osho samadhi समाधिः 日本語

messages from all enlightened masters

生・命 life を大切にする = 愛で在る be love

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コロナウイルス coronavirus シリーズ 18〉

 

 


生・命 life を大切にする = 愛で在る be love

 

 


コロナウイルス coronavirus の
ワクチン vaccine が
日本にも到着しました。


コロナウイルス coronavirus の
変異株?変異種?も
日本にも到着し広がっています。


コロナウイルス coronavirus と ワクチン vaccine 
これからどうなるのかな?

 

 


薬 medicine や ワクチン vaccine を作るために
多くの生き物達が実験などの犠牲になっています。


薬 medicine や ワクチン vaccine を使うことに対して
賛成も反対もしません。


ただ、もし、使うならば、
犠牲になった多くの生き物達に


ごめんなさい、ありがとう。


と感謝の気持ちを伝えることは大切です。


けっして当たり前にあるものではないのですから…。

 

 


人間は 肉体 body を持って生きている限り
自分以外の生き物達を食べることになりますから
多くの生・命 life をいただいています。


人間だけでなく全ての生き物達は
自分が殺されて食べられることを
望んで喜んではいません。


植物や動物や全ての生き物達は
殺されて食べられることを
やはり恐れ悲しんでいます。


人間が食べることができるのは
けっして当たり前のことではなく、


自分が生きていることも
けっして当たり前のことではありません。


自分の内側 inside の 中心 center(中核 core)には
生・命 life の 源 source である
『存在 being』魂 soul がありますが


多くの生き物達の生・命 life をいただいて
「生かされている」のです。

 

 


食べ物だけでなく
薬 medicine や ワクチン vaccine も同じです。


人間が生かされるために
多くの生き物達の生・命 life が犠牲になっています。


ごめんなさい、ありがとう。


と感謝の気持ちを伝えることは大切です。

 

 


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この宇宙 universe は『1つ one』の有機体 organic unity 

左 : 肉体 body(物質 matter)は個別に分かれている

右 : 意識 consciousness は 全ての存在 existence の中心 center(中核 core)である『存在 being』で『1つ one』に繋がっている

 


光明 enlightenment が起こると
この宇宙 universe 全ての 存在 existence と『1つ one』の状態の
宇宙 universe 意識 consciousness で生きます。


すると、


全ての存在 existence は
物質 matter 的には個別に分かれて見えていますが
意識 consciousness は『1つ one』ですから、


自分以外の他を傷つけると
自分も同じように痛みを感じてしまいます。


ですから、限りなく
必要最低限の हिंसा hiṃsā violence ヒムサー 暴力であろうとします。


限りなく अहिंसा ahiṃsā non-violence アヒムサー 非暴力であろうとして生きます。


自分の肉体 body の寿命が来るまで
他の生き物達の生・命 life をいただくことに
ごめんなさい、ありがとう、と
「生かされている」ことに
100% 感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

 


食べ物となる生き物達にだけでなく
今 now ここ here で 自分の肉体 body が
「生かされている」ことに対して、
野菜を栽培してくださる人達や、
野菜を配達してくださる人達や、
野菜を売ってくれるお店の人達や、
土の中の微生物や虫達や
住む場所を与えてくださる人達や、
水や電気やガスなどを与えてくださる人達や、
地球 earth の空気や、
宇宙 universe の 太陽 sun や 月 moon…
などなど…
宇宙 universe 全ての存在 existence に
ありがとう…100% 感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

 


この宇宙 universe
生きるために必要なものは
確かなタイミングで
適切なだけ
ちゃんと与えてくれます。


ですから、安心してくつろいで relax 
宇宙 universe を100% 信頼 trust しても大丈夫なのです。


だからといって、怠けるということではありません。


自分の肉体 body が生きるために
必要なことはちゃんとするのです。

 

 


これはわたしの体験 experience ですから
他の人の体験 experience はわかりませんが、


光明 enlightenment が起こった後、
あまりにも、ありがとう…100% 感謝の気持ちでいっぱいで満ち溢れながら毎日生きていたら
7年後に大光明 great enlightenment が起こったのでした。


光明 enlightenment が起こった後、


宇宙 universe を 信頼 trust して
安心して安易・安楽 ease で くつろぎ relax ながら、


ありがとう、の感謝と
全てへの明け渡し surrender 


この状態で毎日生きていたら
大光明 great enlightenment が起こったのでした。

 

 

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宇宙 universe への 信頼 trust 

 

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ノーマインド(無心・無思考)no mind であるからこそ

明け渡し surrender の状態で在ることができます。

 

 

わたしの体験 experience では
光明 enlightenment も 大光明 great enlightenment
ありがとう…100% 感謝の気持ちで在ることは
必要なことなのでは?と思っています。


ありがとう…100% 感謝で在ることは
明け渡し surrender の状態に自然となってしまいます。

 

(ありがとうと明け渡しはセットなのか!?このことに関する osho の講話 discourse をまだ見つけられていないのでご紹介できなくてすみません。)

 

 


光明 enlightenment や 大光明 great enlightenment が起こった後
はっきりわかることは、


肉体 body を持って生きている限り
善人 good person
聖人 saint person
特別で偉大な人 special and great person  
などにはなれないということです。


いわゆる宗教や道徳などでは
善人 good person や
聖人 saint person などを
特別で偉大な人 special and great person  
というマインド(思考)mind を作って
それを目指しているように見えますが、


それは、エゴ(欲・自我)ego を満たそうとする行為でしかありません。


それに引っかかってしまうと
優劣というマインド(思考)mind に振り回されてしまい
なかなか抜け出せず苦しみ suffering 続けます。


そのような、優劣、善悪、などの
द्वैत dvaita ドヴァイタ duality 二元性を
超越 beyond し、
中庸 moderation であることが
अद्वैत advaita アドヴァイタ non-duality 不二 unity 一元性 の
光明 enlightenment が起こった状態です。

 

光明 enlightenment が起こった後、はじめて真の宗教や道徳がわかります。 

 

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話しを戻しますが、


自分以外の生き物達の生・命 life を犠牲にして
食べて生かさせてもらっているのですから
必ず हिंसा hiṃsā violence ヒムサー 暴力をしているので、

 

肉体 body を持って生きている限り
善人 good person
聖人 saint person
特別で偉大な人 special and great person  
などにはなれないということがはっきりとわかるのです。


歩いているだけで、微生物を殺しているかもしれません。


免疫細胞がウイルス virus と戦って殺していることもあります。


ですから、光明 enlightenment が起こった人達は
善人 good person
聖人 saint person
特別で偉大な人 special and great person  
などになろうという努力もしません。


善人 good person でも 悪人 bad person でも無い状態ですから、
優越感も劣等感も持ちません。


それが、ノーマインド(無心・無思考)no mind の
無 nothingness、空 emptiness の状態です。


全てのद्वैत dvaita ドヴァイタ duality 二元性を超越 beyond した


つまり、中庸 moderation の
अद्वैत advaita アドヴァイタ non-duality 不二 unity 一元性 の状態です。


ただ、寿命まで生かさせてもらう間
限りなく अहिंसा ahiṃsā non-violence アヒムサー 非暴力であろうと意識して生きる


自然 nature と共に 自然 natural に生きる人 です。

 

 

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怒り anger は 怒り anger で返って来る
愛 love は 愛 love で返って来る

 

 


また、


हिंसा hiṃsā violence ヒムサー 暴力をすると
हिंसा hiṃsā violence ヒムサー 暴力で
自分に返って来ます。


怒り anger をぶつけると
怒り anger で
自分に返って来ます。


अहिंसा ahiṃsā non-violence アヒムサー 非暴力であると
अहिंसा ahiṃsā non-violence アヒムサー 非暴力で
自分に返って来ます。


愛 love を分かち合うと
愛 love で
自分に返って来ます。


自分の選択した行い(原因 cause)の 結果 effect は
そのまま自分に返って来ますから


誰か他人の責任ではなく
自分の責任として受け入れなければなりません。


薬 medicine や ワクチン vaccine を使うことも同じです。


薬 medicine や ワクチン vaccine を使うことに対して
賛成も反対もしません。


しかし、使うことを選択したならば
その 結果 effect として自分に返って来ることには
誰か他人の責任ではなく
自分の責任として受け入れなければなりません。


何を選択するのかは
1人1人の自由です。

 

 


無理やり強制することは
支配、管理、洗脳 mind control などは
हिंसा hiṃsā violence ヒムサー 暴力ですから
しません。

 

 


というわけで、
わたしは 神様 God でもなく、導師 master でもなく、
ただのお友達 friend ですから、


薬 medicine や ワクチン vaccine を使うことに対して
賛成も反対もしません。


ただ、もし、使うならば、
犠牲になった多くの生き物達に


ごめんなさい、ありがとう。


と感謝の気持ちを伝えることは大切です。


けっして当たり前にあるものではないのですから…。


そして、その 結果 effect は
必ず自分に返って来ますから
自分の責任として受け入れなければなりません。

 

 

暴力 violence は 暴力 violence で返って来る

怒り anger は 怒り anger で返って来る

愛 love は 愛 love で返って来る

 

 

それがこの宇宙 universe が誕生した瞬間からある
自然界の 法(法則)law です。

 

 


これ以上、苦しみ suffering たくなければ、
思いやり・慈悲 compassion の 愛 love で 在ることです。

 

 


コロナウイルス coronavirus に関してだけではありませんが
知識 knowledge だけでは助からない
薬 medicine や ワクチン vaccine などの 科学 science だけでは助からない
思いやり・慈悲 compassion の 愛 love は 世界を救う

 

 


どうか、生・命 life を大切に生きてください。


みなさんの 健康 healthy と 至福 bliss と 平和 peace を祈っています。

 

ありがとう。

 

 

 

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サマサティ sammasati

 

 


禅 zen はあなたのまさに本性 nature だ、


Zen is your very nature; 


それを捨て去ることはありえない。


there is no way of throwing it away. 


あなたが禅 zen とできる全てのことは2つだ、


All that you can do with Zen is two things: 


あなたは『思い出す remember』ことができる、
または、
あなたは「忘れる forget」ことができる。


you can remember, 
or you can forget. 


これが唯一の可能性だ。


This is the only possibility

 

 


もし、あなたが
あなたの本性 nature、
あなたの仏性 buddhahood を
「忘れる forget」ならば…


これが禅 zen の世界で唯一の罪だ、
忘れること forgetfulness が。


If you forget your nature, your buddhahood... 
this is the only sin in the world of Zen: forgetfulness.

 

 


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダの地上での最後の言葉は
覚えておかなければならない、


「サマサティ sammasati」。


Gautam Buddha’s last words on the earth have to be remembered: 
sammasati. 


サマサティ sammasati の意味とは
「正しく想起する right remembrance」だ。


Sammasati means right remembrance. 

 

 


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダの全生涯は
「想起 remembrance」という一言の中に凝縮されている、


まるで、死にゆく時に、彼が
彼の全ての教え、
彼の全ての経典を
その一言の中に凝縮しているように。


His whole life is condensed into a single word, remembrance, 
as if on dying, he is condensing all his teachings, all his scriptures into a single word. 


誰ひとりも、死にゆく時に、これ以上意味深いことを発した者はいない。


Nobody has uttered a more significant word when dying. 


彼の最後のメッセージ、
彼の全メッセージ、


サマサティ sammasati、
想起する remember。


His last message, his whole message: 
sammasati, remember. 

 

 


そして、あなたが想起する remember 時、
あなたの意識 consciousness を捨て去ることはありえない。


And when you remember, 
there is no way to throw your consciousness away.


禅 zen は 瞑想 meditation ではない。


Zen is not a meditation. 


禅 zen とはまさしく サマサティ sammasati だ
…あなたの究極性を想起する、
あなたの不死性を想起する、
あなたの神性さ、あなたの聖なるものを想起する。


Zen is exactly sammasati
– remembrance of your ultimateness, 
remembrance of your immortality, 
remembrance of your divineness, of your sacredness. 


それを想起し、
それを喜び、
そして、あなたが深く根を下ろしていることに喜びから踊る、


存在 existence の中にとても深く根を下ろしているので
心配や不安になることはありえない。


Remembering it, 
and rejoicing it, 
and dancing out of joy that you are rooted, 
so deeply rooted in existence that there is no way for you to be worried, to be concerned.


存在 existence は
あなたの内にも、あなたの外にもあり
…それは1つの全体だ。


Existence is within you and without you – it is one whole.

 

 


from osho talks


The Zen Manifesto: 禅宣言
Freedom From Oneself 自分自身からの自由


Talks given from 20/02/89 pm to 10/04/89 pm 
English Discourse series


chapter 4 : Freedom not licentiousness


3 April 1989 pm in Gautam the Buddha Auditorium

 

 

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The Zen Manifesto: Freedom From Oneself 
禅宣言、自分自身からの自由
この講話 discourse の和訳本はありますが
売り切れのようなので
ど素人ですが自力で和訳しました。


この講話 discourse の英語の本もあります。

 

 


beloved friends

生・命 life を大切にする = 愛で在る be love

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I have nothing, but I present for you the aroma of eternal flowers 〜♩♫♬
なにもないけど、永遠に咲く花の香りをあなたに贈るよ〜♩♫♬

 

 

 

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I have come not to teach but to awaken.
http://oshosamadhi000.hateblo.jp/entry/2018/01/13/002020

 

 


beloved osho
beloved all enlightened masters 
beloved all
 
 
 
”The last word of Buddha was sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.”
 
 
 
sammasati
It means right remembrance.
サマサティの意味は ”正しく想起する”。
 
 


meditation & love
 
 
 
osho samadhi समाधिः

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安易・安楽 ease くつろぎ relax が 鍵 key

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コロナウイルス coronavirus シリーズ 17〉

 

 


安易・安楽 ease くつろぎ relax が 鍵 key 

 

 


猫もコロナウイルス coronavirus に感染していることを数日前に知りました。


人間に飼われている動物では
ミンクと猫に感染することがわかりましたが
話すことができないから伝わっていないだけで
もしかすると野生の動物達も感染しているのかもしれません。


ここ1年ほど、近所では虫と鳩と雀を見なくなり
カラスがすごく増えています。


5Gの電波が虫や鳩や雀には悪影響なのか?
コロナウイルス coronavirus の大流行と何か関係があるのか?


いろいろな理由から自然界にも変化が起こっているようです。


2025年までにどれくらいの生き物が生き残っているのかな?

 

 


先日、ニュージーランドで自然農法を楽しんでいる知人 friend が


「今日は感染者が4人も出たよ。」


とメールを送ってきました。


4人「も」なんだ、
「たった」4人、ではないんだ〜(笑)。


と、同じ地球 earth にいるとは思えない
価値観の違いを体験しました。


ニュージーランドでは長期間に渡り
感染者ほぼゼロ 0 人の状態が続いていますが、
2021年1月、日本ではまた緊急事態宣言が出ました。


しかし、それでも感染者が急増中で
先日は1日の感染者が約7000人でした。


緊急事態宣言の効果があるのかないのかわかりませんが、
実際に現場にいて見てわかることは
さまざまなことを制限しても
感染予防をしていないことから
感染拡大し続けているので、
緊急事態宣言よりも感染予防をみんなですることを
もっと意識する方が感染拡大を防げるのではと思っています。


予防は最高の治療。
Prevention is better than cure.
ですから。


しかし実際には、東京ではマスクをしない人達がいまだに多くいます。


感染拡大することが不思議ではないと思えるほどに。


コロナウイルス coronavirus など ウイルス virus は
目、鼻、口、耳などの粘膜に付着しますが
主に鼻や口から入って行きますし、
感染者の鼻や口から吐き出された ウイルス virus が空中に飛び散りますから、
感染していない人も、感染している人も、どちらも
鼻や口をガードするマスクを着用することで
かなり感染を予防できるそうです。

 

 


家族や知人など身近な人が感染して亡くなると
感染予防が他人事ではなくなった、
と言う知人達が多くいます。


先日、知り合いのご夫婦が
コロナウイルス coronavirus に感染してしまいました。


夫さんは、絶対に自分は感染しないから、と
自分の健康に自信満々だったので
感染予防をあまりしていなかったそうです。


あと、世間があまりにも騒ぐので恐くなり
コロナウイルス coronavirus が大流行しているという
現実・本物 reality から 逃避 escape してしまい
感染予防をわずらわしく思いしなかったそうです。


が、しかし、コロナウイルス coronavirus は
実際には周りにいっぱいいるので
自分が感染してしまい
妻さんにも感染させてしまったそうです。


しかも、自分は軽症なのに妻さんの方は症状が重く
子供もまだ幼いのに
自分のせいで妻さんが死んでしまったら
自分は人殺しになってしまう…などなど
感染予防をしなかった後悔と罪悪感で
かなりショックを受けていました。


現実・本物 reality 逃避 escape は苦しみ suffering を招く…
という、痛い学びをしたと話していました。


自分や家族が感染したことで
コロナウイルス coronavirus の大流行という
現実・本物 reality と直接向き合うことになり、


コロナウイルス coronavirus が
これまでの風邪菌やインフルエンザウイルス influenza virus とは違うということが
自身の体験からよくわかったそうで、


夫さんはあんなに嫌がっていたマスクを
外だけではなく家の中でもきちんとつけて
自身も後遺症に悩まされながら
妻さんの看病をしていたそうです。


あまりにも落ち込んでいるので…


くよくよして泣いてもいいし、
後悔や罪悪感を持つなとは言わないよ。


でも、ずっとそれだけの中にいるのではなく
今 now ここ here の 現実 reality で
1番大切なことは
感染予防と 病気 disease を 治し heal 
再び元気になること。


それには、今は薬 medicine がないので
免疫力が正常に働く必要があるから
恐れ fear たり緊張 tense するのは自由だけど
それは免疫力を弱めるから
バランスよく食べて、水分補給するだけでなく
安易・安楽 ease で くつろぎ relax 
安心して休養することも大切だからね。


本当に助けが必要な時は、助けて、と言っていいんだよ。


それは弱さではなく、
助けて、と言える 勇気 courage という強さだからね。


…そう話すと、気が緩みほっとしたようで
少しでも元気に戻れるように休養するということで
週末の昼間だけそのお2人の無尽蔵に元気な
かわいい5歳のお子さんの子守りをしました。


生まれつきの難病持ちで身体に障害があるので
出産や子育ての経験はありませんが
数時間の子守りならなんとかサポートできるから。
困った時はお互いさまです。

 

 


いちごとみかん

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日向ぼっこをしながら
かわいい5歳のその子と一緒に果物の絵本を見ていました。
すると、


「甘酸っぱいってな〜に?」


と聞いて来るので


「この絵本の中に描いてある
いちごとかみかんのような味を甘酸っぱいって言うんだよ。
甘い味もするし、酸っぱい味もするでしょう。」


「ふ〜ん。」


下手な説明ですみません…
あまりピンと来なかったようなので
天気もよかったしお散歩ついでに
実際にいちごとみかんの両方を買ってきて
おやつとして食べ比べてみることにしました。


まずは、かわいいお口に赤い色のいちごをぽん!


「いちごの甘くて酸っぱい味、わかる?」


「うん、わかる〜!」


さてお次は、みかんの皮をむきました。
からしゅっとしぶきが立ち
甘酸っぱい香りが周りに広がる
天然のアロマ(芳香 aroma)の精油です。


その元気が出るようなほのかな香りの中で
ジューシーな橙色の果肉をかわいいお口にぽん!


「みかんの甘くて酸っぱい味、わかる?」


「うん、わかる〜!いちごと違うね〜。」


「そうだね〜、
いちごもみかんも甘酸っぱいけど違う味だね〜。」


甘くて酸っぱい味がお口いっぱいに広がり
満面に微笑みながらもぐもぐいただいた
5歳の子供の甘酸っぱい味を知る体験 experience でした。

 

 


年末になるとお店の中で
いちごとみかんをたくさん見かけます。


クリスマスケーキに乗っているいちご
鏡餅に乗っているみかん


日本の冬あちらこちらで目にするこの 2種類の果物は
どちらもおいしい甘酸っぱい果物です。


かわいい5歳の子供が言うように
甘酸っぱいといっても
いちごの甘酸っぱい味と
みかんの甘酸っぱい味は
異なります。

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甘酸っぱい味を言葉 word だけで説明して
わかってもらうことはなかなか難しいです。


さらに、いちごとみかんの甘酸っぱい味が
どんなふうに異なるのか、と問われると、
問う側も、説明をする側も、
お互いにその両方を何度も食べたことがあっても
なかなかうまく言葉 word だけでは説明できません。


しかも、その 2種類とも食べたことがない人に説明するとなると
ますますその甘酸っぱい味やその味の異なりを
言葉 word だけで説明して
わかってもらうことはなかなか難しい…
というか正直言って不可能です。


ということで…
甘酸っぱい味やその味の異なりをわかってもらう1番の方法は
いちごとみかんの両方を食べてもらうことだけです。


絵本の中にある絵や言葉 word をただ見るだけでは
その両方の果物の味はわからなかったけど、


5歳の子供が実際に両方の果物を食べてみて味がわかったように、


実際に、食べて味わう、というその体験 experience だけが
その 2種類の甘酸っぱい味やその味の異なりを知る唯一の方法です。

 

 


体験 experience することがそれを知る唯一の方法

 

 


光明 enlightenment が起こるということや
光明 enlightenment の状態で在り生きるということも同じです。


それを言葉 word で説明して
わかってもらうことは不可能です。


説明を聞く側の人が
それを食べたことがなくその味を知らないのに、
説明する側の人が
どんなにあれこれ言葉 word を使って説明をしたとしても、
説明を聞く側の人はそれがどんな味なのかやはりわからないままです。


説明を聞く側の人が実際に
それを食べるという
体験 experience をすることだけが
それがどういう味なのかを知る唯一の方法であるように、


説明を聞く側の人が実際に
光明 enlightenment が起こるという
体験 experience をすることだけが
それがどういうものなのかを知る唯一の方法です。


体験 experience が無い状態で
言葉 word という知識 knowledge だけでは
わかることができないものなのです。


しかも、
光明 enlightenment の起こった状態とは
言葉 word(マインド(思考)mind)を超越 beyond しているものですから


言葉 word(マインド(思考)mind)では
けっして説明できないものなので


やっぱり実際に体験 experience することでしか
わかることができないのです。


だからこそ、
体験 experience することがそれを知る唯一の方法、
なのです。

 

 


知るための方法(道)は分かち合う share ことができる

 

 


いちごとみかんの 2種類とも食べたことがない人に
その甘酸っぱい味やその味の異なりを
言葉 word(知識 knowledge)だけで説明して
わかってもらうことは不可能ですが、


説明をする側の人は
聞く側の人の目の前で
いちごとみかんの両方を実際に自分で食べて見せて
その味の違いを知る方法を分かち合う share ことはできます。

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すると、聞く側の人は
自分で実際にそれを食べるという方法で
その体験 experience をとおして
その味を知ることができます。

 

 


光明 enlightenment が起こるということや
光明 enlightenment の状態で在り生きるということも同じです。


言葉 word(マインド(思考)mind)を超越 beyond しているものだから
言葉 word(知識 knowledge)だけで説明して
わかってもらうことは不可能ですが、


聞く側の人の目の前で
瞑想 meditation を実際に自分でして見せて
光明 enlightenment が起こる方法(道)を分かち合う share ことはできます。


すると、聞く側の人は
自分で実際に瞑想 meditation をするという方法(道)で
その体験 experience をとおして
いつか光明 enlightenment が起こり
それを知ることができます。


〈思いやり・慈悲 compassion の 愛 love は世界を救う〉
という数回前にアップした記事にある
一言も語らずに瞑想 meditation をしていた
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダと出会ったことで
ある天使がうっかり瞑想 meditation をし始め
それを体験 experience したように…。

 

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光明 enlightenment が起こる方法(道)は
色々あると思います。


その中の1つに瞑想 meditation があります。


前回も少しお話ししましたが
私は瞑想 meditation をとおして
光明 enlightenment が起こる体験 experience をしたので
光明 enlightenment が起こるための方法(道)を
分かち合う share とすれば
瞑想 meditation しかご紹介できません。


他の方法(道)で光明 enlightenment が起こる体験 experience をしていないので
他の方法(道)についてはわからないからです。

 

 


瞑想 meditation にも色々あります。


osho の音楽とダンスの瞑想 meditation も
とても好きなのですが
私は生まれつき難病持ちで両足に障害があり
続けることができなくなったので
問題なくできそうな人ならば1度は体験 experience されてみるといいと思います。
もちろん好きなら何度でも!


そういうわけもあって
私には विपस्सना vipassanā ヴィパッサナー 観照 seeing 瞑想 meditation が
1番大好きであっていたようなので
それを朝晩毎日し続けて
光明 enlightenment が起こる 体験 experience をしました。


それをお友達 friend に説明するときは、


実際にあのかわいい5歳の子供の目の前で
いちごとみかんを食べて見せたように、


聞く側の人の目の前で
実際に自分が坐って瞑想 meditation をして見せます。


軽く目を閉じて
自分の内側 inside を『観て(観照)see』
自分の内側 inside にあるマインド(思考)mind を『観て(観照)see』
マインド(思考)mind が全て消滅 disappearance し
ノーマインド(無心・無思考)no mind 
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego になり
安易・安楽 ease に くつろいだら relax 
光明 enlightenment が起こりましたよ、


というように簡単に言葉 word で説明しながら
実際に自分が坐って瞑想 meditation をして見せて
光明 enlightenment が起こる方法(道)を
分かち合い share ます。


後はご自分自身で実際に瞑想 meditation をして
光明 enlightenment が起こる 体験 experience をとおして
それを知るだけです。


ということで、
それを知るための方法(道)は分かち合う share ことができるのです。

 

 


棘は棘で取り除く

 

 


前回ご紹介したように
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ


彼が言葉 word で話したことを
知識 knowledge(マインド(思考)mind)として 
頭 head の中に 記憶する memorize のではなく、
(説明をただ聞いて終わりではなく)


実際に自分自身で体験 experience しなさい、
(自分自身で光明 enlightenment が起こる体験 experience をしなさい)


と言っています。

 

 


つまり、


自分の内側 inside を『観る(観照)see』ことで
自分の内側 inside のマインド(思考)mind を『観る(観照)see』ことで
ノーマインド(無心・無思考)no mind になって
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego になって
安易・安楽 ease に くつろいで relax 
光明 enlightenment の状態を
その本来 original の本質 essence の状態を
「正しく想起する right remembrance」
…サマサティ sammasati…を
自分で実際に体験 experience しなさい、


と言って、それを知るための方法(道)を分かち合って share いるのです。

 

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गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダが話した 言葉 word を 
頭 head の中に 記憶する memorize ことでは
光明 enlightenment は起こりません。


ではなぜ、彼は
1人で静かに坐る瞑想 meditation を勧めているのに、
みんなへお話しもするのでしょうか?


osho が講話 discourse の中で何度も話していますが、
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダはいつもこう言うそうです、


棘が刺さっていたら、
もう1つの別の棘を使って刺さっている棘を取り除き、


刺さっていた棘が取り除けたら、
もう1つの別の棘も不必要だから一緒に捨てなさい、と。


(2500年ほど前は毛抜きがなかったのか、
棘が刺さったら、別の棘で取り除いたようです。)


棘は棘で取り除く


それと同じことで、


マインド(思考)mind は マインド(思考)mind で取り除く


人々の 頭 head の中や 心 heart の中にあるマインド(思考)mind を取り除くために、
彼は 言葉 word(マインド(思考)mind)を使って話しているのです。


しかしもし、マインド(思考)mind を取り除くことができたら、
彼の話した 言葉 word(マインド(思考)mind)も一緒に取り除いてください、
と言っています。


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
彼が話した言葉 word(マインド(思考)mind)を
記憶しなさい memorize と言ってはいません。


彼が話した言葉 word(マインド(思考)mind)を
捨てなさいと言っています。


言葉 word(知識 knowledge = マインド(思考)mind)を
集め溜めて記憶する memorize という
学校の試験勉強とは真逆のものなのです。


(記憶 memory = マインド(思考)mind)


光明 enlightenment が起こるために
全てのマインド(思考)mind を取り除いて
自分の内側 inside を
無 nothingness、空 emptiness の
ノーマインド(無心・無思考)no mind にしなさい
と言っているのです。

 

 

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左 : エゴ(欲・自我)ego の周りに マインド(思考)mind がある

右 : ノーエゴ(無欲・無自我)no ego ノーマインド(無心・無思考)no mind 

 


棘が刺さっていると、
痛くて苦しみ suffering となります。


マインド(思考)mind を持っていると、
痛くて苦しみ suffering となります。


棘もマインド(思考)mind も
全て取り除けば
痛みは消え、苦しみ suffering は消え去り、
ただ愛 love と 至福 bliss だけが在る状態になります。


光明 enlightenment の起こった状態とは
自分の内側 inside から
マインド(思考)mind という棘が
全て取り除かれ痛みと苦しみ suffering が消えた
完全なる癒し healing が起こった
ただ愛 love と 至福 bliss だけで在る状態です。

 

 


ノーマインド(無心・無思考)no mind 
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego の
光明 enlightenment の状態とは
究極の至福 bliss と 愛 love に満ちている
安易・安楽 ease くつろぎ relax の状態


マインド(思考)mind 
エゴ(欲・自我)ego を所有する
無明 darkness の状態とは
痛みと苦しみ suffering に溺れている
病気 disease 緊張 tense の状態

 

 


そしてさらに、
ノーマインド(無心・無思考)no mind 
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego の
光明 enlightenment の状態で在ると
生まれ持っている
『存在 being』魂 soul の
個性 individuality と 才能 gift が
無限 infinite に溢れ出します。


そして、それをいかし生きるだけで
周り全体への奉仕に自然となっていきます。


それは自分を至福 bliss で満たすだけでなく
周り全体をも至福 bliss にします。

 

 

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左 : エゴ(欲・自我)ego の周りに マインド(思考)mind がある

右 : ノーエゴ(無欲・無自我)no ego ノーマインド(無心・無思考)no mind

 


しかし、
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を所有 possession する
無明 darkness の状態で在ると


生まれ持っている
『存在 being』魂 soul の
個性 individuality と 才能 gift を
『思い出す remember』ことができず
それがいかされないことに苦しみ suffering、


また、もし、生まれ持っている
『存在 being』魂 soul の
個性 individuality と 才能 gift を
『思い出した remember』としても、
自分のエゴ(欲・自我)ego が
それ以外のものを生きたいと思えば
それが障害となり
自分の『存在 being』魂 soul の
個性 individuality と 才能 gift を
いかし生きることができない
苦しみ suffering を味わい、


また、もし、生まれ持っている
『存在 being』魂 soul の
個性 individuality と 才能 gift を
『思い出した remember』としても、
自分のマインド(思考)mind が枠となり
その枠の中に閉じ込められて
個性 individuality と 才能 gift が
無限 infinite に溢れ出しません。


つまり、枠という限界 limit を自分で作ってしまい
限界 limit を超越 beyond できない
苦しみ suffering を味わいます。


マインド(思考)mind(枠)を 超越 beyond した
ノーマインド(無心・無思考)no mind の状態は
枠がないので無限 infinite に
個性 individuality と 才能 gift が溢れ出ます。
けっして枯れることなく永遠 eternity に。


さらに、
自分のエゴ(欲・自我)ego は、
自身の『存在 being』魂 soul の
個性 individuality と 才能 gift を
無限 infinite に溢れ出させて
至福 bliss に満ちて生きている人に対して、
嫉妬したり
自分に劣等感を持ったりして
怒り悲しみ憎しみ
だからこそ優越感を欲しがる 
などの苦しみ suffering を味わいます。


自分のマインド(思考)mind は
〈私 I〉と〈他 other〉というように
鋏で切り離し分割 divide し
境界線 border line で 壁 wall を作り、


友達 friend ができなくなり
孤独 lonely の寂しさに苦しみ suffering ます。


そして、争い戦う fight 緊張 tense の連続で
疲れ果て病気 disease になります。


痛い苦しみ suffering の
ネガティブなマインド(思考)mind は
ネガティブなものをさらに引き寄せますから
悪循環 vicious circle の 連鎖 chain がどんどん続いていきます。

 

 


つまり、自分を苦しめているのは
自分が所有 possession している
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego なのです。


しかし、なかなかその現実・本物 reality を
受け入れることができないのも
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego なので
苦しみ suffering が長引くわけです。


ゲームや物語にはラスボスが登場しますが
自分を苦しめている唯一のラスボスは
自分が所有 possession している
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego です。

 

 

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左 : エゴ(欲・自我)ego の周りに マインド(思考)mind がある

右 : ノーエゴ(無欲・無自我)no ego ノーマインド(無心・無思考)no mind

 


しかし、これに『気づく aware』ことが大切です。
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego は
本来 original の自分ではない、ということに。


だから、棘を取り除くように
取り去ることができるのです。


しかし、本来 original の自分は
棘を取り除くように
けっして取り去ることはできませんから
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego が
消え去っても
自分の内側 inside の 中心 center(中核 core)に在ります。


本来 original の自分とは意識 consciousness です。

 

 


人間には3つの層 layer があります。

 

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『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。


表層 outer layer は
肉体 body の 物質 matter です。
目に見える 可視 visible です。


中間の層 layer は
頭 head と 心 heart の中にあるマインド(思考)mind です。
マインド(思考)mind(心理 psychology)はエネルギー energy です。
目に見えない 不可視 invisible です。


中心 center(中核 core)は
本来 original の 本質 essence であり
意識 consciousness である
『存在 being』魂 soul です。
愛 love と 光 light の エネルギー energy です。
生・命 life の 源 source です。
目に見えない 不可視 invisible です。

 

 

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左 : エゴ(欲・自我)ego の周りに マインド(思考)mind がある

右 : ノーエゴ(無欲・無自我)no ego ノーマインド(無心・無思考)no mind

 


自分の中心 center(中核 core)である
『存在 being』魂 soul は
棘を取り除くように取り去ることはできません。


また、自分の中心 center(中核 core)である
『存在 being』魂 soul という
現実・本物 reality から 逃避 escape して
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego の
作り上げた 偽り lie の世界の中で生き続けると
苦しみ suffering 続けます。

 

 


自分の内側 inside の 中心 center(中核 core)にある
『存在 being』魂 soul は
いつでもどこでも
『存在 being』魂 soul のありのままの本質 essence を
個性 individuality と 才能 gift を
いかし生きようとしています。


自分が痛く苦しまないように
自分が健康 healthy で 至福 bliss であるように
いつでもどこでも導いています。


それができないのは、


自分が所有 possession している
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego が
邪魔をしているからです。

 

 


苦しみ suffering を終わりにしたいならば、


自分の
マインド(思考)mind 
エゴ(欲・自我)ego に
従って生きることではなく、


自分の中心 center(中核 core)である
『存在 being』魂 soul に
耳を傾けて導きを聴くことです。

 

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『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。

 


コロナウイルス coronavirus が大流行している状況であっても
必ず自分にとって適切な方へと導いています。


この状況の中であきらめてしまう前に
1度だけでも
本来 original の自分に
『存在 being』魂 soul に
耳を傾けてみてもいいかな〜と思います。


今すぐに光明 enlightenment が起こりなさい、
ということを言っているのではありません。


光明 enlightenment が起こっていなくても
自分の中心 center(中核 core)に在る
『存在 being』魂 soul に
耳を傾けて導きを聴くことはできますから。


あれこれ考えたり焦ったり緊張 tense しないで、


ただ静かに坐ったり寝転んだりして
安易・安楽 ease に くつろぐ relax だけでいいのです。


導き「それ」は閃きのようなものかもしれません。


不安や恐くなくて、安心できわくわくするなら「それ」です。


他人にとって適切な導きではなくても
自分にとっては適切な導きです。


また、他人にとっての適切な導きが
自分にとっての適切な導きとは限りません。


1人1人みんなそれぞれの人生がありますから。


ですから、
他人の意見(マインド(思考)mind)に振り回されず、
自分の内側 inside からやって来るその導きを信頼 trust してください。


そうしたら後は、勇気 courage を持って一歩を踏み出してみるだけです。

 

 


かわいい5歳の子供のご両親は後遺症はありますが元気になり
いちごがいっぱい乗ったクリスマスケーキの写真と
甘酸っぱいと子供が書いたメールが送られて来ました。


2020年、知人達 friends は
みんなそれぞれが大ピンチを大チャンスとして受けとめ
新しい在り方や生き方を始めました。


くよくよ泣いたり不安になってもいいのです。


でも、ずっとその状態だと疲れ果ててしまうから
大ピンチを大チャンスにするためには
安易・安楽 ease くつろぎ relax が 鍵 key となります。


それは怠けたり、現実・本物 reality 逃避 escape をすることではありません。


かわいい5歳の子供のパパさんのように
現実・本物 reality 逃避 escape をやめて
現実・本物 reality と直接向き合い
自分を大切に労わる思いやり・慈悲 compassion の 愛 love で在る


肉体 body と 心 heart が
健康 healthy であるためのことです。


そして、安易・安楽 ease くつろぎ relax は
病気 disease を 治す heal だけでなく、


光明 enlightenment が起こる 鍵 key でもあります。

 

 


光明 enlightenment が起こるというのは


特別で偉大な人 special and great person ではありませんし、


聖人 saint person でもなく、そうである必要はありませんし、


聖なる場所 holy place に住む必要もありませんし、


街中で普通 ordinary に生きていても起こるものであり、


自然 nature と共に 自然 natural に生きる人 です。

 

 


धर्मः dharmaḥ dharma ダルマ や 道(Tao タオ)の
宇宙 universe の 自然 nature の流れと共に生き
本来 original の 本質 essence のありのままで自然 natural に生きることです。


धर्मः dharmaḥ dharma ダルマ や 道(Tao タオ)の
宇宙 universe の 自然 nature の流れに逆らったり
本来 original の 本質 essence のありのままで自然 natural に生きることに逆らったりする
अधर्मः adharmaḥ アダルマ で
不自然 unnatural に生きる
という人ではない、ということです。


そして、そのように生きるとき
人間は究極の至福 bliss で満ち溢れます。


ただただ 愛 love で在るのです。


それが人間の本来 original の状態です。

 

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今日はそんな osho の 講話 discourse を少しご紹介します。


安易・安楽 ease くつろぎ relax が 鍵 key 
本来 original の 個性 individuality と 才能 giftをいかし生きる
などなど…


この冬から新しい約2500年続いていく
水瓶座の時代が本格的に始まりました。


osho はその準備のために
これまでの約2500年続いた古い魚座の時代の終わりに
この惑星 planet 地球 earth に訪れた
光明 enlightenment が起こった導師達 masters の1人です。


古い時代から新しい時代への
大きな変化変容の中で
人間は混乱し不安や恐れているかもしれません。


コロナウイルス coronavirus の大流行は
その大きな時代の変化変容の
ほんの表層 outer layer の部分です。


表層 outer layer の部分だけを見て
それに振り回されているうちは
苦しみ suffering は消え去りません。


また、それから現実・本物 reality 逃避 escape していても
苦しみ suffering は消え去りません。


苦しみ suffering を終わりにしたいならば
自分の奥深い中心 center(中核 core)まで入って行き
その 現実・本物 reality と直接向き合う勇気 courage が必要です。


しかし、深刻に seriously ならず、
冒険のようにわくわく joyfully しながら。


人間が混乱し恐れ苦しみ破壊 destruction の方へと落ちないように
少しでも人間が新しい時代の風の流れに楽しく喜んで乗れるように…と


osho はさまざまなメッセージを分かち合って share います。


エゴ(欲・自我)ego には厳しいメッセージかもしれませんが


『存在 being』魂 soul には響くものです。


2021年、知人達 friends 以外の全てのみなさんも
『存在 being』魂 soul の
本来 original の 本質 essence のありのままを
いかし生きる究極の至福 bliss が訪れますように…


全ての光明 enlightenment が起こった導師達 masters からの
究極の愛 love をお届けします。


それではお楽しみください。

 

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ch11 The Zen Manifesto: 禅宣言
Freedom From Oneself 自分自身からの自由


chapter 11 : Sammasati – the last word
サマサティ…最後の言葉


10 April 1989 pm in Gautam the Buddha Auditorium

 

 


親愛なる osho 


BELOVED OSHO,


洞山は無生物の説法について質問を持っていた。


TOZAN HAD A QUESTION ABOUT WHETHER INANIMATE OBJECTS EXPOUND THE DHARMA. 


洞山は潙山を訪ねた、潙山は彼に雲巖に会いに行くことを勧めた。


TOZAN VISITED ISAN, WHO RECOMMENDED THAT HE GO TO SEE UNGAN.


雲巖と一緒にいて、洞山は初めて 真理 truth に 気づく aware ことができた、
そして、洞山は自身の体験を記録するために偈に従って構成した、


WITH UNGAN, TOZAN WAS FIRST MADE AWARE OF THE TRUTH, 
AND HE COMPOSED THE FOLLOWING GATHA TO RECORD HIS EXPERIENCE:


「なんと素晴らしい!なんと素晴らしい!
無生物の説法…言葉では言い表せない 真理 truth だ!
もし、あなたがあなたの耳で聞こうとするならば、
あなたはそれをけっして理解しないだろう。
あなたが目を通してそれを聞く時にのみ、
あなたはそれを真に知るだろう。」


”HOW WONDERFUL! HOW WONDERFUL!
THE INANIMATE EXPOUNDING THE DHARMA – WHAT AN INEFFABLE TRUTH!
IF YOU TRY TO HEAR IT WITH YOUR EARS, YOU WILL NEVER UNDERSTAND IT.
ONLY WHEN YOU HEAR IT THROUGH THE EYE, WILL YOU REALLY KNOW IT.”


雲巖は洞山に尋ねた、
「今、あなたは幸せですか?」


UNGAN ASKED HIM, 
”ARE YOU HAPPY NOW?”


洞山は答えた、
「私は幸せではないとは言いません、
しかし、私の幸せは
ゴミの山から輝く真珠を拾い上げたようなものです。」


TOZAN ANSWERED, 
”I DO NOT SAY THAT I AM NOT HAPPY, BUT MY HAPPINESS IS LIKE THAT OF SOMEONE WHO HAS PICKED UP A BRIGHT PEARL FROM A HEAP OF GARBAGE.”


洞山に光明 enlightenment が起こった後しばらくの間、
彼は中国を旅して周った。


FOR A WHILE AFTER HIS ENLIGHTENMENT, TOZAN CONTINUED TO TRAVEL AROUND CHINA. 


ある日、泐潭に着いた、そして、僧の長である初と会った。


ONE DAY HE ARRIVED AT LEH T’AN AND MET THE HEAD MONK, CH’U. 


初は洞山を出迎えて言った、


CH’U GREETED TOZAN AND SAID:


「素晴らしい、素晴らしい
…道(Tao タオ)と बुद्धः buddhaḥ ブッダ の領域は考えられない!」


”WONDERFUL, WONDERFUL –
THE INCONCEIVABLE REALMS OF TAO AND BUDDHA!”


洞山は応えた、
「私はそのような領域について知りません。
誰がそれらについて話しているのですか?」


TOZAN RESPONDED, 
”I DON’T KNOW ABOUT THESE REALMS. WHO IS TALKING OF THEM?”


初は黙ったままだった、
そして、洞山は叫んだ、
「言いなさい!」


CH’U REMAINED SILENT,
AND TOZAN SHOUTED, 
”SPEAK!”


そうして初は言った、
「それについて争う必要はありません。
争うことは逃すことです。」


CH’U THEN SAID, 
”NO NEED TO FIGHT ABOUT IT. THAT IS THE WAY TO MISS.”


洞山は応えた、
「もし、それが言われていないならば、
いかにして、争うとか逃すことができるのでしょうか?」


TOZAN REPLIED, 
”IF IT HAS NOT BEEN MENTIONED, HOW CAN THERE BE FIGHTING AND MISSING?”


初はこれについて答えることができなかった。


CH’U COULD MAKE NO ANSWER TO THIS.


洞山は言った、
「बुद्धः buddhaḥ ブッダ と 道(Tao タオ)
…次にあなたは経文の話しをするでしょう。」


TOZAN THEN SAID, 
”BUDDHA AND TAO – NEXT YOU WILL TALK OF SUTRAS.” 


初は応えた、
「これについて経文は何と言っているのですか?」


CH’U REPLIED, 
”WHAT DO THE SUTRAS SAY ABOUT THIS?”


洞山は応えた、
「全てが理解された時、言葉は忘れられる。」


TOZAN RESPONDED, 
”WHEN ALL IS UNDERSTOOD, WORDS ARE FORGOTTEN.” 


初は言った、
「これはマインド(思考)mind の病です。」


CH’U SAID, 
”THIS IS SICKNESS OF THE MIND.”


洞山は言った、
「この病は軽いですか重いですか?」


TOZAN SAID, 
”IS THIS SICKNESS SLIGHT OR SEVERE?”


初は洞山へ応えることができなかった。


CH’U COULD MAKE NO REPLY TO TOZAN.

 

 


友達よ、


Friends,


経文の前に संन्यासी sannyāsin サンニャーシン達から少数の質問がある。


Before the sutras there are a few questions from the sannyasins.

 

 


質問 1 Question 1
The first question:


ゲシュタ・イタル(元有名なドイツ人の女優)は
日本の禅 zen の僧院に入門することを許され
光明 enlightenment が起こった導師 master のもとで修行した
最初の西洋人の女性でした。


GESTA ITAL, A FORMER FAMOUS GERMAN ACTRESS, WAS THE FIRST WESTERN WOMAN WHO WAS ALLOWED TO ENTER IN A ZEN MONASTERY IN JAPAN AND TO WORK WITH AN ENLIGHTENED MASTER.


彼女は彼女の 道 path と 彼女の 光明 enlightenment の 体験 experience について2冊の本を書いています。


SHE WROTE TWO BOOKS ABOUT HER PATH AND HER EXPERIENCE OF ENLIGHTENMENT


私がこれらの本を読むと、とても厳しく hard 孤独 lonely な 道 path という印象があります。


WHEN I READ THESE BOOKS I HAD THE IMPRESSION OF A VERY HARD AND LONELY PATH. 


あなたと一緒に在る方がもっと楽しく遊びに満ちています。


BEING WITH YOU IS MUCH MORE JOYFUL AND PLAYFUL. 


この異なりについてあなたは何と言いますか?


WOULD YOU LIKE TO SAY SOMETHING ABOUT THIS DIFFERENCE?

 

 


(osho)


伝統的な禅 zen ध्यान dhyān ディヤーン は厳しい hard。


The traditional Zen is hard. 


それは絶え間ない瞑想 meditation が20年から30年ほどかかり、
全てのあなたのエネルギーをあらゆるところから引き出し
そして、それを瞑想 meditation のみに捧げる。


It takes twenty to thirty years of constant meditation, withdrawing from everywhere all your energy and devoting it only to meditation.


その伝統は गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ 彼自身から来ている。


That tradition comes from Gautam Buddha himself. 


彼は12年間の厳しい hard 修行の後
彼の光明 enlightenment を見つけなければならなかった。


He had to find his enlightenment after twelve years of hard work.


私は伝統的な禅 zen からそれを完全に変えようとしている、
なぜなら、私は、現代の人が20年から30年瞑想 meditation のみに捧げることができるようには見えないからだ。


I am changing it completely from the traditional Zen, because I don’t see that the contemporary man can devote twenty or thirty years to meditation only. 


もし、禅 zen がそのように厳しい hard ままであるならば、
禅 zen は世界から消えるだろう。


If Zen remains that hard, it will disappear from the world. 


禅 zen はすでに中国から消え、
禅 zen は日本から消えようとしていて、
禅 zen は昔インドから消えた。


It has already disappeared from China, 
it is disappearing from Japan, 
and it disappeared from India long ago. 


禅 zen は गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダの後500年だけインドに残った。


It remained in India for only five hundred years after Gautam Buddha. 


6世紀に、禅 zen は中国へと届き、数世紀の間だけそこに残り、
そして、禅 zen は日本へと移った。


In the sixth century it reached China, remained there for only a few centuries, and moved to Japan. 


そして今では、禅 zen は中国と日本の両方からほとんど絶滅している。


And now it is almost extinct from both China and Japan.

 

 


禅 zen の僧院で私の本が教えられていることを知ったらあなたは驚くだろう。


You will be surprised to know that my books are being taught in the Zen monasteries. 


禅 zen の 導師達 masters は私に手紙を書いてくる、


Zen masters have written letters to me: 


「おそらく今では、禅 zen はインドに存在するでしょう、それが生まれた本来の場所に。
禅 zen は日本から消えようとしています
なぜなら、人々は技術や科学にもっと多くの興味があるからです。」


”Perhaps now Zen will exist in India, in its original place. 
It is disappearing from Japan because people are more interested in technology, in science.”


それはインドでも同じ状況だ。


That is the situation in India too. 


とても少数の人々が内なる探究に興味がある。


Very few people are interested in the inner exploration. 


ここで、あなたはあらゆる国からやって来た少数の人々を見つけることができる、
しかし、それは地上にいる5兆(50億)の人間達と比べたら非常に少ない。


Here you can find a few people from every country, but these are so few compared to the five billion human beings on the earth. 


1万人は大きな数字ではない。


Ten thousand is not a great number.

 

 


禅 zen
現代の人がそれに興味があることができるように
変容 transformed されなければならない。


Zen has to be transformed in a way that the contemporary man can be interested in it. 


禅 zen は容易 easy で、くつろぎ relax でなければならない、
禅 zen は厳しく hard あるべきではない。


It has to be easy, relaxed, 
it has not to be hard. 


その古い伝統的なタイプはもはや可能ではないし、必要ともされていない。


That old traditional type is no longer possible, nor is it needed. 


1度、それが探究されたら、
1度、たった1人の人に光明 enlightenment が起こったら、
その道 path は容易 easy になる。


Once it has been explored, 
once a single man has become enlightened, 
the path becomes easy. 

 

 


あなたは何度も何度も電気を発見する必要はない。


You don’t have to discover electricity again and again. 


1度、電気が発見されたら、あなたは電気を使い始める
…あなたが偉大な科学者達である必要はない。


Once discovered you start using it 
– you don’t have to be great scientists.


電気を発見したその人は、ほぼ20年間、電気を発見するために働いた。


The man who discovered electricity worked on it for almost twenty years. 


300人の弟子達 disciples が彼と一緒に働き始め、そして誰ひとりも残らなかった
なぜなら、それは非常に長くかかったからだった、みんなが疲れ果てた。


Three hundred disciples started with him and nobody remained because it took so long; everybody became exhausted. 


しかし、その本来の科学者は働き続けた。


But the original scientist continued. 


彼自身の弟子達 disciples への彼の説明はこうだった、


「私達が電気の根源を見つけることに失敗すればするほど、
私達はそのまさに根源へとより近づいている。
どの失敗も発見により近づくことへと私達をもたらしている。」


His explanation to his own disciples was, 
”The more we are failing in finding the root of electricity, the closer we are going to the very root. 
Every failure is bringing us closer to the discovery.”


そしてついに、ある夜の暗闇の中で、
突然、最初の電球が光はじめた。


And finally, one night in the darkness, suddenly the first electric bulb started radiating. 


そして、あなたは30年間、働き続けたその人の喜びを思い浮かべることはできない。


And you cannot conceive the joy of the man who had been working for thirty years. 


彼の沈黙 silence…彼は畏敬の中にいた。


His silence... he was in awe. 


全てのこれまでの後にそれが起こったことを、
電気がコントロールされることを、
彼は彼自身の目を信じることができなかった


…「今では私達の手の内にある、いかにしてそれを使おうか?」


He could not believe his own eyes that after all this time it had happened, electricity had been controlled 
– ”Now in our hands, how to use it?”


彼の妻が彼を呼んだ、


「寝室にお入りなさい、真夜中ですよ。その光を消して!」


His wife called to him, 
”Come inside the bedroom, it is the middle of the night. Put the light out!”


彼女はそれが普通の光ではないということに気づいていなかった、


そして、その科学者は彼女を呼んだ


…「ここに来て、初めてのものを見る最初の人になってごらん。
私が電気の秘密を紹介することになる
あなたは最初の者になるだろう。」


She was not aware that it was no ordinary light, 
and that the scientist had called her 
– ”Come here and be the first to see something original. 
You will be the first person I will introduce to the secrets of electricity.”

 

 


今では、あなたは電気について知るために
30年間も働きかける必要はない。


Now, you don’t have to work for thirty years to know about electricity. 


また、あなたは禅 zen の 体験 experience のために
30年間も働きかける必要もない。


Nor do you have to work thirty years for the Zen experience.

 

 


बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 に目覚めること(覚醒)awakening は
とても容易 easy で、くつろいだ relax 現象だ。


The awakening of the buddha is a very easy and relaxed phenomenon. 

 

 


今では、非常に多くの人々が目覚めて(覚醒して)きた awakened、
その道 path ははっきりとしている、
それはもはや厳しく hard 骨が折れるものではない。


Now that so many people have awakened, 
the path has become clear-cut; 
it is no longer hard and arduous. 


あなたは遊びに満ちて 内側 inside へ入ることができ
喜びに満ちて 気づき(意識)awareness の 目覚め(覚醒)awakening を 体験 experience することができる。


You can playfully enter inside and joyously experience the awakening of awareness. 


それは गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダが体験 experience したようなはるかに遠いものと同じではない。


It is not as far away as it was for Gautam Buddha.

 

 


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダにとって
それは絶対的に未知なるものだった。


For Gautam Buddha it was an absolute unknown. 


彼はまるで盲目の人のように手探りで探求していた、
彼がどこへ行こうとしているのか何ひとつも知らないままに。


He was searching for it like a blind man, knowing nothing about where he was going. 


しかし、彼はものすごい勇気の人だった、
12年間彼は探求し続けた、
彼の時代で可能な限りのあらゆる技法を探究した…
哲学 philosophy と योगः yogaḥ ヨーガ について全ての教師達が話していたことを。


But he was a man of tremendous courage
who for twelve years went on searching, 
exploring every method available in his time... 
all the teachers who were talking about philosophy and yoga. 


彼はある教師から別の教師のもとへと行き、
そしてどの教師も最後には彼にこう言った、


He went from one teacher to another, and every teacher finally said to him, 


「私があなたに語ることができるのはこれほどだけだ。
これより多くは私自身も知らない。」


”I can tell you only this much. 
More than this I don’t know myself.”


ついに、彼は独りになった、
そして、彼は全ての योगः yogaḥ ヨーガ の訓練を落とした。


Finally, he remained alone, and he dropped all yoga disciplines. 


彼は彼自身の5人の弟子達 disciples がいた、
その弟子達 disciples は彼が偉大なる苦行者だと思っていた。


He had his own five disciples, who thought that he was a great ascetic. 


しかし、彼が全ての योगः yogaḥ ヨーガ の訓練を落としたことや、
彼がもはや断食をしなくなったことを
その弟子達 disciples が見た時、
彼らは गौतम Gautam ゴータマ を落とした。


But when they saw that he had dropped all yoga discipline, and he was no longer fasting, they dropped him. 


それらの全て5人の弟子達 disciples は
गौतम Gautam ゴータマ から去った
…「彼は彼の偉大さから落ちた、
彼はもはや聖人ではない、
彼は普通になった。」


All those five disciples left him 
– ”He has fallen from his greatness; 
he is no longer a saint; 
he has become ordinary.”


しかし、その普通であること ordinariness の中で、
गौतम Gautam ゴータマ があらゆるものを落とした時
…ただ疲れ果て消耗した…
5人の弟子達 disciples が彼を去った時のその満月の夜、
彼は
完全にこの世界から自由になり
完全にその世界のためのまさに探求から自由になり
菩提樹の下で眠った。


But in that ordinariness, when he had dropped everything – just being tired and exhausted – that fullmoon night when the five disciples left him, 
he slept under the bodhi tree, completely free from this world and completely free from the very search for that world. 


初めて、彼は完全にくつろいだ relaxed、
何かを探すという欲 desire もなく、
何かになるという欲 desire もなかった。


For the first time he was utterly relaxed: 
no desire to find anything, no desire to become anything. 


そして、その無欲 non-desiring の中で、
彼は突然、目覚めた(覚醒した)awakened
そして、बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 になった。


And in that moment of non-desiring, 
he suddenly awakened 
and became a buddha. 


仏性 buddhahood は くつろぎ relax の 状態の中で彼にやって来た。


Buddhahood came to him in a relaxed state.

 

 


あなたは12年間も修行する必要はない、
あなたは くつろぎ relax の状態からただ始めることができる。


You don’t have to work for twelve years, 
you can just start from the relaxed state. 


くつろぎ relax の状態、
それは गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダの旅 journey の最後の地点だった。


It was the last point in Gautam Buddha’s journey. 


くつろぎ relax の状態、
それはあなたの旅 journey の最初の地点であることができる。


It can be the first point in your journey.

 

 


そして、गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダが 目覚め(覚醒)awakened になった後、最初にしたことは、
彼に起こったことを分かち合う share ために
その5人の弟子達 disciples を探しに行くことだった。


And the first thing Gautam Buddha did after he became awakened was to go in search of those five disciples to share what had happened to him. 


そして、彼がそれらの5人の弟子達 disciples のもとへとたどり着いた時…
彼らは彼がやって来るのを見た
…それはとても美しい物語だ。


And when he reached those five disciples... they saw him coming – it is a very beautiful story.


彼らは決心した、


They decided, 


「गौतम Gautam ゴータマ がやって来ている、
しかし、私達は彼にどんな敬意も払わないつもりだ。
彼は聖人であることをやめた、
彼はくつろぎ relax と 心地いい暮らしを生き始めた。」


”Gautama is coming, but we are not going to pay any respect to him. 
He has stopped being a holy man; 
he has started living a relaxed and comfortable life.”


しかし、बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 としてより近づいて来ると、
全ての5人の弟子達 disciples は立ち上がった。


But as Buddha came closer, all the five disciples stood up. 


彼らが彼にどんな敬意も払わないと決心したにもかかわらず、
彼らの決断をものともせず、
彼らは गौतम Gautam ゴータマ が完全に変わったことを観ることができた


…「彼はもはや私達がかつて知っていた者と同じではない。
彼はこのような沈黙 silence、このような幸福感 contentment とともにやって来ている。
彼は「それ」を見つけたようにみえる。」


Although they had decided not to pay him any respect, in spite of their decision, 
they could see that Gautama had changed completely 


– ”He is no more the same person we used to know. 
He is coming with such a silence, with such contentment. 
It seems he has found it.” 


そして、彼らはみな गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダの足に触れた。


And they all touched Gautam Buddha’s feet.


そして、गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダの彼らへの最初の声明は、 


And Gautam Buddha’s first statement to them was, 


「あなた方は私に注意を払わないと決めていたのに、
なぜ、あなた方はそのような敬意を払っているのかな?」


”When you had decided not to pay attention to me, why are you paying such respect?”


それらの5人全ては許しを求めた。


All those five asked to be forgiven. 


彼らは言った、


They said, 


「私達はあなたが以前のままの गौतम Gautam ゴータマ だと思っていました。
私達はかつてあなたを知っていました
…5年間、私達は一緒にいました、
しかし、あなたはもう以前と同じ者ではありません。」


”We were thinking you were the same old Gautama. 
We used to know you – for five years we have been together, 
but you are not the same person anymore.”

 

 


光明 enlightenment が起こるということは
あなたは全く異なる者(以前とは別人)である
というような『変容 transformation』だ。


Enlightenment is such a transformation that you are a totally different person. 


以前の古い者は死んで去り、
そして、全くの新しい気づき(意識)awareness 、
新鮮な至福 bliss、
開花 flowering、
そこにはけっしてなかった春のような…


The old person dies away, 
and a totally new awareness, a fresh bliss, a flowering, a spring which has never been there…

 

 


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダは12年間かかった。


It took twelve years for Gautam Buddha. 


あなたは12分間さえかける必要はない。


It need not take even twelve minutes for you. 

 

 


それは単に1つの 術 art だ、
自分自身の中へ くつろぐ relax という 術 art だ。


It is simply an art, to relax into yourself. 

 

 


伝統的な禅 zen の中では、
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダがなんであれ彼の無知 ignorance の中でしていたことを
彼らはまだしている、
そして最後に、彼らはそれを落とす。


In the traditional Zen they are still doing whatever Buddha did in his ignorance, and finally they drop it.


私はあなた方にこう話している、
「たった今、それを落としていいですよ。」


I am telling you, why not drop it right now?


あなたはまさにこの瞬間に くつろぐ relax ことができる!


You can relax this very moment!


そして、そのくつろぎ relaxation 中で
あなたは光 light を、
気づき(意識)awareness を、
目覚め(覚醒)awakening を
見つけるだろう。


And in that relaxation you will find the light, the awareness, the awakening.

 

 


ゲシュタ・イタルに起こったことは、
必ずしも禅 zen の紹介にはならない。


What has happened to Gesta Ital, is not necessarily an introduction to Zen. 


彼女は古くて伝統的な禅 zen の導師達 masters の仲間の中にいた。


She has been in the company of old and traditional Zen masters. 


私は禅 zen
とてもシンプル simple で、
無垢 innocent で、
喜びに満ちた joyful
技法であることを理解している。


I understand Zen to be a very simple, innocent, joyful method. 


禅 zen の中は
苦行はないこと、
生 life を否定するものはないこと…
世界を放棄する必要はないこと、
僧になる必要はないこと、
僧院に入門する必要はない。


There is nothing ascetic in it, nothing life-negative – no need to renounce the world, no need to become a monk, no need to enter a monastery. 


あなたはあなた自身の中へと入らなければならない。


You have to enter into yourself. 


それはどこでも行うことができる。


That can be done anywhere.


私達は最も可能なシンプル simple なやり方で行っている。


We are doing it in the simplest way possible. 


そして、禅 zen
私がそうしているようにシンプル simple になって初めて、
現代の人は禅 zen に興味を持つことができる。


And only if Zen becomes as simple as I am trying to make it, can the contemporary man be interested in it. 


さもなければ、その人は非常に多くのことをしなければならない
…非常に多くのことをする、
非常に多くの道 path を探究する、
非常に多くの物事がその人の気を散らす。


Otherwise he has so much to do 
– so many things to do, so many paths to explore, so many things to distract him.


禅 zen は小さな遊びに満ちたものにならなければならない、


あなたが眠ろうとする時
…ちょうどその前に…
5分以内に、あなたはあなた自身の中に入ることができる、
そして、あなたは1晩中、あなたの『存在 being』のまさに中心 center(中核 core)にとどまったままであることができる。


Zen has to become such a small playful thing, 
that while you are going to sleep – just before that – within five minutes you can enter into yourself, 
and you can remain at the very center of your being the whole night. 


あなたの夜全体は平和 peaceful で、静かな気づき(意識)awareness になることができる。


Your whole night can become a peaceful, silent awareness. 


眠りは肉体 body の中にあるだろう、
しかしその下には、晩から朝まで光 light の流れであるだろう。


Sleep will be in the body, but underneath it there will be a current of light from the evening till the morning.


そしてひとたび、あなたが眠っている時でさえ
ある特定の気づき(意識)awareness が
あなたの内側 inside に存在 present できることを
あなたが知ると、


すると、1日中、全ての種類のことをしていても、
あなたは注意深く、意識している conscious ままであることができる。


And once you know that even in sleep a certain awareness can be present inside you, 
then the whole day, doing all kinds of things, you can remain alert, conscious. 


仏性 buddhahood は
とても標準 normal で、
普通 ordinary で、
シンプル simple な
人間の事柄であるべきだ。


Buddhahood has to be a very normal, ordinary, simple and human affair.

 

 


質問 2 Question 2
The second question:


あなたの言葉の中に、
あなたの仕草の中に、
そして今は特にあなたの絵の中に
…あなたの表現の美しさによって
どれほど私がいつも感動しているのか
言葉の中で言い表すことができません。


I CANNOT PUT IT INTO WORDS HOW MUCH I AM ALWAYS TOUCHED BY THE BEAUTY OF YOUR EXPRESSIONS – IN YOUR WORDS, YOUR GESTURES AND NOW ESPECIALLY IN YOUR PAINTINGS.


あなたが白紙の前に座っている時、
いったい何が起こっているのですか?


WHAT EXACTLY HAPPENS, WHEN YOU ARE SITTING IN FRONT OF AN EMPTY PAPER?


光明 enlightenment が起こった者でもまだ
芸術的な創造性 creativity に駆り立てられるのですか?


IS THERE STILL AN URGE FOR ARTISTIC CREATIVITY WHEN ONE IS ENLIGHTENED?


禅 zen と 芸術 art と 創造性 creativity について
どうか私達に話してくださいませんか?


COULD YOU PLEASE TELL US ABOUT ZEN AND ART AND CREATIVITY?

 

 


(osho)


禅 zen は何ひとつもあなたを妨げない。


Zen prevents you from nothing. 


あなたの中に秘めている才能のあらゆるものを開く。


It opens everything that is potential in you. 


もし、あなたが画家である秘めた才能を持っているならば、
禅 zen はそれを開くだろう
…あなたがその才能に気づいていなかったとしても。


If you have a potentiality of being a painter, Zen will open it – you may not have been aware of it. 


もし、詩の秘めた才能があるならば、
禅 zen はその秘めた才能を開くだろう、
そして、初めてあなたは詩の中で考え始めるだろう、
散文の中ではなく。


If there is a potentiality for poetry, 
Zen will open that potentiality, 
and for the first time you will start thinking in poetry, not in prose.


同じことが音楽やダンス、または、科学的探究にも言える。


The same is true about music or dance, or scientific exploration. 


本来 original の体験 experience のどんな種類も、
禅 zen はあなたを許す。


Any kind of original experiences, Zen allows you. 


禅 zen は何も妨げない。


It is not preventive of anything. 


禅 zen は肯定的だ、生 life の中で最も肯定的な体験 experience だ。


It is affirmative, the most affirmative experience in life. 


禅 zen は単に
あなたの中に隠されているもの全てに、
あなたがけっして見たことがなかったもの全てに
あなたに気づかせようとする。


It simply makes you aware of all that is hidden in you, of all that you have never looked at. 


禅 zen はあなたに気づかせようとするだけでなく、
禅 zen はあなたが秘めた才能を探究することを助ける。


It not only makes you aware, it helps you to explore that potentiality.


禅 zen は乾いた砂漠のような体験 experience ではない、


禅 zen はとてもみずみずしく、美しい庭だ
…花々が突然開き始めるところはあなたの生 life の春だ。


Zen is not a dry, desertlike experience, 
it is very juicy, a beautiful garden – a spring in your life where flowers suddenly start opening up. 

 

 


その人が気づき aware(覚醒)になる時
その人は自分に何が起こるのかけっして知らない。


One never knows what is going to happen to him when he becomes aware. 


それはあなたの方が決めるものではない、
それは選択ではない。


It is not a decision on your part, it is not a choice. 


それは無選択だ、単なる体験 experience だ
…あなたはある特定の方向へ動き始める。


It is a choiceless, simple experience 
– you start moving into a certain direction. 


突然、その方向が
とても生 life に満ち、とても魅力的になるので、
あなたはそれにあらゆるものを捧げることができる。


Suddenly that direction becomes so full of life, so attractive that you can devote everything to it.

 

 


禅 zen はとても創造的 creative な体験 experience だ、
禅 zen は他の宗教のようではない。


Zen is a very creative experience; 
it is not like other religions. 


全ての宗教は非創造的だ。


All the religions are non-creative. 


実際に、いわゆる聖人達は何もしていない。


In fact, the so-called saints don’t do anything. 


彼らは偉大な詩人達ではないし、
彼らは偉大なダンサー達ではないし、
彼らは偉大な音楽家達ではない。


They are not great poets, they are not great dancers, they are not great musicians. 


しかし、本物で真正な聖人達は、
いわゆる聖人達の中の非常に少数の者達だ…


But the real and authentic saints, who are very few among the so-called saints...

 

 


Just the other day I received the information that this pope in his four years of office has made more than two thousand people saints. 


It is a certificate. 


He goes on giving certificates to all kinds of people who can donate money. 


Now the Catholic church owns the biggest bank in the world – the Bank of America. 


The Catholic church owns the greatest amount of land in the world – more than any other country.


The method in the past has been war, killing people. 


Thousands of people have been killed just to take possession of their properties, or they have been forced to become Catholics. 


A single Catholic emperor, Constantine, killed ten thousand people in a single day. 


He just called an assembly of all those who were not Catholics in a great auditorium in Rome, and ordered the army to shoot everybody: 


”We don’t want anybody other than Christians in Rome.” 


He forced the whole of Italy to become Christian... just at the point of the gun.


The whole history of Christianity is of wars and nothing else – killing and violence. 


And the same is true about the other religions in a lesser measure; 
they are destructive. 


They are destructive in many ways. 


彼らは
人々に罪悪感を植え付けることによって、
人々を罪人にすることによって、
人々に世界とその喜びの全てを放棄させることを無理強いすることによって、
そして、不必要に苦行の中に入れることによって、
人々を破壊する。


They destroy people by creating guilt, 
by making them sinners, 
by forcing them to renounce the world and all that is pleasant, 
and to go into hardships unnecessarily. 


しかし、苦行の中に入る者達は尊敬される


そして、その者達の苦行は世界に何ひとつも貢献しない、
病気だけ、罪悪感だけをもたらす。


But those who go into hardships are respected and their hardship has nothing to contribute to the world, only sickness, only guilt. 


あなた方の全ての聖人達はみんな
あなたの中に罪悪感を押しつける。


All your saints are together enforcing guilt in you.


そうだから、このようなやり方で宗教は人類を破壊する、
そして、もう一方で、宗教はそれらの集団に属していない人々を殺す。


So in this way they destroy humanity, 
and in other ways they kill people because they don’t belong to their fold. 


宗教は人々を無理強いする
…剣またはパンのいずれかによって。


They force people – either by the sword, or with bread. 


過去では、宗教はかつて剣とやって来た、
今では、宗教はパンとやって来る。


In the past they used to come with a sword, now they come with bread. 


貧しい者はいつも改宗されることに影響されやすい、
強制または賄賂によってのいずれかで。


The poor have been always vulnerable to being converted, either by force or by bribery. 


しかし、これは全く宗教性 religiousness ではない、
これは純粋な政治(駆け引き)politics だ。


But this is not religiousness at all, this is pure politics.

 

 


禅 zen は 真正 authentic な 宗教的 religious 体験 experience だ。


Zen is an authentic religious experience. 


その真正・誠意 authenticity は
人間の中の 創造的であること creativeness を開く。


Its authenticity is in its opening of creativeness in human beings. 


禅 zen の 導師達 masters は誰ひとりけっして殺していない。


Zen masters have never killed anyone. 


禅 zen の 導師達 masters は彼らの道 path を誰にも無理強いしていない、


They have not forced anyone to their path; 


その逆に、あなたの方が彼らの方へと行かなければならない。


on the contrary, you have to go to them. 


そして、受け入れられることは非常に難しかった、
導師達 masters は非常に気難しい。


And it has been very difficult to be accepted; 
the masters have been very choosy. 


あなたが計り知れないほどの欲求や熱望を示さない限り、
彼らはあなたを入門しないだろうからだ、


改宗の質問が生じることはない。


Unless you show an immense desire and longing, they will not initiate you; 
the question of conversion does not arise.


あなたが井戸の方へと行かなければならない、
井戸はあなたの方へとやって来ない。


You have to go to the well, 
the well does not come to you. 


井戸はあなたを招待さえしない、
井戸はただそこにあり、利用可能(役立つ)なだけだ。


The well does not even invite you,
it is simply there, available.

 

 


質問 3 Question 3
The third question:


エネルギー energy が 内側 inward へと向かうと
エネルギー energy は
思考 thought、
感情 feeling、
情動(情緒)emotion 
へと変わります、


そして、エネルギー energy が 外側 outward へと向かうと
エネルギー energy は 
存在 beings と 自然 nature との関係性 relationship 
へと変わります。


WHEN ENERGY GOES INWARD IT TURNS INTO THOUGHTS, FEELINGS, EMOTIONS, 
AND WHEN ENERGY GOES OUTWARD IT TURNS INTO RELATIONSHIPS WITH BEINGS AND NATURE. 


しかし、エネルギー energy が 内側 inward にも 外側 outward にも動かないと、
エネルギー energy はただそこで、脈打ち、振動しています。


BUT WHEN ENERGY DOES NOT MOVE INWARD OR OUTWARD, 
IT IS JUST THERE PULSATING, VIBRATING. 


すると、存在 existence と『1つ one』です、
全体 whole と『1つ one』です。


THEN IT IS ONE WITH THE EXISTENCE, ONE WITH THE WHOLE. 


これは 坐禅 Zazen でしょうか?


IS THIS ZAZEN?

 

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この質問に関するお話しはこの osho zen tarot のカードのお話しです。


(osho)


そのとおりだ。


Exactly. 


エネルギー energy がただ 源 source にあるとき


…どこにも行かないで、
ただ本来 original の 源 source で 脈打ち、
ただその光 light をそこで放射し、
蓮の花のように開花し、
外に行くことも、内に行くこともない…


それは単に 今 now ここ here にある。


When the energy is just there 
– not going anywhere,
just pulsating at the original source, 
just radiating its light there, 
blossoming like a lotus, 
neither going out nor going in – 
it is simply here and now.


私が「内側 inward へと行きなさい」と言う時、
私は単に「頭 head の中へと入り続けないようにしなさい」と言っている。


When I say go inward, I am simply saying don’t go on moving in the head.

 

 

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「内向 inward」と「上昇 upward」は 同意 synonymous 


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『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。

 


社会全体は
あなたのエネルギー energy を頭 head の中へ向かわせようとして
無理強いしている。


The whole society forces your energy to move in the head. 


全ての教育は
いかにして頭 head の中でのみエネルギー energy を脈打つか
というその基本のテクニックで成り立っている


…いかにしてあなたを偉大な数学者にしようか、
いかにしてあなたを偉大な医者にしようか。


All education consists of the basic technique of how to pulsate the energy only in the head 
– how to make you a great mathematician, how to make you a great physician. 


世界中の全ての教育は
頭 head の中へとエネルギー energy を連れて行くことで
成り立っている。


All the education in the world consists of taking the energy into the head.

 

 


禅 zen はあなたにこう尋ねる、


「頭 head から出て根源 basic source へ行きなさい」と

 

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「内向 inward」と「上昇 upward」は 同意 synonymous 

『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。

 


…世界中の教育システムは
エネルギー energy を取り出し、
頭 head の中へとエネルギー energy を押し入れて、


そして、エネルギー energy を 
物事を考えること(思考)thought、想像すること images に変えて、
思考 thinking を 創り出す。


Zen asks you to come out of the head and go to the basic source 
– from where the educational system around the world has been taking the energy, putting it into the head, 
and turning it into thoughts, images, and creating thinking. 


それにはそれの使い道がある。


It has its uses. 


禅 zen は 頭 head の中でエネルギー energy を使うことに気づいていない
ということではない、


It is not that Zen is not aware of the uses of energy in the head, 


しかしもし、全てのエネルギー energy が
頭 head の中で使われるならば、
あなたはあなたの永遠 eternity にけっして『気づく aware』ようにはならないだろう。


but if all the energy is used in the head, 
you will never become aware of your eternity. 


あなたは偉大な思想家や哲学者になるかもしれない、


しかし、あなたは「1つの体験 experience」として、
「生 life とは何か」を
けっして知ることはないだろう。


You may become a very great thinker and philosopher, 
but you will never know, as an experience, 
what life is. 


あなたは「1つの体験 experience」として、
「全体 whole と『1つ one』であるとは何か」を
けっして知ることはないだろう。


You will never know as an experience, 
what it is to be one with the whole.

 

 


エネルギー energy が
まさに中心 center(中核 core・源 source)にあって、脈打つとき…


When the energy is just at the center, pulsating... 


エネルギー energy が
頭 head の中にも、
心 heart の中にも、
どこにも動いて行かないで、


When it is not moving anywhere,
neither in the head nor in the heart, 


しかし、
心 heart がエネルギー energy を取り出し
頭 head がエネルギー energy を取り出す
まさにその源 source にエネルギー energy があり
まさにその源 source で脈打つこと


but it is at the very source from where the heart takes it, the head takes it... 
pulsating at the very source 


…それこそが 坐禅 Zazen の意味だ。


– that is the very meaning of Zazen.

 

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「内向 inward」と「上昇 upward」は 同意 synonymous 

『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。


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坐禅 Zazen とは
まさに源 source にただ坐り、
他のどこにも動いて行かないことだ。


Zazen means just sitting at the very source, not moving anywhere. 

 

 


とてつもない力 force が生じる、


A tremendous force arises, 


エネルギー energy は
光 light と 愛 love の中へ、
より素晴らしい生 life の中へ、
思いやり・慈悲 compassion の中へ、
創造性 creativity の中へと
『変容 transformation』する。


a transformation of energy 
into light and love, 
into greater life, 
into compassion, 
into creativity. 


それは多くの形であることができる、


It can take many forms, 


しかし、まず最初に、
あなたがその源 source に「在る be」方法を
学ばなければならない。


but first you have to learn how to be at the source. 


すると、源 source が
あなたの秘めた才能(可能性)のところを
決めるだろう。


Then the source will decide where your potential is. 

 

 


あなたは源 source で くつろぐ relax ことができる、
そして、それがあなたのまさに秘めた才能(可能性)へとあなたを連れて行くだろう。


You can relax at the source, 
and it will take you to your very potential. 


それは
あなたが永遠に考えること thinking を止めなければならない
ということではない、


It does not mean that you have to stop thinking forever, 


それは単にあなたは
『気づき aware』であるべきであり
注意深く alert あるべきであり
源 source の中へと入って行くことの可能性がある
ということだ。


it simply means you should be aware and alert and capable of moving into the source. 

 

 


あなたが頭 head を必要とする時には
あなたは頭 head の中へエネルギー energy を動かすことができる、


When you need the head 
you can move the energy into the head, 


あなたが愛 love する必要がある時には
あなたは心 heart の中へエネルギー energy を動かすことができる。


and when you need to love, 
you can move the energy into the heart.


しかし、あなたは24時間ずっと考える think 必要はない。


But you need not think twenty-four hours. 


あなたが考えること thinking ではない時、
あなたはあなたの中心 center(中核 core)源 source の中へと戻り帰って
くつろが relax なければならない


…それが禅 zen の人を
絶え間なく
満足させ、
注意深くあり、
喜びに満ちることを
維持する。


When you are not thinking 
you have to relax back into your center 
– that keeps the Zen man constantly content, alert, joyful. 


至福に満ちていること blissfulness がその人を包む、
それは行為 act ではない、
それは単に放射 radiation だ。


A blissfulness surrounds him; 
it is not an act, it is simply radiation.

 

 


坐禅 Zazen は 禅 zen の 戦略だ。


Zazen is the strategy of Zen. 


文字通りにはそれはただ坐ること sitting だ。
 
Literally it means just sitting. 


どこに坐る sitting のかな?
 
Sitting where? 


まさに源 source に坐る sitting。
 
Sitting at the very source. 

 

 

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「内向 inward」と「上昇 upward」は 同意 synonymous 

『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。


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そして、ときどき、
もし、あなたが源 source の中に坐り sitting 続けるならば、
 
And once in a while, if you go on sitting in the source, 


あなたはどんな障害もなく
全ての 精神的・心理的 mental な活動を
管理する(どうにかする)ことができる、


(mental = マインド(思考)mind)


you can manage all mental activities without any disturbance,


あなたはどんな困難もなく
全ての 心 heart の活動を
管理する(どうにかする)ことができる。


you can manage all heart activities without any difficulty. 

 

 


そしてまだ、いつでもあなたに時間があるとき、


あなたは不必要に考える think 必要はない、
あなたは不必要に感じる feel 必要はない、


あなたはただ「在る be」ことができる。


And still, whenever you have time, 
you need not unnecessarily think,
you need not unnecessarily feel, 
you can just be.


ただ「在る be」ことが 坐禅 Zazen だ。


Just being is Zazen.


そしてもし、あなたがただ「在る be」ことができるならば


…24時間の中のほんの数分間だけでも…


それは十分だ
あなたの仏性 buddhahood に
あなたが注意深く alert あることを保つためには。


And if you can just be 
– only for a few minutes in twenty-four hours – 
that is enough to keep you alert of your buddhahood.

 

 


経文 sutras に入る前に、少し伝記のメモを。


Before the sutras, a little biographical note.

 

 


洞山良价、雲巖の弟子 disciple、
807年中国に生まれ、869年に死す。
洞山は本来、律宗の一員だったが、
後に禅 zen に興味を持つようになり
導師 master を探すための旅に出た。


TOZAN RYOKAI, A DISCIPLE OF UNGAN, WAS BORN IN CHINA IN 807, AND DIED IN 869. 
HE ORIGINALLY WAS A MEMBER OF THE VINAYA SECT, 
BUT LATER BECAME INTERESTED IN ZEN AND SET OUT ON A JOURNEY TO FIND A MASTER.

 

 


律宗とは
経典、導師達 masters の 言葉 words を
哲学的や学問的な方法で
興味を持つ人達の
仏教徒の名前だ。


The Vinaya sect is the Buddhist name of the people who are interested in the scriptures, in the words of the masters in a philosophical and scholarly way. 


彼らは知的には活発だ、
しかし、彼らは彼ら自身の体験 experience の中へと入って行こうとしていない。


They are mentally active, 
but they are not moving into the experience themselves. 


彼らは可能な限りたくさんの知識 knowledge を集め、
彼らは非常に賢くなる。


They gather as much knowledge as possible, they become very wise. 


彼らは経文の中にある全ての答えを知っている、
しかし、彼らは彼ら自身の体験 experience を1つも持っていない。


They know all the answers that are in the sutras, 
but they don’t have a single experience of their own.


洞山は最初は学者だった、
全ての文献を学んだ
…仏教は世界の中で最も多くの文献を持っている。
他のどの宗教と比べてもより多くの経典を持っている。


Tozan was first a scholar, studying all the literature – and Buddhism has the greatest literature in the world. 
Compared to any other religion it has more scriptures.

 

 


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダが死ぬと同時に、
彼の弟子達 disciples は32の派に分かれた。


Just as Gautam Buddha died, his disciples became separated into thirty-two branches. 


直ちに、32の学派に分かれ、それぞれ異なる経典や経文を持ち、
自分達は正真正銘 authentic だ、唯一本物 true だ、というふりをした。


Immediately there were thirty-two branches of scholarship, of different scriptures and sutras, pretending to be authentic, pretending to be the only true ones. 


問題は
42年間、朝な夕なに、
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダは教えていたので
…少数の人々は少しのことを聞いて、
少数の人々は少しの他のことを聞いた…
ということだった。


The problem was that for forty-two years Gautam Buddha was teaching, morning and evening – a few people heard a few things, a few people heard a few other things.


42年の中で、彼は
ある場所から別の場所へと絶え間無く移動していた。


In forty-two years he was constantly moving from one place to another place. 


当然ながら、異なる人々が彼から異なることを聞いていた、
そうして、彼らは経文を作成した。


Obviously there were different people who had heard different things from him, and they compiled sutras. 


直ちに、32の派が始まった。


Immediately thirty-two branches started. 


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
たった一言も書かなかった、


Gautam Buddha had not written a single word, 


しかし、どの派も自分達は正真正銘 authentic だというふりをした


but every branch pretended to be the authentic one 


…「これこそ गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダが言ったことです…」


– ”this is what Buddha said...”


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダが何を実際に言ったのか、
そして、弟子達 disciples によって付け加えられたものが何なのかを
見つけることは今となっては非常に困難だ。


It is very difficult now to find out what actually was said by Gautam Buddha, and what was added by the disciples. 


だから、
何が正真正銘 authentic であり
何がそうではないのかを
見つけようとして経典の中を探す人々がいる
大きな学問が仏教の世界の中にある。


So there is a great scholarship in the Buddhist world where people search into scriptures trying to find what is authentic and what is not.

 

 


Just recently, the same kind of scholarship has started in Europe. 


The professors and the very scholarly Christians have formed a special committee, the Biblical Scholars. 


And they are now searching for what exactly was said by Jesus, and what has been added by others – what is fiction, what is myth, what is truth.


Just a few days ago, Pope the Polack declared to all the Catholics of the world: 
”Don’t listen to the Biblical Scholars” – 
because the Biblical Scholars are taking out many things which have been added to the Bible which are not true. 


Events, miracles, the virgin birth, the resurrection... the Biblical Scholars are taking all those things out. 


It is agreed that they are the most scholarly group in Europe concerning the Bible.


They meet every few months, and they discuss papers. 


And if you listen to them, almost ninety percent of the Bible disappears. 


And they are absolutely right, because for the first time they are searching at the roots from where this saying, this statement, this gospel, has come. 


A few are found to be in the ancient scriptures of the pagans, and those scriptures have been destroyed so that nobody can prove that Jesus ever said these things.


Even the idea of the virgin birth is more ancient than Jesus. 


It was a pagan god, a Roman god who was thought to be born from a virgin, and to the same god, the crucifixion happened. 


And to the same god is connected the idea of the resurrection. 


All that has been taken and compiled into the Bible. 


The pagans have been destroyed, their temples have been burned, their scriptures have been destroyed. 


Now these Biblical Scholars are trying to find ways and methods to uncover the facts from contemporary literature about when Jesus was alive.


One of the gospels was written in India – the fifth gospel of Thomas. 


It has not been included in the Bible, for the simple reason that it was not available to Constantine, who was compiling, and who was deciding what was to be included and what was not to be included. 


It was because of him that all these ideas and mythologies and fictions have been added to the life of Jesus.

 

 


仏教の文献についても同じだ、
多くはヒンドゥー教の文献からの借用であり、
多くはジャイナ教の文献からの借用である、
なぜなら、これらは同時代だったからだ。


The same is true about Buddhist literature: 
much is borrowed from Hindu literature; 
much is borrowed from Jaina literature, 
because these were contemporaries. 


そして、गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダの同時代の少数の者達は
文献を後に残さなかった、
しかし、彼らもまた गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダが教えていた同じ場所で教えていた、
とても多くのそれらの教えが
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダのものと混ざって作成された。


And a few contemporaries of Buddha have left no literature behind, 
but they were also teaching in the places where Buddha was teaching, 
so many of their teachings have been compiled and mixed with Gautam Buddha’s.

 

 


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダの本来 original の 教えを見つけ出すために
禅 zen には非常に学問的な伝統が存在する。


A very scholarly tradition exists in Zen to find out the original teachings of Buddha. 


しかし、たとえもし、あなたが
本来 original の声明 statements と
そうでないものを
見つけることができるとしても、


それは、あなたに光明 enlightenment が起こった、という意味ではない。


But even if you can find what is the original statement and what is not, 
that does not mean you can become enlightened. 


あなたは गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダが言ったことを正確に知るかもしれない、


しかし、それはあなたの意識 consciousness が何も変わることはないだろう。


You may know exactly what Buddha said, 
but that will not make any difference to your consciousness.

 

 


洞山は最初は学者だった、
しかしながら、あなたが本来 original の 源 source を
知ろうとしたり見つけようと試し続けたとしても、
あなたは無知のままだ、
ということを見つけた。


Tozan was first a scholar, and found that however you go on trying to know and find the original sources, you still remain ignorant. 


あなたは偉大な知識人になる、
しかし、奥深くではあなたは
あなた自身について何ひとつも知らない。


You become a great knower, but deep down you know nothing about yourself. 


そして、問題は
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダが何を言ったのかを知ることではなく、


問題は
あなた自身の内なる बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人、
あなた自身の内なる 意識 consciousness を
知ることだ。


And the question is not to know what Buddha said,
the question is to know your own inner buddha, your own inner consciousness.


学問的な律宗の中にいた後、
彼は禅 zen に興味を持つようになった。


After being in the scholarly Vinaya sect, 
he became interested in Zen. 


彼は学問的な世界から脱退し
そして、導師 master を見つける旅に出た。


He dropped out of the scholarly world and 
set out on a journey to find a master. 


彼は教師、大学者と一緒にいた、
しかし、彼らの誰ひとりも導師 master ではなかった。


He had been with teachers, great scholars, 
but none of them was a master.


そして、導師 master は学者である必要はない
…それは必然ではない。


And a master need not be a scholar 
– it is not a necessity. 


その人は学者かもしれない
…それは偶然だ。


He may be a scholar 
– that is accidental. 


必然と実存とは、
その人自身の知ること knowing、
その人自身の体験 experience だ。


What is necessary and existential is his own knowing, his own experience.


だから、彼は探しに行った、
〈 真理 truth 〉とは何かをその人自身で知っている者を、
彼に「それ」へと至る道(方法)を伝えることができる者を。


So he went in search of a man who himself knows what is the truth, and who can tell him the way to it.

 

 


経文だ、


The sutra:

 

 


親愛なる osho 


BELOVED OSHO,


洞山は無生物の説法について質問を持っていた。


TOZAN HAD A QUESTION ABOUT WHETHER INANIMATE OBJECTS EXPOUND THE DHARMA. 


洞山は潙山を訪ねた、潙山は彼に雲巖に会いに行くことを勧めた。


TOZAN VISITED ISAN, WHO RECOMMENDED THAT HE GO TO SEE UNGAN.

 

 


彼の質問は、


世界の中の無生物が 
धर्मः dharmaḥ dharma ダルマ を
究極の〈 真理 truth 〉を
説明するのかどうか、だった


…物質の世界の中で
究極の〈 真理 truth 〉を
あなたが見つけることができるのかどうかだった。


His inquiry was whether inanimate objects in the world expound the dharma, the ultimate truth 
– whether you can find in the objective world the ultimate truth.


それは科学がしようとしていることだ
…物質の中に究極の〈 真理 truth 〉を見つけようとしていること。


That’s what science is trying to do
– trying to find the ultimate truth in objects. 


あなたは物質の中に究極の〈 真理 truth 〉を見つけることはできない。


You cannot find it in objects. 


しかし、これは禅 zen の伝統の1部分 part だ、
それもまた…


潙山は彼自身も導師 master だった、
しかし、彼は洞山が学者であったのを見て、
洞山に雲巖に会いに行くことを勧めた。


But this is part of the Zen tradition, that also...
Isan was himself a master, but he recommended Tozan to go to see Ungan, seeing that Tozan was a scholar. 


潙山は学者ではなかった
…彼は導師 master だった、
彼は彼自身の仏性 buddhahood を知っていた。


Isan was not a scholar 
– he was a master, he knew his own buddhahood. 


しかし、この男、洞山がきっと哲学的な質問をするだろうとわかって、
彼は洞山を、導師 master でもあり学者でもある雲巖のもとへと送った。


But seeing that this man Tozan was bound to ask philosophical questions, 
he sent him to Ungan, who was a master and a scholar.

 

 


雲巖と一緒にいて、洞山は初めて 真理 truth に 気づく aware ことができた、
そして、洞山は自身の体験を記録するために偈に従って構成した、


WITH UNGAN, TOZAN WAS FIRST MADE AWARE OF THE TRUTH, 
AND HE COMPOSED THE FOLLOWING GATHA TO RECORD HIS EXPERIENCE:


「なんと素晴らしい!なんと素晴らしい!
無生物の説法…言葉では言い表せない 真理 truth だ!」


”HOW WONDERFUL! HOW WONDERFUL!
THE INANIMATE EXPOUNDING THE DHARMA – WHAT AN INEFFABLE TRUTH!”

 

 


雲巖は洞山に、静かに silence なりなさい、と言った。


Ungan told him to be in silence. 


そして、あなたが静かに silent なるにつれて、
あなたの周りのあらゆるものが〈 真理 truth 〉を説明し始める、
木々、山々…
全ての物が突然、燃え立って、
〈 真理 truth 〉と一緒に燃える。


And as you become silent, everything around you starts expounding the truth: 
the trees and the mountains... 
all the objects become suddenly aflame, afire with truth. 


もし、あなたが
あなた自身の『存在 being』の 源 source に
静かに silently 坐っているならば、
すると、世界の中のあらゆるものが
究極に向けて指し示す。


If you are sitting silently in your own source of being, 
then everything in the world indicates towards the ultimate. 


洞山が彼の源 source を見つけた時
彼はこの偈を書いた、


When he found his source he wrote this gatha: 

 

 


「なんと素晴らしい!なんと素晴らしい!
無生物の説法…言葉では言い表せない 真理 truth だ!
もし、あなたがあなたの耳で聞こうとするならば、
あなたはそれをけっして理解しないだろう。
あなたが目を通してそれを聞く時にのみ、
あなたはそれを真に知るだろう。」


”HOW WONDERFUL! HOW WONDERFUL!
THE INANIMATE EXPOUNDING THE DHARMA – WHAT AN INEFFABLE TRUTH!
IF YOU TRY TO HEAR IT WITH YOUR EARS, YOU WILL NEVER UNDERSTAND IT.
ONLY WHEN YOU HEAR IT THROUGH THE EYE, WILL YOU REALLY KNOW IT.”

 

 

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『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。

 


彼が話しているのは第3の目 third eye についてだ。


He is talking about the third eye. 


あなたが内側 inward に入って行くにつれて…


As you go inwards... 


あなたのエネルギー energy は頭 head の中にある。


your energy is in the head. 


最初に、エネルギー energy は第3の目 third eye を通る。


First it has to pass the third eye. 


より深く行くと、エネルギー energy は心 heart を通るだろう、
第4のセンターだ


Going deeper it will pass through the heart, the fourth center 


…そして、全エネルギー energy は第1のセンターにある。


– and the whole energy is at the first center. 


エネルギー energy はそこから第7のセンターの頭 head の中へと昇り戻ることができる。


From there it can rise back to the seventh center in the head.


しかしもし、あなたが第7のセンターのみに入ったままだと、
あなたは〈 真理 truth 〉とは何かという体験 experience をけっして知らないままだろう。


But if you remain hung up in the seventh center only, 
you will never know as an experience what is truth. 


あなたは奥深くまで降りて来なければならない、
あなたの『存在 being』の谷 valley へと。


You have to come down to the depths, to the valleys of your being. 


あなたは
あなたが全体 whole と繋がっている根元へと
到達しなければならない。


You have to reach to the very roots from where you are joined with the whole.

 

 


雲巖は洞山に尋ねた、
「今、あなたは幸せですか?」


UNGAN ASKED HIM, 
”ARE YOU HAPPY NOW?”


洞山は答えた、
「私は幸せではないとは言いません、
しかし、私の幸せは
ゴミの山から輝く真珠を拾い上げたようなものです。」


TOZAN ANSWERED, 
”I DO NOT SAY THAT I AM NOT HAPPY, BUT MY HAPPINESS IS LIKE THAT OF SOMEONE WHO HAS PICKED UP A BRIGHT PEARL FROM A HEAP OF GARBAGE.”


洞山に光明 enlightenment が起こった後しばらくの間、
彼は中国を旅して周った。


FOR A WHILE AFTER HIS ENLIGHTENMENT, TOZAN CONTINUED TO TRAVEL AROUND CHINA. 

 

 


彼はこう言っている、
あなたがあなた自身でそれを見ない限り、
それを知る他の方法はない。


He is saying that unless you see it yourself, there is no other way to know it. 


あなたは他の誰かからそれを聞くことはできない。


You cannot hear it from somebody else. 


それをあなたに説教することができる बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 はいない、
それをあなたに教えることができる 導師 master はいない。


No buddha can preach it to you, 
no master can teach it to you. 


彼らはみなしぐさをすることができるだけだ。


They all can only make gestures. 

 

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彼らはみな彼らの 指 finger で月 moon の方へ指し示すことができるだけだ、


しかし、その 指 finger は月 moon ではない。


They all can only indicate their finger towards the moon, 
but the finger is not the moon. 


あなたはその 指 finger を見ることを落とさ drop なければならない、
そして、月 moon を見始めることだ。


You have to drop looking at the finger, 
and to start looking at the moon. 


あなたがあなた自身で月 moon を見るとき、
あなたは月 moon の美しさを知る。


When you look at the moon yourself, 
you know the beauty of it. 


あなたは
月 moon を指し示している 指 finger を見ることによって
月 moon の美しさを知ることはできない。


You cannot know that beauty by looking at the finger pointing to the moon.


全ての知識 knowledge は
月 moon を指し示している。


All knowledge is pointing to the moon. 


全ての経文 sutras は、
全ての経典 scriptures は
月 moon を指し示している…ただの 指 finger だ。


All sutras, all scriptures are pointing to the moon – just fingers. 


そして、人々はその 指 finger にしがみついている、
人々は、指 finger は要点ではない、ということを完全に忘れている。


And people are clinging to the fingers, 
they have completely forgotten that the fingers are not the point. 


月 moon ははるか遠くにあり、
その 指 finger は月 moon に向けて指し示しているだけだ。


The moon is far away, 
the finger is only pointing towards it. 

 

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その 指 finger にしがみつかないように、
その 指 finger を忘れなさい。


Don’t cling to the finger; 
forget the finger. 


全ての知識 knowledge、全ての経典を忘れなさい、
そして、あなた自身であなたの〈 真理 truth 〉を見なさい。


Forget all knowledge, all scriptures, 
and look at your truth yourself. 

 

 


それはあなたの耳 ears の問題ではない、
それはあなたの目 eyes、あなたの内なる inner 目 eyes の問題だ。


It is not a question of your ears, 
it is a question of your very eye, your inner eye. 


あなたが内側 inside を見ない限り…
あなたは聞くことによって、または、読むことによって
それを知ることはできない。


Unless you look inside... 
you cannot know it by hearing, or by reading. 

 

 


博識になることは बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 になることではない、


Becoming knowledgeable is not becoming a buddha, 


そうではなく、
無垢 innocent な子供になること、
どんな深刻さもなく遊びに満ちて源 source に到達すること、
楽しく、陽気に、ダンスしながら…


but becoming an innocent child, reaching to the sources playfully without any seriousness, joyously and cheerfully, dancing... 

 

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あなたのエネルギー energy を源泉 very source へと連れて行き
そして、少しの間そこにとどまる、
そうすると、あなたは
毎日成長していく新しい体験 experience で満たされるだろう。


Take your energy to the very source and remain there just for a few moments, 
and you will be filled with a new experience which goes on growing every day.


まもなく、あなたは
あなたが光 light で満たされていることを見つける
…満たされるだけでない、
その光 light はあなたの肉体 body の周りを放射し始めるだろう。


Soon you find you are filled with light 
– not only filled, but the light starts radiating around your body. 


それが オーラ aura と呼ばれてきたものだ、
そして、ウィルヘルム ライヒが科学的に証明しようとしていたものだ。


That’s what has been called the aura, 
and what Wilhelm Reich was trying scientifically to prove. 


(オーラ aura = 微細 subtle な 身体 body)


しかし、彼は精神異常の精神病院へ無理やり入れられた
なぜなら、彼が何について話していたのか
人々は理解できなかったからだった…
「彼は何の放射について話しているのかな?」


But he was forced into an insane asylum because people could not understand what he was talking about –
”What radiation is he talking about?”


しかし今、キルリアン写真
あなたの肉体 body の周りにある
あなたの生・命 life オーラ aura の
写真を撮ることができる。


But now, Kirlian photography is able to take the photograph of your life aura around your body. 

 

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चक्र cakra chakra チャックラ 

『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。


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オーラ aura = 微細 subtle な 身体 body 

 

(肉体 body の背骨に沿ってある光 light のセンター center は
チャックラ chakra चक्र cakra。


肉体 body の周りにある光 light の 層 layer は
オーラ aura = 微細 subtle な 身体 body。


チャックラ chakra चक्र cakra と 微細 subtle な身体 body は関連している。


詳しくはこのブログ内にあるこちらをご覧になってください。

〈人間の問題はひとつだけ〉)


 
あなたがより健康であるほど、
オーラ aura はより大きい。


The healthier you are, the bigger is the aura. 


あなたの幸福の中でオーラ aura はあなたの周りでダンスをし、
あなたの不幸の中でオーラ aura は縮む。


In your happiness it dances around you;
in your misery it shrinks. 


不幸な人がキルリアンによって撮影対象にされた時、
キルリアンは写真の中にどんな オーラ aura も見つけることができなかった
…オーラ aura は内側 inside に縮んでいた。


When a miserable person was used as an object by Kirlian, 
he could not find any aura in the photograph 
– the aura had shrunk inside. 


しかし、キルリアン
踊り楽しんだり、野の花を摘んだり、海岸で石を拾い集めて喜んでいる子供達を
撮影した時、
キルリアンは子供達の周りにとてつもないオーラ aura を見つけた。


But when he photographed children dancing and enjoying, joyfully plucking the wildflowers or collecting stones on the seabeach, 
he found such a tremendous aura around them.


その同じオーラ aura が
बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人達の周りに見つかった。


The same aura has been found around the buddhas. 


そして、それはほとんど奇跡的なことだが
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
कृष्णः kṛṣṇaḥ クリシュナの時代には
写真がなかったにもかかわらず、
絵画や彫刻の全てにはオーラ aura がある
…頭 head の周りに丸い円のオーラ aura がある。


And it is almost miraculous that although no photography was available in the times of Buddha or Krishna, the paintings, the statues all have the aura – a round aura around the head.


ひとたび、あなたがあなた自身の生・命 life の源 source を見たら、
世界中のどの物にも、世界中のどの者にも、
その同じ光 light の放射が見え始める。


Once you have seen your own life source, 
you start seeing the same light radiating from every object in the world, every person in the world. 


その者が不幸なのか幸福なのか
あなたはそのオーラ aura から見てわかることができる。


You can see from the aura whether the person is miserable or is happy.

 

 


洞山の導師 master 雲巖は彼に尋ねた、


His master, Ungan, asked him,


「今、あなたは幸せですか?」


”ARE YOU HAPPY NOW?”

 

 

 

洞山は学者だった、
そして、彼は बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 の話し方を知っていた。


Tozan was a scholar, and he knew the way a buddha speaks. 


そして今では、彼自身が光明 enlightenment を体験 experience した
…あなたはそれを彼の答えの中で観ることができる。


And now he himself has experienced it
– you can see it in his answer.


彼は言う、


「私は幸せではないとは言いません、
しかし、私は幸せであると言うと
それはとても普通の声明にしてしまいます。


私は幸せであると言うのは
何も素晴らしいことではありません、


そして、私が見つけたものはあまりにも素晴らしく
それは「幸せ」という言葉 word によって説明することはできません、
それはもっとはるかに素晴らしいものです。


だから、私は、私は幸せではない、とは言わないでしょう。


あなたは、
それが幸せよりもっと素晴らしい何かであることを、
理解しなければなりません。


言葉 word ではそれを説明することはできません。


私が言うことができるのはただこれだけです、


私の幸せは
ゴミの山から輝く真珠を拾い上げたようなものです。」


He says,


”I do not say that I am not happy,
but to say I am happy will make it a very ordinary statement. 
To say that I am happy is not something great, 
and what I have found is so great that it cannot be described by the word ‘happiness’, it is far more.
So I will not say I am not happy. 
You have to understand, it is something more than happiness. 
Words cannot describe it. 
Only this much I can say: 
I have found a bright pearl in the heap of garbage.”


洞山が呼んでいる「ゴミの山」とは
彼の学識のことだ。


What he is calling the ”heap of garbage,” is his scholarship. 


彼は不必要に非常に多くの知識 knowledge を蓄積してきた、


そして、全てのその知識 knowledge は
ただのゴミの山であり、
本来 original の『存在 being』…存在 existence の中に入っているあなたの根元…を隠すだけだった。


He has accumulated so much knowledge unnecessarily, 
and all that knowledge was only heaping up and hiding the original being – your very roots into existence.


それは普通 ordinary の幸せではない、
実際に、それを説明することができる言葉 word はない。


It is not ordinary happiness, in fact there is no word that can describe it.


「至福に満ちていること blissfulness」はより近い、
「祝福 benediction」はさらにより近い、
「恍惚 ecstasy」はまだもっと近い。


‘Blissfulness’ comes closer, 
even closer comes ‘benediction’, 
still closer comes ‘ecstasy’. 


しかし、それを超越 beyond すると、
そこに言葉 word はない、


But beyond that, no word is there; 


光明 enlightenment が起こる 体験 experience は
恍惚 ecstasy それよりはるかにもっと深い。


the experience is far deeper than ecstasy itself.

 

 


洞山に光明 enlightenment が起こった後しばらくの間、
彼は中国を旅して周った。


FOR A WHILE AFTER HIS ENLIGHTENMENT, TOZAN CONTINUED TO TRAVEL AROUND CHINA. 


ある日、泐潭に着いた、そして、僧の長である初と会った。


ONE DAY HE ARRIVED AT LEH T’AN AND MET THE HEAD MONK, CH’U. 


初は洞山を出迎えて言った、


CH’U GREETED TOZAN AND SAID:


「素晴らしい、素晴らしい
…道(Tao タオ)と बुद्धः buddhaḥ ブッダ の領域は考えられない!」


”WONDERFUL, WONDERFUL –
THE INCONCEIVABLE REALMS OF TAO AND BUDDHA!”

 

 


初は洞山を出迎えた、そして、彼の挨拶の中で彼は言った、


Ch’u greeted Tozan, and in his greeting he said, 

 

 


「素晴らしい、素晴らしい
…道(Tao タオ)と बुद्धः buddhaḥ ブッダ の領域は考えられない!


私はあなたの中に बुद्धः buddhaḥ ブッダ と 道(Tao タオ)の出会いを見ることができる。」

 


”WONDERFUL, WONDERFUL –
THE INCONCEIVABLE REALMS OF TAO AND BUDDHA!


I can see in you the very meeting of Buddha and Tao.”

 

 


それは同じ体験 experience だ。


It is the same experience. 

 

 


洞山は応えた、
「私は(あなたが話している)そのような領域について知りません。
誰がそれらについて話しているのですか?」


TOZAN RESPONDED, 
”I DON’T KNOW ABOUT THESE REALMS you are talking about
WHO IS TALKING OF THEM?”

 

 


洞山は、
それは言葉 word を超越 beyond している、
ということを初に示している…


He is indicating to Ch’u that it is beyond words – 


「あなた自身の内側 inside を見なさい。
誰がこれらの言葉 word を言っているのかな?
どこからこれらの言葉 word はやって来ているのかな?
その源 source は言葉 word を超越 beyond している。」


”Look inside yourself. 
Who is saying these words? 
From where are these words coming? 
That source is beyond the words.”

 

 


初は黙ったままだった、
そして、洞山は叫んだ、
「言いなさい!」


CH’U REMAINED SILENT,
AND TOZAN SHOUTED, 
”SPEAK!”


そうして初は言った、
「それについて争う必要はありません。
争うことは逃すことです。」


CH’U THEN SAID, 
”NO NEED TO FIGHT ABOUT IT. THAT IS THE WAY TO MISS.”


洞山は応えた、
「もし、それが言われていないならば、
いかにして、争うとか逃すことができるのでしょうか?」


TOZAN REPLIED, 
”IF IT HAS NOT BEEN MENTIONED, HOW CAN THERE BE FIGHTING AND MISSING?”


初はこれについて答えることができなかった。


CH’U COULD MAKE NO ANSWER TO THIS.


洞山は言った、
「बुद्धः buddhaḥ ブッダ と 道(Tao タオ)
…次にあなたは経文の話しをするでしょう。」


TOZAN THEN SAID, 
”BUDDHA AND TAO – NEXT YOU WILL TALK OF SUTRAS.” 

 

 


「最初にあなたは बुद्धः buddhaḥ ブッダ と 道(Tao タオ)を述べた、
その後、あなたは経文について話し始めるだろう。


ひとたびあなたが話し始めると、
話しには終わりはない、


そして、あなたが話そうと試していることは
言葉 word を超越 beyond している。」


”First you mention Buddha and Tao, 
and then you will start talking about sutras. 
Once you begin to talk, there is no end to talking, 
and the thing you are trying to talk about is beyond words.”

 

 


初は応えた、
「これについて経文は何と言っているのですか?」


CH’U REPLIED, 
”WHAT DO THE SUTRAS SAY ABOUT THIS?”


洞山は応えた、
「全てが理解された時、言葉は忘れられる。」


TOZAN RESPONDED, 
”WHEN ALL IS UNDERSTOOD, WORDS ARE FORGOTTEN.” 


初は言った、
「これはマインド(思考)mind の病です。」


CH’U SAID, 
”THIS IS SICKNESS OF THE MIND.”


洞山は言った、
「この病は軽いですか重いですか?」


TOZAN SAID, 
”IS THIS SICKNESS SLIGHT OR SEVERE?”


初は洞山へ応えることができなかった。


CH’U COULD MAKE NO REPLY TO TOZAN.

 

 


それが潙山が洞山を雲巖のもとに送った理由だ。


That was the reason Isan sent him to Ungan. 


洞山は偉大な学識の人だった、
そして、ひとたび、彼が彼自身の बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 を見つけたら、
彼は非常に素晴らしい導師 master になるだろう。


He was a man of great scholarship, 
and once he has found his own buddha, 
he will become a very great master. 


普通 ordinary の 教師達 teachers は
洞山を理解することさえできなかっただろう。


Ordinary teachers will not even be able to understand him. 


初は 道(Tao タオ)と 仏教 の 両方の
普通 ordinary の 教師 teacher だった。


Ch’u was an ordinary teacher of Tao and Buddhism both. 


そして、洞山は बुद्धः buddhaḥ ブッダ と 道(Tao タオ)さえ否定することを
あなたは観ることができる。


And you can see that Tozan denied even Buddha and Tao. 


それらの言葉 word は単に指し示すだけだ、
それらは説明していない。


Those words only indicate, they don’t describe. 


そして、洞山は初に言った、


And he said to Ch’u, 


「もし、あなたが話し続けるならば、
すぐに、あなたは経文について話し始めるだろう。」


”If you go on, soon you will start talking about sutras.”


あなたは洞山の哲学的な取り組み approach を観ることができる。


You can see his philosophical approach. 


今では、洞山は〈 真理 truth 〉を見つけた、
ただの学者であるならば彼と話すことさえ非常に難しい。


Now that he has found the truth, 
it is very difficult for anybody who is just a scholar even to talk with him. 


洞山はどんな学識の者でも非常に容易く負かすことができるだろう。


He will be able to defeat any scholarly person very easily.


बुद्धः buddhaḥ ブッダ と 道(Tao タオ)でさえも
正確な体験 experience ではない
と言っている洞山を観て、
教師 teacher である初は言った、


Seeing that Tozan is saying that even Buddha and Tao are not exactly the experience, 
Ch’u, as a teacher, said, 


「これについて経文は何と言っているのですか?」


”What do the sutras say about this?” 


初はまだ経文について話している…


He is still talking about sutras – 


「この不可知の、この言い表せないことについて
経文は何と言っているのかな?
それは बुद्धः buddhaḥ ブッダ と 道(Tao タオ)を超越 beyond していると
あなたが指し示していることは。」


”What do the sutras say about this unknowable, this inexpressible? 
You are indicating that it is beyond Buddha and beyond Tao.”


洞山は言った、


Tozan said, 


「全てが理解された時、言葉は忘れられる。


ひとたび、あなたがそれを知ったら、
ひとたび、あなたがそれを味わったら、
あなたは静かに silent なる。」


”WHEN ALL IS UNDERSTOOD, WORDS ARE FORGOTTEN. 
Once you have known it, 
once you have tasted it, 
you become silent.” 


もちろん、教師 teacher はこの点について同意しないだろう。


Of course a teacher will not agree on this point.

 

 


初は、怒って、言った、
「これはマインド(思考)mind の病です。」


CH’U, in anger, SAID, 
”THIS IS SICKNESS OF THE MIND.”


洞山は言った、
「この病は軽いですか重いですか?」


TOZAN SAID, 
”IS THIS SICKNESS SLIGHT OR SEVERE?”

 

 


何の種類の病いかな?


What kind of sickness? 


それは病いではない、
しかし、教師 teacher はマインド(思考)mind に閉じ込められている。


It is not sickness, 
but a teacher is confined to the mind. 


あなたがマインド(思考)mind を超越 beyond したことを言うのは
あなたは単に意味のないことを話している。


You say anything beyond the mind 
and you are simply talking nonsense. 


あなたは病気だ、
あなたは狂気だ、
あなたは異常だ。


You are sick, 
you are mad, 
you are insane. 


教師 teacher はマインド(思考)mind に閉じ込められている、
導師 master はマインド(思考)mind を超越 beyond している。


A teacher is confined to the mind, 
a master is beyond the mind.


この病は軽いですか重いですか?
という洞山の問いに
初は応えることができなかった。


Ch’u could make no reply to Tozan’s inquiry whether this sickness was slight or severe.

 

 


ある日、僧の秋之坊が彼の俳句の友を訪ねた。


ONE DAY THE MONK AKINOBO, WENT TO VISIT A POET FRIEND OF HIS. 


話しをしていると、彼は
1年の毎日に詠んだ句集を作った
ことを述べた。


CHATTING, HE MENTIONED THAT HE HAD MADE A COLLECTION OF POEMS – ONE FOR EACH DAY OF THE YEAR. 


彼は彼にその1つを詠んだ、


HE READ HIM ONE:


1月4日よろずこの世を去るによし


THE FOURTH DAY OF THE NEW YEAR; WHAT BETTER DAY
TO LEAVE THE WORLD?


その日はまさに1718年の1月4日だった。


THAT VERY DAY WAS THE FOURTH DAY OF THE FIRST MONTH OF THE YEAR 1718. 


その句を詠み終えるとまもなく
秋之坊は彼の頭をこっくりさせて死んだ。


NO SOONER HAD HE FINISHED RECITING THE VERSE THAN AKINOBO NODDED HIS HEAD AND DIED.

 

 


禅 zen の 導師達 masters は
いかにして生きる live かを知っているし、
いかにして死ぬ die かも知っている。


Zen masters know how to live and also know how to die. 


禅 zen の 導師達 masters は
生 life を深刻にとらないし、
死 death も深刻にとらない。


They take neither life seriously nor death seriously. 


深刻さは
存在 existence に対する病んだ見方だ。


Seriousness is a sick way of looking at existence. 


完全の人は
生きる live ことを愛するだろうし、
死ぬ die ことを愛するだろう。


A man of perfection will love to live, and will love to die. 


その人の生 life はダンスであるだろうし、
その人の死 death は歌であるだろう。


His life will be a dance, and his death will be a song. 


生 life と 死 death の間に区別はないだろう。


There will be no distinction between life and death.

 

 


質問 4 Question 4 


マニーシャの質問


Maneesha’s question: 


親愛なる osho、


BELOVED OSHO,


哲学者 カール ヤスパース
彼の本「哲学」の第3巻の中でこう書いています、


THE PHILOSOPHER KARL JASPERS, WRITES IN VOLUME THREE OF HIS BOOK, ‘PHILOSOPHY’: 


「現実・本物・真実・実在 reality について真の質問を尋ねることは、
人は思考 thought を持ち、調べ、
そして、区別によってその人自身を定めてきたはずだ…
現実・本物 real とは測られることができるものだ、
私達の感覚は規則に従って空間と時間の中で知覚できるものだ、
少なくとも、適切な物差しによって、管理または計算されることができるものだ。」


”TO ASK REAL QUESTIONS ABOUT REALITY, 
MAN MUST HAVE THOUGHT, INVESTIGATED, AND ORIENTED HIMSELF BY DISTINCTIONS... 
REAL IS WHAT CAN BE MEASURED, 
WHAT OUR SENSES CAN PERCEIVE IN SPACE AND TIME ACCORDING TO RULES, 
WHAT CAN BE CONTROLLED OR CALCULATED, AT LEAST, BY APPROPRIATE MEASURES.”


意見をいただけますか?


WOULD YOU LIKE TO COMMENT?

 

 


(osho)


マニーシャ、カール ヤスパースは偉大な哲学者だ、
しかし、彼は導師 master ではない。


Maneesha, Karl Jaspers is a great philosopher, but he is not a master. 


彼が言っていることは 物質 matter の定義だ。


What he is saying is the definition of matter. 


正確には、「物質 matter」という言葉 word は
संस्कृतम् saṃskṛtam サンスクリット
「मात्रा mātrā マトラ」という言葉 word から来ている。


Exactly the word ‘matter’ comes from the Sanskrit word matra. 


「मात्रा mātrā マトラ」とは
測られることができるもの、という意味だ。


Matra means that which can be measured. 


「物質 matter」とは
測られることができるもの、という意味だ。


Matter means that which can be measured. 


そして、測られることができないもの、
それがあなたの現実・本物・真実・実在 reality だ。


And that which cannot be measured is your reality.


カール ヤスパース
現実・本物・真実・実在 reality と 物質 matter を
混同している。


Karl Jaspers is confusing reality with matter. 


物質 matter は 現実・本物 real だ、


しかし、現実・本物・真実・実在 reality は
はるかに物質 matter 以上のものだ、
それは意識 consciousness も含む、
意識 consciousness は測ることができないものだ。
あなたはどんな手段でもそれを測ることはできない。


Matter is real, 


but reality is far more than matter; 
it also includes consciousness, which is not measurable. 
You cannot measure it by any means. 


あなたは何フィートの意識 consciousness を持っていますか?
または、何マイル、または、何キロメートル?


How many feet of consciousness do you have, or how many miles, or how many kilos...?


物質 matter は測られることができるものだ、
そして、意識 consciousness は測られることができないものだ。


Matter is that which can be measured,
and consciousness is that which cannot be measured. 


そして、ヤスパースは彼自身を
唯一の現実・本物・真実・実在 reality として
物質 matter に限定している。


And Jaspers is confining himself to matter as the only reality. 


彼はまったく間違っている。


He is absolutely wrong. 


物質 matter については、彼は正しい、
しかし、現実・本物・真実・実在 reality については、彼は間違っている、


なぜなら、現実・本物・真実・実在 reality は
はるかに物質 matter 以上のものだからだ。


About matter he is right, 
but about reality he is wrong, 
because reality is much more than matter.


カール ヤスパースでさえ
彼の意識 consciousness が何キロメートルだと
言うことができない。


Even Karl Jaspers cannot say how many kilos of consciousness he has. 


意識 consciousness を測る方法はない。


There is no way of measuring consciousness. 


そして確かに、カール ヤスパースでさえ
彼に意識 consciousness があることを
否定することはできない。


And certainly, even Karl Jaspers cannot deny that he has consciousness. 


「誰 who」が否定しているのかな?


Who is denying?

 

 


ムラ ナスルディン mulla nasrudin についての小さい物語を思い出した…。


I am reminded of a small story about Mulla Nasruddin....


彼はレストランで友達に彼の気前良さについて話していた。


He was talking about his generosity to friends in a restaurant. 


友達は言った、


The friends said, 


「あなたは単に気前良さについて話しているが、
私達はあなたのどんな気前良さもけっして見たことがない。
あなたは一杯のお茶のために私達を招待さえしたことがないんだ。」


”You are simply talking about generosity, 
but we have never seen any generous act on your part. 
You have not even invited us for a cup of tea.”


ムラは言った、


Mulla said,


「さあおいで!あなた方みんなは招待されたよ
…レストランの中にいるみんなだ。
我が家 home へ夕食においで。」


Come on! You are all invited – the whole crowd in the restaurant. 
Come to my home for dinner.”


みんなは信じられなかった!


They could not believe it! 


みんなこのムラが非常にケチであることを知っていた。


They knew that this was a very miserly man. 


ムラは自分の気前良さを自慢したがために
このようなことにつかまってしまった。


He had been caught just because he was boasting about his generosity.


みんなが彼の家に近づくにつれて、
ナスルディンは妻のことに気づき、
そして、不必要に自分自身にトラブルを持ち込んだことに気づいた。


As they were approaching his home, Nasruddin became aware about his wife, and that he had brought a trouble to himself unnecessarily. 


さて、どうやって妻を納得させようか?


Now how was he going to convince his wife? 


まず第1に、ムラは野菜を買ってくると朝出かけたのに、
夕方まで帰っていなかったし、
そして今では、大勢の人々と一緒に帰って来た。


In the first place, he had gone in the morning to fetch some vegetables, 
and he had not returned till evening, 
and now he was coming with a crowd of people.


だから、ムラはみんなに話した、


So he told the crowd, 


「あなた方は夫婦の間の問題がわかりますよね。
少しの間ちょっと外で待っていてください。
まず最初に、数人の友達を招待したことを妻に説得してこよう。」


”You understand the problem between a husband and wife. 
You just remain outside for a few minutes. 
First let me go in to convince my wife that I have invited a few friends.”


そうしてムラは中に入って、ドアを閉めて、
間違って大勢の人々を招待したことを妻に話した
…「さて、あなたは私を助けなければならないよ。」


So he went in, closed the door, and told his wife that by mistake he had invited a crowd 
– ”Now you have to be a help to me.”


妻は言った、


The wife said, 


「私に何ができますか?
家の中には何ひとつもありません
…あなたは1日中どこかへ行っていて
…野菜さえありません。」


”What can I do? There is nothing in the house – you have been away the whole day... not even vegetables.”


ムラ ナスルディン は言った、


Mulla Nasruddin said, 


「それは要点ではないよ。
あなたはただドアに行って
なぜ集まっているのか人々に尋ねなさい。
 
”That is not the point. 
You simply go to the door and ask the people why they are crowding there. 


当然、彼らは
私が彼らを夕食に招待したからだ
と言うだろう。


Obviously they will say that I have invited them for dinner. 


あなたはただそれを否定しなさい。


You simply deny it. 


ただこう言いなさい、


Simply say, 


「ムラ ナスルディンは朝からずっと家にいません。」


‘Mulla Nasruddin has not been home since morning.’ 


あなたはただ行って彼らにこう話すのだ、


You just go and tell them, 


「帰ってください。ムラはここにいません。」」


‘Go away. He is not here.’”


妻は不思議に思ったが、何かをしなければならなかった。


The wife was puzzled, but something had to be done. 


彼女はドアを開けた、
そして、ムラ ナスルディン は2階の窓から何が起こっているのかを見ていた。


She opened the door, and Mulla Nasruddin was watching what was happening from the second-story window. 


妻は言った、


The wife said, 


「ムラは家の中にいません。
あなた方は誰を待っているのですか?」


”He is not in the house. 
For whom are you waiting?”


人々は言った、


They said, 


「ムラは私達と一緒に来たし、
彼は私達の先頭を歩いていたよ。
私達みんなが目撃者だ。
ムラは私達を夕食に招待した
…おそらくあなたは知らないかもしれないが、
ムラは家の中に入って行ったんだ。」


”He came with us, and he went on in front of us. 
We are all witnesses. 
He has invited us for the dinner – perhaps you don’t know, but he has gone inside the house.”


妻は言った、


The wife said, 


「ムラは家の中にいません。」


”He is not inside the house.”


人々は言った、


They said, 


「これは奇妙だ。私達はムラと一緒にやって来た。
ムラは私達にここで待つように話したよ。
あなたはちょっと家の中に入って調べてみて。
ムラは中で見ているに違いない、
または、あなたを探しているに違いないよ。」


”This is strange. We came with him. 
He has told us to wait here. 
You just go in and find out. 
He must be inside watching, or looking for you.”


妻は人々を家の中に入れようとしなかった。


The wife would not let them in. 


人々は家の中に入ろうとした。


The crowd tried to go in. 


人々は言った、


The crowd said, 


「私達みんなはあなたの夫の友達だ。
私達に家の中を見せてください!」


”We are all friends of your husband. 
Let us look inside!”


その状況を見ていたムラは、2階から叫んだ、


Mulla, seeing the situation, shouted from the upper story, 


「これはまったくバカげている!
彼女がムラは家の中にいないと言っている時は、
ムラは家の中にいないんだ!
かわいそうな女性に抗議してあなた達は恥ずかしいと感じないのか?
ムラはあなた達と一緒に来たかもしれないが、
裏口からまた外に出て行ったかもしれない。」


”This is absolute nonsense! 
When she is saying he is not in, he is not in! 
Don’t you feel ashamed challenging a poor woman? 
He may have come with you, but he may have gone out again from the back door.”


そして、ムラ自身がそれを話していた…。


And he himself was talking....

 

 


ちょっと カール ヤスパース にこう尋ねてごらん、
「あなたの意識 consciousness は不幸ですか?」


Just ask Karl Jaspers, 
”Is your consciousness miserable?” 


もし、彼が、
彼には意識 consciousness はない、
と否定するならば、


すると、「誰 who」が否定しているのかな?


If he denies that he has consciousness, 
then who is denying? 


彼がそれを否定しなければならないか、
または、彼がそれを受け入れなければならないか、
どちらの場合にしても、
彼の否定でさえ意識 consciousness の証明であるだろう。


Either he has to deny it or he has to accept it, 
but in every case even his denial will be a proof of consciousness.


この奇妙なことは
カール ヤスパース だけについてのことではなく、
全ての世界中の哲学者達についてのことだ。


This is a strange thing about not only Karl Jaspers, but about all the philosophers of the world. 


彼らは
物質 matter だけが存在する exist 
と言い続けている、


なぜなら、物質 matter は
目 eyes、
耳 ears、
手 hands、
あなたの全ての感覚 senses によって
体験 experience されることができるからだ。


They go on saying that only matter exists, because matter can be experienced by eyes, by ears, by hands, by all your senses. 


物質 matter は測られることができる、
ゆえに、物質 matter は唯一の現実・本物・真実・実在 reality だ。


It can be measured, hence, it is the only reality. 


しかし、〈 真理 truth 〉は、
計測できない存在 existence を否定する者達でさえ
彼らの否定の中であっても受け入れられている、
意識 consciousness だ。


But the truth is that even those who deny the existence of the immeasurable are accepting even in their denial, consciousness. 


さもなければ、「誰 who」が否定しているのかな?


Otherwise, who is denying?


それは非常に驚くべきことだ
カール ヤスパース のような偉大な知性 intellectual、
今世紀の非常に立派な哲学者が、
愚かな人のようなことを話すことは。


It is very amazing that a great intellectual like Karl Jaspers, a very respectable philosopher of this century, talks like a stupid man. 


しかし、全ての哲学者達は愚かな人達のようなことを話す。


But all philosophers talk like stupid men. 


測られることができるものだけが 現実・本物・真実・実在 real だという彼の言うことは、
まったく間違っている。


His saying that only that which can be measured is real, is absolutely wrong. 


測られることができるものは物質 matter だ、
そして、
測られることができないものもまた現実・本物・真実・実在 real だ、
しかし、それは意識 consciousness だ。


That which can be measured is matter, 
and that which cannot be measured is also real, but it is consciousness.


私達の探究は計測できないものだ。


Our search is for the immeasurable. 


計測できるものは科学者達に任せることができる。


The measurable can be left to the scientists. 


神秘家達は計測できないものに関心を示す。


The mystics are concerned with the immeasurable.

 

 


Now, it is time for Sardar Gurudayal Singh....

 


Captain Codfish, the old pirate, is in the Stoned Seagull Pub one night, telling stories from his life at sea.


”I had a parrot once,” declares Codfish, drinking his rum. 


”He was the most incredible bird! 
He could imitate anything – Charlie Chaplin, Jack the Ripper, Marilyn Monroe, Pope the Polack... even Nancy Reagan!”


”Wow!” says Igor, the barman. 


”Where is he? What happened to him?”


”Ah!” cries the old pirate. 


”Times got hard, and I got hungry – I ate him!”


”You ate your parrot?” cries Igor in disgust. 


”What did he taste like?”


”He tasted just like turkey,” replies Codfish. 


”That parrot could imitate anything!”

 


Paddy has a late night at the pub, and when it closes, he staggers outside in a drunken stupor. 


He wanders around the streets trying to remember which way to go home, and finally gives up. 


Paddy sits down on the street and looks all around him until a taxi pulls up beside him.


”Ah!” groans Paddy, clambering into the back and lying down on the seat. 


”Can you take me to number five, Fergus Street?”


The cabdriver looks around at Paddy and replies, 


”Hey, mister, this is number five, Fergus Street!” 


”Ah!” groans Paddy. 


”Alright! But next time, don’t drive so fast!”

 


On a foggy morning in Vienna, Austria, the two famous psychoanalysts, Doctor Sigfried Mind, and Doctor Krazy Karl Kong, meet in the little Brown Danube Cafe.


Over a table set with coffee and cream cakes, Doctor Kong suddenly jumps up, grabs Sigfried by the neck, and shakes him.


”We must go this time!” shouts Karl. 


”We have tried six times already! 
We must go to the pyramids in Egypt to see the mummies!”


”MUMMIES?” screeches Sigfried, collapsing into the cream cakes in a dead faint. 


Doctor Kong pours coffee on Doctor Mind’s head until he recovers.


”Come on, Mind,” cries Doctor Kong, slapping him across the face. 


”We can do it! We have to explore this mystery of death!”


”DEATH?” screeches Mind, and he faints again into the plate of cream cakes.


Half an hour later, at the Vienna airport, Doctor Krazy Karl Kong is dragging Doctor Sigfried Mind by the collar onto the plane bound for Cairo.


”Come on, Mind!” cries Krazy Kong, huffing and puffing. 


”We have made it this far, we have got to see those mummies!”


”MUMMIES?” screeches Sigfried, falling in a faint on top of Nellie Knickers, the stewardess.


Kong and Nellie drag Mind to his seat, and strap him down. 


The plane takes off, and three hours later, arrives in the Land of the Pyramids. 


Kong carries the babbling Doctor Mind to the herd of rented camels, which are waiting to take them to the pharaohs’ tombs.


Doctor Kong shouts out to their guide, Abdul Babul, 


”Take us to the mummies!”


”MUMMIES?” screeches Mind, fainting and falling straight off his camel, nose first, into a sand dune.


Two days later, the famous psychoanalysts and their camels arrive at the huge pyramids. 


Doctor Kong jumps down, lights a torch, grabs Doctor Mind by the collar, and starts dragging him into the dark, mysterious crypts.


Suddenly, in the darkness, Doctor Kong trips over something.


”What is that?” screeches Mind.


”Ah! It is alright – it is only a dead cat!” exclaims Doctor Kong.


”DEATH!” screeches Mind. 


And he falls over in a cold faint.


”Pull yourself together, Doctor!” shouts Kong. 


”We are almost there!”


And Kong grabs Sigfried by the shoe, and drags him feet first towards a huge golden coffin. 


”Stand up!” cries Doctor Kong, propping Mind up against the wall, and handing him the burning torch.


Then Krazy Karl Kong bends over and lifts back the heavy, creaking coffin lid. 


The lid falls to the ground with a loud crash, and when the dust clears, Doctor Kong is left standing with his mouth wide open, gazing at the spooky sight before his eyes.


He turns and grabs the frozen Doctor Mind by the collar and pulls his face down into the coffin. 


”There!” shouts Kong, in triumph. 


”This is a MUMMY!”


”MUMMY?” screeches Sigfried. 


But he just stares in disbelief, with his eyes popping out. 


”MUMMY?” he screeches again. 


”Hey, this looks more like daddy!”

 

 


その時だ、ニヴェダノ…


It is time, Nivedano…


(ニヴェダノが太鼓をたたく)
(ジベリッシュ瞑想をする)


(Drumbeat) 
(Gibberish) 


ニヴェダノ…


Nivedano…


(ニヴェダノが太鼓をたたく)


(Drumbeat)

 

 


静かに…


Be silent…


目を閉じて…


Close your eyes…


あなた自身が完全に凍っていると感じなさい。


and feel yourself completely frozen. 


内向 inward に入るためにふさわしい瞬間だ。


This is the right moment to enter inwards.


全てのあなたのエネルギー、あなたの全一の意識を集めなさい、
そして、深く強烈に切迫して内なる中心へと急いで向かいなさい。


Gather all your energy, your total consciousness, 
and rush towards the inner center with deep intensity and urgency.


中心 center(中核 core)は
お臍よりちょうど2インチ下、
肉体 body の内側にある。


(2インチ…約5センチ)


The center is just two inches below the navel, inside the body. 

 

 

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「内向 inward」と「上昇 upward」は 同意 synonymous 

『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。


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もっと速く…もっと速く…


Faster… and faster… 


もっと深く…もっと深く…


Deeper… and deeper…


『存在 being』の中心 center(中核 core)により近づくほど、
大きな静けさがあなたに降りる、
そして、平和、至福、光が
あなたの内側全体を満たす。


As you come closer to the center of being, 
a great silence descends over you, 
and inside a peace, a blissfulness, a light that fills your whole interior. 


これがあなたの本来の『存在 being』だ、


This is your original being. 


これがあなたの बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 だ。


This is your buddha.


この瞬間に、観照しなさい witness 


あなたは


肉体 body ではない、
マインド(思考)mind ではない、
心 heart ではない、


しかし、単なる
純粋な観ること witnessing そのものだ、
純粋な意識 consciousness だ。


At this moment, witness that you are not the body, not the mind, not the heart, 
but just the pure witnessing self, the pure consciousness. 


これが
あなたの仏性 buddhahood、
あなたの隠れている本性 nature、
あなたの宇宙 universe との出会いだ。


This is your buddhahood, your hidden nature, your meeting with the universe


これらがあなたの根元だ。


These are your roots.

 

 


くつろいで…


Relax…


ニヴェダノ…


Nivedano…


(ニヴェダノが太鼓をたたく)


(Drumbeat)


くつろいで…


Relax…

 

 


そして、ただ沈黙の観照者 witness でありなさい。


and just be a silent witness.


あなたは海 ocean の中の氷山のように溶けはじめる。


You start melting like ice in the ocean. 


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ公会堂は
意識 consciousness の海の場になる。


Gautama the Buddha Auditorium becomes an oceanic field of consciousness. 


あなたはもはや分離 separate ではない


…これは存在 existence とあなたの『1つであること oneness』の体験だ。


You are no longer separate 
– this is your oneness with existence.


存在 existence と『1つ one』であることは
बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 であることだ、
『1つであること oneness』があなたのまさに本性 nature だ。


To be one with existence is to be a buddha, 
it is your very nature. 


それは捜したり、見つけたりする問題ではない、


あなたはそれだ、ちょうど今。
 
It is not a question of searching and finding, 
you are it, right now.


花々、芳香、炎と火、無限の全てを集めなさい、


そして、戻って来る時に
あなたと一緒にそれを持って来なさい。


Gather all the flowers, the fragrance, the flame and the fire, the immeasurable, 
and bring it with you as you come back.

 

 


ニヴェダノ…


Nivedano…


(ニヴェダノが太鼓をたたく)


(Drumbeat)

 

 


戻っておいで、平和に、沈黙に、
बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 として。


Come back peacefully, silently, as a buddha.


たった数秒間あなたが目を閉じるだけで


その道 path と


あなたが見つけた源 source と


あなたが体験したその बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 の本性 nature を


を思い出す。


Just for a few seconds close your eyes 
and remember the path 
and the source you have found, 
and the buddha nature that you have experienced.


この瞬間、あなたは地球で最も祝福されている人々だ。


This moment you are the most blessed people on the earth. 


बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 として
あなた自身を想起することは
最も貴重な体験だ、


なぜなら、
それはあなたの永遠だからだ、
それはあなたの不死だからだ。 


Remembering yourself as a buddha is the most precious experience, 
because it is your eternity, it is your immortality.


それはあなたではない、
それはあなたのまさに存在 existence だ。


It is not you, it is your very existence. 


あなたは星々と木々と空 sky と 海 ocean と『1つ one』である。


You are one with the stars and the trees and the sky and the ocean. 


あなたはもはや分離 separate ではない。


You are no longer separate.

 

 


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダの最後の言葉は
サマサティ sammasati だった。


The last word of Buddha was sammasati. 


思い出すように
あなたは बुद्धः buddhaḥ ブッダ 目覚めた人 であることを
…サマサティ sammasati。


Remember that you are a buddha – sammasati. 


(サマサティ sammasati…正しく想起する right remembrance。)

 

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よいかな、マニーシヤ?


Okay, Maneesha?


はい、Osho。


Yes, Osho.

 

 


from osho talks


The Zen Manifesto: 禅宣言
Freedom From Oneself 自分自身からの自由


Talks given from 20/02/89 pm to 10/04/89 pm 
English Discourse series


chapter 11 : Sammasati – the last word
サマサティ…最後の言葉


10 April 1989 pm in Gautam the Buddha Auditorium

 

 


これは osho の最後の講話 discourse の最後の章です。


गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダも osho も
最後の言葉は サマサティ sammasati です。


この講話 discourse の英語の本があります。
また、和訳された本もあるようですが、売り切れのようなので、
ど素人ですが頑張って和訳してみました。

 


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beloved friends
please just relax then everything will be fine.

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I have nothing, but I present for you the aroma of eternal flowers 〜♩♫♬
なにもないけど、永遠に咲く花の香りをあなたに贈るよ〜♩♫♬

 

 

 

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subtle body and chakra について
英語の講話の1チャプターだけです。
yoga : the alpha and the omega, vol 9 ch1
http://oshosamadhi.hatenadiary.com/entry/2018/01/13/000901


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『存在 being』魂 soul と 第2 चक्र cakra chakra チャックラ は同じではありません。

「内向 inward」と「上昇 upward」は 同意 synonymous 

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I have come not to teach but to awaken.
http://oshosamadhi000.hateblo.jp/entry/2018/01/13/002020

 

 


beloved osho
beloved all enlightened masters 
beloved all
 
 
 
”The last word of Buddha was sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.”
 
 
 
sammasati
It means right remembrance.
サマサティの意味は ”正しく想起する”。
 
 


meditation & love
 
 
 
osho samadhi समाधिः

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