それは『存在 being』を
「忘れている forget」ことだけです。
『存在 being』さえ
「正しく想起する right remembrance」ことができれば
人間のあらゆる問題はなくなります。
生まれもしなければ死にもしない
無限 infinite のエネルギー energy である
不死 immortal です。
この 宇宙 universe と
その中にある全ての 存在 existence の
中心 center(中核 core)にある
生命 life の 源 source であり
宇宙 universe の 意識 consciousness である
愛 love と 光 light の
とても 微細 subtle な エネルギー energy です。
あらゆる 存在 existence の
物質 matter の 体 body が
お互いに個別に分かれ離れていても
全ての 存在 existence は 孤島 island ではなく
それ単独では 存在する exist ことができない
全てとなんらかの繋がりや関わりがある
お互いに 相互依存 interdependence の状態で 存在する exist
『1つ one』の 有機体 organic unity であり
『1つであること oneness』の状態ですが、
エネルギー energy 的にも
この 『1つ one』の 宇宙 universe は
あらゆる 存在 existence の
物質 matter の 体 body が
お互いに個別に分かれ離れていても
全ての 存在 existence の
中心 center(中核 core)である『存在 being』で
『1つ one』に繋がっている
『1つ one』の 有機体 organic unity であり
『1つ one』の エネルギー energy であり
『1つ one』の 意識 consciousness です。
真っ白い一筋の 光線 ray は エネルギー energy です。
多面体の プリズム prism は 物質 matter です。
光 light の エネルギー energy は
物質 matter を通ると「分割 divide」します。
たとえば…
真っ白い一筋の 光線 ray を
多面体の プリズム prism に通すと
虹 rainbow のような
7つの 色 color に「分かれ divide」ます。
7つの 光 light の 色 color を混ぜると
それは真っ白い一筋の 光線 ray になります。
それは『1つ one』の 色 color になります。
(物質 matter である絵の具の色は混ぜると黒になり、
エネルギー energy である 光 light の色は混ぜると白になります。)
空 sky にある 虹 rainbow は
太陽 sun の真っ白い 光 light が
空気中にある水滴を通るときに
7つの 色 color に「分かれた divide」ものです。
虹 rainbow の 7色 color は
人間の目に見える 可視 visible である
可視光線 radiant rays です。
その 可視光線 radiant rays の
赤 red から 紫 violet までの 色 color には
それぞれ異なる 周波数 wavelength の 波動 vibration があります。
チャックラ chakra चक्र cakra にも
色 color がありますが
それぞれの チャックラ chakra चक्र cakra に
異なる 周波数 wavelength があるからです。
“Yoga : The Alpha and the Omega, Vol 9”
Talks on the Yoga Sutras of Patanjali
二元性のどちらかの 極 pole に偏っている
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の
アンバランス(偏り)unbalance の状態ならば、
それはいつも揺らぎ不安定なので
緊張 tension の状態であり
体 body と 心 heart が
不健康 unhealthy である可能性があります。
二元性のどちらかの 極 pole に偏る
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の状態であり、
中心 center(中核 core)にある『存在 being』と同じ
中庸 moderation / middle の
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態ではない時、
チャックラ chakra चक्र cakra が適切に開いていない時
チャックラ chakra चक्र cakra と
微細なエネルギーの身体 subtle energy body は
暗く dark どんよりとしています。
無明 darkness …
体 body と 心 heart が
『存在 being』と異なり
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の状態で
暗く dark どんよりとしているときは、
『存在 being』を
「忘れている forget」状態であり
しかも
「正しく想起する right remembrance」ことができない状態です。
それは
目を閉ざし耳を塞いだ暗い中で
夢 dream を見るような(現実逃避 escape)
無意識 unconsciousness の状態で生きるので
本来の道から外れて迷子のようにさ迷い
Home に帰れなくなり
緊張し tense 不安になって 苦しむ suffer
暗闇 dark の
無明 darkness の状態のことです。
二元性のどちらの 極 pole にも偏らない
両極の真ん中 middle にある
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の
バランス(中庸)balance の状態ならば、
それはいつも中心に定まり安定しているので
くつろぎ relax の状態であり
体 body と 心 heart が
健康 healthy である可能性があります。
意識 consciousness の状態
ノーマインド(無思考)no mind
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego
3枚目は 無明 darkness
無意識 unconsciousness の状態
マインド(思考)mind がある
エゴ(欲・自我)ego がある
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』
私たちの 本質 essence である
愛 love と 光 light の エネルギー energy である
『存在 being』の
宇宙 universe 意識 consciousness は
いつも
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態です。
しかし
その『存在 being』が
物質 matter を通るとき
陰陽 yin and yang の
2つの 極 pole に分かれます。
それは真っ白い 光 light の エネルギー energy が
プリズム prism という 物質 matter を通るとき
7色に分かれることと同じです。
エネルギー energy が
物質 matter を通るとき
『1つ one』は『2つ two / dual』に分かれます。
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』になります。
ですから
この 宇宙 universe の中のあらゆるものには
陰陽 yin and yang の 2つの極 pole があります。
陰と陽
負と正
悪と善
不幸と幸福
嫌いと好き
劣ると優れる
低いと高い
女と男
冬と夏
死と生
などなど…
負 negative の 感情 feeling や マインド(思考)mind
冷たい cold
苦しみ suffering
陽 yang の 極 pole は
正 positive の 感情 feeling や マインド(思考)mind
熱い hot
苦しみ suffering
中庸 moderation / middle
ノーマインド(無思考)no mind
涼やか cool
至福 bliss
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態とは
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の
2つの極 pole のどちらにも偏らず
その真ん中 middle の 中庸 moderation にある状態です。
中庸 moderation の状態は
2つの極 pole のどちらにも偏らず
真ん中 middle の 中心 center(中核 core)に定まっているので
安定した
バランス(中庸)balance の状態です。
中庸 moderation の状態であるためには
まず
ノーマインド(無思考)no mind
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego になり
内側 inside にある全ての『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』を
「統合 integration」することが必要です。
それは マインド(思考)mind が
2つの 極 pole のどちらにも偏る
つまり
振り子の時計の振り子が左右に動くような
マインド(思考)mind の動きが無い状態です。
陰でも陽でもなく、
陰陽どちらもありのままを受け入れている
負でも正でもなく、
負正どちらもありのままを受け入れている
悪でも善でもなく、
悪善どちらもありのままを受け入れている
不幸でも幸福でもなく、
不幸幸福どちらもありのままを受け入れている
嫌いでも好きでもなく、
嫌好どちらもありのままを受け入れている
劣るでも優れるでもなく、
劣優どちらもありのままを受け入れている
低いでも高いでもなく、
低高どちらもありのままを受け入れている
女でも男でもなく、
女男どちらもありのままを受け入れている
冬でも夏でもなく、
冬夏どちらもありのままを受け入れている
死でも生でもなく、
死と生どちらもありのままを受け入れている
などなど…
このように
内側 inside にある
全ての『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』が
「統合 integration」の状態の
中庸 moderation であるとき
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』であるとき
人間ははじめて 至福 bliss で満たされます。
これが 光明 enlightenment の状態です。
意識 consciousness の状態です。
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の状態とは
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の
2つの極 pole のどちらかに偏り
その真ん中 middle の 中庸 moderation にいない状態です。
それは
中心 center(中核 core)に定まっていない
不安定な動きのある
アンバランス(偏り)unbalance の状態です。
内側 inside に
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego があるため
その マインド(思考)mind が
2つの 極 pole のどちらにも偏る
つまり
振り子の時計の振り子が左右に動くような
マインド(思考)mind の動きが有る状態です。
陰と陽
負と正
悪と善
不幸と幸福
嫌いと好き
劣ると優れる
低いと高い
女と男
冬と夏
死と生
などなど…
このように
内側 inside にある
全ての『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』のどちらかの 極 pole に
マインド(思考)mind が動いている
「分離 divide」の状態であるとき
人間ははじめて 苦しみ suffering ます。
これが 無明 darkness の状態です。
意識 consciousness の状態
ノーマインド(無思考)no mind
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego
3枚目は 無明 darkness
無意識 unconsciousness の状態
マインド(思考)mind がある
エゴ(欲・自我)ego がある
時制 tense と マインド(思考)mind
人間の マインド(思考)mind は
3つの時間を行ったり来たりして動きます。
「過去 past」
「今ここ now here(現在 present)」
「未来 future」
実際には
「今ここ now here(現在 present)」だけが在り
「過去 past」と「未来 future」は存在しません。
「過去 past」と「未来 future」は
人間の 頭 head の中で想像しているものです。
それを『時間 time』と言います。
つまり
『時間 time』=人間の マインド(思考)mind
のことです。
または
マインド(思考)mind =『時間 time』
と言ってもいいようです。
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態とは
ノーマインド(無思考)no mind
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego
つまり
マインド(思考)mind の動きが無い状態です。
だから『時間 time』が無い状態、
それは 永遠 eternity の状態。
マインド(思考)mind が
「過去 past」にも「未来 future」にも動かない
ノーマインド(無思考)no mind だから
「今ここ now here(現在 present)」にだけ在る状態
それは 至福 bliss の
光明 enlightenment の状態です。
意識 consciousness の状態です。
私たちの 本質 essence である『存在 being』は
いつも「今ここ now here(現在 present)」にだけ在る
終わりもなければ始まりもない
永遠 eternity の中に在る状態です。
「今ここ now here(現在 present)」に在るときだけが
至福 bliss の 愛 love と 光 light の状態。
ノーマインド(無思考)no mind だから
マインド(思考)mind の動きが無いから
音 sound が無い 沈黙 silence の状態。
光明 enlightenment の状態です。
意識 consciousness の状態です。
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の状態とは
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego があるため
つまり
マインド(思考)mind の動きが有る状態です。
マインド(思考)mind が
「過去 past」と「未来 future」を
行ったり来たりする動きが有る状態
だから『時間 time』が有る状態。
マインド(思考)mind が
「過去 past」や「未来 future」に動くとき
私たちは
「今ここ now here(現在 present)」にいない状態
それは今という現実からの 逃避 escape の状態。
それは 苦しみ suffering の
無明 darkness の状態です。
無意識 unconsciousness の状態です。
意識 consciousness の状態
ノーマインド(無思考)no mind
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego
3枚目は 無明 darkness
無意識 unconsciousness の状態
マインド(思考)mind がある
エゴ(欲・自我)ego がある
◯ 体 body
◯ マインド(思考)mind
◯『存在 being』
“The Secret of Secrets, Vol 1 & 2”
Talks on the Secret of the Golden Flower
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密
◯ なぜ、人間は
全ての 本質 essence である
『存在 being』を「忘れる forget」のか?
私たちの 本質 essence は『存在 being』です。
『存在 being』は
私たちの 中心 center(中核 core)です。
『存在 being』は
1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ
一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ です。
『存在 being』は
愛 love と 光 light です。
『存在 being』は
宇宙 universe の 意識 consciousness です。
『存在 being』は
ノーマインド(無思考)no mind
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego です。
『存在 being』は
永遠 eternity です。
しかし
なぜ私たちは『存在 being』を忘れるのでしょうか?
なぜなら私たちが
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を持ち
物事を「分ける divide」からです。
(つまり私たちの 内側 inside が
一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ の状態ではなく
二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ の状態になると
『存在 being』を忘れます。)
体と二元性
body and duality
その 光線 ray は1本です。
1本の白い 光線 ray が
多面体の プリズム prism を通る瞬間
虹 rainbow のように7色に「分かれます divide」。
もし、私たちが 虹 rainbow の7色を1つに混ぜたら
それは白い色になり
それは1つの色になり
それは1本の 光線 ray になります。
(物質 matter である絵の具の色は混ぜると黒になり
エネルギー energy である 光 light の色は混ぜると白になります。)
それと同じように
この 宇宙 universe 全ての
中心 center(中核 core)である『存在 being』は
『1つ one』の
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態なのですが
その『存在 being』の 一雫 one drop が
1つの 物質 matter の中に入る瞬間
その 物質 matter は
雌 female と 雄 male のように
『2つ two / dual』に 分裂します split。
(エネルギー energy である 光 light は
『1つ one』の状態ですが
物質 matter を通る瞬間
『2つ two / dual』またはそれ以上に「分かれ divide」ます。
それは 神秘 mystery というしかありません。)
そういうことで
ほとんどの 存在 existence の 体 body は
1種類に『2つ two / dual』の 性 sex があります。
雌 female と 雄 male というように…
人間には
◯ 体 body
◯ マインド(思考)mind
◯『存在 being』
という 3つの層 layer がありますが
もし、私たちが表面の 層 layer である
体 body だけを見るならば
2つの異なる 性 sex のために
…雌 female と 雄 male(二元性 duality)…
私たちは自然と私たちのマインド(思考)mind の中で
それらを『2つ two / dual』に「分けます divide」
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』。
しかし、もし私たちが
私たちの 内側 inside 奥深くまで見れば
私たちの 中心 center(中核 core)である
『存在 being』は
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』
の状態であることがわかります。
一部分 Osho English Discourse より
“The Secret of Secrets, Vol 1 & 2”
Talks on the Secret of the Golden Flower
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密
2つの目と二元性
two eyes and duality
3つの層 layer の最も表面である
体 body(物質 matter)は
雌 female と 雄 male の
『2つ two / dual』の 性 sex がある
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』であり
目に見える 可視 visible です。
3つの層 layer の 体 body と『存在 being』の間にある
頭 head と 心 heart の中にある
マインド(思考)mind(エネルギー energy)は
「分ける divide」ことが 機能 function なので
いつも『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の状態であり
目に見えない 不可視 invisible です。
3つの層 layer の 中心 center(中核 core)である
『存在 being』(愛 love と 光 light の エネルギー energy)は
いつも『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態であり
目に見えない 不可視 invisible です。
一雫 one drop の『存在 being』が
精子 sperm と 卵子 ovum が受精した
受精卵 fertilized egg の中に入る瞬間
『2つ two / dual』の 性 sex に 分裂 split します。
ですから、ほとんどの 存在 existence は
1種類に『2つ two / dual』の 性 sex があります。
…雌 female と 雄 male(二元性 duality)…
そして、多くの 存在 existence には
2つの目があります。
そして、多くの 存在 existence には
2つの半球の脳があります。
右目は脳の左半球に繋がっていて
それは 男性性 masculine です。
左目は脳の右半球に繋がっていて
それは 女性性 feminine です。
だから、男性 man も 女性 woman も両方 both とも
右目は 内側 inside の 男性 male を表し
左目は 内側 inside の 女性 female を表しています。
その2つの目を通して
私たちは世界を見て知ります。
そして、この2つの目のために
私たちは世界を「分けます divide」
それは 二元 dual です。
一部分 Osho English Discourse より
“The Secret of Secrets, Vol 1 & 2”
Talks on the Secret of the Golden Flower
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密
私たちの2つの目は世界を「分けます divide」。
世界そのものは分けられていません。
真実は『1つ one』です。
それは『2つ two』のように見えます。
なぜなら、私たちの見方が世界を「分ける divide」からです。
それは多面体の プリズム prism を
1本の 光線 ray が通るようなものです。
その 光線 ray は1本です。
1本の白い 光線 ray が
多面体の プリズム prism を通る瞬間
7色になります。
それは虹 rainbow のように7色に「分かれます divide」。
私たちの エネルギー energy が
私たちの2つの目を通して動くと
世界は『2つ two / dual』になります。
すると、私たちは
昼 day と夜 night が 反対 opposite に見え、
生 life と 死 death が 反対 opposite に見え、
愛 love と 憎しみ hate が 反対 opposite に見え、
物質 matter と 意識 consciousness が 反対 opposite に見えます。
私たちの2つの目は
全ての物事を
『2つ two / dual』に「分け divide」
その 2つの極 pole を作ります。
(2つの極 pole = 陰と陽 yin and yang)
一部分 Osho English Discourse より
“The Secret of Secrets, Vol 1 & 2”
Talks on the Secret of the Golden Flower
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密
これらの2つの目のために
…2つであること twoness がマインド(思考)mind を作ります…
私たちは 存在 existence の
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』
を見ることができません。
マインド(思考)mind は
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』を作ります。
マインド(思考)mind は
『1つ one』ということを考える conceive ことが
不可能であるという本質 intrinsic があります。
マインド(思考)mind は
「分けること distinction」が必要です。
『1つ one』は「分けられていないこと distinctionless」です。
マインド(思考)mind の全ての目的は
物事を「区分する demarcate」ことです。
マインド(思考)mind の全ての目的は
物事を「詳細に述べる particularize」ことです。
これは女性 woman
これは男性 man
これは友達 friend
これは敵 enermy
これは食べ物 food
これはただの石 stone
これがマインド(思考)mind の 機能 function です。
マインド(思考)mind の全ての目的は
「区別や差別 distinction」を作ることです。
それはとても 実用的 utilitarian です。
マインド(思考)mind は 役に立ちます useful。
しかし
マインド(思考)mind はただの 実用品 utility であり
マインド(思考)mind は 真実 truth ではありません。
子供が生まれるのと同じように
子供はその子自身の
ラベル(肩書き)
名前の名札
などなど
なにも持って生まれては来ません。
子供はなにも持たずに単に生まれて来ます。
マインド(思考)mind は
さまざまな 思いや考え thought を作り出しますが
その中には
生まれた瞬間には持っていないものを
生まれた後に持たされたものや持ったものも含まれています。
性別 gender
国籍 nationality
名前 name
階級 hierarchy
職種 the kind of job
学歴 educational background
言葉 language
知識 knowledge
etc…
これらの マインド(思考)mind は
生まれた後に持ったものです。
一部分 Osho English Discourse より
“The Secret of Secrets, Vol 1 & 2”
Talks on the Secret of the Golden Flower
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密
マインド(思考)mind と二元性
mind and duality
全ての 存在 existence の 中心 center(中核 core)は
宇宙 universe 意識 consciousness である『存在 being』です。
『存在 being』は
愛 love と 光 light の エネルギー energy であり
全ての『存在 being』の 生命 life の源 source です。
『存在 being』は私たちの 本質 essence です
ですから、私たち全ては
私たちがこの世界に生まれた瞬間では
愛 love がなんであるのか
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』
がなんであるのかをわかっています。
もし、私たちが
愛 love であり
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』ならば
私たちは平和です。
私たちは決して
憎くんだり hate
戦ったり fight
戦争 war をしたりしません。
しかし、地球 earth の世界では
暴力 हिंसा hiṃsā violence がまだあります。
非暴力 अहिंसा ahiṃsā non-violence の状況ではありません。
なぜ?
なぜなら、私たちは
私たちの 本質 essence である『存在 being』
を「忘れている forget」からです。
だから、私たちは
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』
という本来の状態を「忘れている forget」のです。
なぜ私たちはそれを「忘れている forget」のか?
なぜなら
『存在 being』を「忘れている forget」人々が
子供たちに
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』を教えるからです。
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』ではなく…
私たちが生まれた瞬間
私たちは
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態です。
しかし
『存在 being』を「忘れている forget」人々が
子供たちに
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』を教えるため
私たちは『存在 being』を「忘れますforget」。
まずはじめに
人々は私たちに
〈私 I〉と〈他 other〉を教えます。
〈私 I〉と〈他 other〉の『2つ two / dual』の異なりを教えます。
女の子と男の子
小さいと大きい
低いと高い
悪いと良い
冷たいと熱い
冬と夏
などなど…
私たちは「分けること division」を習います。
すると、私たちはいつも
マインド(思考)mind の中で
物事を「分けます divide」。
あらゆる物事を
ジグソーパズルのようにバラバラに切り離していきます。
エゴ(欲・自我)ego と二元性
ego and duality
さらに
『存在 being』を「忘れている forget」人々は
私たちに
〈競争 competition〉と〈野心 ambition〉を
教えます。
最初に〈分けること division〉を教えます。
次に〈競争 competition〉を教えます。
その次に〈野心 ambition〉を教えます。
今や人々は私たちに
〈他 other〉よりもより優れるように
と教えます。
誰が 1番 best ですか?
誰が 最後 last ですか?
誰が 優れて superior いますか?
誰が 劣って inferior いますか?
このような状況の中で
どうやって私たちはお互いに
手をつなぐことができるでしょうか?
〈分けること division〉
〈競争 competition〉
〈野心 ambition〉
それらの優劣の 判断 judge は
私たちの 内側 inside に
エゴ(欲・自我)ego を作ります。
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego は
私たちの 内側 inside に
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の状態を作ります。
すると、私たちは
私たちの本質 essence である
『存在 being』を「忘れます forget」。
私たちが生まれた瞬間にわかっていた
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』
を「忘れます forget」。
『存在 being』を「忘れている forget」ことが
私たちの苦しみ suffering を作ります。
エゴ(欲・自我)ego とは
〈私 I〉というものです。
マインド(思考)mind は
頭 head と 心 heart の中で
〈私 I〉と〈他 other〉というように
『2つ two / dual』に「分けます divide」。
生まれたばかりの頃は
〈私 I〉と〈他 other〉という
マインド(思考)mind は持っていませんから
エゴ(欲・自我)ego を持っていません。
〈私 I〉と〈他 other〉という
境界線 border line が無い
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の
『存在 being』のありのままです。
2つの目が1つになる
two eyes become one eye
真実 reality は
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』です。
私たちの2つの目のために
私たちの見方により世界を「分けます divide」。
すると、私たちは
生 life と 死 death を 反対 opposite に
愛 love と 憎しみ hate を 反対 opposite に
負 negative と 正 positive を 反対 opposite に
見ます。
生 life と 死 death は
生 life - と - 死 death のように
『2つ two / dual』に分かれていません。
真実 reality は
生死 lifedeath のように
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』です。
それは『1つ one』の言葉であるべきです。
『2つ two / dual』ではなく
2つの言葉の間にハイフンですらいりません。
生死 lifedeath は『1つ one』の現象です。
愛憎 lovehate は『1つ one』の現象です。
正負 negativepositiveは『1つ one』の現象です。
しかし、マインド(思考)mind が
この『1つ one』の現象を通るとき
『1つ one』は直ちに
『2つ two / dual』に「分けられます divide」。
生死 lifedeath は 生 life と 死 death になります。
3つの基本
the three fundamentals
第2 : 陰と陽の 2つの 極 pole は 反対 opposite ではなく 補完し合っている complementary。
第3 : 全てには 2つの 極 pole があり、1つの 極 pole だけではない。
“The Secret of Secrets, Vol 1 & 2”
Talks on the Secret of the Golden Flower
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密
私たちの2つの目が1つの目にならない限り
私たちはけっして 宇宙 universe の
分割できないもの indivisible を
わかることはできないでしょう。
なぜなら、私たちの2つの目のために
私たちの 内側 inside に 2つの極 pole を持ちます。
…陰の極 yin pole と 陽の極 yang pole…
私たちの 内側 inside にある 2極 pole
負 negative と 正 positive が出会う時
死 death と 生 life が出会う時
女性 female と 男性 male が出会う時
その出会いは「天国 heaven」と呼ばれています。
…中庸 moderation・middle = 至福 bliss…
もし、虹 rainbow の7色を混ぜると
それは白になります
それは『1つ one』の色になります
それは 光 light になります。
方法 method は同じです。
2つの目が
1つの目 = 第3の目(第6チャックラ chakra)
の中へ動くと
…それは2つの目のちょうど真ん中 middle にある…
突然、全ては『1つ one』である
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』です。
人間の 3つの層 layer の最も表面である
物質 matter である 体 body が
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』であっても
人間の 内側 inside が
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の状態ではなく
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態である
つまりは
2つの目ではなく
1つの目であると
人間は自身が作り出す 苦しみ suffering から
自由に解放されて
再び 至福 bliss になる、ということです。
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の状態を
作っているものは
自分が 所有 possession している
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego ですから
それらを『手放す let go』ことで
再び『存在 being』のありのままの
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の
至福 bliss を生きることができます。
一部分 Osho English Discourse より
“The Secret of Secrets, Vol 1 & 2”
Talks on the Secret of the Golden Flower
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密
◯ どうやって『存在 being』を
「再び思い出す remember」つまり
「正しく想起する right remembrance」のか?
さあ、私たちは私たちの 本質 essence である『存在 being』
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態を
「忘れた forgot」ことがわかりました。
なぜなら、私たちの2つの目のために、
マインド(思考)mind が物事を「分ける divide」からです。
まず最初に私たちは〈私 I〉と〈他 other〉を「分けます divide」、
すると私たちは 内側 inside に マインド(思考)mind と エゴ(欲・自我)ego を持ちます、
そうすると私たちはとてもたくさんの物事を「分け divide」続けます、
そして全てのそれが私たちの 苦しみ suffering を作り出します。
さて、もし私たちが今だに
マインド(思考)mind と エゴ(欲・自我)ego を持っていれば、
私たちは
『1つであること oneness』ऐक्यम् aikyam アイキャ
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』
の状態であることができないことがわかりました、
私たちは私たちの 本質 essence である『存在 being』を
私たちは 至福 bliss であることができないことがわかりました。
さて、もし私たちが本当に 苦しみ suffering を終わりにしたいならば、
まず最初に私たちは私たちの内側 inside にある
マインド(思考)mind と エゴ(欲・自我)ego を
すると私たちの2つの目は1つになります
(それは私たちの 内側 inside の
今この瞬間に、もし私たちが
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
『手放す let go』ことができるならば、
私たちは直ちに私たちの 本質 essence である『存在 being』を
「正しく想起する right remembrance」ことができます。
今この瞬間に、もし私たちが
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
『手放す let go』ことができなければ、
瞑想 meditation はそれらを『手放す let go』ことを
サポートするための ツール tool の1つです。
瞑想 meditation は 癒し healing の ツール tool の1つです。
瞑想 meditation の語源は 薬 medicine からきています。
瞑想 meditation は私たちの 内側 inside を映し出す 媒体 medium を通さずに
私たちの 内側 inside を直接『観ます(観照)see』。
瞑想 meditation
私たちの 内側 inside を『観る(観照)see』
それは 瞑想 meditation と呼ばれるのかもしれません。
瞑想 meditation を通して
私たちは『存在 being』を
『再び思い出す remember』かもしれません。
3つの層
the three layers
人間には3つの 層 layer があります。
◯ 体 body
◯ マインド(思考)mind
◯『存在 being』
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego は
マインド(思考)mind の 層 layer にあります。
『存在 being』の中には
マインド(思考)mind も
エゴ(欲・自我)ego も
どちらもありません。
いつもそれらは 空っぽ empty 無 nothing の状態です。
もし私たちが 内側 inside にある
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
『観る(観照)see』と
それらを『観る(観照)see』だけで
それらは 内側 inside から自然に消え去ります。
それはまるで 空 sky に浮かぶ 雲 cloud が
自然に流れ去るように。
内側 inside に
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego が
無い nothing 状態は
雲 cloud ひとつない 純粋な空 pure sky のようです。
瞑想 meditation は
雲 cloud ひとつない 純粋な空 pure sky の
意識 consciousness の状態に
私たちを導きます。
質問です。
私たちが 内側 inside にある
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
『観る(観照)see』とき
「誰 who」が『観照者 seer』でしょうか?
「誰 who」が
内側 inside にある
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
『観ている(観照)see』のでしょうか?
答えです。
『観照者 seer』とは『存在 being』です。
私たちの 本質 essence である『存在 being』は
内側 inside の最も奥深い 中心 center(中核 core)から
マインド(思考)mind の 層 layer にある
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
『観ています(観照)see』。
『存在 being』は
ノーマインド(無思考)no mind
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego の
愛 love と 光 light ですから
それらの
マインド(思考)mind や
エゴ(欲・自我)ego が
良いとか悪いとかの
優劣の判断 judge をしないまま
ただただそれらを『観る(観照)see』だけです。
ですから、内側 inside をただ『観る(観照)see』だけで
私たちは
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego に
『気づき aware』
私たちは
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
『手放し let go』
同時に
私たちは
『存在 being』にも
『気づき aware』ます。
この大きなヒントを得ましたか?
ですから、瞑想 meditation は
内側 inside にある
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego に
『気づき aware』
『手放し let go』
さらに
私たちの 本質 essence である『存在 being』に
『気づく aware』ことを
…なぜなら『観照者 seer』は『存在 being』だから…
サポートするツールの1つなのです。
ノーマインド(無思考)no mind と
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego の
状態であるときだけ
私たちの2つの目は1つの目になります。
ですから、瞑想 meditation は
私たちの 内側 inside の
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』を
「統合 integration」し
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
になることを助けます。
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
意識 consciousness の状態とは
ノーマインド(無思考)no mind
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego であり
それは 光明 enlightenment の状態です。
もし私たちの 内側 inside の
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』が
「統合 integration」すると
私たちの2つの目は1つになります。
すると、2つの目のちょうど真ん中にある
第3の目、第6チャックラ chakra चक्र cakra が
活性化します。
私たちは
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
の状態であり、
私たちは『存在 being』を 覚えている remember 状態であり、
私たちは 意識 consciousness の状態であり、
私たちの 内側 inside は
ノーマインド(無思考)no mind
ノーエゴ(無欲・無自我)no ego であり、
私たちの チャックラ chakra चक्र cakra は
バランス(中庸)balance の状態であり、
私たちは 至福 bliss に満たされ、沈黙 silence です。
この状態を 光明 enlightenment と呼んだり
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ は
それをニルヴァーナ 解脱 nirvana と呼びます。
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』
無意識 unconsciousness の状態とは
マインド(思考)mind
エゴ(欲・自我)ego があり
それは 無明 darkness の状態です。
もし私たちの 内側 inside の
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』が
まだ「統合 integration」していない場合
私たちの2つの目はまだ1つになりません。
そして、2つの目のちょうど真ん中にある
第3の目、第6チャックラ chakra चक्र cakra が
まだ活性化しません。
私たちはまだ
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』
の状態であり、
私たちは『存在 being』を 「忘れている forget」状態であり、
私たちは 無意識 unconsciousness の状態であり、
私たちは 内側 inside に
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego があり、
私たちの チャックラ chakra चक्र cakra は
アンバランス(偏り)unbalance の状態であり、
私たちは 苦しみ suffering、雑音 noise です。
この状態は 無明 darkness と呼ばれます。
瞑想 meditation
内なる旅 inner journey
私たちの 内側 inside を『観る(観照)see』
それは 瞑想 meditation と呼ばれるのかもしれません。
それはまた 内なる旅 inner journey と呼ばれるのかもしれません。
瞑想 meditation と
内なる旅 inner journey を通して
私たちは『存在 being』を
『再び思い出す remember』かもしれません。
「内向 inward」と「上昇 upward」は 同意 synonymous
私たちの 内側 inside を『観る(観照)see』とき
私たちは 内側 inside 奥深くにある
『存在 being』まで行きます「内向 inward」。
すると、私たちの エネルギー energy は
チャックラ chakra चक्र cakra の高い方へと「上昇 upward」します。
「外向 outward」と「下降 downward」は 同意 synonymous
私たちが 外側 outside を『観る(観照)see』とき
私たちは 外側 outside 遠くまで行きます「外向 outward」。
すると、私たちの エネルギー energy は
チャックラ chakra चक्र cakra の低い方へと「下降 downward」します。
内なる旅 inner journey は
階段 stairs を登り降りするようなものではなく
梯子 ladder を昇り降りするようなものです。
それはまるで 種 seed から生まれ出た 芽や蕾 bud が
真上に高く伸びていき成長するようなものです。
「内向 inward」と「上昇 upward」は花が咲く
花が咲くことは 光明 enlightenment
内側 inside を『観る(観照)see』ことで
エネルギー energy が「内向 inward」し
その エネルギー energy が
チャックラ chakra चक्र cakra を
梯子 ladder を昇るように「上昇 upward」し
第6チャックラ chakra चक्र cakra で
内側 inside にある全ての
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』が
「統合 integration」するとき
私たちの 内側 inside で「上昇 upward」する エネルギー energy は
第7チャックラ chakra चक्र cakra を押し上げ
第7チャックラ chakra चक्र cakra が開き活性化します。
それはまるで泥水から出た 蓮 lotus の花が
水の上の 光 light の中で花開くようなものです。
「外向 outward」と「下降 downward」は花が咲かない
花が咲かないことは 無明 darkness
外側 outside を『観る(観照)see』ことで
エネルギー energy が「外向 outward」し
その エネルギー energy が
チャックラ chakra चक्र cakra を
梯子 ladder を降りるように「下降 downward」し
第6チャックラ chakra चक्र cakra で
内側 inside にある全ての
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』が
「統合 integration」しない状態は
私たちの 内側 inside で「下降 downward」する エネルギー energy は
第7チャックラ chakra चक्र cakra を押し上げることができないため
第7チャックラ chakra चक्र cakra が開き活性化しません。
それはまだ蓮 lotus の花が開かない状態であり
泥水の暗い dark 中で 蕾 bud のままか
泥の暗い dark 中で 芽 bud も出ていない
種 seed のままであるようなものです。
瞑想 meditation
内なる旅 inner journey
光明 enlightenment
第7チャックラ chakra चक्र cakra が開いた後
私たちが全てに感謝をし
明け渡し surrender が起こったら
宇宙 universe の 光 light の エネルギー energy が
滝 waterfall のようにどーと
第7チャックラ chakra चक्र cakra を通して
内側 inside に入ってきます。
宇宙 universe の 光 light の エネルギー energy は
第7チャックラ chakra चक्र cakra から
第1チャックラ chakra चक्र cakra まで
流れ降りていき
そのまま 地球 earth の 中心 center(中核 core)まで流れていきます。
全ての 微細なエネルギーの身体 subtle energy body に流れ行き渡り
全身が 微細 subtle にジ〜ンジ〜ンとして
究極の 至福 bliss で満たされます。
(それを偉大なるオーガズム mahamudra といいます)
それとは別に
宇宙 universe 全ての エネルギー energy が
大洪水のように
全ての方向から 内側 inside 全てに入ってきます。
この圧倒的な力には決して抗うことはできません。
なすがままに身を任せるしかありません。
そのときに
〈私 I〉という 体 body の 内側 inside の『空間 space』と
〈私 I〉の 外側 outside という『空間 space』の
境界線 border line の マインド(思考)mind があると
まるで
風船の中に一気に空気や水が入ってきて
風船が破裂してしまうように
宇宙 universe の エネルギー energy が一気に流れ入ってきて
〈私 I〉というものの中がいっぱいになり破裂してしまうように
苦しくなるので
〈私 I〉という 体 body の 内側 inside の『空間 space』と
〈私 I〉の 外側 outside の『空間 space』の
境界線 border line という マインド(思考)mind は
『手放して let go』おいた方がいいです。
圧倒的な力で大洪水のように押し入って来る
宇宙 universe 全ての エネルギー energy を
恐がらずにありのまま全てを受け入れ
〈私 I〉を『手放し let go』
全てに明け渡す surrender 瞬間
内側 inside の『存在 being』が
宇宙 universe の『存在 being』と
『1つ one』に溶け合い
〈私 I〉というエゴ(欲・自我)ego ではなく
宇宙 universe の 意識 consciousness として
生きていきます。
それはまるで
一雫 one drop の 水 water が
海 ocean に落ちて
海 ocean と『1つ one』になり溶け合い
海 ocean になるようなものです。
体 body は
『存在 being』の
家 house や 車 car のような
媒体 medium です。
『存在 being』は Home です。
このように 光明 enlightenment は
自分でコントロールして起こせるものではなく
宇宙 universe の自然界が起こすものですから
自然に起こるものです。
光明 enlightenment が起こった後は
宇宙 universe 意識 consciousness のまま
この 宇宙 universe が生まれた瞬間からある
宇宙 universe の自然界の 法 law
ES DHAMMO SANANTANO एस धम्मो सनंतनो を
無為自然の道(Tao タオ)を生きていきます。
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ は
ES DHAMMO SANANTANO
एस धम्मो सनंतनो
と言います。ES DHAMMO SANANTANO
एस धम्मो सनंतनो
とは…究極の法 law 、永遠の法 law 、
その 法 law はこの 宇宙 universe の
混沌 chaos ではなく 秩序 cosmos を作る、
その 法 law は宇宙 universe 全体 whole の
このようなすばらしい 調和 harmony の中を走っている。
法 law とは、
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ は
道徳や社会や政治の 法 law を意味してはいない。
法 law とは、
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ は
ダンマ dhamma を意味する。
ES DHAMMO SANANTANO
एस धम्मो सनंतनो
実際には古来よりはじまりは決してない。SANANTANO の意味は
はじまりがない…永遠にそうだった。
ES DHAMMO SANANTANO
एस धम्मो सनंतनो
-- the ultimate law, the eternal law,the law that makes this universe a cosmos instead of a chaos,
the law that runs the whole universe in such tremendous harmony.
By law,
Buddha does not mean any moral, social, political law.
By law
Buddha means dhamma.
ES DHAMMO SANANTANO
एस धम्मो सनंतनो
-- so ancient that in fact there has never been a beginning.SANANTANO means beginningless
-- forever it has been.
“The Dhammapada : The Way of the Buddha”
宇宙 universe 意識 consciousness は
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態です。
光明 enlightenment が起こった後は
つまり
宇宙 universe 意識 consciousness である
『存在 being』の 本質 essence を
「正しく想起した right remembrance」後は
もう2度と 内側 inside が
『二元性 duality द्वैत dvaita ドヴァイタ』の状態になることはできません。
どういうわけかそうならないのです。
私たちの2つの目は1つの目になりました。
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』
『一元性 unity 不二 non-duality अद्वैत advaita アドヴァイタ』の状態になりました。
『存在 being』を
「正しく想起しました right remembrance」。
瞑想 meditation
内なる旅 inner journey
3つの段階の 愛 love
three stages of love
瞑想 meditation や
内なる旅 inner journey を
はじめると
チャックラ chakra चक्र cakra を
梯子 ladder のように昇っていくように
さまざまな学びが起こりますが
その全ての学びは
愛 love である状態を
「正しく想起する right remembrance」学びです。
瞑想 meditation や
内なる旅 inner journey を通して
私たちは 3つの段階の 愛 love を
実際に 体験 experience を通して学びながら
3つの愛 love を
「正しく想起して right remembrance」いきます。
第7チャックラ chakra चक्र cakra
意識 consciousness の状態
最も高い段階の 愛 love です。
慈悲 mercy
慈愛 charity
深い情 compassion
この段階の 愛 love は
涼やか cool で 沈黙 silence です。
冷たく cold も 熱く hot もありません。
愛 love と 光 light の エネルギー energy である
『存在 being』と『存在 being』が
『1つ one』に溶け合っているので
言葉という マインド(思考)mind を使わない
コミュニオン communion 交感 が起こります。
第4チャックラ chakra चक्र cakra
無意識 unconsciousness の状態
2番目の段階の 愛 love です。
愛情 affection
無条件の愛 unconditional love
この段階の 愛 love は
暖か warm です。
心 heart と 心 heart の
コミュニケーション communication 伝達です。
第1チャックラ chakra चक्र cakra
無意識 unconsciousness の状態
最も低い段階の 愛 love です。
体 body による セックス sex の 愛 love
体 body に触れる 愛 love
この段階の 愛 love は
熱い hot です。
体 body と 体 body の
コミュニケーション communication 伝達です。
セックス sex は 梯子 ladder の最も低い段階ですが
セックス sex は 梯子 ladder に 属しています belong。
最も高い段階は
最も低い段階と
同じように 梯子 ladder に属しています belong。
最も低い段階は
最も高い段階を含んでいます。
高い段階とは
最も低い段階が顕現 manifestation したにすぎません。
種 seed は 花 flower を含んでいます。
花 flower は 種 seed の 表現 expression にすぎません。
セックス sex は
種 seed が 暗い dark 泥の中にあるようなものですが、
暗い dark 泥の中の 種 seed は
花 flower を含んでいます。
「梯子 ladder の最も低い段階である セックス sex から
梯子 ladder の最も高い段階である 意識 consciousness まで
昇りなさい。
セックス sex からはじまることが
唯一の自然な正しい道だ。
セックス sex のどの段階でも
行き詰まり動けなく stuck ならないようにしなさい。
すると、千ものの花びらの 蓮 lotus 花 flower が咲くだろう。」
「もし私たちが高みへと昇りたいならば
私たちはこの 地球 earth に深く根を張らなければならない。
私たちはこの 生 life に根を張る必要がある
「今ここ now here(現在 present)」に。
「過去 past」でも「未来 future」でもなく。
すると、私たちは高く成長できる。
すると、私たちの 花 flower は開く。」
“Tao : The Three Treasures, Vol 1”
Talks on Fragments from Lao Tzu’s Tao Te Ching
老子の道徳経
禅 Zen means DHYAN ध्यान.
禅 zen はインドで生まれた。
禅 zen とは ध्यान dhyān ディヤーン という意味だ。
禅 zen は ध्यान dhyān ディヤーン という言葉を
日本語に変えたものだ。
ध्यान dhyān ディヤーン は
インドの意識 consciousness の全努力だ。
ध्यान dhyān ディヤーン の意味は
たった1つの考え thought さえも存在 exist しないで、
とても独りであること alone、
とてもあなた自身の『存在 being』の中へ入ることだ。
実際には、英語では、
ध्यान dhyān ディヤーン の
直接の翻訳 translation はない。
熟考 contemplation はその言葉ではない。
熟考 contemplation の意味は
考えること thinking、
写し出すこと reflection だ。
瞑想 meditation でさえその言葉ではない
なぜなら瞑想 meditation は
瞑想をする meditate 目撃物(客体)object が含まれる involve からだ、
その意味は、何かがそこにある、ということだ。
あなたはキリスト Christ に瞑想する meditate ことができる、
または
あなたは十字架 cross に瞑想する meditate ことができる。
しかし、ध्यान dhyān ディヤーン の意味は
瞑想する meditate 対象がなにもない
とても独りであること alone だ。
目撃物(客体)object がなにもない、
ただ単に観照者 seer(主体)subject が在るだけだ
…雲 cloud 1つない意識 consciousness、
純粋な空 pure sky だ。
ध्यान dhyān ディヤーン の言葉が中国に届いた時
それは禅 チャン ch'an になった。
禅 チャン ch'an が日本に届いた時
それは禅 zen になった。
それはどちらも同じ
संस्कृतम् saṃskṛtam サンスクリット語 の
ध्यान dhyān ディヤーン という語源から来ている。
インドは ध्यान dhyān ディヤーン を生み与えるこができる。
何千年もの間の全インドの意識 consciousness は
ध्यान dhyān ディヤーン の道を旅して来た…
いかにして全ての考え thinking を落とす drop のか、
いかにして純粋な意識 consciousness に根ざすのか。
Osho の 講話 discourse より
Osho English Discourse
“The Grass Grows By Itself”
人々はただ印象づけること impress のために生きている。
人々は内側 inside が本当にとても貧しいに違いない、
なぜなら、
劣っていること inferiority のコンプレックス complex に
苦しむ suffering 人々だけが
他人に印象づけたいからだ。
本当に優れている superior 人は
けっして自分と他人を比べたり compare しない。
その人は自分が
「比較できないもの incomparable」であることを知っている、
それだけではない、
その人は他の人々もまた自分と同じように
「比較できないもの incomparable」であることを知っている。
その人は
優れている superior でも
劣っている inferior でもない。
このすばらしい革命は
1つの秘密の鍵によってのみ可能だ、
その鍵とはもっと注意深く alert なることだ。
もっと注意深く alert あることで、
(同じことを)繰り返すことが減る。
もっと注意深く alert あることで、
新しいやり方を見つけ、
新しい生き方を見つける。
もっと注意深く alert あることで、
もっと創造的 creative になる、
そして、創造的な人々 creative people だけが
なにが幸福 happiness なのかを知る。
あなたが何を創造する create のかは要点ではない…
ただ創造的 creative であることだ。
それは詩 poetry だったり、
それは音楽 music だったり、
それは彫刻 sculpture だったり、
それはなんでもいい、
しかし、その創造的 creative である過程が
あなたを神 God と出会う地点へと連れて行く。
世界の全ての宗教 religion は
神 God は創造主 creator だと言う。
もし、神 God が本当に創造主 creator ならば、
神 God と出会うただ1つの方法は
なんらかの中で創造者 creator になることだろう。
もちろんあなたは神 God のような創造主 creator であることはできない、
しかし、あなたはあなた自身のやり方で小さな創造者 creator であることはできる。
詩 poet を創るとき、
絵 painter を創るとき、
創造的 creativity なそれらの瞬間の中で
人々は神 God と1つである。
それらの瞬間が
人々がなにが神 God であるのかを知る時だ。
しかし、
詩人 poets や
画家 painters や
彫刻家 sculptors は
それらの高みの一瞬の中だけ、ほんの一瞬だけ
それらの充実 plenitude を知るのみだ。
神秘家 mystic
ブッダ 覚者 buddha
導師 master
これらの人々は
1日24時間高みのままで生きる、
なぜなら
これらの人々の創造 creativity は
微細 subtle だからだ、
これらの人々の創造 creativity は
目に見える 可視 visible ではない、
これらの人々の創造 creativity は
目に見えない 不可視 invisible である。
これらの人々は意識 consciousness を創造する create。
最初にこれらの人々は内側 inside で
意識 consciousness を創造する create、
そのあと、
これらの人々は他の人々の中に
意識 consciousness を創造 create しはじめる。
それが導師 master と 弟子 disciple が一緒に集まることだ、
それがブッダフィールド buddhafield を創る create 方法だ。
何千もの探究者 seeker がブッダ 覚者 buddha の周りにいることだ…
ブッダ 覚者 buddha が貫いた penetrate 人々の中でだけ感じることができる
見ることができないなにかを
ブッダ 覚者 buddha が創る create ことで、
探究者 seeker の人々のハートの中で
眠っている何かが目覚め
そして動きを作った。
ブッダ 覚者 buddha は意識 consciousness を創る create
最初に自身の内側 inside に創る create
そのあと、
入手可能で available
信頼があり trusting
明け渡す surrender
準備のできている人々の中に創る create。
गौतम बुद्धः Gautama Buddha
ゴータマ・ブッダ は言う、
BETTER THAN A HUNDRED YEARS OF MISCHIEF IS
ONE DAY SPENT IN CONTEMPLATION.
いたずら心の百年間よりも
熟考 contemplation に費やす1日。
熟考 contemplation は
この経文 sutras を翻訳する場合には
正しい言葉ではない、
しかし、それが問題だ、
いかにして東洋の洞察 insight を
西洋の言語へと翻訳 translate するかだ。
熟考 contemplation の意味は
集中して1つの主題 subject を考えることだ。
それはゴータマ・ブッダ Gautam Buddha が
ध्यान dhyān ディヤーン という言葉を使う時の意味ではない。
ध्यान dhyān ディヤーン の意味は
ノーマインド(無思考)no mind の状態、
考えのない no thought 状態だ、
それは熟考 contemplation の反対 opposite だ。
熟考 contemplation は
ध्यान dhyān ディヤーン の正しい言葉の翻訳であることはできない。
しかし、私には
その問題、その翻訳者の困難は理解できる、
…他に言葉がないからだ。
翻訳することができない言葉の1つだ。
中国の翻訳者たちはとても賢かった、
彼らはその言葉を翻訳しないままにした。
ध्यान dhyān ディヤーン は中国で
禅 ch'an になった、
彼らはけっしてそれを翻訳しなかった。
それは少し異なった形に見える
なぜなら
ध्यान dhyān ディヤーン は
संस्कृतम् saṃskṛtam サンスクリット語だからだ。
ゴータマ・ブッダ Gautam Buddha は
संस्कृतम् saṃskṛtam サンスクリット語を使わなかった
ビハール Bihar 地方の言葉、pali パーリ語を使った。
Pali パーリ語で ध्यान dhyān ディヤーン は
ジャン jhan だ。
Pali パーリ語のジャン jhan は
中国では禅 ch'an になった、
それは翻訳されないままとなった
なぜなら中国の翻訳者たちは
それは翻訳できないことの理解に至ったからだ、
それを翻訳 translate するよりも
それを説明 describe する方がより良いという
理解に至ったからだ。
そして、それは日本でもそうだった、
ध्यान dhyān ディヤーン が日本に届いたら
中国の禅 ch'an は 禅 zen になった。
最初はPali パーリ語のジャン jhan
その後、中国では禅 ch'an
その後、日本では禅 zen
…しかし翻訳されないままだ。
最も良いことは
西洋の言語も少数の言葉を翻訳しないままにすることだ、
なぜなら
西洋にはいかなる相当する equivalent 言葉がないからだ、
どんな言葉であれ西洋が持つものは
彼ら自身の含意 connotation を持つ。
ध्यान dhyān ディヤーン は熟考 contemplation ではない、
熟考 contemplation は考えること thinking の純粋な形だ。
ध्यान dhyān ディヤーン は
考えること thought を超越 beyond している、
その純粋な形でさえ超越 beyond している、
全ての考え thought がやむ ceases 状態に来ている。
あなたは完全なる意識 conscious だ、
あなたの意識 consciousness はなにも含まない。
गौतम बुद्धः Gautama Buddha
ゴータマ・ブッダ は言う、
BETTER THAN A HUNDRED YEARS OF MISCHIEF IS
ONE DAY SPENT IN CONTEMPLATION.
いたずら心の百年間よりも
熟考 contemplation に費やす1日。
たった1日で十分だ、
もし、その人が24時間
ध्यान dhyān ディヤーン のままであることができるならば
それは十分だ
…その人はブッダ 覚者 buddha になるだろう。
しかし、24時間
ध्यान dhyān ディヤーン のままであることは
非常に難しい、
マハヴィーラ Mahavira は言った、
もし、人が48分間
ノーマインド(無思考)no mind のままで
あることができるならば
…そして、私の計算もまた確かに同じだ…
もし、人が48分間
ノーマインド(無思考)no mind のままで
あり続けることができるならば、
それは光明 enlightenment を得るのに十分だ。
しかし、普通 ordinary の マインド(思考)mind は
数秒間でさえ注意深く alert あることができない、
数分間はなんと言おうか!
あなたは試す…
ただ静かに座る、
時計を近くに置く、
そして、あなたは驚くだろう
数秒でさえ
考えること thoughts なしではいられないことに。
1秒を分けるほんの時々だけ
考え thoughts がないだけだ。
しかし、
あなたが考え thoughts がないことを見る瞬間、
この考え thoughts が生じる、
あなたは言う、
「やったー!」…終わった!
あなたは言う、
「考え thoughts がない!」
そして、
マインド(思考)mind はあなたに罠をしかけてくる、
それは後ろのドアからやってくる。
そして、もしあなたが静かに聴いていると
あなたはマインド(思考)mind が笑っているのを見るだろう
…マインド(思考)mind はあなたを欺く deceive!
「考え thoughts がない!」は
まだ考えること thoughts だ、
「考え thoughts がない!」という考え idea は
まだ考えること thoughts だ。
Osho の 講話 discourse より
Osho English Discourse
“The Dhammapada : The Way of the Buddha, Vol 4”
この記事の中で Osho の言葉を借りた講話。
・
英語の講話はリンクにある “Osho World” さんから
PDFをフリーダウンロードできます。
・
Osho
English Discourse
“The Secret of Secrets, Vol 1 & 2”
Talks on the Secret of the Golden Flower
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密
・
Osho
English Discourse
“Tao : The Three Treasures, Vol 1”
Talks on Fragments from Lao Tzu’s Tao Te Ching
老子の道徳経
・
Osho
English Discourse
“Yoga : The Alpha and the Omega, Vol 9”
Talks on the Yoga Sutras of Patanjali
・
Osho
English Discourse
“The Grass Grows By Itself”
・
Osho
English Discourse
“The Dhammapada : The Way of the Buddha, Vol 4”
私たちの 苦しみ suffering の問題はただ1つだけです。
その1つとは?
私たちの 本質 essence である『存在 being』を
なぜ『存在 being』を「忘れる forget」のか?
なぜなら、私たちが生まれた後、
私たちの 内側 inside に
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
所有 possession するからです。
このただ1つの問題が
私たちの 苦しみ suffering を作り出しています。
その他の問題はありません。
地球 earth の他の 存在 existence たちとは異なり
自然 nature から離れることによって
生まれたばかりの頃はまだ 覚えている remember
全ての 本質 essence である『存在 being』を
人間社会の中で育っていく過程で
「忘れて forget」いきます。
『存在 being』を「忘れる forget」ことで
あらゆる 苦しみ suffering が生じます。
そしてその 苦しみ suffering は
その 苦しみ suffering を生み出す人間だけでなく
地球 earth のあらゆる 存在 existence にも
影響を与えています。
人間だけでなく
地球 earth 全体の
苦しみ suffering を終わりにしたければ
「忘れている forget」『存在 being』を
「再び思い出す remember」こと
つまり
「正しく想起する right remembrance」ことが必要です。
ですから、
私たちの 内側 inside にある全ての
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
落とす drop(手放す let go)必要があります。
この1つのことだけが
苦しみ suffering を終わらせるために必要なことです。
このとてもシンプルなことだけが
苦しみ suffering から私たちを助け出すことができます。
すると、私たちの 本質 essence である『存在 being』を
「正しく想起する right remembrance」ことができます。
するともう 苦しみ suffering はありません。
今この瞬間に、もし私たちが
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
『手放す let go』ことができるならば、
私たちは直ちに私たちの 本質 essence である『存在 being』を
今この瞬間に、もし私たちが
マインド(思考)mind と
エゴ(欲・自我)ego を
『手放す let go』ことができなければ、
瞑想 meditation はそれらを『手放す let go』ことを
サポートするための ツール tool の1つです。
瞑想 meditation は 癒し healing の ツール tool の1つです。
瞑想 meditation の語源は 薬 medicine からきています。
瞑想 meditation は私たちの 内側 inside を映し出す 媒体 medium を通さずに
私たちの 内側 inside を直接『観ます(観照)see』。
ここで簡単に紹介していることは
私の体験の 分かち合い sharing です。
私はそのような 知識 knowledge がなにもなく
ただ 瞑想 meditation を楽しんでいましたから
光明 enlightenment という言葉さえ知りませんでした。
しかしそれは5年ほど前に起こりました。
なんとか英語で書いてみたり絵を描いたりしてみました。
英語は習いはじめたばかりですから間違いがありますので申し訳ありません。
(こちらは日本語版です。日本語でも間違いがあると思います…すみません)
この体験は母国語でも英語でも表現をすることがとても難しいため、
導師 master Osho の言葉を借りています、
なぜなら Osho が話していることと私の体験が同じだからです。
これよりも Osho の講話 discourse を
読んだり聴いたりする方がいいと思います。
Osho は言葉で話していますが、
それだけではなく、
Osho は 沈黙 silence の中でも分かち合っています
(これこそが大切なものです)。
しかし、もしあなたが私の友人たちと同じように
この体験について興味があるならば、
これは簡単な説明だけで全てではありませんが、
よろしければこの記事を見てください。
ここでは
◯『存在 being』とはなにか?
◯ なぜ、人間は
全ての 本質 essence である
『存在 being』を「忘れる forget」のか?
◯ どうやって『存在 being』を
「再び思い出す remember」つまり
「正しく想起する right remembrance」のか?
という 簡単 simple な流れでお話しをしました。
エゴ(欲・自我)ego を
「正しく想起する right remembrance」
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ と
導師 master である Osho が
最後にみんなへのこした言葉は pali パーリ語 で
sammasati サマサティ
「正しく想起する right remembrance」です。
beloved all enlightened masters
beloved all
”The last word of Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha – sammasati.”
sammasati
It means right remembrance.
サマサティの意味は ”正しく想起する”。
meditation & love
osho samadhi समाधिः