている魚 fish のようだ。
 
魚 fish はけっして
海 ocean やその祝福 benediction に気づいて aware いない。
 
 
 
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魚 fish は漁師の網に捕まらなければならない、
漁師が魚 fish を取り出しに来て、
海辺 shore に魚 fish を放り投げる。
 
 
 
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暑い太陽 sun の日差しがある海辺 shore でだけ、
 
魚 fish ははじめて海 ocean を『思い出す remember』だろう。
 
何年間も海 ocean の中で生きているにもかかわらず、
海 ocean に気づかない oblivious、
完全に無頓着 oblivious だ。
 
今や渇き thirst が、暑さ heat が、
海 ocean を気づかせる mindful。
 
海 ocean へ帰るという大きな切望 longing が生じる。
 
それは海 ocean の中へ飛び込み帰るための
あらゆる努力 effort を作る。
 
 

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それが探究者 seeker の状態 state だ、
 
本来の源 original source へと帰ることへの渇望 thirsty。
 
That is the state of a seeker: 
thirsty to be back at the original source. 
 
 
 
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そしてもし、この魚 fish が再び海 ocean へと入る enter ことができるならば…
 
あなたはその祝い celebration を想像することができるかな!
 
And if this fish can enter the ocean again... 
can’t you imagine the celebration! 
 
そして、その魚 fish が
永遠 forever に海 ocean の中で生きていたときには
祝い celebration はなかった。
 
今や祝い celebration の可能性がある。
今やとても喜び delighted、ありがたみ blessed を感じるだろう。
 
愛 love は精神 spiritual の成長 growth のために必要なものだ。
 
Love is a must for spiritual growth
 
 
 
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そして、さらに、愛 love は鏡 mirror と同じ機能 function をする。
 
あなた自身を知ることはとても難しい
あなたがあなたを愛している誰かの目の中にある
あなたの顔を見ない限り。
 
あなたがあなたの体 physical の顔 face を見るために
あなたは鏡 mirror の中を見なければならないように、
あなたの精神 spiritual の顔 face を見るために
あなたは愛 love の鏡 mirror の中を見なければならない。
 
愛 love は精神 spiritual の鏡 mirror だ。
 
それはあなたを育み nourishes、
それはあなたを統合し integrates、
それはあなたの内なる旅 inner journey のための用意をし、
それはあなたの本来の顔 original face をあなたに思い出させる remind。
 
 
 

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深い愛 love の瞬間、
本来の顔 original face の一瞥 glimpses がある、
一瞥 glimpses だけれども、
それらの一瞥 glimpses は反映 reflections のようにやって来る。
 
満月の夜、あなたが静かな湖 lake に映る reflected 月を見るように、
そのように、愛 love は湖 lake のように機能する function。
 
 
 
月 moon が湖 lake に映ったら reflected
本物 real の月 moon を捜す search はじまりだ。
 
The moon reflected in the lake is the beginning of the search for the real moon. 
 
もし、あなたが湖 lake に映った reflected 月 moon を1度も見なかったならば
あなたは本物 real の月 moon をけっして捜さ search ないかもしれない。
 
あなたは月 moon を捜す search ために
何度も何度も湖 lake の中へ入って行くだろう
なぜなら、はじめにあなたはこう思うだろう、
 
「ここが本物 real の月 moon がある場所だ、
湖 lake の奥深い底のどこかに。」
 
あなたは何度も何度も潜る dive だろう
そして、あなたは空っぽの手 empty-handed で水面に上がってくるだろう、
あなたは月 moon を湖 lake の底で見つけないだろう。
 
そうしてある日、あなたはわかりはじめる
この月 moon はただの反映 reflection だろうと。
 
それは大きな洞察 insight だ。
 
すると、あなたは上の方 upwards を見ることができる。
 
すると、もしこれが反映 reflection であるならば
月 moon はどこにあるのか?
 
もし、それが反映 reflection であるならば
あなたは反対 opposite の方向 direction を見ていた。
 
反映 reflection はそこだった、深い湖 lake の中に
…本物 real は湖 lake の上 above のどこかにあるに違いない。
 
あなたが上の方 upwards を
はじめて見る look 時
内なる旅 inner journey ははじまる。
 
 
 
愛 love は瞑想 meditation の一瞥 glimpses をあなたに与える、
湖 lake の中の月 moon の反映 reflections
…それらが反映 reflections であっても、
真実 true でなくても。
 
だから、愛 love はけっしてあなたを満足 satisfy できない。
 
So love can never satisfy you. 
 
実際に、愛 love はあなたを
もっともっと不満足 dissatisfied に、不機嫌 discontented にするだろう。
 
愛 love はあなたを
もっともっと何が可能かに『気づき aware』を作るだろう、
しかし、それは良いことを運ばないだろう。
 
それはあなたをいらいらさせる frustrate だろう、
深い欲求不満 frustration だけに
…あなた自身の『存在 being』へ帰る方向転換 turning の可能性を。
 
 
 

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愛の者 lovers だけが瞑想 meditation の喜び joy を知る。
 
けっして愛 love したことがないそれらの者たちは
けっして愛 love に不満 frustrated はなかった、
 
けっして月 moon を捜す search ために
愛 love の湖 lake に潜った dived ことがないそれらの者たちは
けっして不満 frustrated はなかった、
 
けっして空 sky にある月 moon を見上げたことがない者たちは、
けっしてその人たちはそれに気づく aware ことはないだろう。
 
 
 
誰かや何かを愛 love している人は
遅かれ早かれ必ず宗教的 religious になるだろう。
 
しかし
 
誰かや何かを愛 love していない人は
…政治家(駆け引きの人)politician、
例えば、誰をも愛 love することができない人、
権力 power だけを愛 love する人…
けっして宗教的 religious にはならないだろう。
 
または
 
お金 money にとりつかれている人、
お金 money だけを愛 love し、
お金 money だけを愛 love することしか知らない人は
けっして宗教的 religious にはならないだろう。
 
とてもたくさんの理由のために
それはその人にはとても難しいだろう。
 
お金 money は所有 possessed することができる、
あなたはお金 money を持つことができ
あなたはお金 money を所有 possess することができる。
 
お金 money を所有 possess することは容易い easy、
 
親愛なる人 beloved を所有 possess することは難しい difficult、
…実際には不可能だ。
 
あなたは所有 possess しようと試すだろう、
しかしいかにして、あなたは
生きている人 living person を所有 possess することができるのか?
 
生きている人 living person は
あらゆるやり方で抵抗する resist だろう、
ついには戦う fight だろう。
 
 
 
誰1人も自身の自由 freedom を失い lose たくない。
 
Nobody wants to lose their freedom.
 
 
 
愛 love は自由 freedom であることと同じ貴重さ valuable ではない。
 
愛 love は大きな価値 value だ、
しかし自由 freedom より高くはない。
 
Love is not as valuable as freedom is.
Love is a great value, but not higher than freedom. 
 
 
 
だから、人は愛 love でありたい、
しかし、人は愛 love によって拘束 imprisoned されたくない。
 
ゆえに、遅かれ早かれ、あなたは欲求不満 frustrated になる。
 
あなたは所有 possess しようと試す、
そして、もっとあなたが所有 possess しようと試すと、
もっと愛 love は不可能になり
もっと相手はあなたから離れて行きはじめる。
 
 
 
より少なくあなたが所有 possess すると、
相手とより近くあなたは感じる。
 
もし、あなたがまったく所有 possess しないと、
もし、愛 love する人たちとの間に自由 freedom が流れているならば、
そこには大きな愛 love がある。
 
 
 
まず第1に、
人を所有 possess する努力 effort は
必ず失敗する fail だろう、
 
その欲求不満 frustration の中で
あなたはあなた自身に投げ返されるだろう。
 
Firstly, the effort to possess a person is bound to fail: 
in that frustration you will be thrown back on yourself. 
 
第2に、
もし、あなたが
人を所有 possess しないことを学んだならば、
もし、あなたが自由 freedom が
愛 love よりもっと高い価値 value
はるかにもっと優れた superior 価値 value があることを学んだならば、
 
すると、遅かれ早かれ、あなたはわかるだろう、
自由 freedom はあなた自身をもたらす、
自由 freedom はあなたの気づき(覚醒)awareness と瞑想 meditation になることを。
 
Secondly, if you have learned not to possess the person, 
if you have learned that freedom is a higher value than love, a far more superior value than love, 
then sooner or later you will see: 
freedom will bring you to yourself, 
freedom will become your awareness, meditation.
 
 
 
自由 freedom は瞑想 meditation の別の局面 aspect だ。
 
自由 freedom からはじめても
あなたは気づく(覚醒)aware ようになるだろうし、
気づき(覚醒)awareness からはじめても
あなたは自由 free になるだろう。
それは一緒に行く。
 
 
 
愛 love はある種の微妙な束縛 bondage だ
…それらは一緒に行く…
 
しかし、愛 love は必要不可欠できわめて重要な体験 experience だ、
成熟 maturity のためにとても必要不可欠できわめて重要だ。
 
 
 
マージェリー ウイリアムズ Margery Williams の美しい本 
「ビロード うさぎ THE VELVETEEN RABBIT」の中に
愛 love をとおした
本物であること realness の美しい定義 definition がある。
 
There is a beautiful definition of realness through love in Margery William’s beautiful book THE VELVETEEN RABBIT.
 
 
 
(Margery Williams Bianco 
マージェリー ウイリアムズ ビアンコ
The Velveteen Rabbit or How Toys Become Real
ビロード うさぎ、あるいは、いかにしておもちゃは本物になるか)
 
 
 
「本物 REAL ってなに?」
ある日、うさぎ(ぬいぐるみ)は尋ねました。
 
’What is REAL?’ 
asked the Rabbit one day.
 
「体の中にブンブンいうものが入っていて、
ハンドルが突き出ていること?」
 
’Does it mean having that buzz inside of you, and a stick-out handle?’
 
「本物 REAL は、
どうやってあなたが作られたのかではないんだ、」
 
皮の馬(人形)は言いました。
 
「それはあなたに起こることなんだ。
長い間ずっと子供があなたを愛する時、
ただ一緒に遊ぶだけではなく、
しかし、本当に really あなたを愛すると、
すると、あなたは本物 REAL になるんだ。」
 
’REAL isn’t how you were made,’ 
said the Skin Horse. 
’It’s a thing that happens to you. 
When a child loves you for a long time, 
not just to play with, 
but really loves you, 
then you become REAL.’
 
「それは痛い?」
うさぎは尋ねました。
 
’Does it hurt?’ 
asked the Rabbit.
 
「時々はね、」
皮の馬は言いました、彼のいつもの正直さで。
 
「あなたが本物 REAL である時、
あなたは痛みを気にしないんだ。」
 
’Sometimes,’ 
said the Skin Horse, for he was always truthful. 
 
’When you are REAL, you don’t mind being hurt.’
 
「それは全部1度に起こるのかな、ネジを巻くみたいに、」
うさぎは尋ねました、
「それとも、少しづつなのかな?」
 
’Does it happen all at once like being wound up,’ 
he asked, 
’or bit by bit?’
 
「それは全部1度には起こらないよ。」
皮の馬は言いました。
 
’It doesn’t happen all at once.’ 
said the Skin Horse. 
 
「あなたは本物 REAL になるんだ。
それは長い時間がかかるよ。
だからこそ、それは人々にめったに起こらないんだ
容易に壊れる人や、
角が尖った人や、
慎重さを維持しなければならない人などには。
 
たいていの場合、あなたが本物 REAL になる時には、
ほとんどのあなたの毛は愛で撫でられて抜け落ち、
そして、あなたの目は抜け落ち、
縫い目を失い、とてもよれよれになる。
 
しかし、そんなことはまったく気にならないんだ、
なぜなら、ひとたびあなたが本物 REAL になれば、
あなたは醜くあることはできないからだ、
理解しない人々を除いては…
 
ひとたびあなたが本物 REAL になると、
あなたは再び偽りになることはできない。
それはいつもずっと本物 REAL のままなんだ。」
 
’You become. 
It takes a long time. 
That’s why it doesn’t often happen to people 
who break easily, 
or have sharp edges 
or who have to be carefully kept. 
 
Generally, by the time you are REAL, 
most of your hair has been loved off, 
and your eyes drop out 
and you get loose in the joints and very shabby. 
 
But these things don’t matter at all, 
because once you are REAL, 
you can’t be ugly, 
except to people who don’t understand... 
 
Once you are REAL, 
you can’t become unreal again. 
It lasts for always.’
 
 
 
愛 love はあなたを本物 real にする、
もしそうでなければ、あなたは
実質 substance のない、
ただの夢想 fantasy、夢 dream のままだ。
 
愛 love はあなたに実質 substance を与える、
愛 love はあなたに完全な状態 integrity を与える、
愛 love はあなたに中心 center(中核 core)を作る。
 
 
 
しかし、愛 love は旅 journey のたった半分 half だ、
別の半分 half は瞑想 meditation や気づき(覚醒)awareness によって
完成 completed させなければならない。
 
しかし、愛 love は別の半分 half をあなたに用意 prepares する。
 
愛 love は旅の半分 half のはじまりだ
気づき(覚醒)awareness は終わりの半分 half だ。
 
愛 love と 気づき(覚醒)awareness の間で
あなたは神 God に至る attain。
 
愛 love と 気づき(覚醒)awareness の間で
これらの2つの土手 banks の間で、
川 river は流れている flows。
 
 
 
愛 love を避けないように。
 
Don’t avoid love. 
 
愛 love をとおって行きなさい、
全てのその痛み pains と共に。
 
Go through it, with all its pains. 
 
そうだ、それは痛い hurts
しかし、もし、あなたが愛 love の中にあるならば、
痛み hurts は気にならない。
 
Yes, it hurts, but if you are in love it doesn’t matter. 
 
実際には、全てのそれらの痛み hurts
あなたを増強 strengthen する。
 
In fact, all those hurts strengthen you. 
 
時々、それは本当に悪く酷く痛い hurts
しかし、全てのそれらの傷 wounds は
あなたを引き起こす provoke ために必要だ、
あなたに挑戦 challenge させ、
あなたを眠気を少なくするために。
 
全てのそれらの危険 dangerous な状況は
あなたを注意深く alert するために必要だ。
 
愛 love は基礎 ground を用意する、
愛 love の土 soil の中で
瞑想 meditation の種 seed は育つことができる
…愛 love の土 soil の中でのみ。
 
 
 

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だから、恐れ fear によって世界から逃避 escape する者たちは
けっして瞑想 meditation に至る attain ことはないだろう。
 
それらの人々は一緒に住むために
ヒマラヤ Himalayas の洞窟 caves の中に座ることはできる、
それらの人々は瞑想 meditation に至る attain ことはないだろう。
 
それは可能ではない
…それらの人々はそれを得るに値しない。
 
 
 
最初に、それは世界の中で得なければならない、
最初に、それらの人々は土 soil(基礎)を用意 prepare しなければならない。
 
そして、それは愛 love だけが
土 soil(基礎)を用意 prepare する。
 
ゆえに、私のサニヤシン sannyasin 達のための私の主張 insistence は
世界を放棄 renounce しないことだ。
 
Hence my insistence for my sannyasins not to renounce the world. 
 
世界の中に在りなさい、
その挑戦をとりなさい、
その危険、その痛み、その傷を受け入れなさい。
 
Be in it, 
take its challenge, 
accept its dangers, 
its hurts, wounds. 
 
世界を通って行きなさい、
世界を避けないように、
近道を探さないようにしなさい
なぜなら、近道は無いからだ。
 
Go through it. 
Don’t avoid it, 
don’t try to find a short-cut because there is none. 
 
それは苦闘 struggle だ、
それは骨が折れる困難 arduous だ、
それは上り坂の重い負担 uphill task だ、
しかし、それが人が頂上 peak へ到達する reaches 方法だ。
 
そうすると、
もし、あなたがヘリコプターによって頂上 peak に落とされた dropped ことより、
喜び joy ははるかにより多いだろう、
 
なぜなら、ヘリコプターでは
あなたは成長が無いまま
頂上 peak に到達 reached したからだ、
あなたはそれを楽しむ enjoy ことができないだろう。
 
 
 
その異なり difference をちょっと考えてみてごらん…
 
あなたはエベレスト Everest に到達することをとても懸命に試す。
 
それはとても危険 dangerous だ
…途中にはあらゆる死 dying の可能性がある、
けっして頂上 peak に到達できないあらゆる可能性がある、
有害 hazardous で、危険 dangerous な、
死 death はあなたの一歩一歩で待っている、
とても多くの罠があり
成功 successful するよりも
敗北 defeated する可能性の方が多くある。
 
100の可能性のうちの
たった1つだけの可能性で
あなたはたぶん到達 reach するだろう。
 
しかし、あなたが頂上 peak により近づくと、
より高いことであなたの中に喜び joy が湧き起こる。
 
あなたの精 spirit は高く舞い上がる。
あなたはそれを得るに値する earn、
それは無料 free ではない。
 
そして、あなたがもっとそれに支払う paid と、
より多くあなたはそれを楽しむ enjoy だろう。
 
すると、考える、
 
あなたはヘリコプターから頂上 top に落とされる drop ことができる。
 
あなたは頂上 top に立つだろう
あなたはただ愚か silly で、バカ stupid にみえる
…あなたはここで何をしているのか?
 
5分以内に、
あなたは終わるだろう、
あなたは言うだろう、
 
「私はそれを見た!
ここにはなんにもなかった!」
 
 
 
旅 journey は目的地 goal を作る。
 
目的地 goal は旅 journey の終わりのそこに座ってはいない、
 
旅 journey は一歩一歩で作る。
 
旅 journey が目的地 goal だ。
 
The journey is the goal. 
 
 
 
旅 journey と 目的地 goal は分かれて separate いない、
それらは2つのものではない。
 
The journey and the goal are not separate, they are not two things. 
 
目的・終わり end と 手段 means は
2つのものではない。
 
(目的を達する手段 a means to an end)
 
目的・終わり end は
全ての道に広がって spread over いる、
 
全ての手段 means は
手段 means の中に
目的・終わり end を含む contain。
 
The end and the means are not two things. 
The end is spread over all the way; 
all the means contain the end in them.
 
だから、けっしてどんな機会 opportunity も見逃す miss ことのないように、
 
暮らすこと living、
生存すること alive、
責任であること responsible、
約束であること committed、
属すること involved。
 
 
 
臆病や卑怯者 coward にならないように。
 
生 life と向き合いなさい、
生 life に直面しなさい。
 
すると、ゆっくりゆっくり
あなたの内側 inside の何かが結晶化 crystallize するだろう。 
 
そうだ、それは時間がかかる。
皮の馬 Skin Horse は正しい。
 
「たいていの場合、あなたが本物 REAL になる時には、
ほとんどのあなたの毛は愛で撫でられて抜け落ち、
そして、あなたの目は抜け落ち、
縫い目を失い、とてもよれよれになる。
 
しかし、そんなことはまったく気にならないんだ、
なぜなら、ひとたびあなたが本物 REAL になれば、
あなたは醜くあることはできないからだ、
理解しない人々を除いては…
 
ひとたびあなたが本物 REAL になると、
あなたは再び偽りになることはできない。
それはいつもずっと本物 REAL のままなんだ。」
 
’Generally, by the time you are REAL, 
most of your hair has been loved off, 
and your eyes drop out 
and you get loose in the joints and very shabby. 
 
But these things don’t matter at all, 
because once you are REAL, 
you can’t be ugly, 
except to people who don’t understand... 
 
Once you are REAL, 
you can’t become unreal again. 
It lasts for always.’
 
 
 
それは永遠 forever だ。
 
しかし、人はそれを得るに値 earn しなければならない。
 
 
 
それを繰り返して言わせてもらうよ、
 
生 life の中では、あなたは何かを無料 free で得ることはできない。
 
Let me repeat it: 
in life you cannot get anything free. 
 
 
 
もし、あなたがそれを無料 free で得たならば、それは役に立たない useless。
 
あなたは支払わなければ pay ならない、
 
そして、あなたがより多くそれに支払うと
それからより多く得るだろう。
 
もし、あなたがあなたの生 life 全体 whole を
愛 love の中へと入る覚悟 risk ができるならば、
あなたの達成 attainment は偉大であるだろう。
 
愛 love はあなたに
あなた自身を送り返してくるだろう、
 
それは瞑想 meditation の少しの反映 reflections をあなたに与えるだろう。
 
Love will send you back to yourself; 
it will give you a few reflections of meditation. 
 
瞑想 meditation の最初の一瞥 glimpses は
愛 love の中で起こる happen。
 
The first glimpses of meditation happen in love. 
 
その後、あなたの中に
それらの一瞥 glimpse に至り attain たいという大きな欲 desire が生じる、
そのような一瞥 glimpses だけではなく、
そのような状態 states に至りたいという、
そうすると、あなたはそれらの状態 states で
ずっと永遠に生きる live ことができる。
 
And then a great desire arises in you to attain to those glimpses, 
not only as glimpses but as states, 
so that you can live in those states forever and forever. 
 
 
 
愛 love はあなたに
瞑想 meditation の味・風味 taste を与える。
 
Love gives you the taste of meditation.
 
愛 love のオーガズム orgasmic の体験 experience は
最初の समाधिः samādhiḥ samadhi サマーディ の体験 experience、恍惚 ecstasy の。
 
 
 
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それはあなたにもっと渇き thirsty をつくるだろう。
 
今や、あなたは何が可能であるのかを知るだろう
そして
今や、あなたはつまらない世俗的なこと mundane では
満足 satisfied であることはできない。
 
神聖 sacred があなたを貫いた penetrated、
神聖 sacred があなたのハート heart に届いた。
 
神 God があなたのハート heart に触れた、
あなたはその触れられたことを感じた。
 
今や、あなたは永遠 forever の瞬間の中で生きていたい、
あなたはあなたの生 life 全体 whole がその瞬間であって欲しい。
 
それはそうなる
…人が不満を抱いた discontented ままになる限り。
 
It does become 
– and unless it becomes man remains discontented.
 
愛 love の片方では
大きな喜び joy をあなたに与えるだろう、
 
愛 love の別の片方では
永遠 eternal の喜び joy のためにあなたに渇き thirst を与えるだろう。
 
Love on the one hand will give you great joy 
and on the other hand will give you a thirst for eternal joy.
 
 
 
質問 3
The third question:
 
なぜ、あなたは王様のように暮らしているのですか?
 
WHY DO YOU LIVE LIKE A KING?
 
 
 
(osho)
 
なぜ、ダメかな? Why not? 
 
私はユダヤ人の老人だ! I am an old Jew! 
 
あなたはユダヤ人を知っている
…もし、あなたが彼らに質問を尋ねるならば、
彼らはその質問には別の質問で答える。
 
 
 
ある王様について有名な物語がある。
 
その王様の王宮 court には多くのユダヤ人 Jews がいた
なぜなら、彼らは裕福 rich な人々だったからだ、
しかし、王様は彼らの習慣 habit によって
とても腹を立てていた annoyed。
 
いつであれ、王様が何かを尋ねると、
彼らは別の質問でそれに答えるからだ。
 
王様はとても疲れて tired、とてもイライラした irritated ので
彼の大臣 Grand Vizier に尋ねた、
 
「これらのユダヤ人の人々についてはどうしたらいいのだろうか?
 
彼らを王宮 court の外へ放り出すことはできないが、
彼らはとても私を悩ませる annoy。
 
いつであれ、私が何かを尋ねると
彼らはいつも別の質問で答えるのだ。」
 
その大臣 Vizier は言った、
 
「ラビ rabbi に尋ねると良いでしょう。
ラビ rabbi を呼びましょう。
彼は賢い wise 老人です、
彼は私達を助けるでしょう
そして、彼はこのユダヤ人の習慣 habit の原因 cause がなんであるのかを
私達に説明することができるでしょう。」
 
(ラビ rabbi : ユダヤ人の主管者、律法学者、師)
 
そうしてラビ rabbi は王宮に呼ばれ
王様はラビ rabbi に尋ねた、
 
「なぜ、あなた方ユダヤ人はいつも
質問には別の質問で答えるのか?」
 
そして、ラビ rabbi は言った、
 
「なぜ、ダメかな? Why not?」
 
 
 
あなたは私に尋ねる、
 
「なぜ、あなたは王様のように暮らしているのですか?
Why do you live like a king?」
 
 
 
あなたが光明 enlightenment を得た後に
4つの可能性がある。
 
最初の可能性は、
ナナク Nanak と マーカス アウレリウス Marcus Aurelius の
後について行くことだ followed。
 
彼らは王様 king として生まれた、
彼らが光明 enlightenment を得た後
彼らは王様 king のままだった。
 
 
2番目の可能性は
エス Jesus と カビール Kabir の
後について行くことだ followed。
 
彼らは乞食 beggar として生まれた、
彼らが光明 enlightenment を得た後
彼らは乞食 beggar のままだった。
 
 
3番目の可能性は
マハヴィーラ Mahavir と
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
後について行くことだ followed。
 
彼らは王様 king として生まれた、
彼らが光明 enlightenment を得た後
彼らは乞食 beggar のままだった。
 
 
そして、私は思った、変えようと change…
 
私は乞食 beggar として生まれた、
私は王様 king として生きることを決めた decided。
 
それが4番目の可能性だ
そして他にはなかった、
だから、私は最後に残った可能性をやり終える。
 
誰かがそれをしなければならない、
さもなければ、歴史は未完成 incomplete のままとなる。
 
 
 
ある禅 zen の導師 master が死に逝こうとしていた。
 
ちょうど彼の最後の一息の前に
彼は目を開けて彼の弟子 disciple たちに尋ねた、
 
「どうか私を助けてくれないか
新しい別の alternative 死に方を見つけることを。」
 
弟子 disciple たちは尋ねた、
 
「これはなんという質問ですか?」
 
導師 master は言った、
 
「私は横になって死ぬべきか、
座るか、または、立ったまま死ぬべきかな?
 
座ったまま死んだ者を誰か聞いたことはあるかな?」
 
弟子 disciple たちは言った、
 
「はい、私達は聞きました。
多くの人々、特に仏教徒の僧たちは
…シッダサン SIDDHASAN
蓮華座の姿勢で座ったまま死んでいます。
 
私達は座った姿勢で死んだ多くの人々について聞いています。」
 
「あなた方は、」
導師 master は尋ねた、
「立ったまま死んだ者について聞いたことがあるかな?」
 
弟子 disciple たちは言った、
 
「それはとても稀 rare ですが、
ある導師 master が立ったまま死んだという
1つの話しを聞きました。」
 
すると、導師 master は言った、
 
「すると、別の代わり alternative となるものは残ってはいない。
私は頭 head で立って死のう。」
 
そして彼は死んだ…彼の頭 head で立ったまま。
 
 
 
誰かがそれを果たさ fulfil なければならない。
 
全ての別のやり方を試さなければならない。
 
Somebody has to fulfil it. 
All alternatives have to be tried.
 
 
 
質問 4
The fourth question:
 
私の質問は(突然の)大飛躍(量子飛躍)についてです。
どのようにして飛ぶのですか、
どこに飛ぶのですか、
誰や何が飛ぶことをするのですか?
 
MY QUESTION CONCERNS THE QUANTUM LEAP. 
HOW TO JUMP, WHERE TO JUMP, 
AND WHO OR WHAT IS DOING THE JUMPING?
 
 
 
(osho)
 
ジャミア Jamia、大飛躍 quantum leap の意味とは、
 
あなたが
あなたの内側 inside に
飛ぶことができる誰かが
誰1人もいないことを見つける
ということだ。
 
the meaning of the quantum leap is that 
you find nobody there inside you who can jump. 
 
あなたはあなたが飛ぶことができる場所がないことを見つける
そして
あなたは飛ぶ意味がないことを見つける。
 
You find no place where you can jump 
and you find no means to jump. 
 
それが大飛躍の意味だ。
 
That is the meaning of a quantum leap. 
 
大飛躍とは飛躍ではない、
それは消滅 disappearance だ。
 
The quantum leap is not a leap, 
it is a disappearance. 
 
大飛躍 は「過去 past」との
完全なる断絶・不連続 discontinuity だ。
 
The quantum leap is utter discontinuity with the past. 
 
もし、それが繋がっている・連続 continuous ならば
それはただの跳ねる leap ことであり、
それはクウァンタム(量子)quantum ではない。
 
If it is continuous it is just a leap, not quantum. 
 
それが「クウァンタム(量子)quantum」の意味だ。
 
That is the meaning of the word ’quantum’.
 
 
 
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あなたは今まで誰かだ、
もし、あなたが何かをすると、
すると、あなたは「過去 past」と繋がった連続 continuous のままだろう
なぜなら、その実行者 doer は「過去 past」であろうからだ。
 
もし、あなたが大飛躍 quantum leap の方法を尋ねるのならば、
誰がその方法論 methodology を使うのだろうか?
 
古い old、
過去 past、 
マインド(思考)mind、
蓄積されたマインド(思考)mind accumulated mind が
その方法論 methodology を使うだろう。
 
しかし、いかにしてあなたは新しくなるのだろうか?
 
それは新しくなるための古い試み trying だ。
 
あなた新しい服 clothes、
新しい顔 face、
新しい飾り varnish を持つだろう、
 
しかし、あなたは同じままだろう、
あなたは「過去 past」をつなげ続けている continue。
 
 
 
大飛躍 quantum leap とは
理解 understanding の瞬間だ、
 
「過去 past」はもはや無いことを、
それはただの思い出 memory であることを、
それは今 now のただの空想 imagination の産物 figment であることを
理解する understand 瞬間だ、
それは現実・本物 reality ではない。
 
A quantum leap is a moment of understanding that 
the past is no more there, 
that it is just a memory, 
just a figment of imagination now; 
it has no reality. 
 
 
 
もし「過去 past」がもはや無いのであれば、
あなたは誰だろう?
 
If the past is no more there, who are you?
 
…なぜなら、あなたは
あなたの「過去 past」だけで
成り立っている consist からだ。
 
 – because you consist only of your past.
 
 
 
クリシュナムルティ Krishnamurti は言う、
 
「思考の過程が考える人を作る。
 
The process of thought creates the thinker.」
 
そして彼は正しい…その逆はない。
 
And he is right – it is not vice versa
 
 
 
普通はあなたはこう考える、
 
「私は考える人 thinker だ、
それゆえに、思考 thought の過程 process だ。
I am a thinker, hence the process of thought.」
 
それはそうではない。It is not so. 
 
考える人 thinker はあなたの中にいない
しかし、ただ思考 thought の過程 process だけがある。
 
そして、あなたが思考 thought の過程 process 全体 whole について考える時
あなたはそれを一緒に連れて行く、
考える人 thinker が生まれる。
 
 
 
考える人 thinker はそこにいない。
 
The thinker is not there. 
 
 
 
思考 thoughts を消しなさい disappear、
あなたの思考 thoughts のように、を消しなさい disappear、
考える人 thinker は消える disappear だろう。
 
もし、思考 thought が無いならば、
考える人 thinker は内側 inside にいない。
 
だから「考える人 thinker」は
全ての思考の連続体 whole thought continuum の別名にすぎない。
 
もし、あなたがこれを理解 understand できるならば
…「過去 past」は思考 thoughts にすぎない…
突然、大きな空っぽ great emptiness が
大きな深淵 great abyss が
あなたの中に生じる。
 
あなたはい無い、
内側 inside には誰1人もい無い。
 
You are not, nobody is there inside. 
 
 
 
これがगौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ が言う
アナッタ ANATTA、
無自己 no-self、
無エゴ no ego だ。
 
(エゴ(欲・自我)ego)
 
 
 
あなたが
あなた自身を見つけることができない瞬間、
大飛躍 quantum leap は起こる。
 
In that moment when you cannot find yourself, 
the quantum leap has happened.
 
 
 
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中国の皇帝 武帝 Emperor Wu が
ボーディダルマ Bodhidharma に尋ねた
 
「私のマインド(思考)mind は
とても緊張して tense、苦悩 anxiety のままだ。
私はいつも落ち着かず restless、不安 uneasy だ。
私はけっしてどんなマインド(思考)mind の平和 peace をも見つけられない。
師よ、どうか私を助けてください。」
 
ボーディダルマ Bodhidharma は皇帝の目の中を見た。
 
そしてそれは普通 ordinary のようではなかった
ボーディダルマ Bodhidharma は
とても恐ろしい顔をした導師 master だった。
 
 
 
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皇帝は多くの戦闘の中で戦い勝って来た
とても勇敢 brave な人だった、
しかし、彼はボーディダルマ Bodhidharma が彼の目の中を見た時に震えはじめた。
 
そして、ボーディダルマ Bodhidharma は言った、
 
「わかった、明日来なさい、早朝の4時に、
そして、あなたのマインド(思考)mind を私に持ってきなさい、
そして、私は永遠 forever の安心 ease をそこに置こう。」
 
皇帝が階段を降りている時、
ボーディダルマ Bodhidharma は再び叫んだ、
 
「聴きなさい Listen、
あなたのマインド(思考)mind を持って来ることを忘れないように!
あなたのマインド(思考)mind を持って
4時に来なさい。
そして、私は永遠 forever の安心 ease をそこに置こう!」
 
皇帝は少し当惑した。
 
「彼は何を言っているのだろうか、
 
『マインド(思考)mind を持ってきなさい、忘れずに』?
 
私はマインド(思考)mind なしでも来ることができるのだろうか?
 
〈私 I〉と〈私のマインド(思考)mind〉は同じだ。
 
I and my mind are the same. 
 
この男は狂っているようだ!
そして、彼が私を見る見方は…
それらの恐ろしい ferocious 目…
 
そして、彼は殺人もしかねないようにも見える!
 
そして、この狂った男の所へ、
早朝4時の暗い時に、
独りで会いに行く…
 
誰も彼が何をするのかけっして知らない、
どのようにして彼が私を治療 treat するのかを。」
 
しかし、彼は眠ることができなかった。
 
何度も彼は行くのをやめようと決心した decided、
しかし、そこには大きな魅力 attraction もあった、
なにか大きな磁力 magnetic で引っ張られるような。
 
その男は恐ろしかった ferocious、
しかし、彼の目の中には大きな愛 love があった。
 
両方 both があった
…彼の目は刀 swords のようでもあり
蓮の花 lotus のようでもあった。
 
彼は抵抗 resist することができなかった。
 
彼は言った、
 
「私は覚悟をしなければならない。」
 
そして、4時に彼は行かなければならなかった。
 
ボーディダルマ Bodhidharma は
彼の大きな棒 staff と一緒に待っていた。
 
彼は皇帝に話した、
 
「私の前に座りなさい。
そして、あなたのマインド(思考)mind はどこだ?
私はあなたにあなたと一緒にマインド(思考)mind を持って来るように話した!」
 
そして、皇帝は言った、
 
「なんというバカげたことをあなたは話しているのか?
もし、私がここにいるのならば、
私のマインド(思考)mind もそこにいる。
 
マインド(思考)mind は私の内側 inside にある。
 
どうやって私がマインド(思考)mind を忘れることができるのか?
 
どうやってマインド(思考)mind を「持ってくる bring」ことができるのか?」
 
ボーディダルマ Bodhidharma は言った、
 
「そうだ、1つのことは確かだ、
そのマインド(思考)mind は内側 inside にある。
 
だから、あなたの目を閉じなさい
そして、内側 inside に入って行き
そして、マインド(思考)mind を見つけることを試してみなさい。
 
そして、いつであれ、あなたがマインド(思考)mind を捕まえたら、
ただ私に伝えなさい
そして、私は永遠 forever の休息 rest をそこに置こう!
 
しかし、まず最初に、
マインド(思考)mind を捕まえなければならない、
そうしてはじめて、私はその治療 treat ができる。」
 
皇帝は彼の目を閉じた。
 
全てのことがバカらしかった、
しかし、今やどこにも行くところがない
…それをやり終えなければならない。
 
彼は彼の目を閉じた。
 
そして、導師 master は彼の棒 staff と一緒に座っていた
…彼は打ったり叩いたりするかもしれない、
だから、それは普通 ordinary の状況ではなかった。
 
彼は眠ることができなかった。
彼は一晩中眠らなかった
…彼は来るべきか、来ないべきかを考え続けていた…
 
導師 master の臨在 presence、
森の静けさ silence、
夜の暗闇 darkness、
その全てが奇妙な weird 状況だ、
 
この男が頭 head を切ることさえできる状況だ…
 
皇帝はとても注意深く alert なった。
 
その危険 danger はこのように
皇帝がとても慎重 attentive になるほどだった。
 
皇帝の生 life の中ではじめて
彼は彼自身の内側 inside を見た
 
…『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』の本が言う
「光 light を「内向 inward」へと方向転換する。
turning the light inwards.」だ。
 
 
 

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はじめて皇帝は内側 inside を見た、
彼は内側 inside を捜した searched。
 
彼は本当に捜した searched、
誠意をもって sincerely 彼は捜した searched。
 
そして、彼がより捜す searched ほど、
彼はより『気づき aware』になった、
マインド(思考)mind が無く no mind、
内側 inside には誰1人もいなかった nobody。
 
And the more he searched, 
the more aware he became that 
there is no mind, 
there is nobody inside. 
 
それは空っぽ empty の家 house だ、
 
It is an empty house; 
 
私達はただそれを信じていた believed だけだった。
 
we had only believed in it. 
 
私達は
魂 soul や、
自己 self や、
エゴ(欲・自我)ego について
他人の信じ込み belief を受け入れて accepted いた。
 
We have accepted others’ belief about the soul, the self, the ego. 
 
私達はけっして内側 inside を見なかった looked、
私達はけっして内側 inside を調べなかった checked。
 
We never looked at it, we never checked it. 
 
そして、皇帝が
内側 inside には誰1人も見つからないことを
より見つけると、
より多くの幸せ happy、喜び joyous に
彼はなった。
 
And the more he found that there is nobody to be found, 
the more happy, joyous, he became. 
 
彼の顔はくつろいでいた、
大きな恩寵が彼を包んでいた。
 
His face relaxed; 
a great grace surrounded him. 
 
 
 
数時間が経った、
しかし、彼にとっては『時間 time』の質問はまったくなかった。
 
Hours passed, 
but for him there was no question of time at all. 
 
彼は座り続けた、
彼の生 life の中ではじめて彼が味わっている
この至福に満ちていることを楽しんだ。
 
He was sitting and sitting, 
and enjoying this blissfulness that he was tasting for the first time in his life. 
 
なにか非常に気持ちの良いものが彼に降りてきた。
 
Something immensely delightful was descending on him.
 
 
 
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すると、太陽 sun が昇りはじめた、
太陽 sun の最初の光線 ray と共に、
 
Then the sun started rising, 
and with the first rays of the sun, 
 
ボーディダルマ Bodhidharma は皇帝に言った、
 
「もう十分だ!
さあ、あなたの目を開けなさい。
あなたはあなた自身を内側 inside で見つけたか、見つけなかったか?」
 
皇帝は彼の目を開けた、
導師 master を見た、
美しさ beauty を見た、
恐ろしさ ferociousness は慈悲 compassion からであることを見た、
愛 love を見た、
頭を下げおじぎをした bowed down、
導師 master の足に触れて言った、
 
「あなたは永遠 forever の休息 rest を置きました。
 
’それ’ はなかった。
 
今や私は知った、
まったく存在 exist しない何かについて
私は不必要な心配 fuss を作り出していた。」
 
’You have put it at rest forever. 
It is not there. 
Now I know that I was creating an unnecessary fuss about something which doesn’t exist at all.’
 
 
 
これが大飛躍 quantum leap だ。
 
This is the quantum leap. 
 
内側 inside を捜し searching
あなたはあなたではないことを見つけた。
 
Searching inside you find you are not. 
 
すると、「いかに(方法)」の質問はない
そして、「どこ」の質問もない。
 
Then there is no question of ’how’ 
and no question of ’where’. 
 
それはすでに起こった。
 
It has already happened.
 
 
 
ジャミア Jamia、私はあなたに伝えたい、
 
毎日数時間ただあなたの目を閉じて、
皇帝 武帝 Emperor Wu がなったのと同じくらい
注意深く alert なってごらん、
私の手の中の刀と共にあなたの前にいて、
もし、あなたが眠りに落ちたり、入る
どんな瞬間もあなたを切る用意がある
私を覚えておくように。
 
I would like to tell you: 
just close your eyes for a few hours every day, 
become as alert as Emperor Wu became, 
remember me just in front of you with a sword in my hand, 
ready to cut you at any moment if you fall asleep, and go in. 
 
そして、ある日、大飛躍 quantum leap だ。
 
And, one day the quantum leap. 
 
 
 
あなたはそれが起こった時にだけ知るだろう。
 
あなたがそれをするのではないことを、
それはあなたの行いと関係ないことを、
それは起こるということを。
 
You will know only when it has happened. You don’t do it, 
it is nothing of your doing, 
it is a happening. 
 
あなたはそれをすることはできない
なぜなら、あなたが妨害 hindrance だからだ
…どうやってあなたがそれをすることができるのか?
 
 
 
どこにも飛ばない、
誰1人も飛ばない、
飛ぶ方法はない。
 
There is nowhere to jump, 
nobody to jump, 
no method to jump. 
 
これらの3つのこと全てに悟った時、
それは起こった。
 
When all these three things have been realized, it has happened.
 
すると、人は空っぽ emptiness のように生きる、
まったく空っぽ empty
そしてまた、まったく満ちている full。
 
Then one lives as an emptiness, 
utterly empty and yet utterly full. 
 
 
 
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質問 5
the fifth question
 
私はサニヤシン sannyasin になりたいです、
しかし、まさにその考えが私のハートを
大きな恐ろしさで掴みます。
それはとても新しいことです。
そして、さらに、
私は弟子 disciple になるためにここに来たのではなく、
サニヤシン sannyasin である友達にただ会いに来ただけなのです。
 
I DESIRE TO BECOME A SANNYASIN, 
BUT AT THE VERY IDEA A GREAT FEAR GRIPS MY HEART. 
IT IS SO NEW. 
AND, MOREOVER, I HAD NOT COME HERE TO BECOME A DISCIPLE, 
I HAD JUST COME TO SEE A FRIEND WHO IS A SANNYASIN.
 
 
 
(osho)
 
しかし、あなたは捕まっている、
あなたは罠にかかった!
 
But you are caught, you are trapped! 
 
今や、逃げることはとても難しいだろう。
 
Now it will be very difficult to escape. 
 
いつも、新しいことを選ぶことは難しい、
しかし、生きている人々だけが新しいことを選ぶ。
 
It is always difficult to choose the new, but only those live who choose the new. 
 
古いことを選ぶことは死 death であり、生 life ではない。
 
To choose the old is to choose death, not life. 
 
馴染み familiar のあることを選ぶことは
馴染み familiar の刑務所 prison の中にいるままだ、
 
知っていること known を選ぶことは
知らないこと unknown がドアをノックしても避ける avoid ことだ。
 
知っていること known を選ぶことは
神 God を拒絶 reject することだ、
なぜなら
神 God はいつも知らないこと unknown だからだ
…知らないこと unknown だけでない、
知ることのできない・不可知 unknowable もだ。
 
 
 
神 God はいつも新鮮 fresh だ、
露のしずく dewdrops と同じくらい新鮮 fresh だ。
 
神 God はいつもまったく新しい new、
馴染みがなく unfamiliar、
地図はなく unmapped、
スケジュールはなく unscheduled、
計算もない uncalculated。
 
神 God は知らないこと unknown としてだけでやって来る。
 
God comes only as the unknown. 
 
 
 
そして
もし、あなたが恐る afraid ならば、
もし、あなたが身がすくむ shrink back ならば、
 
すると
いわゆるあなたが言う闇の穴 dark hole の中であなたは生きなければならない。
 
あなたがしがみついている cling あなたの「過去 past」はなんだろうか?
 
What is your past that you cling to? 
 
しがみついている cling それは何?
馴染み familiar があることを除いて。
 
What is there to cling to, except that it is familiar? 
 
それは全て惨めだ misery、
それは全て悲劇だ tragedy。
 
しかし、人々は惨めさ miseries ですらしがみつく cling、
もし、それらが馴染み familiar があるならば、
もし、そろが親しみのある friendly ように見えるならば。
 
 
 
もし、健康 health があなたのドアをノックするならば、
あなたはそのノックさえ聞かないだろう、
あなたはあなたの結核 tuberculosis、あなたの癌 cancer にしがみつく cling、
なぜなら、それは馴染み familiar があるからだ、
 
あなたはとても長くそれと共に生きてきた。
それから去り leave そして健康 healthy になることは
ほとんど裏切り betrayal のように見える
 
だからこそ、人々は惨め miseries にしがみついている clinging。
 
惨め miseries を落とす drop ことができ
祝い celebration をはじめる start ことができる
機会 opportunities が生じる時でさえ、
人々は惨めさ misery にしがみ cling 続ける。
 
人々はその中に固執する persist、
人々はそれにこだわる insist。
 
たとえもし、それを落とした drop としても
人々は何度も何度もそれを拾い上げて持つ。
 
もし、1つの惨め misery が消えたならば、
人々は直ちに同じような惨め misery を作り出す。
 
人々は彼らの『存在 being』の中に入る喜び joy のほんの少しの合間 interval さえ与えない。
 
 
 
しかし、覚えておきなさい、
生きている人々だけが新しいことを選ぶ。
 
But remember, only those live who choose the new. 
 
生 life の意味は
計算のないこと uncalculated、
スケジュールがないこと unscheduled の
中へと入って行く
準備ができていること readiness だ。
 
生 life の意味は
知らないこと unknown の源 source から来た
挑戦 challenge にいつも耳をかたむけて聴く listen 準備 ready があることだ。
 
それは危険 dangerous だ、
しかし、生 life は危険 dangerous だ。
 
世界の中で最も守られた secure 安全 safe な場所は墓 grave だ
…そこでは、けっして何1つも起こらない。
 
 
 
ムラ ナスルディン mulla nasrudin が住むある小さい村で、
地方自治の委員会 Municipal Committee が
墓場 graveyard の周りに壁 wall を作ろうと考えていた。
 
ムラ ナスルディン mulla nasrudin もまたその委員会のメンバーだった。
彼は立ち上がって言った、
 
「壁 wall は必要ありません。」
 
委員会全体は不思議そうに見た、
なぜなら、誰もがみんな墓場の周りに壁 wall を作ることに賛成 favour だったからだ。
 
人々は墓 graves を見たくなかった
人々は死 death を見たくなかった。
 
人々は死 death であることに『気づき aware』たくなかった。
 
だからこそ、墓場は遠い街の外側 outside に作られた。
 
あなたが墓場に行かなければならない時、
その時だけ墓場に行った、
さもなければ、避ける avoid 方がいい。
 
その村はより大きく成長したので
以前は墓場は街の外側 outside にあったが
もはや街の外側 outside ではなくなっていた
…その街は大きくなり広がっていた。
 
だから、委員会全体は賛成だった。
 
しかし、ムラ ナスルディン mulla nasrudin は言った、
 
「壁 wall は必要ありません。」
 
委員長は尋ねた、
 
「なぜ、あなたは必要ないと言うのかな?」
 
ムラ ナスルディン mulla nasrudin は言った、
 
「2つの理由のためです。
 
1つめ、外側 outside にいる者たちは
…彼らはこちらに入って来たくない
だから、彼らを妨げる prevent どんな壁 wall も必要ありません。
 
そして、2つめ、内側 inside にいる者たちは
…彼らは外に出ることができません。
 
だから、壁 wall を作る要点 point とはなんですか?
 
壁 wall は
中にいる人々が外 out へと出ることを妨げる prevent 
または
外にいる人々が内 in へと入ることを妨げる prevent
ためだけに必要とされます。
 
外 out にいる人々は、内 in に入って来たくはない、
彼らはまったく助けがなくどうすることもできない helplessness 中だけに行く。
 
彼らが行かなければならない時、
彼らが4人の人達によって運ばれなければならない時、
すると、彼らは行く。
 
そして、ひとたび、彼らが入ったら
彼らは出て来ることはできない
…誰1人も誰かがそこから出て来たことを聞いたことがない。
 
壁 wall を作ることは無意味 pointless です!」
 
 
 
世界の中で墓 grave は最も安全 safe で守られている secure 場所だ、
なぜなら、そこではけっして新しいことが起こることがないからだ。
 
 
 
それを覚えておきなさい、
墓 grave にならないように。
 
サニヤス sannyas はあなたには新しいことだ、
そしてあなたはサニヤシン sannyasin になるためにここに来たのではなかった…
 
あなたは
全てのサニヤシン sannyasin が
サニヤシン sannyasin になるために
ここに来たと思うのかな?
 
彼らは気づかずに unawares つかまった caught!
 
彼らが逃げる escape ことができる前に
私は彼らのハート heart をつかまえた caught。
 
今 now あなたもまたつかまった caught。
 
もし、あなたが逃げる escape ならば、
あなたはあなた自身の覚悟 risk で逃げる escape。
 
If you escape, you escape at your own risk. 
 
あなたは永遠 forever に後悔する repent だろう
そして、あなたは永遠 forever に気の毒 sorry だろう、
 
なぜなら、そこには
変容 transformation の機会 opportunity があった、
手放し let go の方法の学びの機会 opportunity があった、
あなた自身の『存在 being』の中へと落ちていき falling
あなた自身の『存在 being』の中へと安らぐ resting 機会 opportunity があった、
開花 bloom の機会 opportunity があった。
 
しかし、あなたは恐れた afraid
なぜなら、それは新しいこと new だからだ。
 
But you became afraid because it is new.
 
 
 
ロバート フロスト のこれらの行に瞑想 meditation しなさい。
 
Meditate on these lines of Robert Frost. 
 
 
 
(Robert Frost ロバート フロスト
The road not taken 通らなかった道)
 
 
 
黄色い森の中で2本に道が分かれていた、
Two roads diverged in a yellow wood, 
 
残念だが両方の道を旅することはできない、
And sorry I could not travel both,
 
1人旅である私は長い間立ち止まり
And be one traveller, long I stood
 
1本の道をできるだけ遠くまで見た
And looked down one as far as I could
 
道の先は草むらの中で曲がっていた、
To where it bent in the undergrowth;
 
その後、別の道を選びとった、ちょうど同じくらい美しいが、
Then took the other, as just as fair,
 
たぶんより良いと言う方を、
And having perhaps the better claim,
 
なぜなら、そちらは草で覆われ生やしていたかったからだ、
And because it was grassy and wanted wear; 
 
そこを通り過ぎるにもかかわらず
Though as for that, the passing there
 
2本の道は本当にほとんど同じくらい草が生えていた、
Had worn them really about the same,
 
両方の道は、あの朝、等しく敷かれていた
And both that morning equally lay
 
落ち葉の中には踏まれて黒くなった足跡はなかった
In leaves no step had trodden black
 
あ〜、最初に見た方の道は別の日のためにとっておこう!
Oh, I kept the first for another day!
 
いかに道が道へと導くことをもう知っていたから、
Yet knowing how way leads on to way,
 
私はいつか戻って来るべきなのかを疑った。
I doubted if I should ever come back.
 
私はため息まじりにこれを話すでしょう
I shall be telling this with a sigh
 
昔むかしあるところに、ここから、
Somewhere ages and ages hence:
 
森の中で2本に道が分かれていた、そして私は…
Two roads diverged in a wood, and I –
 
私はあまり人が旅をしていない道の方をとった、
I took the one less travelled by,
 
そしてそれは全ての異なりを作った。
And that has made all the difference.
 
 
 
いつも新しいこと new を選ぶことは、
あまり旅をされていない道の方だ。
 
Always choose the new, the less travelled by. 
 
いつも知らないこと unknown を選ぶことは、
あまり旅をされていない道の方だ。
 
Always choose the unknown, the less travelled by.
 
「そしてそれは全ての異なりを作った。
And that has made all the difference.」
 
生 life は挑戦 challenges を選ぶことによってのみ成長する grows。
 
生 life は嵐 storms の中に入って行くことによってのみ成長する grows。
 
生 life は覚悟 risking や賭ける gambling ことによってのみ成長する grows。
 
 
 
サニヤス sannyas は勇気 courage が必要だ。
 
Sannyas needs courage
 
 
 
昔 old のサニヤス sannyas はそんなに危険 dangerous ではなかった。
 
人々は
昔 old の古い考えのサニヤス sannyasより
私のサニヤス sannyas の方が
より容易 easier だと考えている
 
彼らはまったく間違っている。
 
昔 old のサニヤス sannyas はとても簡単 simple だった
なぜなら、それは期待だった expected
…期待だった expected だけではなく要求されていた demanded…
あなたが世界を放棄 renounce することを。
 
それは簡単 simple だ。
 
あなたは修道院 monastery に入った、
あなたはそこで生きた、
じゃまされず undisturbed、
世界によって気が散ることなく undistracted。
 
瞑想 meditation は
気が散ること distractions のない状態の中で
あなたの全生涯となった。
 
それは一本調子な代わり映えのない monotonous 生 life だった。
 
 
 
修道院 monastery と
退屈・一本調子 monotony の
言葉は同じ語源から来ている。
 
修道士・僧 monk もだ。
 
 
 
生 life は
居心地が良い settled、
一本調子な代わり映えのない monotonous、
繰り返しの repetitive、
同じ same、
世界は遠く背後に去った。
 
それは容易かった easy。
 
 
 
私のサニヤス sannyas はさらにもっと複雑 complex だ。
 
My sannyas is far more complex. 
 
あなたは市場 market-place(街中)の中で生きながらも
あなたが修道院 monastery の中にいるように生きなければならない。
 
あなたは全ての気が散ること distractions を受け入れながらも
気が散らない undistracted ままでいなければならない。
 
 
 
あなたは世界(俗世間)の中にいながら
世界(俗世間)であってはならない。
 
 
 
私はあなたに大きな挑戦 challenge を放った thrown。
 
サニヤス sannyas の古い概念 old concept は
十分な挑戦 challenging ではなかった。
 
それは臆病で卑怯者 cowards、逃避者 escapists 達へのまさに近づき appealing だった
…生 life にへとへと weary になった人々への、
生 life に疲れた tired 人々への、
生 life に適応能力 incapable がない人々への、
なんとなく無力 incompetent や劣等感 inferior を感じる人々への。
 
それは
劣等感 inferior、
才能がない untalented、
賢くない unintelligent
そのような人々にはとても魅力的となった。
 
もし、あなたがヒマラヤ Himalayas 
または、修道院 monastery へ行くならば、
修道士や僧侶 monks を見てごらん、
あなたは驚くだろう、
 
必ずあなたは1つのことを見つけるだろう、
 
彼らの顔には賢さ intelligence の表れ signs がない、
彼らの目は彼方からのどんな光 light も輝いて shine いない。
 
彼らは
鈍く dull
活気のない insipid
愚かな stupid
賢くない unintelligent
無力 incompetent
に見える。
 
彼らは生 life から逃げた escaped。
 
 
 
生 life はあなたに鋭敏さ sharpness を与える、
さもなければ、あなたの刀 sword はけっして鋭く sharp ならないだろう。
 
生 life の中での奮闘 struggle は
あなたの才能 talents が表面 surface にやって来る
全てのバネを刺激する provokes。
 
It is the struggle in life that provokes all the springs of your talents to come to the surface
 
あなたは生き残るために賢く intelligent あらねばならない
 
You have to be intelligent to survive. 
 
 
 
修道院 monastery の中では
あなたは修道院 monastery や、宗派 sect や、教会 church によって守られている protected。
 
あなたは生き残る survive ための
どんな努力 effort もする必要がない。
 
食べ物は与えられ、
服は与えられ、
あなたはただ祈り唱えなければならないだけだ、
それをオウム parrot のように繰り返さなければならないだけだ、
他者の言葉を。
 
 
 
もし、人が賢くない unintelligent ならば
その中にいても不思議 wonder ではないことは
当たり前のことだ。
 
もし、そこで誰かが賢く intelligent なれば
それは不思議 wonder であるだろう、
なぜなら、
全ての賢く intelligence なるための機会 opportunities が妨げ prevented られているからだ
…なぜなら、それらは
気が散る distraction ための機会 opportunities と
同じ機会 opportunities だからだ。
 
気が散る distraction が機会 opportunity だ。
 
Distraction is an opportunity. 
 
 
 
あなたは気が散る distracted であることができる
 
…それはあなたが決める decide ことだ…
 
または
あなたは気が散らない undistracted ままであることができる、
 
すると、それはあなたに
中心 center(中核 core)を
結晶化 crystallization を
与えるだろう。
 
 
 
私のサニヤス sannyas は
地球 earth 上で起こった
最も複雑 complicated なものだ
 
My sannyas is the most complicated phenomenon that has ever happened on the earth 
 
なぜなら、私は世界から去りなさいとあなたに言わないからだ、
 
because I don’t say to you leave the world, 
 
私は言う、世界の中で
生きなさい live、
思う存分楽しみなさい indulge、
愛しなさい love、
楽しみなさい enjoy、
可能な限り最も深くまで行き着きなさい
 
そうすると、あなたの賢さ intelligence は鋭くなる sharpened、
あなたの生 life は引き起こす provoked、
あなたの冬眠中 dormant のエネルギーの源 source は躍動的 dynamic に、流れる flowing ようになる。
 
そうしても
あなたの『存在 being』の中心 center(中核 core)に
あなた自身を維持する keep ままだ
…見る者 watcher は丘の上にいる。
 
And yet, keep yourself centred in your being – a watcher on the hills. 
 
 
 
役者 actor のままでありなさい
生 life をただのドラマ drama にしよう
あなたは確かな役割で満たしている。
 
Remain an actor and let the life be just a drama where you are fulfilling a certain role. 
 
しかし、その役割 role と同一化 identified しないように。
 
 
 
絶えず覚えておきなさい、
これは役割 role であると
 
…あなたは
大工 a carpenter または
医者 a doctor または 
エンジニア an engineer または 
教師 a teacher または
夫 husband または
妻 wife または
母 mother または
父 father または
子供 son …
 
これらは全て役割 roles だ、
 
そして、地球 earth は大きな舞台 stage であり
大きなドラマ drama 演じられている。
 
神 God はそのドラマ drama の作者 author であり監督 director だ、
そして、あなたはただの役者 actors だ、参加している participating。
 
舞台の幕 curtain が降りる時、
あなたの役割 roles は消えるだろう。
 
あなたは再びただ純粋な『存在 being』であるだろう。
 
あなたはあなたが演じた played 役割 role ではないだろう。
 
世界とは
あなた自身を思い出すための
機会の中へと入っていく
変容の場であるべきだ、
自己を思い出すための。
 
The world has to be transformed into an opportunity to remember yourself, for self-remembering. 
 
ゆえに、サニヤス sannyas は困難だ。
 
Hence sannyas is arduous. 
 
そして私は、みんなが飛ぶ jump 前に躊躇 hesitates することを知っている、
 
 
 

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しかし、もし、欲 desire が生じたならば、
もし、あこがれ longing があるならば、
それを殺さないようにしなさい、
なぜなら、それは自殺 suicidal になるだろうからだ。
 
それを試してみなさい Experiment、
この新しい次元 dimension を探検 explore してみなさい。
 
あなたは一方向 one way を生きてきた
…何度も何度もそれを繰り返し続ける要点は何かな?
 
この新しい様式でも生きなさい。
 
Live this new style too. 
 
誰にわかるかな?
…あなたはこの道 way の途上で神 God とばったり出会うかもしれない。
 
誰にわかるかな?
…充実感 fulfilment はこの道 path の途上であなたを待っているかもしれない。
 
 
 
質問 6
the sixth question
 
なぜ、私は愛し、その後、嫌い憎み
そして、同じ人へ無関心を表すのでしょうか?
 
WHY DO I LOVE, THEN HATE AND THEN SHOW INDIFFERENCE TO THE SAME PERSON?
 
 
 
(osho)
 
ツハラ Tushara、
あなたは愛 love がなんであるのかまだわかっていない。
 
あなたは愛 love のような見せかけ masquerade のたくさんのことを
まだわかっていない、
演じることはあなたをだます…たくさんのことを。
 
You don’t know yet that many other things masquerade as love, 
play tricks on you – many things. 
 
そうだ、時々、憎しみ hate さえ
愛 love の仮面 mask を持つことができる、
 
時々、まったくの性的欲求 sexuality が愛 love を装う pretends。
 
そして、これはそうであるべきだ。
 
あなたは言う、
 
「なぜ、私は愛し、その後、嫌い憎み
そして、同じ人へ無関心を表すのでしょうか?
 
Why do I love, then hate and then show indifference to the same person?」
 
あなたはまだ愛 love したことがない、
それはあなたの中のただの性的欲望 sexual appetite だ。
 
そして私はそれを、知りながらの欲望と呼ぶ。
 
And I call it appetite knowingly. 
 
 
 
あなたはお腹がすく hungry 時、
あなたは食べ物 food に興味がある。
 
ヴリンダーヴァン Vrindavan からやって来る香り aroma はあなたを魅了する attracts、
他のあらゆることが重要ではなくなる。
 
あなたはヴリンダーヴァン Vrindavan の方へと向かっているあなた自身を見つける。
 
ひとたび、あなたが食べ終えると、
食べ物 food への全ての興味が消え去る disappears、
 
そして、もし、あなたがとてもたくさん食べ過ぎると、
あなたは食べ物 food によって不快な感じさえ抱くようになる repelled。
 
もし、あなたが必要以上に食べ過ぎると、
あなたは吐き気 nauseous を感じる
…あなたの中で病気 sickness が生じる。
 
そして、あなたが食べ物 food に満足 satiated した時、
あなたはヴリンダーヴァン Vrindavan を通り過ぎることができる、
あなたはその香り aromas を臭わない。
 
 
 
あなたは千とひとつの思いを考え続けることができるし、
 
あなたは食べ物 food に無関心 indifferent なままであることができる。
 
 
 
あなたの愛 love は性的な欲望 sexual appetite にすぎない。
 
Your love is nothing but sexual appetite. 
 
 
 
だからこそ、最初は魅力 attracted を感じる、「大きな愛 great love」の中で。
 
その魅力 attraction をあなたは愛 love と呼ぶ。
 
 
 
人々がアイスクリームが大好き love と言うように、
それがあなたが人々を愛 love するあり方だ。
 
Just as people say they love ice cream, that’s the way you love people. 
 
しかし、いつまであなたはアイスクリームを大好き love でいることができるかな?
 
あなたは食べることはできる、
しかし、どれくらい?
 
 
 
あるとき、ボンベイ Bombay で
私はある家族と一緒に滞在した。
 
その人々は美しい人々だった、
しかし、彼らはお客をもてなすための
奇妙 strange な考え idea の方法があった。
 
なぜなら、私はそこに滞在していた、
彼らは多くの人々を招待した、
彼らは祝宴 feast を与えた。
 
すると、4人の兄弟が各お客に
もっと食べろと強制 forcing しはじめた。
 
彼らは実際に人々の口に食べ物を入れて身体的に強制しはじめた、
そして人々は言った、
 
「やめてください!」
 
とてもぞっとして不思議そうな様子だった、
 
「何が起こっているのか?」
 
各お客に4人がいる!
 
私は尋ねた、
 
「どうしたのかな?
何をしているのかな?
もし、彼らが食べたくないのならば、
彼ら自身に任せなさい!」
 
彼らは言った、
 
「しかし、これが私達の伝統 tradition なのです。
私達家族の、お客が喧嘩をはじめない限り、私達はしなければならない…
さもなければ、私達は本物のホスト hosts ではないのです。」
 
そして、これが本物のホスト host であるための彼らの考え idea だ!
 
お客が喧嘩をはじめない限り…
 
そしてそれは実際に起こった。
 
お客が…
どれほど長く苦しむ suffer ことができるかな?
限界 limit がある!
 
肉体 body は無限 infinite ではない
胃 stomach は限界 limit がある。
 
そして、お客たちは叫び shouting はじめた。
 
そして、彼らはとても幸せだった
なぜなら、彼らは良いホスト hosts だったからだ。
 
 
 
最初に、ツハラ Tushara、
あなたはあなたが愛 love の中にあると思っている。
 
YOU THINK YOU are in love, Tushara. 
 
しかし、それは愛 love ではない
…ただの身体的な欲望 physical appetite だ、
肉体 body の現象 phenomenon だ、
化学 chemical の現象 phenomenon だ
…愛 love とは関係ない。
 
 
 
愛 love はとても異なる different ものだ。
 
それはセックス sex をすることは必要 necessarily ではない。
 
Love is a very different thing. 
It has not necessarily anything to do with sex. 
 
 
 
セックス sex は
愛 love の一部分だろうし、
愛 love の一部分ではないだろう。
 
あなたは性的な関係性 sexual relationship なしで
人と愛 love であることができる。
 
You can be in love with a person without any sexual relationship. 
 
それを私達は友情 friendship と言う。
 
That’s what we call friendship. 
 
それは世界から消えてしまった。
 
It has disappeared from the world. 
 
 
 
今や、友情 friendship は世界からほとんど消えてしまった
なぜなら
私達はたった1つの愛 love の種類、性的 sexual なことだけしか知らないからだ。
 
Now friendship has almost disappeared from the world 
because we know only one kind of love, which is sexual. 
 
性的ではない愛 non-sexual love は
存在しなく non-existent なった。
 
A non-sexual love has become non-existent. 
 
 
 
実際には、それが愛 love だ。
 
In fact, that IS love. 
 
友情 friendship は性的な関係性 sexual relationship よりもより深い愛 love だ
なぜなら
友情 friendship とは
与え gives、そして、見返り return を何1つも尋ねないことだからだ。
 
Friendship is a deeper love than sexual relationship 
because friendship gives and asks nothing in return.
 
 
 
性的な関係性 sexual relationship は
双方による利用・搾取 mutual exploitation だ。
 
Sexual relationship is mutual exploitation: 
 
あなたは相手の肉体 body を利用し搾取 exploiting し
相手はあなたの肉体 body を利用し搾取 exploiting する。
 
両人がお互いを利用し合っている。
 
しかし、ただ純粋なセックス pure sex と言うのは醜い ugly ので
だから、私達はそれを愛 love と言う。
 
それはとても良いだろう
もし、あなたが単にセックス sex と言うならば、
それは真実 true で正直 sincere たっあるだろう、
そして、問題は生じないだろう、
なぜなら
あなたはそれが欲望 appetite であると知るだろうからだ。
 
It will be very good if you call it simple sex; 
it will be true, sincere 
and there will be no problem arising, 
because then you will know it is appetite. 
 
あなたは一瞬満たされる、すると、
もし、相手が要求 demanding し続ける
そして、あなたはゲームをし続ける、
そこには嫌い憎しみ hate があるだろう、
なぜなら
あなたは拒絶 repulsed するだろうからだ。
 
そして、遅かれ早かれ、あなたは無関心 indifferent になるだろう、
なぜなら
あなたは相手の肉体 body を利用し搾取し explored
そして、相手はあなたの肉体 body を利用し搾取した explored からだ。
 
今や、そこにはそれ以上はない、
なわばり territories はわかっている。
 
今や、そこにはそれ以上の陰謀 intrigue はない、
それ以上謎めいた中へと入っていくことはない。
 
あなたは終わった。
無関心 indifference が生じた。
 
You are finished. 
Indifference arises.
 
 
 
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ツハラ Tushara、
あなたが言う愛 love はただのセックス sex だ。
 
what you call love is just sex. 
 
セックス sex と言いなさい、
愛 love と言わないように。
 
Call it sex, don’t call it love. 
 
 
 
そして、それをセックス sex と言うことは良いだろう
なぜなら、すると、あなたはそれはセックス sex だと知るからだ。
 
そこには偽ること pretend は必要ではない。
 
There is no need to pretend. 
 
 
 
もし、あなたが偽らないのならば、
それは憎しみ hate へと転換 turn しないだろう。
 
If you don’t pretend, it will not turn into hate. 
 
もし、あなたが偽るのならば、
それは愛 love で、それは愛 love ではないと、
遅かれ早かれ、あなたは
それが憎しみ hate へと転換 turn するのがわかるだろう。
 
If you pretend that it is love and it is not, sooner or later you will see it is turning into hate. 
 
もし、あなたが偽らないならば、
もし、あなたがそれを単にセックス sex と言うならば、
あなたは相手に感謝 grateful をするだろう、
あなたは相手を憎まないだろう。
 
If you don’t pretend, 
if you call it simply sex, 
you will be grateful to the other, 
you will not hate the other. 
 
そして、それはけっして無関心 indifference にならないだろう、
あなたはいつも感謝 thankful を感じるだろう。
 
And it will never become indifference; 
you will always feel thankful.
 
 
 
しかし、それを「愛 love」という大きな名前で呼ぶと、
全てのトラブルを作る。
 
すると、問題が生じる
…なぜ、愛 love は憎しみ hate へと転換 turn したのだろうか?
 
 
 
愛 love はけっして嫌う憎しみ hate へと転換 turns しない。
 
Love never turns into hate. 
 
愛 love はもっともっと愛 love になり続ける。
 
Love goes on becoming more and more love. 
 
愛 love は究極的には祈り prayer や神 God になる。
 
Love ultimately becomes prayer and God.
 
 
 
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しかし、これは愛 love ではない。
 
まず第1に…私の提案 suggestion は…、
それを単に、純粋に、セックス sex と呼びなさい。
 
純粋の中になに1つの間違いはない、
単にセックス sex だ、
それは自然 natural だ。
 
セックス sex を美しい言葉「愛 love」の後ろに隠す hide 必要はない。
 
There is no need to hide it behind the beautiful word ’love’. 
 
セックス sex の周りにロマンスの雲 cloud を作る必要はない。
 
There is no need to create a cloud of romance around it. 
 
シンプルでありなさい be simple、
真実で正直でありなさい be true, sincere. 
 
もし、これを行うならば、
半分の課題は終わった。
 
If this is done, half the work is done. 
 
すると、ある日、あなたは異なり difference がわかることができるようになるだろう。
 
ある日、あなたは愛 love に落ちるだろう
そして、あなたはそれがただの生理的なことや化学反応ではないのがわかるだろう、
しかし、なにかより高く優れているもの
…2人の波動 vibes が同調している、
2人の精 spirits が 近くに感じる、
2人の『存在 being』が調和している感じ。
 
One day you will fall in love 
and you will see it is not just physiological, chemical attraction, 
but something higher, something superior 
– two vibes falling in tune, 
two spirits feeling close, 
two beings feeling harmonious.
 
 
 
私自身の言葉は、
 
もし、2人の肉体 body がお互いに魅力に感じるならば、
それはセックス sex だ、
 
My own words are: 
if two bodies are feeling attracted to each other, it is sex; 
 
もし、2人のマインド(思考)mind がお互いに魅力を感じるならば、
それは愛 love だ。
 
if two minds are feeling attracted to each other, it is love; 
 
もし、2人の魂 soul がお互いに魅力を感じるならば、
それは祈り prayer だ。
 
if two souls are feeling attracted to each other, it is prayer. 
 
 
 
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そして、祈り prayer は最も高い形だ。
 
And prayer is the highest form. 
 
セックス sex は最も低い形だ。
 
Sex is the lowest form. 
 
低と高が
セックス sex と 愛 love と 祈り prayer が
同じであると考えないように、
 
さもなければ、あなたは誤って導かれたままだろう。
 
Don’t think of the lower as the higher; 
otherwise you remain misguided.
 
 
 
ある男性 man と女性 woman が時々一緒にいたが
やっと彼女が彼とベッドへ行くことに賛成した。
 
彼のアパートに行く途中で、
彼らはおしゃれなお店を通り過ぎた。
 
女性 woman はある高価なイタリアの靴に見とれた。
 
「気にしないで、僕が君のために買ってあげるよ、」
彼は言った。
 
すると、彼女は本物のパリのドレスを見た。
 
「気にしないで、僕がそれも君のために買ってあげるよ。」
 
最後に、ミンクのコートが彼女の目をとらえた。
 
「気にしないで、僕が君のためにそのコートを買ってあげるよ。」
 
彼らはやっとアパートに着いて、
愛を交わし made love、
アパートを去り、
再び高価なお店を通り過ぎた。
 
「あなたが私のために買うコートがあるわ、」
 
彼女は言った。
 
「そこから離れて来なよ、」
 
彼はぴしゃりと言った snapped。
 
「あ〜、ドレスがあるわ。」
 
「そこから離れて来なよ、」
 
再び返事をした。
 
ついに彼女は靴を見て指を指した。
 
再び彼は応えた、
 
「そこから離れて来なよ、」
 
彼女は泣きじゃくりはじめた sobbed、
 
「理解できないわ。
私達が愛を交わす made love 前、
あなたはそれらを買ってくれると私に約束した。
2時間経った今、あなたは約束を破っている。」
 
「それはこういうことなんだ。
僕が硬い hard 時、僕は優しい(柔らかい)soft、
だが、僕が柔らかい soft とき、僕は硬い(厳しい)hard んだ。」
 
’Baby, it’s like this. 
When I am hard, I am soft, 
but when I am soft, I am hard.’
 
 
 
Enough for today.
 
 
 
chapter 9 へ続く : Riding on a Miracle…
 
 
 
from osho talks
 
The Secret of Secrets, Vol 1
 
Talks on the Secret of the Golden Flower
 
Talks given from 11/08/78 am to 26/08/78 am 
English Discourse series
 
chapter 8 : Real is for Always
 
18 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
osho の講話は
1日目はある題材に関するお話、
2日目は質問に答えるお話、
というように1日起きにその順番で行われます。
 
あらゆる質問にものすごく丁寧に、
詳しく、わかりやすく、話していています。
 
はじめは厳しいように感じるかもしれませんが
人々が苦しみに気づき、手放せるように、と
とても深い愛 love の導きがあります。
 
人々からの質問は一見その講話の題材と
関係ないように思えるかもしれませんが
 
その質問があり、それに答えるからこそ
その題材がより深くわかったりもする
講話となっているような、
 
質問と答えのお話も含めて
何日間にも渡る講話全体を聞き終わると
その題材の講話の内容が
すーと身に染み込むようにわかります。
 
この講話の和訳本がありましたが
もう販売されていなくて入手不可能ですから
自力で英語の講話を読んで
さらに、英語の勉強と osho との瞑想と思い
自力で和訳してみました。
 
とても時間がかかるので
全チャプター和訳する前に
死んでしまうかもしれませんしσ(^_^;)
 
チャプター9 の和訳がいつ終わるのかわかりませんがσ(^_^;)
 
ど素人なので直訳しかできませんがσ(^_^;)
 
趣味レベルでよろしければ
興味がある方はお楽しみください。
 
詳しくは「osho でイングリッシュ!」に書きました。
 
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ぜひ英語の原文で読みたい!という方は…
 
この osho の英語の全チャプターの講話
The Secret of Secrets, Vol 1&2 は 
pdf データで
サイドバーのリンクにもある
OSHO WORLD にてフリーダウンロードできます。
こちらをクリックしてください。
 
 
 
また、この osho samadhi समाधिः の英語の方のブログでは
この The Secret of Secrets, Vol 1&2 の講話の
全チャプターを載せてありますから
こちらの日本語のブログのように
絵つきでよければご覧になってください。
 
 
 
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subtle body and chakra について
英語の講話の1チャプターだけです。
yoga : the alpha and the omega, vol 9 ch1
 

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osho transformation tarot のこのカードの解説はこちら。

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osho transformation tarot のこのカードの解説はこちら。

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osho transformation tarot のこのカードの解説はこちら。
 
 
 
beloved osho
beloved all enlightened masters 
beloved all
 
 
 
”The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.”
 
 
 
sammasati
It means right remembrance.
サマサティの意味は ”正しく想起する”。
 
 
 
meditation & love
 
 
 
osho samadhi समाधिः
 
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