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ch9 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1

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ch9 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1
 
 
 
黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)
The secret of the Golden Flower
 
 
 
ch9 : The Secret of Secrets, Vol 1
 
 
 
chapter 9
Riding on a Miracle
奇跡に乗る
 
19 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密の原文
 
 
 
回光守中第三
 
呂祖曰。
 
回光之名何昉乎?
昉之自文始真人也。
 
回光則天地陰陽之氣無不凝。
所謂、
精思者此也、
純氣者此也、
純想者此也。
 
初行此訣、乃有中似無、
久之功成、身外有身、乃無中似有。
 
百日專功、光才真、方為神火。
百日後、光中自然一點真陽、忽生黍珠。
 
如夫婦交合有胎、
便當靜以待之。
 
光之回、即火候也。
 
夫元化之中、有陽光為主宰。
有形者為日、在人為目。
走漏神識、莫此甚順也。
 
故金華之道、全用逆法。
 
回光者、非回一身之精華、直回造化之真氣。
非止一時之妄念、直空乾劫之輪回。
故一息當一年、人間時刻也。
一息當百年、九途長夜也。
 
凡人自ka?臥的一聲之後、逐境順生。
至老未嘗逆視、陽氣衰滅。
便是九幽之界。
 
故《楞嚴經》云 :「純想即飛、純情即墮」。
 
學人想少情多、沉淪下道。
 
惟誦觀息靜便成正覺、用逆法也。
 
 
 
Chapter 7 is until here.
Chapter 9 is from here.
 
 
 
《陰符經》云 :「機在目」。
 
《黃帝素問》云 :「人身精華、皆上注于空竅」是也。
 
得此一節。
 
長生者在茲。
超升者亦在茲矣。
此是貫徹三教(佛・儒・道)工夫。
 
光不在身中、亦不在身外。
山河大地、日月照臨、無非此光。
故不獨在身中。
明智慧、一切運轉、亦無非此光。
所以亦在身外。
天地之光華、布滿大乾。
一身之光華、亦自漫天蓋地。
所以一回光、天地山河一切皆回矣。
人之精華、上注於目、此人身之大關鍵也。
 
子輩思之。
一日不靜坐、此光流轉、何所底止!
若一刻能靜坐、萬劫干生、從此了徹。
萬法歸於靜、真不可思議、此妙蹄也。
 
然工夫下手、由淺入深、由粗入細、總以不間斷為妙。
工夫始終則一、但其間冷暖自知、要歸於天空海闊。
萬法如如,方為得手。
 
 
 
Chapter 9 is until here.
Chapter 11 is from here.
 
 
 
聖聖相傳、不離反照。
 
孔云 :「致知」、
釋曰 :「觀心」、
老云 :「內觀」、
皆此法也。
 
但反照二字、人人能言、不能得手、未識二字之義耳。
反者、自知覺之心、反乎形神末兆之初、則吾六尺之中、反求十天地末生之體。
今人但一、二時中間靜坐、反顧己私、便云反照。
安得到頭!
 
佛道二祖、教人看鼻尖者、非謂著念於鼻端也。
亦非謂眼觀鼻端、念又注中黃也。
眼之所至、心亦至焉。
何能一上而一下也。
又何能忽上而忽下也。
此皆誤指而為月。
 
畢竟如何?
曰鼻端二字最妙。
 
只是借鼻以為眼之准耳。
 
初不在鼻上、蓋以大開眼。
則視遠、而不見鼻矣。
太閉眼、則眼合、亦不見鼻矣。
大開失之外走、易於散亂。
太閉失之內馳、易於昏沉。
惟垂簾得中。
恰好望見鼻端。
故取以為准。
只是垂簾恰好、任彼光自然透入、不勞你注射與不注射。
 
看鼻端、只於最初入靜處舉眼一視、定個准則便放下。
如泥水匠人用線一般。
彼自起手一挂、便依了做上去。
不只管把線看也。
 
止觀是佛法、原不秘的。
以兩目諱觀鼻端正身安坐、系心緣中。
不必言頭中、但於兩目中間、齊平處系念便了。
光是活潑潑的東西。
系念兩目中間、光自然透入。
不必著意於中宮也。
此數語已括盡要旨。
其餘入靜出靜前後、以下止觀書印証可也。
 
緣中二字極妙。
中無不在、遍大乾、旨在裏許、聊指造化之機。
緣此入門耳。
緣者緣此為端倪、非有定著也。
此二字之義、活甚妙甚。
 
止觀二字、原離不得。
即定慧也。
以後凡念起時、不要仍舊幾坐。
當究此念、在何處、從何起、從何滅。
反複推究、了不可得。
即見此念起處也。
不要又討過起處。覓心了不可得。
吾與汝安心竟、此是正觀。
反此者、名為邪觀。
如是不可得已。
即仍舊綿綿去、止而繼之以觀、觀而繼之以止。
是定慧雙修、此為回光。
回者止也、光者觀也。
止而不觀、名為有回而無光。
觀而不止、名為有光而無回。
志之。
 
 
 
The Secret of the Golden Flower
 
( It is from osho’s English discourse series of 
The Secret of Secrets. )
 
 
 
Master Lu-Tsu said:
 
’Release is in the eye…
The seed-blossoms of the human body must be concentrated upward in the empty space.’
 
Immortality is contained in this and also the overcoming of the world.
 
The light is not in the body alone,
nor is it only outside the body.
Mountains and rivers and the great earth are lit by sun and moon;
all that is this light.
Therefore, it is not only within the body.
 
Understanding and clarity,
perception and enlightenment,
and all movements of the spirit are likewise this light;
therefore, it is not just something outside the body.
 
The light-flower of heaven and earth fills all the thousand spaces.
 
But also the light-flower of the individual body passes through heaven and covers the earth.
 
Therefore, as soon as the light is circulating,
heaven and earth,
mountains and rivers,
all are circulating with it at the same time.
 
To concentrate the seed-flower of the human body above in the eyes,
that is the great key of the human body.
 
Children, take heed!
 
If for a day you do not practice meditation,
this light streams out,
who knows whither?
 
If you only meditate for a quarter of an hour,
by it you can do away with the ten thousand aeons and a thousand births.
 
All methods end in quietness.
This marvelous magic cannot be fathomed.
 
But when the practice is started,
one must press on from the obvious to the profound,
from the coarse to the fine.
 
Everything depends on there being no interruption.
 
The beginning and the end of the practice must be one.
 
In between there are cooler and warmer moments,
that goes without saying.
 
But the goal must be to reach the vastness of heaven and the depths of the sea,
so that all methods seem quite easy and taken for granted.
Only then Have we mastered it.
 
 
 
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密の日本語
 
(osho の英語の講話 The Secret of Secrets にある文の和訳のみ)
 
 
 
呂祖師は言った、
 
「解放の機縁は目に在る…
 
人間の身体 body の華の種(精)seed-blossoms は、
皆「上昇 upward」し上方の空っぽ empty の空間 space の中に注ぐ。」
 
不死 immortality はこの中に含まれている
そしてまた、世界の超越・克服 overcoming もこの中にある。
 
光 light は肉体 body の中にあるだけではない、
また、肉体 body の外だけにあるのでもない。
 
山や河や大地は太陽や月によって照らされる、
全てのそれはこの光 light である。
 
ゆえに、光 light は肉体 body の中だけにあるのではない。
 
理解 Understanding と明晰さ clarity、
知覚 perception と光明 enlightenment
全ての精 spirit の動きはこの光 light と同様である、
 
ゆえに、光 light は肉体 body の外にただあるだけではない。
 
天と地の光の華 light-flower は
全ての空間 space を満たしている。
 
しかしまた、個 individual の身体 body の
光の華 light-flower も
天と地を覆い行き渡り満たしている。
 
ゆえに、光 light の循環している円 (回光)circle が起こるとすぐに、
天と地、
山と河、
全ては同時に光 light の循環している円 (回光)circle が起こる。
 
目の上の空っぽ empty の空間 space に
人間の華の種(精)seed-flower を注ぐこと、
それが人間の大いなる鍵 key となる。
 
子輩たちよ、注意を払いなさい heed!
 
もし、1日でも瞑想 meditation の実践 practice をしないならば、
この光 light は流れ出て streams out、
どこへ流れるのか誰も知らない?
 
もし、あなたがたった15分(一刻)でも瞑想 meditation するならば、
万の劫 aeons も千の生 births も
それによってあなたは徹し終わることができる。
 
全ての方法 methods は静けさ quietness の中に帰る。
この不可思議 marvelous magic は計り知れない fathomed。
 
しかし、実践 practice がはじまると、
人は浅いもの obvious から 深いもの profound へ、
粗いもの coarse から 細かいもの fine へと
押し進まなければならない。
 
全ては中断する interruption ことなく行い続けること次第 depends だ。
 
実践 practice のはじまりから終わりまで
1つを守り従わなければならない。
 
その間に冷暖の瞬間を体験しながら、
自ずから知る。
 
しかし、目的地は
天の広大さと海の深さに至ることでなければならない、
そうすると、全ての方法 methods は
とても容易 easy であたりまえ granted のようになる。
 
そうしてはじめて私達はそれを得手した mastered。
 
 
 
ある古い神話 AN OLD FABLE に、
神 God が世界 world を創造 creating していると
4人のもの問いたげな天使たちが近づいて来た、とある。
 
AN OLD FABLE has it that when God was creating the world
he was approached by four questioning angels. 
 
「どのようにそれをしているのでするか?」
最初の天使が尋ねた。
 
’How are you doing it?’ 
the first one asked. 
 
2番目の天使は疑問だった、
「なぜそれをするのですか?」
 
The second queried, 
’Why?’ 
 
3番目の天使は言った、
「それを終えた時、私はそれをいただけますか?」
 
The third one said, 
’May I have it when you finish?’ 
 
4番目の天使は言った、
「私がお助けすることはできますか?」
 
The fourth one said, 
’Can I help?’
 
 
 
最初の天使は科学者 scientist の質問だ、
 
The first one was the question of the scientist, 
 
2番目の天使は哲学者 philosopher の質問であり、
 
the second, the philosopher’s, 
 
3番目の天使は政治家 politician の質問であり、
 
the third, the politician’s, 
 
4番目の天使は宗教の人 religious one の質問だ。
 
and the fourth was the question of the religious one.
 
 
 
存在 existence の中への科学的な探究 scientific inquire は
切り離して距離を置く観察 detached observation だ。
 
科学者 scientist は客観的 objective でなければならない。
 
客観的 objective であるためには
その人は属さない uninvolved ままでなければならない、
その人は参加すること participate ができない、
 
なぜなら、その人が参加者 participant になった瞬間
その人は属した involved ことになるからだ。
 
ゆえに、科学者 scientist は
命 life と 存在 existence の
表層 outer circumference だけしか知ることができない。
 
内なる最も中核 innermost core は
科学 science では入手できない unavailable ままだろう、
 
科学 science の方法論 methodology そのものがそれを妨げる prohibits。
 
 
 
哲学者 philosopher は推測 speculates だけだ、
その人はけっして実験 experiments をしない。
 
その人は限りなく尋ね続ける、
「なぜ? Why?」と。
 
そして、その質問にどんな答えであっても、
再び「なぜ? Why?」と尋ねることができる。
 
哲学 philosophy を通しては
いかなる結論 conclusion の可能性はない。
 
哲学 philosophy は結論がない non-conclusion 状態のままだ。
 
それは無駄な futile 行為 activity であり、
それはどこへも導かない it leads nowhere。
 
 
 
政治家(駆け引きの人)politician は単に
世界 world を所有 possess したい、
世界 world を我が物にしたい。
 
その人は全てにおいて最も危険 dangerous だ
なぜなら、最も暴力的 violent だからだ。
 
その人の生 life への興味は生 life そのものの中にはない
しかし、その人自身の権力 power に興味がある。
 
その人は権力に飢え power-hungry、
その人は権力に狂っている power-mad、
その人は狂人 maniac であり、
その人は破壊的 destructive だ。
 
あなたがなにかの生き物 alive を所有 possess する瞬間、
あなたはそれを殺す you kill it、
 
なぜなら、
なにかが所有物 property になった瞬間
それはもう生きていないからだ  no more alive。
 
木 tree を所有する possess、
すると、それはもう生きていない no more alive。
 
女性 woman や男性 man を所有する possess、
すると、あなたは彼らを殺した killed。
 
なにかを所有する possess と、
死 death が結果 outcome だ、
なぜなら、死 death だけが所有 possess できるからだ。
 
生 life は自由 freedom だ。
 
生 life は基本的には自由 free のままだ。
 
あなたは生 life を所有する possess ことはできない、
あなたは生 life を銀行に入れることはできない、
あなたは生 life の周りに線 line を描いて囲むことはできない。
 
あなたはこう言うことはできない、
 
「これは私のものだ This is mine」
 
そう言うことは無礼 disrespectful だ、
そう言うことは自己中心的 egoistic だ、
そう言うことは狂って mad いる。
 
生 life が私達を所有している。
Life possesses us. 
 
どうやって私達が生 life を所有 possess できるだろう。
 
私達はもっともっと生 life によって所有され possessed なければならない。
 
全てのゲシュタルト(形態)gestalt を変えなければならない change、
 
人は所有欲 possessive を持つことから、
人は全体 whole によって所有される possessed ことができるようにならなければならない。
 
The whole gestalt has to change: 
from being possessive, 
one has to become capable of being possessed by the whole.
 
政治家(駆け引きの人)politician は
けっして生 life の〈 真理 truth 〉を知ることはない。
 
 
 
宗教の人 religious person は参加する participates。
 
その人は生 life とともにダンスする dance。
 
その人は存在 existence とともに歌う sing。
 
その人は生 life を助ける help。
 
その人は存在 existence へ明け渡し surrender ている、
 
その人は分離 detached や無関心 aloof ではない。
 
その人は本当にはどんな質問も尋ねることはしない、
 
その人は知識 knowledge の後を追わない、
 
その人の全努力 whole effort は
 
いかにして存在 existence と調和 harmony であるか、
いかにして存在 existence と全面的 totally に『1つ one』であるか、だ。
 
how to be in harmony with existence, 
how to be totally one with it.
 
ゆえに、東洋の言葉で
究極の体験 ultimate experience は
समाधिः samādhiḥ samadhi サマーディだ。
 
 
 
それは2つの言葉から来ている。
 
SAM – SAM の意味は一緒・合わせる together
 
SAM – SAM means together with. 
 
SAM と同じ語源は英語の中へも動いていった、
それは「共感 sympathy」の中へ、
それは「交響曲 symphony」の中へ。
 
少しだけ変えて、
それは「総合 synthesis」の中へ、
それは「共時性 synchronicity」の中へ。
 
SAM の意味は一緒・合わせる together。
 
SAM means together with. 
 
ADHI の意味は主 lord、神 God。
 
ADHI means the lord, God. 
 
समाधिः samādhiḥ samadhi サマーディ の意味は
神 God との結合 union、
神 God と『1つ one』であること。
 
SAMADHI means union with God, to be one with God. 
 
「宗教 religion」という英語の言葉の意味は
まさしくそのことだ。
 
And that is exactly the meaning of the English word ’religion’. 
 
その意味は存在 existence と『1つ one』であること、
分割 divide ではなく、
分離 separate のままではなく『1つ one』であること。
 
It means to become one with existence; 
not to be divided, 
not to remain separate but to become one. 
 
そしてこの
『ऐक्यम् aikyam アイキャ 1つであること oneness』
の中だけで人は
知る know、
観る see、
体験する experience
在る be。
 
And only in this oneness does one come to know, see, experience, and be.
 
 
 
宗教 religion はまた大きな実験 experiment でもある
…最も大きな、実際には…
しかし、異なり difference がある。
 
科学 science は客体・客観 object を実験する experiments、
 
宗教 religion は主体・主観 subject そのものを実験する experiments。
 
 
 
その全ての関心事 concern は、
「私は誰か?Who am I?」
 
 
 
人ははじまりから始めなければならない。
 
One should begin from the beginning. 
 
私が私自身を知らない限り、
私は他のなにも知ることはないだろう。
 
Unless I know myself, 
I am not going to know anything else.
 
もし、奥深くで私が無知 ignorant のままであれば、
すると、私の全ての知識 knowledge はただのゴミ garbage だ。
 
If deep down I remain ignorant, 
then my whole knowledge is just garbage. 
 
それは無知 ignorance に基づいている、
それは無知 ignorance に根ざしている。
 
It is based on ignorance, 
it is rooted in ignorance. 
 
 
 
最初に、光 light が私の内側 inside で起こらなければならない、
そうすると、それは広がる spread ことができる。
 
その後、光 light は存在 existence のまさに限界・果て boundaries に行くことができる
…もし、限界・果て boundaries があるならば。
 
しかし、まず最初に、これは私の内 within で起こらなければならない。
 
最初の炎 first flame は私の主体 subjectivity からやって来なければならない。
 
私の中心 center(中核 core)が光 light で満ちて full いる時、
するとはじめて、なんであれ知られていることを
本当に知ることになるだろう。
 
When my centre is full of light, 
then only will whatsoever is known really be known. 
 
 
 
あなたがあなた自身を知らないのに、
知る者がそこにいないのに、
どうやってあなたは他のなにかを知ることができるのだろうか?
 
Unless you know yourself, 
unless the knower is there, 
how can you know anything else? 
 
もし、あなたがあなた自身の深い闇 darkness の中にいるならば、
あなたが外側 outside で作った全ての光 light は
ごまかし deceptions であり、幻想 illusions だ。
 
 
 
宗教の探索 religious quest は
存在 existence の中の最も偉大な探索 quest だ。
 
The religious quest is the greatest quest in existence.
 
この探索 quest について理解していなければならないことが少しばかりある。
 
 
 
第1に、宗教 religion は地を這って進む creep ことはできない、
宗教 religion は踊る dance か 死ぬ die でなければならない。
 
The first thing: religion cannot creep; 
it has to dance or die. 
 
そして、それがまさに世界 world の中で起こっていないことだ
…宗教 religion は踊り dancing ではない、
ゆえに、宗教 religion は死んだ died。
 
宗教 religion は地を這って進み creep 
そしてのろのろ這っている crawling、
 
宗教 religion は飛び方 how to fly を忘れてしまった。
 
 
 
宗教 religion は教義 dogma になった。
 
Religion has become dogma. 
 
教義 dogma は死 death だ、
それは死骸 corpse だ。
 
 
 
流れ flowing、生き生きし alive、飛ぶ flying ためには、
宗教 religion は体験 experience として存在 exist しなければならない
理論としてではなく not as a theory、
神学としてではなく not as theology、
しかし、瞑想として but as meditation、
神についての哲学としてではなく 
not as a philosophy about God、
しかし、神の個人の体験 experience として 
but as a personal experience of God. 
 
 
 
そして、完全によく知りなさい、
神について知ることは
神を知ることではない。
 
And, know perfectly well: 
to know about God is not to know God. 
 
 
 
あなたは神 God について知り続けることはできる、
しかし、あなたは神 God をけっして知ることはないだろう。
 
神 God について知ろうとすることは
それのまさに中心 center(中核 core)を貫く penetrating ことなく
周りをぐるぐると周り続けることだ。
 
宗教 religion は地を這って進む creep ことはできない、
そして、宗教 religion は地を這って進んでいる creep。
 
…それらは全て地を這って進んでいる creep。
 
それらは全て残念そう apologetic になる。
 
それらは全て世界の中での科学の成長 scientific growth を恐れている。
 
それらは科学 science と闘って fighting きた。
それらは科学の成長 scientific growth を妨げる prevent ためにできることを全て試してきた、
しかし、それらは失敗した failed。
 
今や、それらはそれらのサポートの全てを
科学 science から得るために試している
…なんであれ、それらができることを…
しかし、それらは完全によく知っている
それらは二次的 secondary になることを。
 
それらはそれらへの科学 science のサポートがあるときにだけ存在する exist ことができる。
 
They can exist only if science supports them. 
 
それらは科学の議論 scientific argument が支えとなるときにだけ存在する exist ことができる。
 
They can exist only if scientific argument becomes a prop. 
 
これが地を這って進んでいる creep ことだ。
 
宗教 religion はもう
それ自身の基盤 ground の上、
それ自身の足 feet で立っていない。
 
宗教 religion は科学 science からのサポートが必要だ。
 
宗教 religion は存在 existence を借りて borrowed、
生 life を借りて borrowed
生きている living。
 
宗教 religion の時代は終わった。
 
Its time is gone.
 
 
 
なぜ、それが起こったのか?
 
ひとたび宗教 religion が教義 dogma になり
もう体験 experience ではなくなると、
それは自動的 automatically に死ぬ dies。
 
そして、死体 dead body はそれ自身で立つことができない、
それはサポートが必要だ。
 
全ての教会 churches と寺院 temples はサポートされ、
それらはそれら自身で立ってはいない。
 
 
 
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ がいる時
彼は彼自身で立つ。
 
When there is a Buddha he stands on his own. 
 
キリスト Christ がいる時
彼は彼自身で立つ。
 
When there is a Christ he stands on his own. 
 
すると、宗教 religion は踊り、歌を歌う。
 
Then religion dances, sings a song. 
 
すると、宗教 religion は生き生きとし、開花し、
千とひとつの花々があり、
素晴らしい香りが放たれる。
 
Then it is alive, it blooms, there are a thousand and one flowers, and great fragrance is released.
 
 
 
私のここでの努力は
宗教を再び踊りにすることだ。
 
My effort here is to make religion dance again. 
 
どんなサポートも必要としない、
なぜなら
宗教 religion それ自身の中が
最も偉大な真正な体験 experience だからだ。
 
There is no need for any support, 
because religion in itself is the greatest authentic experience. 
 
他はサポートのために科学 science の方を見るべきだ、
宗教 religion ではなく!
 
Others should look towards science for support, not religion! 
 
 
 
もし、宗教 religion が踊り dancing はじめたならば、
生き生き alive となりはじめたならば、
科学 science はそのサポートを必要とするだろう、
 
なぜなら、
科学 science それ自身が基盤 ground を失っているからだ。
 
科学 science は日々醜く醜く uglier なっている。
 
科学 science は日々もっともっと生の否定 life-negative になっている。
 
科学 science は日々もっともっと政治的(駆け引き)political になっている。
 
 
 
科学 science が発見した全ては
政治家(駆け引きの人)politician によって
所有 possessed されている。
 
科学 science が発見した全ては
死 death を助ける serves、
生 life をもう助けて serving いない。
 
And all that science discovers serves death; 
it is no more serving life. 
 
90%の科学 science の努力 effort は戦争 war に行き続けている。
 
Ninety percent of scientific effort goes on war. 
 
科学 science は顔を失っている。
 
Science is losing face. 
 
宗教 religion が踊りdancing はじめない限り、
科学 science でさえもうどんな「未来 future」もないだろう。
 
科学 science は自らをサポートするために
宗教 religion からのなんらかの
解き放たれる release エネルギー energy を必要とするだろう。
 
そして、もし、
宗教 religion が再び生き生き alive であることができ
そして、科学 science が 宗教 religion の1部分 part や影 shadow となるならば、
するとはじめて、
科学 science は政治家 politician とその狂気 madness から自由 free であることができる。
 
And if religion can be alive again and science becomes a part, a shadow of religion,
then only can it be free of the politician and his madness. 
 
さもなければ、それは不可能のようだ。
 
Otherwise it seems impossible.
 
 
 
人間は地球 earth 上の命 life を
究極に破壊する ultimate destruction ところまで
どんどん近づいて来ている。
 
Man is coming closer and closer to the ultimate destruction of life on the earth. 
 
 
 
宗教 religion のエネルギー energy を解き放つ release ことだけが
人間を救うことができ、
人類を救うことができる。
 
Only a release of religious energy can save him, can save humanity.
 
 
 
私達がここでしていることは
とても小さい実験 experiment のように見えるかもしれない、
しかし、その潜在的な力 potential は無限 infinite だ。
 
What we are doing here may look like a very small experiment, 
but its potential is infinite. 
 
人類の「未来 future」はただ1つのことだけにかかっている、
 
宗教 religion は再び人を導く lead ことができる、
宗教 religion は再び人への中枢の影響 central influence になることができる、
宗教 religion は再び人類の夢となることができる。
 
that religion can again lead man, 
that religion can again become the central influence on man, 
that religion can again become humanity’s dream.
 
 
 
そして、覚えておきなさい、
それはとても難しい夢だ
…ほとんど不可能 impossible だ。
 
神 God と共にあるという夢、
神 God の中にあるという夢は、
きっと不可能 impossible な夢のようなものだろう。
 
人は勇気 courage を失った。
 
人の夢は今や小さい tiny、
人の夢はとてもありふれた世俗的 mundane なものだ、
人はもう超越的 transcendental な夢を見ない。
 
 
 
そして、覚えておきなさい、
もし、あなたが超越的 transcendental な夢を見ることを止めるならば、
あなたは無意味 meaningless な生 life を生きる live だろう。
 
意味 meaning というのは
超越的 transcendental なものに触れて contact はじめて生じる。
 
意味 meaning は
あなたが大いなる全体 greater whole の1部分である時、
あなたがあなたよりより高いなにかの1部分である時、
あなたよりより大きななにかの1部分である時にだけ生じる。
 
人がその人自身を超えよう surpass と試す時
すると、そこには宗教 religion がある。
 
そしてそれは、私が宗教 religion の踊り dance と呼ぶものだ
…人がその人自身を超越しよう transcend と試すこと。
 
それをすることができる動物は他にいない。
それの能力は他の動物にはない。
 
人間だけがその人自身を超えよう surpass とする
潜在能力 potential と可能性 possibility がある。
 
そして、少数の人々はその人達自身を超えた surpassed、
少数の人々は彼岸 other shore へと到達した reached。
 
そして、私があなた方に話している時、
私は彼岸 other shore から話している。
 
ゆえに、私は借り物の知識 knowledge から
それを言っているのではない、
私は私自身の体験 experience からそれを言っている。
 
私は不可能 impossible が可能 possible になることができることを知っている。
 
それは私の中で可能 possible になった、
それはあなたの中で可能 possible になることができる。
 
ひとたび、あなたの内なる inner 『存在 being』が
光 light で満ちる full と、
ひとたび、あなたがあなた自身の内 within に闇 darkness がないことを知ると、
すると、あなたは宗教的 religious である。
 
不可能な夢 impossible dream を夢みなさい。
 
Dream the impossible dream. 
 
はじめは、それはほとんどばかげて見えるかもしれない
…それはそう見える…
しかし、もし、それが十分に強いならば、
それはあなたの現実 reality を変容する transform。
 
 
 
私は聞いたことがある…
 
3本の木がある時丘の上に生えていた、
それらの木々はそよ風に揺られ
それらがなりたいものを夢みた。
 
「私はある日切り倒され、」
最初の木は言った、
「そして、赤ちゃんの揺りかご cradle になりたいです。」
 
「私はある日切り倒され、」
2番目の木が言った、
「そして、海を航海する大きな船になり、
宝物や宝石を運びたいです。」
 
そして、3番目の木が言った、
「私は丘の上 hill-top  に立って、
人々に天国 heaven を指し示したいです。」
 
 
 
ある日、樵たち woodcutters がやって来て、
最初の木を切り倒した。
 
「この木で馬小屋 cattle stall を作ろう」
 
と樵たち woodcutters は言った。
 
「しかし、私は馬小屋 cattle stall であることを願っていません、」
その木は泣いた。
「私は赤ちゃんの揺りかご cradle でありたいのです。」
 
しかし、樵たち woodcutters はそれを馬小屋 cattle stall にした、
 
そして、イエス Jesus が生まれた時、
他に赤ちゃんを置く場所がなかったので
その馬小屋 cattle stall の中にイエス Jesus を優しく寝かせた。
 
そして、その木は言った、
 
「なぜなぜ、これは私が夢みたものより
遥かにもっと素晴らしいことです。」
 
 
 
樵たち woodcutters は2番目の木に言った、
 
「この木で漁船 fishing boat を作ろう。」
 
しかし、その木は言った、
 
「嫌です!私は漁船 fishing boat であることを願っていません、
私は宝物や宝石を運ぶ大きな船になりたいです。」
 
しかし、樵たち woodcutters はその木を漁船 fishing boat にしてある島の湖に浮かべた。
 
そして、シモン ペテロ Simon Peter という名前の漁師 fisherman がその舟 boat を買い、
そして、イエス Jesus がその舟 boat に乗って、
そこから人々に説教をした。
 
その木は言った、
 
「なぜなぜ、これは私が夢みたものより
遥かにもっと素晴らしいことです。」
 
 
 
そして、樵たち woodcutters は3番目の木に言った、
 
「この木で十字架 cross を作ろう。」
 
しかし、その木は言った、
 
「私は十字架 cross でありたくありません
…人の死 die の残念なものに。
a thing of shame on which men die.
私は丘の上 hill-top  に立って、
人々に天国 heaven を指し示したいのです。」
 
しかし、樵たち woodcutters はその木を十字架 cross にして、
エス Jesus が十字架 cross に磔にされた。
 
そしてその後ずっと何年間も、
人々は十字架 cross に目を向け、
その十字架 cross は神 God を指してきた。
 
 
 
もし、木々でさえ
何かを夢みることができるならば、
それらの夢は実現する。
 
そうだとしたら、人間についてはどうだろうか?
 
人間は存在 existence の中で、
地球 earth 上で最も素晴らしい潜在能力 potential を持っている。
 
もし、あなたがなにか欠けて lacking いるならば、
それはあなた自身を超える surpassing という
大きな夢が欠けている lacking、ということだ。
 
あなたは世俗的 mundane なもので満足 satisfied している。
 
あなたは地を這い creeping、のろのろ進み crawling はじめる。
 
あなたは上を向いて upwards 見上げていない。
 
大いなる彼方 great beyond があなたを呼んでいる!
 
There is a great beyond calling you forth! 
 
大いなる彼方 great beyond があなたに挑んでいる。
 
There is a great beyond challenging you. 
 
 
 
そして、彼方 beyond の挑戦 challenge を受け入れる accepts 
その人だけが偽りのない本物 truly だ。
 
その他全ての人々は
ただ人間という名前 name や形 form だけで
本物 really の人間ではない。
 
 
 
人間でありなさい!Be a man! 
 
 
 
彼方 beyond の、知らないもの unknown の、
挑戦 challenge を受け入れなさい Accept。
 
それがあなたの『存在 being』の中の
大いなる夢 great dream になりなさい。
 
そのあなたがなろうとする表れ appear は
ただの種 seed だ。
 
種 seed は土 soil の中に落ちる、
そして、種 seed は死ぬ die、
そして、木 tree になる、
そして、花が咲く bloom。
 
もし、あなたが種 seed を割る cut ならば、
あなたはその中に花々 flowers を見つけることはないだろう。
 
 
 
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そこが科学 science が全ての要点 point を見逃す missing ものだ
…科学 science は種 seed を割り cutting 続けている。
 
That’s where science is missing the whole point 
– it goes on cutting the seed. 
 
それは言う、
 
「あなたはこの種 seed が素晴らしい花々をもたらすだろうと言うのですか?
 
私達は種 seed を切って cut 解剖して dissect、見る see でしょう。」
 
そして、彼らは種 seed を切って cut 解剖する dissect、
そして、彼らは種 seed を解剖する dissect 
方法学 methodology がある、
しかし、花 flower は見つからない。
 
だから、彼らは種 seed の中には花 flower はないと言う。
 
それがいかに、彼らが
存在 existence の中に神 God はいない、
魂 soul はない、
彼方 beyond はない、
生 life はただの偶然 accident であり
生 life の運命 destiny はない
という結論 conclusion にやって来たかだ。
 
 
 
禅 zen の導師 master 一休 Ikkyu の
ある有名な道歌がある。
 
「桜木を砕きて見れば花もなし
花をば春の空ゆもちくる」
 
’If you break open the cherry tree, where are the blossoms?
But in springtime how they bloom!’
 
 
 
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春を待ちなさい。Wait for the springtime. 
 
もし、あなたが花を見たいならば、
春 springtime を待ちなさい。
 
If you want to see, 
then wait for the springtime. 
 
すると、あなたはブッダ 覚者 buddha を見つけるだろう、
人間 man ではなく、
 
すると、あなたはイエス Jesus を見つけるだろう、
人間 man ではなく、
 
すると、あなたはクリシュナ krishna を見つけるだろう、
人間 man ではなく。
 
すると、あなたは花 flower を見つけるだろう、
そして、種 seed はもう見つからない、
種 seed は消えた、
種 seed としての機能 function は果たした fulfilled。
 
それは計り知れないほどの価値 value のあるなにかを守った protecting、
 
それは青写真 blueprint を持っていた carrying、
 
今や、それはもう必要ない。
 
土 soil は見つかり、
春 spring がやって来て、
種 seed は死ぬ die ための十分な勇気があった courageous。
 
 
 
人間のエゴ(欲・自我)ego は種 seed にすぎない。
 
Man’s ego is nothing but a seed. 
 
それはとても守ろうとする protective。
 
人々は私に尋ねる、
 
「もし、エゴ(欲・自我)ego が
神 God に対してこれほどの障壁 barrier となるならば、
するとなぜ、最初にエゴ(欲・自我)ego が存在する exist のですか?
 
もし、マインド(思考)mind が
神 God に対してこれほどの障壁 barrier となるならば、
するとなぜ、マインド(思考)mind は存在する exist のですか?
 
If ego is such a barrier towards God, 
then why in the first place does ego exist? 
If mind is such a barrier to God, 
then why does mind exist at all?」
 
それはあなたを守る protect ために存在する exist、
 
ちょうど種 seed の潜在能力 potential を守る protect ために
種 seed の固い殻 shell が存在する exist ように。
 
It exists to protect you, 
just as the hard shell of the seed exists to protect the potential. 
 
 
 
潜在能力 potential はとても柔らかい soft、
もし、固い殻 shell が潜在能力 potential の周りにないならば、
潜在能力 potential は壊されて destroyed しまうだろう。
 
固い殻 shell は敵 enemy ではない。
 
固い殻 enemy が敵 enemy であるのは、
春 spring が来て、
土 soil が見つかっても、
種 seed が死 death を拒絶する rejects ときにのみだ。
 
もし、固い殻 shell がこう言うならば、
 
「さあ、私はあなたを守り protecting 続ける、
春 spring に逆らって against さえも。
私はあなたを守る protect
土 soil に逆らって against さえも。」
 
すると、問題 trouble になる。
 
問題 problem が生じるのはそこだ。
 
That’s where the problem arises. 
 
エゴ(欲・自我)ego そのものが問題 problem なのではない。
 
The ego in itself is not a problem. 
 
 
 
子供 child はエゴ(欲・自我)ego が必要だ、
さもなければ、子供 child はとても無防備 unprotected であるだろう。
 
子供 child は
この苦闘 struggle の世界の中で
いかにして生き延びるのか survive を知らないだろう。
 
子供 child は
とてもたくさんの危険 hazards に対して
自分自身を守る protect 方法を知らないだろう。
 
子供 child は
とても柔らかく soft、壊れやすい tender、
子供 child はブッダ 覚者 buddha になる前に死ぬ die だろう。
 
エゴ(欲・自我)ego は子供 child を助ける。
 
The ego helps him. 
 
エゴ(欲・自我)ego は一種の鎧 armour であり、
マインド(思考)mind も一種の鎧 armour である、
…それは子供 child を守る protects。
 
 
 
エゴ(欲・自我)ego と 
マインド(思考)mind は
あなたの敵 enemy ではない。
 
 
 
エゴ(欲・自我)ego と
マインド(思考)mind が
敵 enemy であるのはこういう時だけだ、
 
その瞬間が来て
あなたは瞑想 meditation の中へと入って行く用意がある
…あなたは導師 master を見つけた、
あなたは方法 method を見つけた、
あなたは用意 ready がある…
 
しかし、マインド(思考)mind は言う、
 
「いや、私は死ぬ die ことはできない。
 
私があなたに浴びせてきた全ての恵み blessings を考えてごらん。
 
私があなたに与えてきた全ての利益 benefits を考えてごらん。
 
私があなたのためにした全てを考えてごらん。
 
感謝 grateful を感じなさい、
そして、私を壊す destroy ことを試さないようにしなさい。」
 
 
 
すると、問題 problem は生じる、
 
すると、守りであったもの protector が
破壊的 destructive となる。
 
すると、あなたは
あなた自身のマインド(思考)mind に
逆らって against 戦わなければからない fight、
 
あなたは
あなた自身のエゴ(欲・自我)ego に
逆らって against 戦わなければからない fight、
 
あなたは
あなた自身の鎧 armour に
逆らって against 戦わなければからない fight、
 
なぜなら、鎧 armour はもう必要ないからだ。
 
あなたはあなたの内なる inner 潜在能力 potential を
解き放た release なければならない
…春 spring が来た。
 
だから、春 spring が来て、
はじめてそれは問題 problem となる、
 
さもなければ、それは問題 problem ではない、
それは助け help だ。
 
助け helpful は邪魔 hindrance になることができる。
 
その時が来たら、それは行かなければならない。
 
When its time is gone, it has to go.
 
 
 
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不可能 impossible の夢 dream。
あなた自身を超えて行く surpassing 夢 dream。
ニルヴァーナ 涅槃 nirvana の夢 dream。
モクシャ 解脱 moksha の夢 dream。
神の王国 kingdom of God の夢 dream。
 
夢をみることではじめて
あなたはそれに向かって働きかけ、進みはじめるだろう、
 
夢みることではじめて
あなたの足は踊り dance の質 quality を持つだろう。
 
夢 dream がなければあなたは鈍く dull なるだろう。
 
だからこそ、人々はだらだら dragging している。
 
どうして人々が踊る dance ことができるだろうか?
 
なんのために?
 
ただ毎日オフィスに行き仕事をし、
家に帰って妻と喧嘩して
子供たちの全ての不満を聞くために?
 
そして、次の日も再び同じマンネリ rut がはじまる
…それが年中ずっと続いていく。
 
踊り dance についてのなにかがあるだろうか?
 
事実、人間が自殺 suicide をせずに、
生き続けていることは奇跡 miracle だ。
 
なんのために人間は生きているのか?
 
人間を待っているものはなに1つない、
人間が見上げることができるものは何ひとつもない。
 
夜に星 star はない、
それは全くの闇 darkness だ。
 
人間が生き続けていること living、
人間がやりくりしていること manages は
奇跡 miracle だ。
 
自殺 suicide をする人々のほうがより論理にかなっている logical ようにみえる。
 
生き続けている人々が非論理的 illogical なようにみえる。
 
惨めで miserable、
退屈で bored、
だらだらして dragging
…しかし、それらの人々は生き続ける。
 
 
 
だが、それはなにかを示している。
 
それは1つのことを示している、
あなたの最も奥深くの『存在 being』は
可能性 possibility があることを知っている
ということを。
 
 
 
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いつの日か、あなたは
潜在能力 potential や 可能性 possible について
注意深く alert なるかもしれない。
 
いつの日か、その夢 dream があなたを所有する possess だろう。
 
すると、
そこには意味 meaning があるだろう、
そこには踊り dance があるだろう。
 
 
 
「宗教は芸術だ、Religion is art」と
イリアム ブレイク William Blake は言った。
 
「宗教は芸術であり、金ではない。Religion is art, not money.」
 
これはとてもとても意味をはらんだ声明 pregnant statement だ。
 
そして、ウイリアム ブレイク William Blake のような人だけがそれを言える。
 
彼は神秘家の詩人だ mystic poet。
 
 
 
芸術 art とは何か?
 
「芸術とは何かをする道だ。
Art is a way of doing something.」
 
絵画 painting、
詩 poetry、
踊り dancing、
彫刻 sculpture、
音楽 music、
陶芸 pottery、
織物 weaving。
 
「芸術とは何かをする道だ。
Art is a way of doing something.」
 
彼は自分自身を創造する creating ことについては何も言っていない。
 
しかし、それがまさに宗教 religion だ。
 
それは絵画 painting ではない、
それは詩 poetry ではない、
それは彫刻 sculpture ではない、
それは音楽 music ではない、
 
しかし、同じ線の上にあるなにか、
彼方 beyond のなにか
…自分自身を創造すること creating oneself。
 
 
 
宗教もまた何かをする道だ。
Religion is a way of doing something also 
 
…生きること living、
愛すること loving、
観ること seeing、
在ること being。
 
全ての芸術 art は「作ること making」だ。
 
それは神 God の創造 create を助けている。
 
だからこそ、私は神 God に
 
「私がお助けすることはできますか?
Can I help?」
 
と言った天使を、宗教的な人 religious man と呼ぶ。
 
 
 
もし、あなたが創造主 creator を知りたいのならば、
あなたはあなた自身のなにかの中で創造者 creator にならなければならないだろう。
 
詩 poetry は宗教 religion そのもの proper ではないかもしれない
しかし、それは正しい方向を示している。
 
詩人 poet が本当に創造的 creative な状態にある時、
その人は宗教 religion のなにかを知る
…彼方からの音楽を a faraway distant music、
なぜなら、その人が創造的 creative な状態にある時、
その人はもうその人自身ではないからだ。
 
その人は参加している participates
…とても小さくではあるけれども、
その人は神 God に参加している participates。
 
神性 divinity の一雫 drop がその人の中へと入る。
 
だからこそ、偉大な詩人たちはいつもこう言う、
 
「私達が詩 poetry を書く時、
私達は詩の創造者 creators ではない。
私達は所有された possessed。
知らないもの unknown のエネルギー energy が
私達の中で歌い sings、踊る dances。
私達はそれが何であるのか知らない。」
 
画家 painter が我を忘れてその人の絵を描く時、
その人はその人の絵の中に完全に没頭し、
その人のエゴ(欲・自我)ego は消え去る。
 
ほんの一瞬かもしれない、
しかし、それらのエゴ(欲・自我)ego が無い瞬間の中で
神 God はその人をとおして絵を描く。
 
もし、あなたが神 God に参加する participate ならば、
神 God はあなたの中に参加する participates。
 
 
 
芸術 art は
宗教 religion の無意識 unconscious の形だ。
 
宗教 religion は
意識のある conscious 芸術 art だ。
 
Art is an unconscious form of religion. Religion is conscious art. 
 
 
 
芸術 art は
あなたが夢 dream の中で宗教的 religious であるようなことだ、
しかし、それは正しい方向を示している。
 
芸術家 artist は宗教的な人 religious に最も近い。
 
The artist is the nearest to the religious. 
 
しかし、そのように理解されていない。
 
あなたは詩人 poet や 画家 painter
宗教的な人 religious だと思うことはしない、
 
その逆に、
 
もし、誰かが断食 fasts や、
その人の体 body を拷問 tortures したり、
その人の『存在 being』を醜く ugly したりするならば、
あなたはその人を宗教的な人 religious だと思いはじめる。
 
その人は単にその人自身に暴力 violent をしているだけだ。
 
その人はただ自滅的で suicidal、
その人は神経症だ neurotic, 
しかし、あなたはその人を宗教的な人 religious だと思う。
 
 
 
神経症 neurotic の人たちは
偉大な聖者 MAHATMAS महात्मा mahātmā マハートマー になる、
 
その人たちは聖者 saints として
尊敬され respected 崇拝される worshipped。
 
その人たちはまったく宗教的な人 religious ではない。
 
 
 
いわゆる聖者 saint と 殺人者 murderer の間の異なり difference は大差ない。
 
殺人者 murderer は他の誰かを殺し murders、
いわゆる聖者 saint はその人自身を殺す murders。
 
しかし、両者は同じことをしている、
両者は暴力的 violent だ、
両者は破壊的 destructive だ。
 
そして、あなたが破壊的 destructive である時は必ず
あなたは神 God から最も遠い farthest、
なぜなら、神 God は創造性 creativity だからだ。
 
私にとって、美学 aesthetics は
宗教的であること religiousness の最も近くにあり、
倫理学 ethics ではない。 
 
 
 
レーニン Lenin はこう言ったと伝えられている、
 
倫理学は未来の美学であるだろう。
Ethics will be the aesthetics of the future.」
 
 
 
私は言う、
いいや、その逆だ、
美学は未来の倫理学であるだろう。
 
aesthetics will be the ethics of the future. 
 
 
 
美 beauty は「未来 future」の〈 真理 truth 〉であるだろう、
なぜなら、美 beauty は創造 created されることができるからだ。
 
美 beauty を愛し、
美 beauty を生き、
美 beauty を創造する
美しい beautiful 人は道徳・倫理 moral である
…努力なしで with no effort。
 
その人の道徳性 morality は
培われた cultivated 道徳性 morality ではない、
それはただその人の美的感覚 aesthetic sense が
その人の道徳・倫理 moral を作っている。
 
その人は殺す kill ことはできない
なぜなら、
その人は殺すこと killing が美しい beautiful ことであると思うことができないからだ。
 
He cannot kill because he cannot think of killing as being beautiful. 
 
その人はだます cheat ことができない、
その人は不正直 dishonest であることができない
なぜなら、全てのこれらのことは
その人には醜い ugly と感じさせるからだ。
 
その人の基準 criterion は美 beauty だ。
 
 
 
そして、私は
宗教 religion は芸術 art だと言う
イリアム ブレイク William Blake に賛成だ。
 
全ての芸術 art は作ること making だ。
 
全ての作ること making は
ある種の信頼 faith を必要とする。
 
あなたはそこにない何かを見る、
そして
目に見えない 不可視 invisible、
触れることができない intangible、
聞くことができない inaudible
何かに
「時間 time」と「空間 space」の中で
形 shape を与える。
 
創作 produced された何かは感覚 senses で明らか apparent であるだろう
…絵 painting、詩 poem または庭 garden。
 
芸術 art は
創作 produces された作品 object と一緒に
混同 confused しないことだ。
 
それは覚えておくべき美しい区別 distinction だ。
 
それは宗教 religion を理解するためにも
あなたを途方もなく助けるだろう。
 
 
 
芸術 art とは
1枚の絵 painting や1体の彫刻 sculpture ではない。
 
画商 art dealers が売り買いするのは
芸術作品 works of art だが、
芸術 art そのものではない。
 
芸術作品 works of art は財産 property の形 form だ。
 
 
 
芸術 art と 
芸術作品 works of art が
同じものではないように、
 
宗教 religion と 
宗教 religion が創作する produces 物 objects や影響 effects と
一緒に混同 confused しないことだ
…教義 dogmas、
教説 doctrines、
聖書 Bibles、
ギータ Gitas、
教会 churches、
寺院 temples、
大聖堂 cathedrals。
 
それらは「芸術作品 WORKS of art」だ。
 
あなたはそれらを
「宗教 religion の芸術作品 works of the art」と呼ぶことができる、
しかし
宗教 religion はそれらの作品と
一緒に混同 confused するべきではない。
 
 
 
教会 church は教会 church だ。
それは美しい beautiful かもしれない、
しかし、教会 church そのものは宗教 religion ではない。
 
それは副産物 by-product だ、
副次的に生まれたもの spin-off だ。
 
コーラン Koran は美しい beautiful 詩 poem だ、
しかし、芸術作品 work of art であり、
副次的に生まれたもの spin-off だ。
 
モハメッド Mohammed の心 heart の中で何かが起こった
 
…それは宗教 religion だった、
 
しかし、それは目に見えない 不可視 invisible  のままだ。
 
なぜなら、何かが彼の魂 soul の中で感動し stirred、
彼は歌いはじめ、
彼は狂ったように表現した。
 
それは確かに彼が思ったことだった
彼がはじめて独りで山にいた時に
彼が神 God の臨在 presence を感じはじめたことだ。
 
彼はとても怯えた frightened、とても恐れた afraid、
彼は、彼が気が狂った mad か、または、詩人 poet になったか
どちらかだと思った。
 
彼は我が家 home へあわてて帰った。
彼は熱 feverish が出て、震えた trembling。
 
彼の妻は彼が突然高熱 high fever になったと思った。
 
妻は尋ねた、
 
「あなたに何が起こったのですか?」
 
そして、彼は言った、
 
「私は気が狂った mad か、詩人 poet になったのか、どちらかだ。
何か途方もなく素晴らしいことが起こっている、
そして、私はそれが何であるのか知らないし、
どこからやって来るのか知らない。
そして、私はそれにとても値しない unworthy…
私は私自身の目 eyes を信じる believe ことができない、
私は私自身の心 heart を信じる believe ことができない
…私が感じていることが。
それはとても美しく beautiful、とても偉大 great で、とても広大 vast で、
私はそれを完全に言い表すこと conceiving ができない。」
 
 
 
それは宗教 religion だった。
 
That was religion.
 
 
 
数日間の熱 fever で、モハメッド Mohammed は熱も下がり
そして
彼の新しい状態 new state、
彼の恍惚 ecstasy、
彼の समाधिः samādhiḥ samadhi サマーディ に
落ち着いた。
 
すると、流れ flow はじめた、
美しいコーラン Koran が生まれた。
 
しかし、コーラン Koran は副産物 by-productだ、
 
ギータ Gita も副産物 by-productだ、
法華経 Dhammapada も副産物 by-productだ。
 
 
 
いつも覚えておきなさい、
経典 scripture は宗教 religion を含んでいない contains
…それを含む contain ことはできない。
 
 Remember always that no scripture contains religion – cannot contain it. 
 
全ての経典 scriptures は
宗教 religion の副産物 by-productだ
…時間の岸辺に残された影、足跡だ。
 
All scriptures are by-products of religion
– shadows, footprints, left on the banks of time. 
 
しかし、足跡 footprints は足跡 footprints だ。
 
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ が海辺を歩く時、
自然に、彼の足跡 footprints が残るだろう、
 
しかし、それらの足跡 footprints は
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ 自身ではない、
 
それらの足跡 footprints は美しい
なぜなら、足跡 footprints は 
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ に属するからだ。
 
足跡 footprints に頭を下げなさい!
 
しかし、忘れてはいけない、
足跡 footprints はただの副産物 by-products だ。
 
 
 
そして、あなたは
ただの足跡 footprint の崇拝者 worshipper であってはならない、
 
あなたはブッダ 覚者 buddha であらねばならない。
 
And you have to be a Buddha, 
not just the worshipper of a footprint.
 
 
 
芸術作品 works of art は財産 property の形だ、
だからこそ、あなたはそれらを売る sell こと、買う purchase ことができる。
 
しかし、あなたは
芸術 art を売る sell ことや
芸術 art を買う purchase ことはできない。
 
 
 
もし、あなたがパブロ ピカソ Pablo Picasso
彼の芸術 art をあなたに売る sell ことを尋ねるならば、
それは不可能 impossible であるだろう。
 
あなたはそのためにどんな素晴らしい値段を支払う用意があっても、
しかし、彼は彼の芸術 art を売る sell ことはできない。
 
彼は彼の絵 paintings を売る sell ことはできる、
しかし、
彼は彼の芸術 art を売る sell ことはできない。
 
彼の芸術 art を売る selling 方法はない
なぜなら、それは物 thing ではないからだ。
 
彼の芸術 art はいつも目に見えない 不可視 invisible のままだ。
 
影響(作品)effects だけが目に見える 可視 visible だ。
 
 
 
神 God は目に見えない 不可視 invisible のままだ、
世界 world  の中だけで、神 God は目に見える 可視 visible になる。
 
God remains invisible, 
only in the world does he becomes visible. 
 
あなたは目に見えない 不可視 invisible だ、
体 body だけが目に見える 可視 visible だ。
 
You are invisible, 
only the body is visible.
 
 
 
だからこそ、ブレイク Blake は
宗教 religion はお金 money ではない
と言う。
 
That’s why Blake says religion is not money. 
 
彼は正しい。
 
彼は宗教 religion は財産 property ではないと言う。
 
宗教 religion は財産 property ようなものではない、
 
宗教 religion は愛 love のようだ
 
…あなたは宗教 religion や愛 love を
買ったり buy 売ったり sell はできない、
または、銀行の中に維持する keep ことはできない。
 
あなたは宗教 religion や愛 love を
所有する possess ことはできない、
その逆 contrary に、
宗教 religion や愛 love が
あなたを所有する possess。
 
 
 
芸術作品 work of art は所有する possessed ことができる、
それは財産 property だ、
それは死んでいる dead。
 
あなたは
コーラン Koran、
ギータ Gita、
聖者 Bible を
学ぶ learn ことはできる、
 
しかし、
 
あなたは宗教 religion を学ぶ learn ことはできない。
 
You can learn the Koran and the Gita and the Bible, 
but you cannot learn religion. 
 
 
 
あなたは宗教 religion や愛 love を生きなければならない
…それを学ぶ方法はない。
 
You have to live it 
– there is no way of learning it. 
 
 
 
あなたは神 God によって所有 possessed されなければならない、
あなたは神 God に利用可能 available にならなければならない。
 
You have to be possessed by God, 
you have to become available to God. 
 
 
 
あなたはあなたの『存在 being』を開かなければならない。
あなたは身を引かなければならない withdraw。
あなたは空っぽ empty にならなければならない
そうすると、神 God は入って来ることができ
あなたの全て totally を所有 possess できる。
 
You have to open up your being. 
You have to withdraw. 
You have to become empty so that God can enter and possess you totally. 
 
まさにその所有 possession の中で、
あなたは人類 humanity を超越する transcended。
 
In that very possession, 
you have transcended humanity. 
 
あなたはもう人間 human being ではない、
あなたは神 God、キリスト Christ 、ブッダ 覚者 buddha だ。
 
You are no more a human being, 
you are a god, a Christ, a Buddha.
 
 
 
これらの経文 sutras は
あなたが青写真 blueprint を持っている
あなたが種 seed の形 form で持っている
このブッダ 覚者 buddha の本質 Buddhahood を
あなたが解き放つ release ことを助けるための秘密 secrets だ、
 
それが開花 bloom するのを助ける、
それが葉が繁り foliage たくさんの花々 flowers を持つ大きな木 tree になるのを助ける。
 
These sutras are the secrets to help you release this Buddhahood 
that you are carrying as a blueprint, 
that you are carrying in a seed form; 
to help it bloom; 
to help it become a great tree with great foliage and many flowers.
 
 
 
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経文 sutras だ。
 
 
 
呂祖師は言った、
 
「解放の機縁は目に在る…
 
 
Master Lu-tsu said:
 
’RELEASE IS IN THE EYE...
 
 
呂祖曰。
 
《陰符經》云 :「機在目」。
 
 
 
私があなた方に話してきたこの潜在能力 potential 、
このブッダ 覚者 buddha の本質 Buddhahood、
このキリスト意識 Christ-consciousness
または、クリシュナ意識 Krishna-consciousness、
または、なんであれ あなたがそう呼びたいもの、
それは第3の目 third eye の中にある。
 
あなたの2つの肉眼のちょうど真ん中に
空っぽ empty の空間 space がある、
そして、その空っぽ empty の空間 space は
神 God としてのあなたの『存在 being』の種 seed だ。
 
第3の目 third eye が機能 function しはじめない限り、
あなたの潜在能力 potential は解き放たれないだろう。
 
 
 
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ゆえに、
 
 
 
呂祖師は言った、
 
「解放の機縁は目に在る…
 
 
Master Lu-tsu said:
 
’RELEASE IS IN THE EYE...
 
 
呂祖曰。
 
《陰符經》云 :「機在目」。
 
 
 
解放 release とは
モクシャ 解脱 moksha、
救出 deliverance、
自由 freedom だ。
 
解放 release とは
光明 enlightenment だ。
 
もし、あなたの第3の目 third eye が
機能 function しはじめることができるならば…
 
 
 
それは冬眠中 dormant で、
機能していない non-functioning、
 
あなたのエネルギー energy はそこへと至っていない。
 
それは仕組み mechanism だ…完璧 perfect な、
しかし、どんなエネルギー energy なしでそれに至る reaching。
 
あなたのエネルギー energy は
「外向 outward」へと流れている flowing 
あなたの性欲 sexuality の中へ、
あなたの深い欲 greed の中へ、
あなたの怒り anger の中へ、
あなたの世俗的な事柄 affairs の中へ
…あなたのエネルギー energy は
「下降 downward」と「外向 outward」へと動いている。
 
 
 

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あなたは第3の目 third eye の中枢 centre へと持ってくるほど
十分なエネルギー energy がない。
 
あなたが豊富 abundance なエネルギー energy を持たない限り、
それは第3の目 third eye に到達 reach しないだろう。
 
あなたはエネルギー energy の貯水池 reservoir にならなければならない。
 
そして、あなたが貯水池 reservoir になり
エネルギー energy が無駄使い wasted されなくなれば、
そのレベルは毎日高く高くなりはじめる。
 
 
 

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ある日、エネルギー energy は第3の目 third eye に到達 reaches し、
第3の目 third eye にエネルギー energy が触れた瞬間、
直ちに、即座に、それは機能 function しはじめる。
 
そうすると、あなたは知る、
そうすると、あなたははじめて見る。
 
And then you know, 
and then you see for the first time. 
 
すると、あなたは生 life を見通す力 vision を持つ
…それがなんであるか。
 
Then you have the vision of life – what it is. 
 
そして、第3の目 third eye を通してだけ
あなたは神 God を、本物 reality を、ありのままを、
知ることができる。
 
And only through the third eye will you be able to know God, reality, that which is.
 
 
 
2つの肉眼を通して、
あなたは世界 world を知る。
 
Through the two physical eyes you know the world. 
 
なぜなら、あなたの2つの目は、
世界 world を「分ける divide」、
それは二元 dual だ。
 
And because your eyes are two, 
the world is divided, it is dual. 
 
あなたの2つの目は世界 world を「分ける divide」。
 
Your two eyes make the world divided. 
 
世界 world そのものは分かれてはいない、
しかし、あなたの見方が世界 world を「分ける divide」。
 
The world in itself is not divided, 
but your way of seeing it divides it.
 
 
 

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それはプリズム prism を通す光線 ray のようだ。
 
その光線 ray は1本 one だ、
 
プリズム prism を通る瞬間、
1本 one の光線 ray は7つ seven になる、
それは7色 seven colours に分かれる。
 
虹 rainbow はそのように創られる、
太陽の光線 sunrays が雲 cloud の中の水滴を通る。
 
それらの水滴がプリズム prism のような機能 function をし、
太陽光線 sunrays が水滴を通ると 
直ちに7つの色 seven colours に分裂する split。
 
 
 

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あなたのエネルギー energy は
あなたの2つの目を通って動く
そして、世界全体 whole world は二元 dual になる。
 
すると、あなたは
昼 day と夜 night を反対 opposite のように見る、
生 life と 死 death を反対 opposite のように見る、
愛 love と 憎しみ hate を反対 opposite のように見る、
物質 matter と 意識 consciousness を反対 opposite のように見る。
 
あなたの2つの目は全てのものを
二元 dual と 極 polar を作る。
 
Your two eyes make all things dual and polar. 
 
これらの2つの目のために、
あなたは存在 existence の
『1つであること oneness ऐक्यम् aikyam アイキャ』を
見ることができない。
 
あなたの2つの目が『1つ one』にならない限り、
あなたはけっして
分割できないもの indivisible、
普遍的なもの universal を
知ることはないだろう。
 
Unless your two eyes become one eye, 
you will never know the indivisible, the universal.
 
 
 

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その本、『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
THE SECRET OF THE GOLDEN FLOWER は言う、
 
エネルギー energy が「外向 outward」に流れると二元 dual となる、
 
もし、あなたがそのエネルギー energy を逆転 backwards し
「内向 inward」にするならば
それは再び『1つ one』になる
 
…それは二元性 duality を失う、
それは非二元 non-dual になる。
 
エネルギー energy が2つの目から戻ると、
それは本来の源 original source の中へと落ちはじめる。
 
energy going outwards becomes dual; 
if you bring it backwards it becomes again one – it loses duality, it becomes non-dual. 
When energy moves back from the two eyes, 
it starts falling into the original source.
 
 
 

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もし、あなたが虹 rainbow の7つの色 seven colours を『1つ one』に混ぜると、
それは白 white になる、
それは『1つ one』の色 colour になる。
 
(光の色は混ぜると白になり、
絵の具の色は混ぜると黒になる。)
 
 
 

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その方法 method は同じだ。
 
エネルギー energy は2つの目を通して
「外向 outward」へと動くと
全ての存在 existence は二元 dual になる。
 
エネルギー energy が2つの目を通して
逆転 backwards して「内向 inward」へと動くと
『1つ one』の目(第3の目 third eye)の中へと動くと
…第3の目 third eye は2つの目のちょうど真ん中にある…
突然全ては『1つ one』である。
 
 
 

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これが समाधिः samādhiḥ samadhi サマーディ だ。
 
This is SAMADHI. 
 
あなたは神 God と『1つ one』である。
 
YOU are one with God.
 
 
 
「解放の機縁は目に在る…
 
人間の身体 body の華の種(精)seed-blossoms は、
皆「上昇 upward」し上方の空っぽ empty の空間 space の中に注ぐ。」
 
 
’Release is in the eye…
The seed-blossoms of the human body must be concentrated upward in the empty space.’
 
 
《陰符經》云 :「機在目」。
 
《黃帝素問》云 :「人身精華、皆上注于空竅」是也。
 
得此一節。
 
 
 
ちょうど今はそれは空っぽ empty の空間 space だ。
 
しかし、ひとたび、エネルギー energy が「内向 inward」に動きはじめると、
それは光 light で満ちる full。
 
 
 
不死 immortality はこの中に含まれている
そしてまた、世界の超越・克服 overcoming もこの中にある。
 
 
Immortality is contained in this and also the overcoming of the world.
 
 
長生者在茲。
超升者亦在茲矣。
此是貫徹三教(佛・儒・道)工夫。
 
 
 
そして、あなたの『存在 being』の中のある地点 point に到達した reached 瞬間…
 
エス Jesus は言う、
 
「あなたの2つの目が『1つ one』になる時、
あなたは神 God の王国に入っている。
 
When your two eyes become one, 
you have entered the kingdom of God.」
 
 
 
あなたは不死 immortality を知る、
 
なぜなら、今やあなたは
生 life と 死 death が反対 opposite ではないと知った、
2つの翼 wings を持つ1羽の同じ鳥 bird だと知ったからだ。
 
 
 

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死 death は生 life を破壊 destroy しない
しかし、再び生 life それ自身が新たに生まれる renew ことを助ける。
 
死 death は敵 enemy ではない
しかし、友達 friend だ。
 
死 death は単に生 life の衣服 garments を変える change ために生 life を助ける
なぜなら、それらは朽ちて rotten しまったからだ、
 
それらは使われ、もう使われることができない。
 
死 death は単にあなたが家 house を変えることを助ける、
死 death はあなたの終わり end ではない。
 
死 death はあなたに
新しいはじまり new beginning、
新鮮な fresh 貸し lease エネルギー energy を
あなたにただ与えるだけだ。
 
 
 
すると、闇 darkness と 光 light は2つ two
ではない。
 
すると、反対 opposite は消え去る
そして、それらは補い合うもの complementaries になる。
 
すると、全ての存在 existence は
男性性 masculine エネルギー energy と 
女性性 feminine エネルギー energy の間で
踊り dance になる。
 
すると、それはオーガズム orgasmic の踊り dance である。
 
すると、両者は『1つ one』であり、
出会い meeting、
お互いの中で溶け合う melting。
 
葛藤 conflict は消え去る disappears。
 
 
 
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そして、あなたがどんな葛藤 conflict もなしに
全ての存在 existence を見る時、
確かに、大きな喜び joy が生じる。
 
そこに死 death はない。
 
死 death を人は外側 outside からだけしか見ない。
 
あなたは他の人が死ぬ dying のを見ても、
あなたはけっしてあなた自身の死ぬ dying のを見たことはない。
 
誰1人も自身が死ぬ dying のを見たことはない。
 
 
 
ソクテラス Socrates が毒 poison を与えられた時、
彼はとても魅せられた enchanted。
 
彼の弟子 disciple たちは泣き嘆いていた、
そして、ソクテラス Socrates は言った、
 
「嘆かないように。
もうすぐ私は逝くだろう、
そしてその後、あなたは心ゆくまで嘆くことができる、
今は、私に起こっているこの大いなる実験 experiment を見なさい。
 
私は死 death の考え idea に
とても興味を抱いている intrigued
…私が本当に死んでも死ななくても。
 
この機会 opportunity を見逃してはならない。
ただ私の周りに座って見なさい。」
 
 
 
導師 master は自らの生 life を通して教える
そしてまた、自らの死 death を通して教える。
 
導師 master はあらゆる機会 opportunity を使う
…自らの死 death でさえ
弟子 disciple たちに教えるために使うだろう。
 
 
 
ソクテラス Socrates が大声を出してとても怒って言ったので、
 
「泣き嘆くのをやめて近くに来なさい!
この機会 opportunity を見逃さないように!」
 
弟子 disciple たちは見た。
 
そして、ソクテラス Socrates は言った、
 
「待ちなさい。
毒 poison が私に与えられた。
 
さあ、私はあなた方に
私の内側 inside で起こっていることをあなた方に話すよ、
 
そうすれば、あなた方は
あなたが見ることができないことに
気づく aware ことができる。」
 
すると、彼は言った、
 
「私の膝 knees までの私の足は死んだ dead。
しかし、ここまでは私が思うに、
私は以前と全てが同じように損なわれていない intact。」
 
すると、彼は言った、
 
「私の足全体は死んだ dead
…腰から下は何も感じることはできない。」
 
彼は彼の足に触ってつねるように弟子 disciple に尋ねた、
しかし、彼は何も感じることはできなかった。
 
彼は言った、
 
「私はそれらを感じることはできない、
だから、私の体 body の半分 half は死んだ dead、
しかし、私は全て今までどおりだ。
私の内なる感覚 inner feeling は
半分死んで、半分生きている、ではない、
私は今までのように生きている!
体 body の半分 half は死んだ、
しかし、私の『存在 being』は
それによって触れられていない untouched。」
 
そして、ゆっくりゆっくり彼の手 hands が死 dead に、
彼の胸 chest が沈み sinking はじめた。
 
すると、彼は最後の言葉を言った。
 
「私の舌 tongue はもうどんな言葉をも話すことができないだろう。
それは麻痺 numb してきた。
 
しかし、最後に私はこれをあなたに話したい、
 
ほとんど90%の私の体 body は死んでも dead、
私は100%生きている alive。
 
although almost ninety percent of my body is dead,
I am a hundred percent alive. 
 
もし、それが何かの徴候 indication だとしても、
体 body が100%死んだ時でさえ、
私は生きている alive だろうことを
それは表す、
 
なぜなら、私は
私の体 body が90%死んだことを見ても、
しかし、私は以前と全て同じだからだ。
 
だから、より10%が死んでも…
あなた方は私の内側 inside で起こっていることを見ることはできない、
しかし、私はそれを見ることができる。」
 
 
 
ソクテラス Socrates は
他のギリシャの哲学者 Greek philosophers のような
普通 ordinary の哲学者 philosopher ではない。
 
彼自身の弟子 disciple たち、
プラトン Plato、
アリストテレス Aristotle でさえ…
 
アリストテレス Aristotle は、実際には、
弟子 disciple ではなく敵 enemy だ。
 
彼はソクテラス Socrates を全く理解しない、
そして、彼が提案 proposes したものは
完全にソクテラス Socrates に反している against。
 
 
 
ソクテラス Socrates は神秘家 mystic だ。
 
彼の哲学 philosophy はただの探究 inquiry の方法 method だ
…そして、とても奥深くまで貫いた penetrating 探究 inquiry だ。
 
彼は死 death でさえも横に置かない、
彼は死 death の中で探究した inquired。
 
最後の瞬間まで、彼は彼の探究 inquiry の方法 method に誠実 true だった。
 
 
 
死 death を人は外側 outside からだけ見る、
あなたは他者が死ぬのを見る。
 
Death one sees only from the outside: 
you see other people dying. 
 
しかし、生きているalive ことは異なる different、
あなたはそれを内側 inside から見ることができる。
 
But to be alive is different: 
you can see it from the inside. 
 
 
 
生きている alive ということは
痛み pain
楽しみ pleasure
愛 love
恐れ fear
を感じることだ。
 
生きている alive ということは
創造する create ことができる、
ないものを考えてそれを作ることが起こる。
 
だからこそ、創造的 creative な人だけが
生 life の最も高い形 highest form を知っている
なぜなら、あなたが創造する create 時
あなたはあなたのエネルギー energy の最高の地点 optimum point にいるからだ。
 
 
 
あなたが創造する create 時
あなたは神 God の1部分だ。
 
When you create you are part of God. 
 
どうやって人がそれをすることができるのかは神秘 mystery だ。
 
How one can do it is a mystery. 
 
どうやって人が存在 exist できるのかは神秘 mystery だ。
 
How one can exist is a mystery. 
 
結果 effect でさえ原因 cause があるに違いない。
 
Every effect must have a cause. 
 
それを私達は「因果の法則 law of causation」と呼ぶ
…それを私達は教えられた。
 
That is what we call the law of causation 
– that is what we are taught. 
 
 
 
しかし、私は
私であることの結果 effect のための
原因 cause がないことを見ることができる。
 
But I can see no cause for the effect which I am.
 
私は奇跡 miracle に乗っている riding ことに目覚めている。
 
I wake up riding on a miracle.
 
 
 
私の理性 reason は私によく奉仕 serves する、
しかし、私の『存在 being』の神秘 mystery には劣る fails。
 
私の理性 reason それ自身は
この神秘 mystery の道具 tool だ、
 
ゆえに、理性 reason は神秘 mystery を知ることができない。
 
 
 
あなたは内側 within を見なければならない。
 
生 life が何であるのかを見るためには、
最初にあなたは内側 interior からそれを感じなければならない。
 
そして、あなたの生 life を感じるための最も良い方法は
創造的 creative であることだ、
なぜなら、そうすると、あなたは
あなたの最大 maximum であるからだ。
 
一般には ordinarily、
人々は彼らの最小 minimum で生きる live、
そして、なんであれ、人々がし続けていることは
最小 minimum ですることができる
 
なぜなら、それらはただの習慣 habits だからだ、
それらはただの習い身についたお決まりの日課 routine だからだ。
 
それらは
あなたの意識 consciousness から
あなたの体 body の
それ自身で機能 functioning し続けるロボット robot の部分に
転送 transferred されている
…例えば、ひとたび、あなたが運転 drive を習ったように。
 
あなたがはじめて習う learn 時、
あなたはとても生きている alive、
とても注意深い alert、
なぜなら、危険 danger があるからだ。
 
あなたは注意深く alert あらねばならない
…あなたは何が起こるのかわからない。
 
あなたはとてもたくさんのことに気づき aware 続けなければならない、
ハンドル、道、クラッチ、ギア、アクセル、ブレーキ
…気づき aware 注意深く alert あることが
とてもたくさんある…
そして、
交通、通り過ぎる人々、通り過ぎる車。
 
しかし、ひとたび、あなたが学んだら learned、
あなたの知識 knowledge は
あなたの体 body のロボット robot の部分に転送される transferred。
 
すると、あなたは気にする必要がない、
あなたはあなたの友達と話ができるし、
あなたは歌を歌うことができるし、
あなたはタバコを吸うことができるし、
あなたはラジオを聞くことができるし、
そし、あなたの体 body は運転をし続ける。
 
あなたは注意深く alert ある必要はない
…例外的 exceptionally な時だけ
注意深く alert ある必要があるが。
 
もし、事故が起こりそうになるならば、
あなたは一瞬の間目を覚ます wake up 
 
なぜなら、危険 danger がとても大きくて、
危険 danger がとても未知なるもの unknown ならば、
ロボット robot の部分はそれに対応できないからだ。
 
それは以前に起こったことがない、
それは新しい。
 
 
 
普通の生活は機械的な mechanical お決まりの日課 routine だ、
そして、あなたは最小 minimum に生きはじめる。
 
あなたはけっしてあなたの最大 maximum に
燃え上がる flare up ことはない。
 
創造的 creativity の中で、あなたは燃え上がる flare up。
 
そして、それが私のサニヤシン sannyasin 達への
私のメッセージ のひとつだ。
 
 
 
創造的でありなさい、
なぜなら、創造的であることが崇拝であるからだ。
 
Be creative, because to be creative is worship. 
 
 
 
創造的であることは祈りである、
創造的であることは瞑想である。
 
To be creative is prayer, 
to be creative is meditation. 
 
そして、創造的であることは神 God の近くであることだ。
 
And to be creative is to be close to God. 
 
 
 
カーバ Kaaba (イスラム教の聖なる殿堂)へ行く必要はない、
なぜなら、神 God はカーバ Kaaba の中と同じほどここにあるからだ。
 
ヒマラヤ Himalayas へ行く必要はない、
なぜなら、神 God はあらゆる場所で等しくあるからだ
 
…しかし、神 God は
最大 maximum に生きる live 者たちにのみある、
生 life の炎 flame がにぶい炎 flame ではない者たちにのみある、
全エネルギー whole energy をその中に注いでいる者たちにのみある。
 
そして、それは創造性 creativity を通してのみ起こる。
 
And that happens only through creativity.
 
 
 
だから、私にとって、
サニヤシン sannyasin の定義 definition は、
 
鈍く死んだように座っている
古いタイプの聖者 saint の定義 definition ではない。
 
サニヤシン sannyasin の定義 definition は
創造的 creative であることだ。
 
The definition of a sannyasin is to be creative. 
 
踊り dance、
歌う sing、
音楽の創作 create music、
絵 paint、
彫刻 sculpt、
または、なんであれ、あなたがそれをするのが好きだと感じること。
 
あなたの最も奥深くが喜ぶ joy ものを見つけ出し、
それをしなさい!
 
Find out what is your innermost joy and do it! 
 
 
 
そして、行い doing とは、
目に見えない 不可視 invisible のものを
目に見える 可視 visible のものにする
ということだ。
 
And doing means: 
bring it from the invisible to the visible. 
 
行い doing とは、
夢 dream を地上 earth に存在 exist させる
ということだ。
 
Doing means: 
make the dream exist on the earth. 
 
夢 dream を現実 actual にしなさい。
 
Let the dream become actual. 
 
潜在能力 potential を現実 actual の中へ
変容 transform しなさい。
 
Transform the potential into the actual. 
 
そして、それが最も大きな喜び joy だ。
 
And that is the greatest joy there is. 
 
本物の至福 bliss はあなたが
知らないもの unknown から知っているもの known へともたらすことができる時だけ、
あなたが作り make、創造する create 時だけ、
あなたが夢 dream を現実 reality の中へ変容 transform できる時だけ、
あなたが神 God を助ける時だけ、
到達 attained される。
 
たしかな方法で、あなた自身の方法で、
あなたが世界 world をもう少し美しく beautiful 作る時、
あなたがその喜び joy を広げた時、
すると、あなたはサニヤシン sannyasin だ。
 
この道を知ると、
あなたの内なる inner 生 life は、
あなたが不死 deathless であることを知るのを助けるだろう、
 
なぜなら、ひとたび、あなたが
あなたの真 utter の能力 capacity の中の
あなたが誰であるのかを知ったら、
あなたの内なる inner 松明 torch が一緒に両側から燃えて、
最高 optimum なところにいる時、
すると、あなたは死 death がないことを知るだろう。
 
そして、最高 optimum のところは
あなたの第3の目 third eye の中枢 centre は
機能 function しはじめる
…最高 optimum のところだけで。
 
 
 
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だから、生 life を薬物 drag のように生きないようにしなさい。
まるで生 life が重荷 burden であるように生きないようにしなさい、
満たさなければならない義務 duty のように生きないようにしなさい、
 
生 life を踊り dance にしなさい、
生 life を祝い celebration にしよう。
 
 
 
不死 immortality はこの中に含まれている
そしてまた、世界の超越・克服 overcoming もこの中にある。
 
 
Immortality is contained in this and also the overcoming of the world.
 
 
長生者在茲。
超升者亦在茲矣。
此是貫徹三教(佛・儒・道)工夫。
 
 
 
もし、あなたが
あなたの生 life の炎 flame が
第3の目 third eye に到達する reach ことを
可能にすること allow ができるならば、
あなたは死 death がないことがわかるだろう。
 
そして、あなたは突然、
もうあなたは世界 world に
執着 attached していないことが
わかるだろう。
 
And you will suddenly see that you are no more attached to the world.
 
 
 
さあ、その異なり difference を覚えておかなければならない。
 
古いサニヤス sannyas、
いわゆる、昔の宗教的 religious な生き方は、
世界 world を放棄 renounce しなさいと教えてきた。
 
私は放棄 renunciation を教えない、
 
私はあなた方に
あなたの生 life のエネルギー energy を
最高 optimum にまで持ってくるように教える。
 
そして、ひとたび、あなたが
あなたの『存在 being』の中に真実 true を見れば、
世界 world はもはや何の意味も持たない。
 
And once you have seen the true in your being, 
the world carries no meaning anymore. 
 
 
 
高次のもの higher が起こる happened と、
低次のもの lower はつまらなく意味がなくなる insignificant。
 
 
 
あなたは世界 world を放棄 renounce する必要はない、
それはすでに落ちた dropped。
 
あなたはどこにも逃避 escape する必要はない。
 
あなたは世界 world の中で生きる live ことはできる、
しかし、あなたは世界 world を超越 overcome している。
 
You can live in the world, 
but you have overcome it. 
 
 
 
そして、覚えておきなさい、
逃避 escape と 超越 overcoming は
全く異なる different 2つであると。
 
本物のサニヤシン sannyasin は
世界 world を超越 overcome しなければならない、
世界 world を放棄 renounce するのではなく。
 
 
 
光 light は肉体 body の中にあるだけではない、
また、肉体 body の外だけにあるのでもない。
 
 
The light is not in the body alone,
nor is it only outside the body.
 
 
光不在身中、亦不在身外。
 
 
 
そしてひとたび、あなたが
内側 inside に光 light を見ると、
 
すると、あなたは
光 light は内側 inside だけでなく、
外側 outside にもまたあることに
気づく aware ようになるだろう。
 
光 light はあなたに閉じ込められているのではない。
 
 
 

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覚えておきなさい、
闇 darkness は個 individual であり、
光 light は普遍 universal だ。
 
死 death は個 individual であり、
生 life  は普遍 universal だ。
 
惨めさ misery は個 individual であり、
至福 bliss は普遍 universal だ。
 
 
 
惨めさ misery が存在する exist ためには、
あなたが存在 exist しなければならない
 
…離れて separate 孤立のような
あなたが存在 exist しなければならない。
 
 
 

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そして、至福 bliss が存在 existence の中へとやって来るためには、
あなたは全体 whole の1部分にならなければならない、
全体 whole と一緒に調和 harmony しなければならない。
 
 
 
光 light は肉体 body の中にあるだけではない、
また、肉体 body の外だけにあるのでもない。
 
山や河や大地は太陽や月によって照らされる、
全てのそれはこの光 light である。
 
 
The light is not in the body alone,
nor is it only outside the body.
Mountains and rivers and the great earth are lit by sun and moon;
all that is this light.
 
 
光不在身中、亦不在身外。
山河大地、日月照臨、無非此光。
 
 
 
ひとたび、あなたが内側 inside に光 light を見たら
あなたはあらゆるところにある光 light に気づく recognize だろう、
 
月 moon の中に、
太陽 sun の中に…
 
全ての光 light は同じだ
…内側 inner や外側 outer などの異なり difference はない。
 
 
 

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ゆえに、光 light は肉体 body の中だけにあるのではない。
 
理解 Understanding と明晰さ clarity、
知覚 perception と光明 enlightenment
全ての精 spirit の動きはこの光 light と同様である、
 
 
Therefore, it is not only within the body.
 
Understanding and clarity,
perception and enlightenment,
and all movements of the spirit are likewise this light;
 
 
故不獨在身中。
明智慧、一切運轉、亦無非此光。
 
 
 
あなたが月 moon の中に見る光 light と
あなた自身の内側 inside の第3の目 third eye の中に見る光 light は
同じ光 light だ。
 
ひとたび、あなたがそれが同じ光 light であることがわかると、
内側 inner と 外側 outer はもはや異なり distinct はない。
 
内側 inner は外側 outer であり、
外側 outer は内側 inner だ。
 
 
 
だからこそ、禅 zen の導師 master は
संसारः saṃsāraḥ サムサーラ は ニルヴァーナ 涅槃 nirvana だ、という。
 
世界 world …この世界 world そのもの… が光明 enlightenment だ。
 
the world – this very world – is enlightenment
 
まさにこの体 body がブッダ 覚者 buddha、
まさにこの地球 earth が楽園 paradise。
 
This very body the Buddha, 
this very earth the paradise. 
 
 
 

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だからこそ、
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ が光明 enlightenment を得た時に、
彼はこう言った、
 
「それは最高にすばらしく incredible、
信じがたい unbelievable ことだが
私が光明 enlightenment を得た瞬間、
全ての存在 existence は私と共に光明 enlightenment を得た。」
 
 
 
何世紀にも渡り、
仏教の瞑想者たち buddhist meditators は
それに瞑想 meditation してきた、
 
「गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ は何を言っているのだろう?
彼は何を言いたいのだろう?
 
『私が光明 enlightenment を得た瞬間、
全ての存在 existence は私と共に光明 enlightenment を得た』?
 
しかし、どうやってそれであることができるのだろう?
 
…なぜなら、まだたくさんの光明 enlightenment を得ていない人々がいるのだから。
 
どういう意味なのだろう?」
 
瞑想者 meditator 自身はこう考える、
 
「私はまだ光明 enlightenment を得ていない、
だから、どうやって全存在 whole existence は光明 enlightenment を得たのだろう?」
 
 
 
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ にとっては
全存在 whole existence は光明 enlightenment を得ている
 
なぜなら、彼は
内側 inner と 外側 outer の間を
分け隔て distinction ているのが
エゴ(欲・自我)ego にすぎないことがわかったからだ
…エゴ(欲・自我)ego の薄いカーテン。
 
 
 
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ひとたび、そのカーテン curtain が落ちたら
内側 inner にはなにもなく nothing、
外側 outer にもなにもない nothing。
 
だから、गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ はこう言うことができない、
 
「私は光明 enlightenment を得た。」
 
彼は言う、
 
「全て whole が光明 enlightenment を得た。」
 
全ての木々 trees、
全ての川 rivers、
全ての山々 mountains、
全ての人々 people、
全ての動物 animals、
全ての植物 planets
…全てが光明 enlightenment を得た、
 
なぜなら、今や、彼は
分離 separate した 自己 identity を持っていないからだ。
 
 
 

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彼は
あなたが光明 enlightenment を得た
という意味ではない、
 
彼は単に言う、
 
「私は光明 enlightenment を得たと
私は言うことができない。
私は束縛 bondage されていた、
それくらいしか私は言うことができない。
私は無知 ignorant だった、
それくらいしか私は言うことができない。
私は惨め misery だった、
それくらいしか私は言うことができない。
 
しかし、今や、私はもういない。」
 
 
 
存在 existence は至福に満ちている blissful。
 
存在 existence は光 light でいっぱい full だ。
 
そして、内側 inner と 外側 outer の
光 light は同じだ
…内側 inner にはなにもない nothing
外側 outer にはなにもない nothing。
 
全ての区別 distinctions は消える
 
光 light が 第3の目 third eye の中に入る時
…『1つ one』の目、単一 single の目に。
 
全ての区別 distinctions は消える。
 
虹 rainbow は再び1本の白い光 light になる。
 
The rainbow again becomes a single ray of white light.
 
 
 

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ちょうど他の日にこの質問があった、
 
「Osho、あなたが白 white を着ている時に
なぜ、あなたは私達にオレンジ orange を着るように話すのですか?」
 
それはただの象徴的なこと symbolic だ、
いろいろな色 colours が消えて 
どんな区別 distinctions もない一本の白い光線 ray が残る
その地点 point までやって来なければならないことを
ただあなた方に話しているだけだ。
 
 
 
理解 Understanding と明晰さ clarity、
知覚 perception と光明 enlightenment
全ての精 spirit の動きはこの光 light と同様である、
 
ゆえに、光 light は肉体 body の外にただあるだけではない。
 
 
Understanding and clarity,
perception and enlightenment,
and all movements of the spirit are likewise this light;
therefore, it is not just something outside the body.
 
 
明智慧、一切運轉、亦無非此光。
所以亦在身外。
 
 
 
光 light は外側 outside にも内側 inside にもあるのではなく、
光 light はあらゆるところにある
…内側 inside にも、外側 outside にも。
 
そして、それは同じ光 light
…樹木や華の上で輝き、
蓮 lotus の上で踊る dancing 光 light と同じだ。
 
それは内側 inside の明晰さ clarity になる光 light と同じだ
…光明 enlightenment
知覚 perception、
理解 understanding。
 
 
 
そして、覚えておきなさい、
導師 master は言う、
理解 understanding だと、
知識 knowledge ではなく。
 
導師 master は言う、
明晰さ clarity だと、
答え answers ではなく。
 
 
 
人が単にとても明晰 clear になると
質問は消え去る。
 
あなたがなんらかの答え answers に到達 attain したということではない、
 
あなたがとても明晰 clear であるから
混乱 confusion がもうない、
ただそれだけだ。
 
それは質問 questions の不在 absence であり
答え answers がある presence のではない、
 
ゆえに、それは理解 understanding と呼ばれる、
知識 knowledge ではない。
 
 
 
ちょうど他の日に、アニルッダ Aniruddha も尋ねた、
 
「私達の知識 knowledge と
あなたの知識 knowledge は
どんな異なり difference があるのですか?」
 
彼は言った。
 
異なり difference は知識 knowledge の中にはない。
 
彼は私が彼よりもっと知っていると
思っているに違いない。
 
その正反対 contrary が真実だ。
 
私はあなたが知ることよりもっと知らない、
 
実際に、あなた方は知っている
そして、私は知識 knowledge がない。
 
私はただ明晰 clear なだけだ
…明晰さ clarity、
理解 understanding、
知識 knowledge ではない。
 
ここには私よりもっと知っている人々がたくさんいる、
そして、それがその人達の問題 problem だ。
 
彼らは知識 knowledge を落とさなければならない。
 
私はなにも知らない、
明晰さ clarity だけだ。
 
あなたが私に質問 question を尋ねる時、
私はそのための答え answer を持っているのではない、
しかし、私はただその質問に
私の明晰さ clarity の焦点 focus をあわせ
…理解 understand しようと試す…
そしてなんであれ、明晰さ clarity から出て来る応答 response を
私はあなたに与える。
 
それは知識 knowledge ではない、
それはただの見る力 capacity だ。
 
 
 
知識 knowledge は人々を盲目 blind にする。
彼らの目は知識 knowledge でとてもいっぱいになり
彼らは見ることができない。
 
あなたが質問を尋ねる以前でさえ
彼らは用意して作った答え ready-made answer を持っている。
 
彼らはその質問に答える用意 ready がある。
 
彼らはあなたの質問 question を聞いていない、
彼らは質問者 questioner を聞いていない、
彼らは質問者の『存在 being』を聞いていない、
彼らは質問者の中を見て、質問者が何を言おうとしているのか見ようとしない、
彼らは用意して作った答え ready-made answer を持っている。
 
彼らはあなたに答えるために急いでいる
…そして、彼らは議論 arguments や経典 scriptures で答えの正しさを証明 prove しなければならない、
そして、彼らはそのためにあらゆる種類のサポートを与えなければならない。
 
 
 
私はただ一種類の理解 understanding、
視界 vision、見る能力 capacity to see を
持っているだけだ。
 
だからこそ、導師 master は言う、
 
 
 
理解 Understanding と明晰さ clarity、
知覚 perception と光明 enlightenment
 
 
Understanding and clarity,
perception and enlightenment,
 
 
明智慧、一切運轉、亦無非此光。
 
 
 
それは知識 knowledge ではない、
それはただまったく雲 cloud のない内なる within 空 sky だ。
 
It is not knowledge, 
it is just an utterly cloudless sky within.
 
 
 
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天と地の光の華 light-flower は
全ての空間 space を満たしている。
 
しかしまた、個 individual の身体 body の
光の華 light-flower も
天と地を覆い行き渡り満たしている。
 
 
The light-flower of heaven and earth fills all the thousand spaces.
 
But also the light-flower of the individual body passes through heaven and covers the earth.
 
 
天地之光華、布滿大乾。
一身之光華、亦自漫天蓋地。
 
 
 
それは光の華 light-flower だ、
これは全存在 whole existence だ。
 
これは神秘家 mystic の体験 experience だ、
その存在 existence は光 light で作られている。
 
それは全て光 light だ、
光 light は存在 existence の構成要素 constituent の基本 basic だ。
 
 
 
 
 
そして現代物理学 modern physics はそれに賛成 agrees している。
 
彼らはそれを電気 electricity と呼ぶ。
 
「光 light」は彼らにはとても詩的な言葉すぎる、
彼らはそれを地上に引きずり drag 降ろさなければならない、
それは「電気 electricity」になる。
 
しかし、彼らが言っているものはまったく同じものだ。
 
 
 
物質 matter は現代物理学 modern physics から消えた、
物質 matter  はもうない。
 
物質 matter の最も奥深い核 core は
電気 electricity、
電子 electrons、
電気で動く粒子の踊り electrical particles dancing、
エネルギーの粒子の踊り energy particles dancing、
その中に物質のない with no matter in them、
重さのない no weight
これらにすぎない。
 
これは何世紀にも渡り、
神秘家 mystic によって体験 experience してきた、
例外なく unexceptionally、
 
その神秘家 mystic がインドで生まれようが、
中国、チベットで生まれようが異なり difference はない。
 
これは全ての神秘家 mystic
最も基本的 fundamental な体験 experience だ、
 
存在 existence は光 light で作られている、
他のものではない。
 
 
 
『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
THE SECRET OF THE GOLDEN FLOWER は言う、
 
「この光 light、この光 light の華 flower、
これらの光 light の花びら petals は
外側 outside と内側 inside の全ての空間 space に満ちている。
 
This light, this flower of light, 
these petals of light fill all the spaces outside and also inside.」
 
 
 
ゆえに、光 light の循環している円 (回光)circle が起こるとすぐに、
天と地、
山と河、
全ては同時に光 light の循環している円 (回光)circle が起こる。
 
 
Therefore, as soon as the light is circulating,
heaven and earth,
mountains and rivers,
all are circulating with it at the same time.
 
 
所以一回光、天地山河一切皆回矣。
 
 
 
それと同じことを
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
異なる different 言葉で言った。
 
あなたがあなたの中で光 light の循環している円 (回光)circle を見る瞬間、
あなたは全てのいたるところに暁 dawn の光 light を見ることができるだろう。
 
The moment you see light circulating in you, 
you will be able to see the dawn of light all over. 
 
星は動き、そして、山や川は
…全ては光 light の流れ streams、
とてつもない tremendous 光 light のエネルギー energy の踊り dance に他ならない。
 
Stars moving, and mountains and rivers 
– all will be nothing but streams of light, 
a tremendous dance of light energy.
 
 
 
目の上の空っぽ empty の空間 space に
人間の華の種(精)seed-flower を注ぐこと、
それが人間の大いなる鍵 key となる。
 
子輩たちよ、注意を払いなさい heed!
 
もし、1日でも瞑想 meditation の実践 practice をしないならば、
この光 light は流れ出て streams out、
どこへ流れるのか誰も知らない?
 
もし、あなたがたった15分(一刻)でも瞑想 meditation するならば、
万の劫 aeons も千の生 births も
それによってあなたは徹し終わることができる。
 
全ての方法 methods は静けさ quietness の中に帰る。
この不可思議 marvelous magic は計り知れない fathomed。
 
 
To concentrate the seed-flower of the human body above in the eyes,
that is the great key of the human body.
 
Children, take heed!
 
If for a day you do not practice meditation,
this light streams out,
who knows whither?
 
If you only meditate for a quarter of an hour,
by it you can do away with the ten thousand aeons and a thousand births.
 
All methods end in quietness.
This marvelous magic cannot be fathomed.
 
 
人之精華、上注於目、此人身之大關鍵也。
 
子輩思之。
一日不靜坐、此光流轉、何所底止!
若一刻能靜坐、萬劫干生、從此了徹。
萬法歸於靜、真不可思議、此妙蹄也。
 
 
 
呂祖師は言った、
24時間の中の15分間だけでそうなるだろうと。
 
もし、あなたが15分間、
静かに silently 坐る sit ことができるならば、
第3の目 third eye にエネルギー energy を注ぐならば、
それはあなたの未来 future 全体 whole を
変える change には十分であるだろうと。
 
 
 
あなたは再び肉体 body の中へと入って
生まれる born 必要はないだろうと。
 
あなたは再び世界 world の中へと入って
放り出される thrown 必要はないだろうと。
 
あなたはレッスン lesson を学んだ learned、
 
あなたは限度 limitation のある肉体 body なしで
動くに値する worthy ようになった。
 
あなたの魂 soul は自由 free で、
巻き込まれて unentangled いなくて、
どんな束縛 bondage もないだろう。
 
 
 
そうすると、そこには
死 death はないだろう、
誕生 birth はないだろう。
 
あなたはこの無限 infinite の存在 existence の中で
永遠 eternal の光 light の華 flowering であるだろう。
 
 
 
15分間だけで?
 
Only fifteen minutes? 
 
 
 
そうだ、15分間だけで奇跡 miracle は起こることができる。
 
しかし、人々は
15分間の静けさ quietness、沈黙 silence の
用意さえない。
 
But people are not even ready to give fifteen minutes to quietness, to silence.
 
 
 
私は聞いた…
 
イグナチオ ロヨラ Ignatius Loyola は
友好的ではない男が法王に選ばれたというニュースを聞いた、
 
ロヨラ Loyola の全人生を投じてきた
イエズス会 Society of Jesus を
もし教会の新しい長が解散するように命じてきたら
どうするのかと、彼は尋ねられた。
 
彼は返事をした、
 
「15分間の祈り、そうすれば、全ては同じままだろう。
 
Fifteen minutes in prayer and all will be the same.」
 
 
 
とほうもなく重要な意味を持つ返事だ。
 
An immensely significant reply.
 
 
 
友好的ではない法王が権力 power の中にやって来ると
ロヨラ Loyola の全ての働きは解体 dissolved されてしまう
あらゆる可能性があった。
 
彼は神秘家 mystic の小さな社会を創っていた。
その働きは秘教的 esoteric だった、
 
そして、キリスト教はいつも
秘教的 esoteric な働きに反対 against だ、
いつも神秘家 mystic を恐れてきた
 
なぜなら、
神秘家 mystic たちは危険 dangerous だからだ。
 
神秘家 mystic たちは
世界 world に〈 真理 truth 〉をもたらす、
 
ひとたび、神秘家 mystic たちが
世界 world に〈 真理 truth 〉をもたらすと、
人々は儀式 rituals に、無力な儀式 impotent rituals に
もう興味がなくなる。
 
すると、誰が教会についてお世話をするのだろうか?
 
だから、キリスト教
全ての神秘家 mystic の学校を壊し続ている
 
そうすれば、誰1人も教会から外側 outside に出て行くことができないから、
 
そうすれば、誰1人も神 God に至る他のドアを持つことができないから、
 
そうすれば、みんなが聖職者のところへ行かなければならないから。
 
いつであれ、探究 seek や 神 God を捜す search ための欲 desire が生じても、
それに代わる alternatives ものは残されてはいない。
 
この愚かな考えのために、
キリスト教は全世界の宗教 religion を壊してきた。
 
 
 
なぜなら、世界には
異なる人々がいる
異なるタイプの学校が必要だ
異なるタイプの手法が必要だ。
 
そして、探究 search に本当に誠実 sincere な探究者たちは
秘教的なグループ esoteric groups を見つけなければならない。
 
本当に誠実 sincere な探究者たちは
形式的な宗教 formal religion の1部分になることはできない
…それは彼らにとって十分ではない、
それは生ぬるい lukewarm、
それはとても表面的 superficial だ。
 
 
 
西洋では、本物の宗教 religion は
地下 underground に行かなければならなかった
教会のために。
 
人々は背後に隠すためにたくさんの偽りの外見を作らなければならない。
 
錬金術 alchemy というのは偽りの外見のひとつだった。
 
本物の働きは他のものだった、
 
錬金術師 alchemist は
卑金属 baser metal を 金 gold へと変容する transform という仕事をしている
という考え idea を彼自身の周りにつくるよう試した。
 
これは許された。
 
教会はとても幸せだった。
 
もし、あなたが
卑金属 baser metal を 金 gold へと
転じる turn ことを試しているなら、
それは完全に大丈夫 okay だ、
あなたはそれをすることはできる。
 
もし、あなたが成功するならば、
教会は金 gold をより多く持てるだろう、
そこには恐れることはない。
 
 
 
しかし、これはただの偽りの外見 facade だった、
それは本物の錬金術 alchemy ではない、
それはただの外側 outside だった。
 
カーテンの背後の本物の働きはまったく異なる different ものだった、
 
それは、低次の存在 lower being を
高次の存在 higher being へと
変容 transforming するものだった。
 
it was transforming the lower being into the higher being. 
 
 
 
それはまさしく
『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』だ、
 
いかにして、
あなたの性欲 sexuality(卑金属 baser metal)を
霊性 spirituality(金 gold)へと
変容 transform するのか。
 
how to transform your sexuality, the baser metal, into spirituality, the gold.
 
 
 
しかし、不必要な手間 unnecessary trouble を取らなければならなかった、
 
彼らは、彼らの仕事は金 gold にかかわることだと
社会が納得するように
外側 outside を手配 arrangements しなければならなかった。
 
そして、みんな金 gold に興味がある。
 
教会はとても金 gold に興味がある、
神 God ではなく。
 
 
 
ロヨラ Loyola は偉大な神秘家 mystic だった。
彼はイエズス会 Society of Jesus をつくった。
 
そして、とても敵対する antagonistic 法王 Pope が権力 power を持った。
 
誰かが彼に言った、
 
「あなたはどうするのですか?
今何が起こるのですか?
社会は法王の命令によって解体 dissolved されることができます。」
 
ロヨラ Loyola は言った、
 
「15分間の祈り、そして、全ては同じままだろう。
15分間で私は深い瞑想 meditation の中へと入って行ける、それだけだよ。
なぜなら、いつであれ、私はそこにいる、
問題は何1つもない。
まったく問題は何1つもない。
 
Fifteen minutes in prayer, and all will be the same. 
It will just take me fifteen minutes to go deep into meditation, that’s all. 
Because whenever I am there, nothing matters. Nothing matters at all.」
 
 
 
呂祖師は言った、
 
15分間だけ…
 
 
 
もし、あなたがたった15分(一刻)でも瞑想 meditation するならば、
万の劫 aeons も千の生 births も
それによってあなたは徹し終わることができる。
 
全ての方法 methods は静けさ quietness の中に帰る。
 
 
If you only meditate for a quarter of an hour,
by it you can do away with the ten thousand aeons and a thousand births.
 
All methods end in quietness.
 
 
若一刻能靜坐、萬劫干生、從此了徹。
萬法歸於靜、真不可思議、此妙蹄也。
 
 
 
それを覚えておきなさい。
 
どんな方法 method でも
その目的地 goal は同じだ、
 
静けさ quietness、
完全なる内側の沈黙 utter silence inside、
思考がないこと thoughtlessness、
どんな中身もない意識だけ only consciousness without any content。
 
 
 
この不可思議 marvelous magic は計り知れない fathomed。
 
 
This marvelous magic cannot be fathomed.
 
 
真不可思議、
 
 
 
それは計り知れない unfathomable 深さ depth だ。
 
思考 thoughts が消え disappear
あなたが単に沈黙 silent である時、
 
すると、その沈黙 silence は底なしの深淵 bottomless abyss だ、
 
それは測ることができない。
 
 
 
太平洋 Pacific Ocean の海の深さ測ることができる fathomed
…それは5マイルの深さだ、
 
しかし、あなたの内側 inside の太平洋 Pacific Ocean は
測ることができない
…それは無限 infinite だ。
 
あなたは掘り digging 続けることができる
そして、深く深く潜り diving
そして、あなたはそれを測ることはできないだろう、
あなたはまったくそれの底 bottom に着かないだろう。
 
 
 
思考 thoughts だけが測る measured ことができる、
 
思考がないこと thoughtlessness は計測できない immeasurable。
 
ゆえに、思考がないこと thoughtlessness は
神 God の別名 another name だ。
 
 
 
しかし、覚えておきなさい、
 
思考がないこと thoughtlessness は
一種の眠り sleep であってはならない、
 
なぜなら、それはとても普通 ordinary だからだ。
 
それは毎日起こっている、
深い眠りの中で、
夢 dream が消えた時、
あなたは深淵 abyss の中へと落ちる fall。
 
だからこそ、深い眠りは
とても若返らせ rejuvenating、
とても新鮮 refreshing である。
 
朝、あなたは再び生き生き alive と感じる、
新しく new、生まれ変わった reborn。
 
しかし、それは無意識 unconscious だ。
 
 
 
パタンジャリ Patanjali は
深い眠り deep sleep と
समाधिः samādhiḥ samadhi サマーディ は
とても似ている similar が、
たった1つ異なり difference があると言った、
 
眠り sleep の中では
あなたは無意識 unconscious だ、
 
समाधिः samādhiḥ samadhi サマーディ の中では
あなたは意識 conscious だ。
 
しかし、あなたは同じ「空間 space」に行く、
同じ測ることのできない unfathomable、
あなたの内なる within 不可思議 magical な「空間 space」へ、
 
そこは
思考がない no thought、
欲がない no desire、
あなたのマインドの波動がない no vibration in your mind、
全てが静かだ all is quiet。
 
 
 
全ての方法はそれへと導く
 
All methods lead to it 
 
ヨガ Yoga、
タントラ Tantra
道(Tao タオ)Tao、
ハシディズム Hassidism、
 
全ての方法は
異なる角度から
それへと導く、
 
all methods lead to it from different angles; 
 
それらは異なる人々のために考案 devised された。
(世界にはさまざまなタイプの人々がいるために)
 
they have been devised for different people.
 
 
 
しかし、実践 practice がはじまると、
人は浅いもの obvious から 深いもの profound へ、
粗いもの coarse から 細かいもの fine へと
押し進まなければならない。
 
 
But when the practice is started,
one must press on from the obvious to the profound,
from the coarse to the fine.
 
 
然工夫下手、由淺入深、由粗入細、總以不間斷為妙。
 
 
 
はじめは、大きな努力 effort が必要とされる。
 
人は浅いもの obvious から 深いもの profound へと
押し進まなければならない。
 
 
 
浅いもの obvious とはなんだろう?
 
…浅いもの obvious とは
あなたの絶え間ない continuous
思考 thought の過程 process だ。
 
 
 
深いもの profound とはなんだろう?
 
…ただの思考のない状態 state of no-thought だ。
 
 
 
粗いもの coarse, gross とはなんだろう?
 
…全てのマインド(思考)mind の中身 contents は粗いもの coarse, gross だ。
 
 
 
細かいもの fine, subtle とはなんだろう?
 
…中身がない状態 state of no-content が細かいもの fine, subtle だ。
 
 
 
人は押し進まなければならない。
 
One must go pressing on. 
 
 
 
はじめは、大きな努力 effort が必要になるだろう。
 
はじめは、あなたはその行い work に完全に
献身的に committed ならなければならない、
 
そうしてはじめて、
瞑想 meditation が無努力 effortless になる時
至福に満ちる blissful 瞬間が生じる。
 
 
 
最初に、瞑想 meditation は男性性 masculine のエネルギー energy であらねばならない。
 
First, meditation has to be masculine energy. 
 
そうしてはじめて、それが終わるとき、
それは女性性 feminine のエネルギー energy になる。
 
Only then, in the end, can it become feminine energy. 
 
だからこそ、私の主張は
はじめはダイナミックな方法だ。
 
(dynamic…激しい動きのある方法)
 
That’s why my insistence is on dynamic methods in the beginning. 
 
あなたの全努力を最大限まで持ってきなさい。
 
Bring all your effort to the maximum. 
 
あなたの持っている全てをそれに賭けなさい、
後ろに退くことなく、
 
Put all that you have at stake, 
don’t hold anything back, 
 
すると、ある日、あなたは
努力なしでつくろぐことができるようになるだろう。
 
and then, one day, you will be able to relax without effort. 
 
ただあなたの目を閉じるだけで
あなたは第3の目 third eye に到達できるだろう。
 
Just by closing your eyes 
you will be able to reach the third eye.
 
 
 
…実践 practice がはじまると、
人は浅いもの obvious から 深いもの profound へ、
粗いもの coarse から 細かいもの fine へと
押し進まなければならない。
 
全ては中断する interruption ことなく行い続けること次第 depends だ。
 
 
…when the practice is started,
one must press on from the obvious to the profound,
from the coarse to the fine.
 
Everything depends on there being no interruption.
 
 
然工夫下手、由淺入深、由粗入細、總以不間斷為妙。
 
 
 
それを規則正しい現象にしなさい。
 
And make it a regular phenomenon.
 
 
 
実践 practice のはじまりから終わりまで
1つを守り従わなければならない。
 
その間に冷暖の瞬間を体験しながら、
自ずから知る。
 
しかし、目的地は
天の広大さと海の深さに至ることでなければならない、
そうすると、全ての方法 methods は
とても容易 easy であたりまえ granted のようになる。
 
そうしてはじめて私達はそれを得手した mastered。
 
 
The beginning and the end of the practice must be one.
 
In between there are cooler and warmer moments,
that goes without saying.
 
But the goal must be to reach the vastness of heaven and the depths of the sea,
so that all methods seem quite easy and taken for granted.
Only then Have we mastered it.
 
 
工夫始終則一、但其間冷暖自知、要歸於天空海闊。
萬法如如,方為得手。
 
 
 
本物の習得(完全なる理解)mastery は
努力が必要ではなくなった時だ、
全ての努力を落とすことができる時だ。
 
The real mastery is when no effort is needed, 
when all efforts can be dropped. 
 
本物の習得(完全なる理解)mastery は
方法 method が必要ではなくなった時だ、
全ての方法を落とすことができる時だ。
 
The real mastery is when no method is needed, 
when all methods can be dropped. 
 
本物の習得(完全なる理解)mastery は
瞑想 meditation がもう「する do」ことではなくなり、
まさしくあなたが「瞑想 meditation の状態である be 」ことだ。
 
The real mastery is when meditation is no longer a thing to do but has become your very state. 
 
 
 
あなたはその中で生きる live、
あなたはその中で歩く walk、
あなたはその中で坐る sit、
 
「坐ることも禅であり、歩くことも禅だ。
 
Sitting in Zen, walking in Zen.」
 
あなたはその中で食べる eat
あなたはその中で眠る sleep。
 
あなたがそれだ。You ARE it.
 
 
 
その瞬間もまたやって来る。
 
しかし、はじめは、
人は全てのエネルギー energy で
行わなければならない。
 
覚えておきなさい、
 
水 water が100度の熱で蒸発 evaporates するように
 
…99度ではなく、99.9度ではなく、
まさしく100度で蒸発するように…
 
あなたがあなたの全一 total のエネルギー energy を注いだ時に、
100度に達した時に、
直ちに、卑金属 baser metal は金 gold へと変わる。
 
直ちに、性エネルギー sexual energy は
霊性の世界 spiritual world の中を貫く penetrated。
 
直ちに、外側 outside へと流れ出していたエネルギー energy は180度の方向転換 turn をして、
 
「外向 outward」「下降 downward」から
「内向 inward」「上昇 upward」へと
180度の方向転換をし、逆流 backward flowing をし、
 
エネルギー energy は内側 inside へと流れ
「上昇 upward」し
 
2つの目は『1つ one』になる。
 
and the two eyes become one eye. 
 
すると、内側 inner と 外側 outer の全ては光明 enlightenment である。
 
 
 
エス Jesus は言った、
 
「木を割りなさい、するとあなたは私を見つけるだろう。
石を打ちなさい、すると私はそこにいる。
 
Cleave the wood and you will find me. 
Strike the stone and I am there.」
 
 
 
これは究極の状態 ultimate state だ、
 
あなたが木を割ると
あなたは神 God を見つける、
 
あなたが石を打つと
あなたは神 God を見つける。
 
すると、あなたは
神 God の上を
神 God の中を
神 God として歩いている。
 
すると、あなたは
神 God を呼吸 breathe し、
 
すると、あなたは
神 God を食べ eat、
神 God を飲む drink、
 
なぜなら、全ては神 God だからだ。
 
この究極の体験 ultimate experience は
呂祖師が言う解放 released だ。
 
そして、それは第3の目 third eye の中にある。
 
 
 
Enough for today.
 
 
 
chapter 10 へ続く : The Zorba-Buddha Synthesis…
 
 
 
from osho talks
 
The Secret of Secrets, Vol 1
 
Talks on the Secret of the Golden Flower
 
Talks given from 11/08/78 am to 26/08/78 am 
English Discourse series
 
chapter 9 : Riding on a Miracle
 
19 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
osho の講話は
1日目はある題材に関するお話、
2日目は質問に答えるお話、
というように1日起きにその順番で行われます。
 
あらゆる質問にものすごく丁寧に、
詳しく、わかりやすく、話していています。
 
はじめは厳しいように感じるかもしれませんが
人々が苦しみに気づき、手放せるように、と
とても深い愛 love の導きがあります。
 
人々からの質問は一見その講話の題材と
関係ないように思えるかもしれませんが
 
その質問があり、それに答えるからこそ
その題材がより深くわかったりもする
講話となっているような、
 
質問と答えのお話も含めて
何日間にも渡る講話全体を聞き終わると
その題材の講話の内容が
すーと身に染み込むようにわかります。
 
この講話の和訳本がありましたが
もう販売されていなくて入手不可能ですから
自力で英語の講話を読んで
さらに、英語の勉強と osho との瞑想と思い
自力で和訳してみました。
 
とても時間がかかるので
全チャプター和訳する前に
死んでしまうかもしれませんしσ(^_^;)
 
チャプター10 の和訳がいつ終わるのかわかりませんがσ(^_^;)
 
ど素人なので直訳しかできませんがσ(^_^;)
 
趣味レベルでよろしければ
興味がある方はお楽しみください。
 
詳しくは「osho でイングリッシュ!」に書きました。
 
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ぜひ英語の原文で読みたい!という方は…
 
この osho の英語の全チャプターの講話
The Secret of Secrets, Vol 1&2 は 
pdf データで
サイドバーのリンクにもある
OSHO WORLD にてフリーダウンロードできます。
こちらをクリックしてください。
 
 
 
また、この osho samadhi समाधिः の英語の方のブログでは
この The Secret of Secrets, Vol 1&2 の講話の
全チャプターを載せてありますから
こちらの日本語のブログのように
絵つきでよければご覧になってください。
 
 
 
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f:id:premmashal:20190703132605j:image
 
subtle body and chakra について
英語の講話の1チャプターだけです。
yoga : the alpha and the omega, vol 9 ch1
 
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osho transformation tarot のこのカードの解説はこちら。
 
 
 
beloved osho
beloved all enlightened masters 
beloved all
 
 
 
”The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.”
 
 
 
sammasati
It means right remembrance.
サマサティの意味は ”正しく想起する”。
 
 
 
meditation & love
 
 
 
osho samadhi समाधिः
 
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