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ch10 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1

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ch10 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1
 
  
 
黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)
The secret of the Golden Flower
 
 
 
ch10 : The Secret of Secrets, Vol 1
 
 
 
chapter 10
The Zorba-Buddha Synthesis
ゾルバとブッダの総合
 
20 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
質問 1
the first question
 
Osho、私の全人生で私は「はい Yes」と言ってきました
私はあなたと一緒にここにいて
「はい Yes」は本当に正しいように思いますが、
今は「いいえ No」だけなのです。
この「いいえ No」は何でしょうか?
 
OSHO, ALL MY LIFE I HAVE SAID YES 
AND NOW THAT I AM HERE WITH YOU 
AND THE YES SEEMS REALLY RIGHT, 
THERE COMES ONLY NO. 
WHAT IS THIS NO?
 
 
 
(osho)
 
バードラ Bhadra、
それはとても自然 natural なことだ。
 
もし、あなたの全人生であなたが「はい Yes」と言ってきたならば、
それは間違い false に違いない、
それは偽り pseudo に違いない。
 
あなたはあなた自身が「はい Yes」と言うことに集中 forced してきたに違いない、
 
あなたはあなたの「いいえ No」を絶え間なく continuously 抑圧 repressed してきたに違いない。
 
 
 
そして、私はくつろぎ relaxation を教える、
そして、私は表現 expression を教える。
 
だから、抑圧していた repressed「いいえ No」が上がってきた、表面 repressed に。
 
あなたはそれを許しなさい。You allow it. 
 
どうかこれ以上「いいえ No」を抑圧 repress しないように。
 
 
 
もし、あなたがここ here で「いいえ No」を抑圧 repress するならば、
すると、あなたは「いいえ No」をどこで表現 express するのかな?
 
ひとたび、「いいえ No」が表現 expressed されたら、
あなたは「いいえ No」から自由 free であるだろう、
すると、本物 real の「はい Yes」がやって来るだろう。
 
あなたがこれまで知っている「はい Yes」は本物 real ではない。
 
あなたはこの「はい Yes」に努めて cultivating きた。
 
「はい Yes」はただ表面的 surface だった。
 
あなたの中の奥深くには「いいえ No」がいつも在った existed。
 
しかし、
これが私達が育ってきたあり方だ。
これが私達が条件付けられた conditioned あり方だ。
 
これが、いかにして人々が完全に
間違い false、
偽善的で hypocritical、
分裂している split かだ。
 
彼らの顔 face はある1つのことを言っている、
彼らの『存在 being』はまったくその反対 opposite のことを言っている。
 
これが、いかにして
全人類が一種の統合失調症(精神分裂症) schizophrenia になったのかだ。
 
 
 
私の取り組み approach は
「はい Yes」と「いいえ No」は
両方 both ともまったく必要であるということだ、
それは内なる inner リズム rhythm の1部分だ。
 
「いいえ No」と言うことができない人は
「はい Yes」と言うこともできない、
 
そしてもし、その人が「はい Yes」と言うならば、
その人の「はい Yes」は無力 impotent であるだろう。
 
「いいえ No」と命にかかわるほど vitally 言うことができる人だけ
「はい Yes」と命にかかわるほど vitally 言うことができる。
 
 
 
「はい Yes」と「いいえ No」は
お互いに依存 dependence している、
 
生 life と 死 death が
お互いに依存 dependence しているように、
 
闇 darkness と 光 light が
お互いに依存 dependence しているように、
 
愛 love と 憎しみ hate が
お互いに依存 dependence しているように。
 
これは本来備わっている intrinsic 生 life の極性 polarity だ。
 
 
 
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もっとより良い世界 world では、
もっと自由 freedom で、
もっと理解があり understanding、
子供は「いいえ No」と言う感じの時に
「はい Yes」と言うように教えられないだろう、
子供は勇気 courage を教えられるだろう。
 
いつであれ、子供が「いいえ No」と言う感じの時は、
子供は「いいえ No」と言わなければならないと。
 
すると、子供の「はい Yes」は意味を持つだろう。
 
子供は宗教 religion を教えられることはないだろう、
なぜなら、宗教 religion は「はいを言う yes-saying」ものだからだ。
 
子供は有神論者 theist になるように強いられることはないだろう
 
子供は勇気づけられるだろう
両親 parents によって、
学校 school によって、
大学 university によって、
正直 honest によって、
誠実 sincere によって、
そして、自然に本物の「はい Yes」がやって来るのを待つ。
 
 
 
世界 world はとても偽り・間違い false になった。
 
あなたはこの誤り・虚偽 falsity がどこから生じるのかわかることができるかな?
 
何百万もの多数の人々が
教会 churches、
寺院 temples、
モスク mosques、
グルドワラ GURUDWARAS
へ行く、
 
そして、たった1人も宗教的 religious ではない。
 
これは何の種類の神経症 neurosis かな?
 
人々はただの形だけのもの formality として行く、
 
人々は行く、なぜなら、人々は行くように教えられたからだ、
 
人々は行く、なぜなら、人々は
行くという習慣 habit に中毒になっている addicted からだ。
 
それはただの習慣 habit だ。
 
もし、人々が行かないならば、
人々は罪悪感 guilt を感じる。
 
もし、人々が行かないならば、
人々は彼らの両親や社会を裏切る betraying ように感じる。
 
 
 
もし、人々が行くならば、
人々はその中に喜び joy はない。
 
人々は単にその中へ彼ら自身を引きずって行く drag。
 
人々は単に儀式 ritual が終わるまで待つ、
祈り prayer が終わるまで待つ、
その後、人々は寺院 temple や教会 church から逃げ出す escape out ことができる。
 
それは偽物 bogus の種類の宗教 religion だ。
 
そしてそれが
人々が「いいえ No」と言うことをけっして許さない
理由 reason だ。
 
 
 
まず最初に「いいえ No」が来なければならない、
そうしてはじめて、「はい Yes」がやって来ることができる。
 
本物 really の有神論者 theist であるためには、
まず最初に、人は
無神論 atheism の過程を通って行かなければならない。
 
本物 really の神 God の信仰者 believer であるためには、
まず最初に、人は
疑い doubt の闇 dark の夜 night を通って行かなければならない、
そうしてはじめて、暁(夜明け)dawn が来る。
 
それに代わる他の道(方法)はない。
 
There is no other alternative.
 
 
 
それは良い、バードラ Bhadra、
「いいえ No」が生じることは。
 
あなたは、あなたの生 life の中で
はじめて真実 true である。
 
起こるがままにさせなさい、
 
そうすると、「はい Yes」はついてくるだろう
ちょうど昼 day が夜 night の後をついてくる follows ように。
 
 
 
しかし、このいたずら mischief があなたになされた
…大きなものの名のもとで、
神 God、
祈り prayer、
国家 country、
愛 love、
宗教 religion、
教会 church
エス Jesus、
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
कृष्णः kṛṣṇaḥ クリシュナ。
 
これらの偉大なる名のもとで
とても多くのいたずら mischief があなたにされた。
 
あなたは操作された manipulated。
 
そして、その結果 outcome はなんだろう?
 
あなたは作り物の現象 plastic phenomenon になった、
 
あなたは本物 really の宗教的 religious の人に
なることができる誠実さ sincerity を持っていない。
 
 
 
私自身の観察 observation はこうだ、
 
神 God に「いいえ No」を言うことができなかった人は
けっして「はい Yes」と言うことができないだろう、
または、もし「はい Yes」と言うとしても、
その「はい Yes」は無意味 pointless であるだろう。
 
 
 
いわゆる宗教 so-called religion とは
グレゴリー ベイトソン Gregory Bateson が言うダブル バインド double-bind だ。
 
The so-called religion is what Gregory Bateson calls the double-bind. 
 
(double-bind とは…
矛盾したコミュニケーション状況におかれること、
そのような状況下にあると混乱や疑心暗鬼になる)
 
人が双方に矛盾する2つ two のことをするように命令 ordered されること
 
誠実・正直 sincere であること
信じること believe 。
 
One is ordered to do two things which are mutually exclusive: 
to be sincere and to believe. 
 
もし、あなたが信じる believe ように言われたならば、
どうやってあなたは誠実・正直 sincere であることができるだろうか?
 
How can you be sincere if you are told to believe? 
 
 
 
信じること believe とは
偽善的 insincere であることだ。
 
To believe means to be insincere. 
 
信じること believe とは
あなたが知らない何かを信じること believe、
 
あなたの全ての心 heart は言う、
 
「いいえ、私は知りません。
どうやって私は信じることができますか?」
 
信仰・信じること belief は偽善的 insincere である。
 
To believe means to believe in something that you don’t know, 
to which your whole heart says,
’No, I don’t know. 
How can I believe?’
 
Belief is insincerity. 
 
 
 
そして、あなたは
誠実・正直 sincere であること
信じること believe 
の矛盾した2つの両方であるようにと言われてきた。
 
And you have been told to be sincere and to believe. 
 
これがあなたの中でダブル バインドを作る。
 
This creates a double-bind in you. 
 
 
 
あなたの宗教 religion は、
あなたのいわゆる宗教 so-called religion は、
偽善的 insincerity が基盤だ
 
…どうしたらそれが宗教的 religious であることができるのか?
 
Your religion, your so-called religion, is based on insincerity 
– how can it be religious? 
 
まさにはじまりが毒されている、
まさに源が腐っている。
 
The very beginning is poisoned, the very source has gone sour. 
 
 
 
子供は宗教 religion を教えられるべきではない。
 
No child should be taught religion. 
 
子供 child でさえ
探究 inquiry、
疑い doubt、
論理 logic、
理由・理性 reason を
教えられるべきだ。
 
 
 
そして、なぜ、あなたは
論理 logic、
疑い doubt、
理由・理性 reason
をそんなに恐るのかな?
 
なぜなら、もし、子供 child が本当に
疑い doubt の中に深く入ったならば、
その子はその子自身でそれの無益さ futility を見つけるだろう。
 
Because if a child really goes deep into doubt, 
he will find the futility of it on his own. 
 
そして、そこから真実 truth が生じることを見つける。
 
すると、その信頼 trust は美しい beauty、壮麗だ grandeur。
 
 
 
もし、子供 child が理由・理性 reasons のまさに終わりになるならば、
子供 child は
今や理由・理性 reasoning が最終地点にやって来た
しかし、存在 existence は続いている
ということを見ることができるであろう
その地点に来るだろう。
 
If a child reasons to the very end, 
he will come to the point where 
he will be able to see that 
now reasoning has come to an end 
but existence goes on and on. 
 
存在 existence は 理由・理性 reasoning を超越 beyond した何かだ。
 
しかし、全ての子供 child がその子自身のやる気・根性 guts の中でそれを感じるようにさせよう!
 
But let every child feel it in his own guts!
 
宗教 religion に真実 true であるためには
宗教 religion にやる気・根性 guts でなければならない、
 
信仰・信じること belief ではなく。
 
 
 
子供 child ができる限りたくさん考えるようにさせよう、
子供 child の全能力 full capacity のために、
 
子供 child が最大限に疑い doubt、論理 logic、理由・理性 reasoning に燃焼させよう、
 
let him burn with doubt, logic, reasoning, to the maximum, 
 
そうすると、子供 child は思考力 intellect の限界 limitations を見るだろう。
 
それは必ず起こる。It is bound to happen. 
 
そして、あなた自身による体験 experience によって
思考力 intellect の限界 limitations がわかった時、
 
あなたは超越・彼方 beyond の中へと動きはじめる、
you start moving into the beyond; 
 
あなたはマインド(思考)mind より優れはじめる。
 
you start surpassing the mind.
 
 
 
信仰・信じること belief はマインド(思考)mind だ。
 
Belief is of the mind. 
 
このいわゆる so-called 
はいと言う yes-saying ことは
マインド(思考)mind だ。
 
 
 
私はあなたに別の種類の「はい Yes」を教える、
それは「いいえ No」を恐れない、
別の種類の信頼 trust、
それは無神論 scepticism を恐れない、
その逆 contrary に、無神論 scepticism を
飛び板 jumping-board として使う、
疑い doubt を浄化 cleansing の過程として使う。
 
 
 
信頼 trust は信頼 trust されなければならない、
信頼 trust することは信用 faith の行為だ。
 
Truth has to be trusted: 
to trust is an act of faith. 
 
しかし、信頼 trust のどの声明も試さ tested なければならない、
試す test ことは疑い doubt の行為だ。
 
But any statement of truth has to be tested too: 
to test it is an act of doubt. 
 
 
 
信用 faith と疑い doubt は両方 both 信頼 trust の役に立つ serve
…これが私があなた方に教えることだ。
 
Faith and doubt both serve truth 
– this is what I teach you. 
 
信用 faith と疑い doubt は
信頼 trust と呼ばれる鳥の2つの翼だ。
 
Faith and doubt are two wings of the bird called trust. 
 
もし、あなたが片方の翼 wing を切り落としたら、
その鳥 bird は飛ぶ fly ことができない。
 
「はい Yes」と「いいえ No」は2つの翼 two wings だ、
両方 both を使う、
それらの全体として totality それらを使う。
 
けっして誠意のない偽善的 insincere ではないようにしなさい、
神 God の名の中でさえも。
 
 
 
誠実さ sincerity は
どんな教義 dogma よりも、
どんなキリスト教信仰 Christianity よりも、
どんなヒンドゥー教信仰 Hinduism よりも、
どんなイスラム教信仰 Islam よりも
より果てしなく価値がある valuable。
 
誠実さ sincerity は基本 foundation だ。
 
しかし、誠実 sincere であるということは
あなたはあなたの内側 within 全て all を
表現 expression しなければならない。
 
ときどき、それは「はい Yes」、
ときどき、それは「いいえ No」。
 
そして、あなたはその両方 both を受け入れ accept なければならない。
 
 
 
だから、バードラ Bhadra、
それはなにか美しいことが起こったのだから
心配することはない。
 
私はあなたにどんな「はい Yes」をも強いること
はしない、
私は単にあなたが「はい Yes」と「いいえ No」の
両方 both の全過程を通って行くことを助ける、
 
するとある日、あなたは
「はい Yes」と「いいえ No」は敵 enemies ではなく、
反対 opposite ではなく、
補完し合っている complementaries ことに
『気づく aware』ようになる。
 
 
 
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人間ははてなマーク question mark だ。
 
そして、それは神の恵み blessing だ
…それを祝い celebrate なさい。
 
それは神の恵み blessing だ
なぜなら、人間だけがはてなマーク question mark だからだ。
 
犬 dog はそうではない。
木 tree はそうではない。
 
薔薇の木は美しい、しかし人間のような美しさではない、
 
月 moon は美しい、しかし人間のような美しさではない
 
…なぜなら、それらはみな無意識 unconscious だからだ。
 
人間だけが探求 quest に意識的 consciously である。
 
そして、もし、あなたがあなたの『存在 being』に
はてなマーク question mark を持っていないならば、
どうやってあなたは探求 quest であることができるだろうか?
 
神 God はあなたの『存在 being』の中に
はてなマーク question mark と共に
あなたに送った。
 
それを祝い celebrate なさい
…それは大きな責任 responsibilityだ、
大きな遺産 heritage だ。
 
 
 
質問を尋ねなさい Ask questions。
 
探究 inquire しなさい。
 
疑い doubt なさい。
 
 
 
そして、心配しないように、
なぜなら、私は知っている、
もし、あなたが十分に長い間、疑い doubt であるならば、
あなたが信頼 trust に到達 arrive するだろうことを。
 
そして、その到達 arrival は信じられない incredible ことだ、
なぜなら、あなたはあなた自身で到達 arrived したからだ。
 
それはあなた自身の体験 experience だ、
 
それはもう信仰・信じること belief ではない、
 
それは知っていること knowing だ。
 
 
 
オーロビンド ゴーシュ Sri Aurobindo Ghose は
ある哲学者 philosopher によって尋ねられた、
 
「あなたは神 God を信じますか believe?」
 
そして、彼は言った、
 
「いいえ No。」
 
哲学者 philosopher は一瞬、衝撃を受けた。
彼は長い旅をして来た、
この男が神 God を知っていると信じて、
なのにこの男は言う、
 
「私は神 God を信じない。」
 
一瞬、彼は他のことを尋ねる勇気を集めることができなかった。
 
衝撃を受け、彼はしゃべれなくなった。
そして、彼は言った、
 
「しかし、私はあなたは神 God を見たと思っていました。」
 
オーロビンド ゴーシュ Sri Aurobindo Ghose は笑って言った、
 
「そうだ、私は見たよ、
だからこそ、私は信じないと言う。
 
信仰・信じること belief は無知 ignorance から来るものだ。
 
私は知っている I know!
 
私は『信じること believe』はしない。I don’t ”believe”.」
 
 
 
そして、それを覚えておきなさい、
 
あなたは知らなければならない、
 
あなたは信じる believe ためにここにいるのではない。
 
私の助けはあなたが知る KNOW ために役に立つ。
 
My help is available for you to KNOW. 
 
 
 
信仰・信じること belief は
マインド(思考)mind のたくらみ trick だ。
 
知ること knowing なしに、
あなたが知っている known ように感じることを
あなたに与えるたくらみだ。
 
人間ははてなマーク question mark だ
…そして、それは神の恵み blessing だ。
 
それを祝い celebrate なさい、
それを踊り dance なさい、
それを喜び rejoice なさい、
 
なぜなら、はてなマーク question mark なしでは
信用 faith か 疑い doubt であることはできないからだ
…確実 certainty な死 dead だ。
 
動物 animals が生きている所は確実 certainty な死 dead の中だ。
 
そして、だからこそ、
あなたの聖職者 priests やあなたの政治家 politicians は
確実 certainty な死 dead の中であなたに生きて欲しい。
 
生 life を躊躇する hesitates。
生 life は不確か uncertain だ。
生 life は不安 insecure だ。
 
だからこそ、それが生 life だ、
なぜなら、生 life は動いている moves からだ。
 
 
 
ソクラテス Socrates はこう言ったと報告されている、
 
「私は豚 pig で満足 contented になることを好まない。
豚 pig で満足 contented であることよりも、
ソクラテス Socrates に不満足 discontented なままでありたい。
 
I would not like to become a contented pig.
Rather than being a contented pig,
I would like to remain a discontented Socrates.」
 
満足な豚(愚か者)より不満足なソクラテス
 
It is better to be Socrates dissatisfied than a pig (fool) satisfied.
 
それに瞑想 meditation しなさい。
 
それは途方もなく価値のある声明だ。
 
 
 
豚 pig は満足 contented だ、
完全に確かに absolutely certain。
 
だからこそ、
頑固 stubborn で
彼ら自身を完全に確か absolutely certain だと思う人々を
貪欲 piggish と呼ぶ。
 
 
 
例えば、かわいそうなモラルジー デーサーイー Morarji Desai は
貪欲 piggish と呼ばれている。
 
頑固 stubborn な人々は必ず愚か stupid だ。
 
 
 
生き生きしている alive 人は
不確かな uncertainties 中へと動く、
知らないこと unknown の中へと動く。
 
その人は確実 certainty な死 dead の中で
生きる live ことはできない。
 
 
 
確実 certainty は単に
疑い doubt がないことを意味する。
 
疑い doubt からではない、
成長 growth からではない、
別の種類の知ること knowing がある、
 
その種類の知ること knowing がやって来た時、
再びあなたは確実 certain ではない。
 
しかし、今や、不確実性 uncertainty は
全く異なる味 different flavour を持つ。
 
 
 
もし、あなたが
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
神 God について尋ねるならば
彼は沈黙 quiet を保つだろう。
 
それがगौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
オーロビンド ゴーシュ Sri Aurobindo Ghose より
はるかに優れているところだ。
 
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
完全に沈黙 silent を保った、
 
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
「はい Yes」または「いいえ No」を言わなかった。
 
なぜ?
 
…なぜなら、彼は言う、
 
「究極 ultimate はとても途方もなく広大で
「はい Yes」というと間違いだろうし、
「いいえ No」と言うと間違いだろう、
なぜなら、私達の言葉はとても小さい
それらは究極 ultimate を含むことができないからだ。
究極 ultimate は沈黙 silence を通してだけ伝える conveyed ことができる。
 
The ultimate is so tremendously vast that 
to say yes will be wrong, to say no will be wrong, 
because our words are so small they cannot contain the ultimate. 
The ultimate can only be conveyed through silence.」
 
 
 
ある禅 zen の導師 master は尋ねられた、
 
「神 God について何かを言うことはできますか?
 
Can you say something about God?」
 
導師 master は全く沈黙 silent のままだった、
彼は目を開けて質問を聴いた
その後、彼は目を閉じた。
 
少しの間が過ぎた。
 
質問者 questioner にとって
それらの少しの間はとても長いように思えた。
 
彼は待っていた waiting
そして、落ち着かなくなっていた restless、
 
そして、導師 master はどこか他の空間 space の中に動いていた。
 
導師 master の顔 face には大きな恍惚 ecstasy があったが
答え answer はない。
 
その恍惚 ecstasy が答え answer だった。
 
That ecstasy was the answer. 
 
導師 master の『存在 being』の中に
完全なる沈黙 silence があった、
 
そして、その沈黙 silence は
導師 master の周り全てに振動 vibrant していた
…あなたはもう少しでそれに触れそうだ、
それはとてもしっかりしている solid。
 
しかし、落ち着きがない質問者 restless questioner は
まったくその波動 vibration に『気づき aware』がない、
 
彼は彼の質問 question にとても関心 concerned があった、
そして、彼は答え answer を待っていた waiting。
 
彼は導師 master を揺すって言った、
 
「何をしているのですか?
私は質問 question を尋ねたのです、
そして、あなたは目を閉ざし、
静かに silence 坐って sitting いる。
質問 question に答えて answer ください!」
 
そして、導師 master は言った、
 
「しかし、それが私が質問に答えていることだ。
これが私の答えだ。
 
But that’s what I was doing. 
This is my answer.」
 
確かにこれは
オーロビンド ゴーシュ Sri Aurobindo Ghose の答え answer より
はるかに優れている。
 
しかし、その人は、その質問者 questioner は、
満足 satisfied しなかった。
 
彼は言葉の上で verbally 伝えて conveyed 欲しかった。
 
彼は強く主張した insisted、
そして、彼は導師 master から去らなかった。
 
だから、導師 master は言った
 
「わかった Okay。」
 
彼らは川 river の土手 bank に坐っていた。
 
導師 master は彼の指 finger で砂の上にこう書いた、
 
瞑想 meditation。
 
 
 
さあ、質問 question は神 God についてだ、
そして、答え answer は瞑想 meditation についてだ。
 
それはまったく的はずれだ irrelevant。
 
そして、質問者 questioner はふさわしくこう言う、
 
「あなたはふざけているのかなんですか?
私は神 God について尋ねたのです、
しかし、あなたは砂の上に、瞑想 meditation と書いた。」
 
そして、導師 master は言った、
 
「それが私が言うことができる全てだ、
または、私が言うことを許されている全てだ。
 
あなたは目的地 goal について尋ねた、
私はその道 / the Way について語った、
 
なぜなら、その目的地 goal は
とても理解できない incomprehensible、
とても 神秘的 mysterious で、
それについて何ひとつも言うことができないからだ。
 
私は単に沈黙 silence の中に坐る sit ことはできる。
 
I can simply sit in silence. 
 
もし、あなたが観る see ことができる目を持っているならば、
観なさい see!
 
If you have eyes to see, see! 
 
もし、あなたが聴く hear ことができる耳を持っているならば、
聴きなさい hear!
 
If you have ears to hear, hear! 
 
私の沈黙 silence を聴きなさい hear
 
Hear my silence, 
 
そして、歌 song は私の沈黙 silence だ、
 
and the song that my silence is, 
 
そして、音楽 music がその中に生じる。
 
and the music that arises in it. 
 
もし、あなたがそれを聴く hear ことができないならば、
それは単にあなたに瞑想 meditation が必要なことを表している。
 
だから、瞑想 meditation だ。」
 
その人は言った、
 
「たったこれだけ…一言 one word、
『瞑想 meditation』?
 
もう少しそれを詳しく述べてくれますか elaborate?」
 
導師 master は再びより大きい文字を書いた、
 
瞑想 meditation。
 
それが彼の詳しく述べた elaboration ことだった。
 
その人は不思議 puzzled に思い言った、
 
「しかし、あなたは単に繰り返し repeating ているだけです。
さっきより少し大きくそれを書いただけでは
助けになりません。」
 
そうだから、導師 master はもっと大きい文字を再び書いた、
 
瞑想 meditation。
 
導師 master は言った、
 
「それについて、それ以上なにかを言うことはけっしてできない。
 
Nothing more can be said about it. 
 
あなたがそれをしなければならないだろう。
 
You will have to do it. 
 
あなたがそれであらねばならないだろう。
 
You will have to be it.」
 
 
 
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あなたが知らない時、
そこにはある種の不確実性 uncertainty がある、
 
なぜなら、あなたが知らない時、
どうやってあなたは確か certain であることができるだろうか?
 
There is a kind of uncertainty when you don’t know, 
because how can you be certain when you don’t know?
 
そして、あなたが知る時、
そこにはある種の不確実性 uncertainty がある、
 
なぜなら、どうやってあなたは無限 ultimate について確か certain であることができるだろうか?
 
And there is a kind of uncertainty when you know, 
because how can you be certain about the ultimate? 
 
それはとても広大 vast だ、
 
それについて確か certain であることは
それを小さく small するだろう、
それについて確か certain であることは
あなたの手の届く範囲 grasp の中に
あなたのこぶし fist の中に
表れるだろう。
 
 
 
そして、神 God は所有 possessed されることができない、
その逆 contrary に、
あなたは神 God によって所有 possessed されなければならない。
 
And God cannot be possessed; 
on the contrary, 
you have to be possessed by God.
 
 
 
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あなたの「いいえ No」を受け入れなさい、
あなたの「はい Yes」を受け入れなさい。
 
Accept your no, accept your yes. 
 
そして、「はい Yes」と「いいえ No」が
反対 opposite であると思わないようにしなさい、
 
それらは反対 opposite ではない。
 
 
 
危険 danger がないと
勇気なく no courage あることができる、
不確実性 uncertainty がなく、疑い doubt がないと
信用なく no faith あることができる。
 
危険 risk は
私達が遊ぶ play ために生まれた
ゲーム game の1部だ。
 
私達は起こりうること possibilities を習うことを学ばなければならない
…確実なこと certainties ではなく
起こりうること possibilities を。
 
 
 
私はあなた方に
神 God は可能なこと possible だ
と言うことだけできる。
 
私は「はい Yes」は可能なこと possible だ
と言うことだけできる。
 
起こりうること possibilities を学びなさい lean、
確実なこと certainties を尋ねないように。
 
なぜなら、あなたは確実なこと certainties を尋ねる、
あなたは権威 authorities を作る。
 
確実 certain であることがあなたの必要であると
あなたは
頑固 stubborn で
無知 ignorant で
確実 certain な人々の
犠牲者 victims になる。
 
オウム parrots だけが確実 certain であることができる
なぜなら、彼らは
すでに作られた答え ready-made answers を
持っているからだ。
 
学者 pundits は確実 certain であることができる
なぜなら、学者 pundits はオウム parrots にすぎないからだ。
 
本物 real の知識 knowledge の人間 は
あなたが沈黙 silent であることを助ける、
あなたが「はい Yes」と「いいえ No」を通って行くことを助ける、
信用 faith と疑い doubt を通って行くことを助ける、
暖かい warmer 瞬間と涼しい cooler 瞬間を通って行くことを助ける、
 
昼 days と夜 nights を通って行くことを助ける、
頂点 peaks と谷 valleys を通って行くことを助ける。
 
そして、本物 real の人は
あなたにどんな教義 dogma をも教えない、
 
しかし、あなたに
勇気 courage
冒険 adventure、
探究 quest
だけを教えるだろう。
 
あなたの質問 question を聴きなさい、
 
Listening to your question, 
 
 
 
私は2つの物語を覚えている。
 
普段の会話の中で
口汚い言葉 swear words を使う癖 habit を身につけた
5歳か6歳の男の子がいた。
 
彼の両親はこの癖 habit を彼にやめてもらうためにベストを尽くした、
そして、
 
and in final desperation hit upon a plan which they thought would work. 
 
両親は彼らの息子を家族の相談 consultation の中に入れて
彼の前で事実を並べて言った、
 
「さあ、息子よ、私達は
このような種類の言葉を使い続ける小さな男の子を
我が家に入れることができなくなった。
 
だから、私達はこう決めた、
もし、あなたがあなた自身の癖 habit をやめることができないならば、
なにか思い切ったことをしなければならないと。
 
私達はあなたに公平な警告を与えるよ
まさに次の時に
私達があなたの会話の中で口汚い言葉 swear word を聞いたら、
あなたはあなたの荷物をカバンに詰めて
この家を出て行くことだ。
 
私達はもうこれ以上長くその言葉のことを棚上げしておくことはできないよ。
わかるかな?」
 
彼は何も言わなかった、
だけれども彼は頭を頷いた。
 
しかし、癖 habit は、癖 habit のような、
1度にしてとても大きくやぶられた、
そして、彼らはすぐに
彼のお気に入りの口汚い言葉 swear words を
彼の会話の中で撒き散らしているのを聞いた。
 
彼の母親は言った、
 
「息子よ、私達はあなたに公平な警告を与えました
そして、今や、あなたはここから出て行くのです。
あなたの荷物をカバンに詰めなさい。」
 
その息子はしぶしぶ reluctantly 彼の部屋に行き、
彼のスーツケースに荷物を詰め、
彼の母親にさよならを言って去った。
 
彼は世界の中で彼が何をするのか知らなかった、
だから、彼は彼の考えを集めるために玄関先に座った。
 
彼が待っていると近所の者がやって来た、
彼を見て尋ねた、
 
「あなたの母親は家にいるのかな?」
 
彼はその意地悪い顔の女性を見ていった、
 
「知るかよそんなこと?
俺はもうここには住んでないんだよ。
 
How the hell should I know? 
I don’t live here anymore.」
 
 
 
これらのことを
あなたは強いる force ことはできない、
あなたは抑圧 repress することはできない、
あなたは命令 order することはできない。
 
これらのことは理解 understanding が必要だ。
 
These things need understanding. 
 
そして、両親 parents はいつもそれをしてある、
ただこう言う、
 
「これをするな、あれをしなさい。
Don’t do this, do that.」
 
ただ、命令 commandments を与える、
 
けっして、深い洞察 insight の理解 understanding を与えない。
 
子供たち children は深い洞察 insight が必要だ、
命令 commandments ではなく。
 
子供たち children はあなたの愛 love が必要だ、
子供たち children は物事を理解 understand するために
あなたの助けが必要だ。
 
子供たち children はあなたを見習い imitate たくない。
 
実際に、
彼らはあなたに見習う imitate ように強いる forced べきではない、
 
なぜなら、
もし、あなたがあなたに見習う imitate ように彼らを強いる force ならば、
あなたは彼らの魂 soul そのものを壊す destroying だろう。
 
あなたの愛 love を与えなさい
彼らに自由 freedom を与えなさい、
『気づき aware』になるために彼らを助けなさい。
 
よりもっと瞑想的 meditative であるように
彼らを助けなさい。
 
Help them to be more meditative.
 
しかし、それはなされてはいない。
私達は単に強いる force。
 
物事を強いること forcing は
とても近道 short-cut を作り出すように思える
 
誰が気にするかな? Who bothers? 
 
なぜなら、あなたは十分に愛 love していない、
だからこそ、あなたは気にしない bother。
 
誰が子供 child に洞察 insight を与えることを気にするかな?
 
それはとてもシンプルだ、
 
「ただ行って、これをしなさい
なぜなら、私がそう言ったから、
なぜなら、私はあなたの父親だから
私はより多く知っているからだ、
なぜなら、私はあなたより年上だからだ。」
 
子供 child は確か certain なことをするように強いられる forced だろう
なぜなら、子供 child は自分ではなにもできない helpless からだ、
しかし、奥深いところでは
子供 child は傷 wound を抱えているだろう。
 
 
 
そして、バードラ Bhadra、
あなたは奥深くに
たくさんの傷 wounds を抱えているに違いない。
 
あなたへの私の愛 love は
あなたへ私の助け help は
あなたの傷 wounds を表面 surface に持ってくる。
 
My love to you, my help to you is bringing your wounds to the surface
 
それは良い、
なぜなら、ひとたび傷 wounds が表面 surface にやって来たならば、
太陽 sun の光 light の中で
それらの傷 wounds は癒される healed からだ。
 
It is good, because once the wounds come to the surface
in the sunlight they can be healed. 
 
その他の傷 wounds の癒しの方法のはない。
 
There is no other way to heal them. 
 
あなたは健康 health になっていく。
 
You are coming to health. 
 
恐れないように。
 
Don’t be afraid. 
 
それらの全ての「いいえ No」を浮かび上がらせなさい。
 
それらは解き放たれる released だろう、
あなたはそれらから自由 free であるだろう。
 
 
 
幼い女の子が彼女の両親に服従 disobeyed しなかった
そして、両親は彼女を罰する punished ことにした。
 
両親は彼女を2階の部屋へと連れて行き、
彼女をクローゼットの中へ押し入れ、
ドアを閉めて言った、
 
「さあ、娘よ、あなたは時間をとって考えなさい、
そして
もし、あなたがあなたの両親に対してより多く愛し
両親に服従しない disobey ことはしないと
考えをあらためることができないことを
見なさい。」
 
数分後、両親は後ろめたさ consciences が気になりはじめ、
娘の部屋へと向かい、ドアをノックして言った、
 
「どうですか?」
 
「あ…、私は大丈夫。」
 
「何をしているの?」
 
母親は娘に尋ねた。
 
「えーと、」
娘は返事をした、
「私はあなたのドレスに唾をかけたの、
私はあなたのコートに唾をかけた、
私はあなたの靴に唾をかけたの、
そして、
私はもっと唾をかけるために座って待ってるの。」
 
 
 
質問 2
the second question
 
Osho、どうかこのニュース項目について何かおっしゃってください、
インド エクスプレス8月18日
ラジニーシ(Osho)の映像はインドの本当のイメージを映し出していない
という報道。
L.K.アードヴァーニー大臣は議会で言った、
「海外のテレビと映像の部門は
ラジニーシ アシュラムの活動を記録するための許可を断られている、
そのアシュラムの活動の映像は
海外へ向けてのインドのイメージを
好意的に映し出すものではないだろうと思われる。」
 
OSHO, PLEASE SAY SOMETHING ABOUT THIS NEWS ITEM: 
THE INDIAN EXPRESS OF 18TH AUGUST 
REPORTS THAT THE RAJNEESH FILM WON’T REFLECT THE REAL IMAGE OF INDIA. 
THE UNION INFORMATION MINISTER, L.K. ADVANI SAID IN THE PARLIAMENT
’FOREIGN TELEVISION AND FILM UNITS HAVE BEEN REFUSED PERMISSION TO DOCUMENT THE ACTIVITIES OF THE RAJNEESH ASHRAM, 
AS IT IS FELT THAT A FILM ON THE ACTIVITIES OF THE ASHRAM WOULD NOT REFLECT FAVOURABLY ON INDIA’S IMAGE ABROAD.’
 
(注意 : 私の語学力のなさと無知さで…
この質問をちゃんと理解できませんでした。
講話を読み進めていくとどういうことかがわかりましたが。
それでも、この質問の和訳を一応しましたが不確かです。
いつかもっと上手になったら、
またこの質問を和訳し直すと思いますが、
今はこれでギブアップ…
下手なままの練習段階のものですが
とりあえずアップします。
最もよいのは、
私の練習中の和訳を読むことよりも、
英語がわかる人は osho の講話を
直接、読むか、聴くか、観てみてください。
それでも、下手で練習中の和訳でよければ
ご自由にご覧になってください。)
 
 
 
(osho)
 
これが政治家からということに本当に驚いている、
なぜなら、
政治家(駆け引きの人)politician 達こそが
国のイメージを壊している人々だからだ。
 
This is really surprising from a politician, 
because the politicians are the people who destroy the images of countries. 
 
歩兵 peon から首相 Prime Minister まで、
政治家(駆け引きの人)politician 達は
最も地位を悪用し汚職する corrupt 人々だ。
 
彼らの汚職 corruption は世界 world の国のイメージを助けることにはならない。
 
彼らはそれについて考えるべきだ。
 
彼らの国のイメージを壊す
愚かな理由のための絶え間ない口論 quarrelling
…あなた方はインドの中より
もっとすぐ口論になる政治家達が
他のどこにもないことを見つけることができる。
 
そして、その口論 quarrels はまったく
観念形態の基礎 ideological basis ではない、
 
その口論 quarrels は単に個人的 personal な口論 quarrels だ
…彼ら自身の個人的 personal な欲深さ greed だ。
 
インドの政治家達は最も欲深い greedy ように見える
…権力 power に欲深い greedy、
権力 power に飢え hungry、
お互い絶え間なく戦っている fighting。
 
彼らの全ての時間は口論 quarrelling にむだ使い wasted される。
 
国は犬 dogs になっている、
ニューデリー New Delhi に座り、
みんながすることは、お互いに戦う fight ことだ
…他者をいかに倒す topple か。
 
誰もが皆、首相 Prime Minister になりたい。
 
そして、ひとたびあなたが首相になると、
あなたの首相の地位を守る protect ことだけをあなたはするだけだ。
 
あなたの全ての時間は首相 Prime Minister になるためにむだ使い wasted される
…ほとんどあなたの全人生を。
 
モラルジー デーサーイー Morarji Desai の全人生は
首相になるためにむだ使い wasted された。
 
今や、83歳だ、彼は到達した arrived。
今や、全ての時間がむだ使い wasted される
…いかにして死ぬ die までこの地位のままでいられるのだろうか?
 
そして、ひとたび、あなたがその地位にいると
あなたは死にたくない
 
あなたはなんでもすることができる。
 
彼は彼自身の尿 urine を飲む。
彼はそうすることで不死 immortal になれると思っている。
 
さあ、この尿を飲む首相 urine-drinking Prime Minister は
海外でのインドのイメージを助けているだろうか?
 
彼らはそれについて考えるべきだ。
 
 
 
彼らは私や私の人々について気にするべきではない。
 
They should not be worried about me and my people. 
 
しかし、政治家(駆け引きの人)politician は
遥かに最も低い知性 intelligence という
不安を抱いている。
 
But politicians are the lowest as far as intelligence is concerned. 
 
彼らは世界の中で最も劣っている inferior。
 
They are the most inferior people in the world.
 
 
 
私は聞いたことがある…
 
ある政治家(駆け引きの人)politician が
精神分析医 psychoanalyst のところへ行き言った、
 
「私は劣等感 inferiority complex に苦しんでいる suffer。」
 
精神病医 psychiatrist はその政治家(駆け引きの人)politician に働きかけた
…たくさんの分析 analysis の会合 sessions をした。
 
そして、ついに精神病医 psychiatrist は
その政治家(駆け引きの人)politician に言った、
 
「あなたは心配する必要はありません。」
 
政治家(駆け引きの人)politician は言った、
 
「私は心配する必要はないのですか?
では問題はないのですか?」
 
精神病医 psychiatrist は言った、
 
「はい、問題はありません、
なぜなら、あなたは単に劣っている inferior だけからです。
あなたはどんな劣等感 inferiority complex にも苦しむ suffer 必要はありません。
単に劣っている inferior だけです。」
 
 
 
ある時、私は政治家(駆け引きの人)politician と一緒に circuit house に滞在していた。
 
Once I was staying in a circuit house with a politician. 
 
朝、私達は芝生 lawn の上に座っていた。
 
彼は新聞を読んでいた。
彼らは新聞だけを読む
…それが彼らのコーラン Koran、聖書 Bible、ギータ Gita だ。
 
突然、彼は私を見て言った、
 
「私はどうやって人々がいつもアルファベット順に死ぬのかけっして理解できない。」
 
’I’ll never be able to understand how people always seem to die in alphabetical order.’
 
そして別の時に、私は電車で旅をしていたのだが、
残念なことに unfortunately、
同じ客室の中に政治家(駆け引きの人)politician がいた、
 
私は「残念なことに unfortunately」と言う
なぜなら、彼らは臭い stink からだ。
 
政治(駆け引き)politics のように臭い stink ものはない。
それは世界の中で最も汚い dirtiest ものだ。
 
彼は私に話しはじめた、
そして、私は政治家(駆け引きの人)politician についての
最新のジョークを聞いたことがあるかと彼に尋ねた。
 
「私はあなたに警告する、」
彼は言った、
「私自身が政治家(駆け引きの人)politician だ。」
 
「それは大丈夫だ、」
私は彼に言った、
「私はとてもとてもゆっくりそれを話そう。」
 
 
 
私はどんな伝統 tradition の1部分でもない、 
 
I am not part of any tradition, 
 
 
 
それこそがインドの政治家(駆け引きの人)politician を困らせているものだ。
 
that’s what is creating trouble for the Indian politicians.
 
私は「過去 past」に属さない、
私は「未来 future」に属する。
 
I don’t belong to the past,
I belong to the future. 
 
 
 
政治家(駆け引きの人)politician は
私を理解することができない
…それは彼らには不可能 impossible だ。
 
もし、私が「過去 past」に属するならば、
困難 difficulty はないだろう。
 
しかし、私は「過去 past」に属さない。
 
 
 
本物の宗教 religious の人は
けっして「過去 past」に属さない。
 
A really religious person never belongs to the past. 
 
 
 
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
けっして「過去 past」に属さない、
それがヒンドゥー教徒を怒らせた。
 
Buddha never belonged to the past, 
that’s why Hindus were angry. 
 
エス Jesus は
けっして「過去 past」に属さない、
それがユダヤ教徒を怒らせた。
 
Jesus never belonged to the past, 
that’s why Jews were angry.
 
エス Jesus、
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
कृष्णः kṛṣṇaḥ クリシュナ
…彼らはみな「未来 future」を指している、
「過去 past」ではない。
 
Jesus, Buddha, Krishna 
– they are all pointing to the future, 
not to the past.
 
 
 
「過去 past」を抱きしめないように、
「過去 past」を抱きしめると
あなたは全ての要点を見逃すだろう。
 
 
 
f:id:premmashal:20190822104411j:image
 
 
 
伝統 tradition は宗教 religion ではない。
 
Tradition is not religion. 
 
宗教 religion はいつも
上回り surpassing、
超越し transcending、
彼方へと越えて行く going beyond。
 
 
 
もし、私がヒンドゥー教徒であるならば
難しいことはなにもない。
 
私はヒンドゥー教徒ではない。
 
もし、私がイスラム教徒であるならば
難しいことはなにもない。
 
私はイスラム教徒ではない。
 
私は仏教徒ジャイナ教徒でもない。
 
だから、彼らはとても混乱 confused している、
 
彼らは私を分類 categorize することができない、
 
彼らは私を分類整理する pigeonhole することができない。
 
 
 
どの宗教グループにも属していない人 no religious person は
分類整理される pigeonholed ことさえできない、
 
なぜなら、宗教 religion の基本 basically は自由 freedom だからだ
 
…「過去 past」からの自由 freedom、
今 now ここ here に在ることの自由 freedom、
「未来 future」への自由 freedom。
 
No religious person can ever be pigeonholed,
because basically religion is freedom 
– freedom from the past, 
freedom to be herenow, 
and freedom to be available to the future.
 
 
 
私があなた方にもたらそうとしていることは
「未来 future」のなにかだ。
 
What I am trying to bring to you is something of the future. 
 
人々がそれを理解できるのは
100年以上も後になるだろう。
 
People will be able to understand it only after hundreds of yearS. 
 
 
 
そうすると、これらの同じ政治家(駆け引きの人)politician たちは尊敬 respect を払うだろう、
彼らがイエス Jesus に尊敬 respect を払うのと同じように。
 
そして、これらの人々が
エス Jesus を十字架にはりつけた crucified 人々だ、
 
そして、これらの人々が
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
महावीर Mahāvīra マハーヴィーラ
石を投げた stoned 人々だ。
 
そして、これらの人々が
ソクラテス Socrates に毒をもった poisoned 人々だ。
 
これらは同じ人々だ。
 
彼らに用心しなさい!Beware of them!
 
 
 
彼らはいつも「未来 future」に反対する against。
 
なぜ、彼らは「未来 future」に反対する against のだろうか?
 
…なぜなら、彼らの利害関係 vested interest は
いつも「過去 past」に根付いている rooted からだ。
 
彼らは「過去 past」を操作する manipulate ことができる、
彼らは「未来 future」を操作する manipulate ことができない。
 
彼らは「過去 past」を不当に利用する exploit ことができる、
彼らは「未来 future」を不当に利用する exploit ことができない。
 
彼らは無宗教 irreligious の人々を不当に利用する exploit ことができる、
彼らは宗教的 religious な人々を不当に利用する exploit ことができない。
 
 
 
彼らは偽りの宗教 pseudo-religious を
とても容易に easily 不当に利用する exploit ことができる、
そこにはなんの問題もない、
なぜなら、偽りの宗教 pseudo-religious の人は
いつも影 shadow だからだ、
本物 reality ではないからだ。
 
そして、偽りの宗教 pseudo-religious の人は
いつも操作される manipulated 用意がある、
奴隷 slave に変容される transformed 用意がある。
 
 
 
私はここ here で反逆的 rebellious な人々をつくっている、
多次元の方法で反逆的 rebellious に。
 
I am creating rebellious people here, 
rebellious in a multi-dimensional way. 
 
 
 
政治家(駆け引きの人)politician 達はきっと恐れているだろう。
 
そして、彼らは弁解 excuses を探すだろう。
 
And they will find excuses.
 
 
 
さあ、彼は言う、
 
ラジニーシ(Osho)の映像はインドの本当のイメージを映し出していない
 
The Rajneesh film won’t reflect the real image of India...」
 
私は彼に言う、
 
あなたは本物・本当・現実 real の意味を理解しているのかな?
 
Do you understand the meaning of the real? 
 
本物・本当・現実 real の意味とは
起こっていること happening だ、 
 
そして、このアシュラム ashram は起こっている happening、
私は起こっている happening。
 
The real means that which is happening, 
and this ashram is happening, 
I am happening. 
 
 
 
私を含まないインドのどんなイメージも非現実 unreal であるだろう
…なにかが起こっていること happening を含まないだけのために。
 
Any image of India that does not include me will be unreal 
– only because it will not include something which IS happening. 
 
あなたの言う「本物・本当・現実 real のイメージ image」とはなんだろう?
 
本物・本当・現実 real のイメージ image とは、
実存 existential、
起こっていること happening だ。
 
A real image means: 
that which is existential, 
that which is happening. 
 
 
 
f:id:premmashal:20190822104606j:image
 
 
 
あなたは私を好きではないだろう、
あなたは私の人々を好きではないだろう、
 
You may not like me, 
you may not like my people, 
 
しかし、あなたは
私(osho)がインドの本当のイメージを映し出していない
と言うことはできない。
 
but you cannot say that I don’t reflect the real image of India. 
 
あなたは私に反対 against であるだろう、
しかし、まだ、私はこの国の1部分だ。
 
You may be against me, 
but still I am part of this country. 
 
私はここ here に在る、
そして、私はここ here に在るだろう!
 
I am here, 
and I am going to be here! 
 
そして、私の人々は増える increase だろう。
 
これは本物・本当・現実 real の1部分だ。
 
これは今はただの種 seed だろう、
しかし、すぐに、それは大きな木 tree になるだろう。
 
どうやってあなたはその本物・本当・現実 real を
真実ではない deny と言うことができるのだろうか?
 
 
 
私達は世界中に200,000人のサニヤシン sannyasin 達がいる。
(この講話は1978年のものです)
 
We have 200,000 sannyasins all over the world. 
 
誰1人もそれを主張する claim ことはできない。
 
Nobody else can claim that. 
 
私達は100万ほどのフォロワー達や弟子 disciple 達がいる。
 
And we have almost a million lay followers, lay disciples. 
 
それは今や本物・本当・現実 real の1部分っある。
 
It is part of reality now. 
 
3000人のサニヤシン sannyasin 達は
ほとんどいつもここ here に在る。
 
Three thousand sannyasins are almost always present here. 
 
毎年25,000人ほどの人々が世界中の全ての国々から尋ねて来る。
 
Every year nearabout 25,000 people visit from all the countries all over the world. 
 
他のどの場所もこれを主張する claim ことはできない。
 
No other place can claim this. 
 
どうやってあなたはこれを本物・本当・現実 real ではないと言うことができるのだろうか?
 
How can you say this is not real?
 
 
 
私は思う、アードヴァーニー Advani さん、
あなたはもう少し言葉 language を学ばなければならないと。
 
you will have to learn language a little bit more. 
 
本物・本当・現実 real の意味とは
起こっていること happening だ。
 
Real is that which is happening. 
 
それはあなたの見解ではないだろう
…そうだろう、それは別の要点だ…
しかし、それは本物・本当・現実 real だ。
 
It may not be according to you
– right, that is another point – 
but it is real. 
 
 
 
そして、私はこのことについてもあなたへ話そう
それは外国人へのインドの精神 spirit のなにかではない、
起こっているこの現象は
本物・本当・現実 real のまさにインドの魂 soul だ。
 
And I would like to tell you also that 
it is not something which is alien to the spirit of India, 
what is happening is this phenomenon which is really the very soul of India. 
 
それは गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ の時代に起こった、
それは महावीर Mahāvīra マハーヴィーラ の時代に起こった、
それは कृष्णः kṛṣṇaḥ クリシュナ の時代に起こった。
それは何度も何度も起こってきた。
 
It happened in Buddha’s time, 
it happened in Mahavir’s time, 
it happened in Krishna’s time. 
It has happened again and again. 
 
本物・本当・現実 real のインドとは
…もし、あなたが本物・本当・現実 real のインドとは何かということを本当に言いたいのならば…
政治家(駆け引きの人)politician としてではなく
神秘家 mystic として言いなさい。
 
The REAL India 
– if you really want to say what the real India is – 
consists not of politicians but of the mystics.
 
政治家(駆け引きの人)politician は来ては去る、
神秘家 mystic は残る。
 
The politicians come and go;
the mystics remain.
 
あなたは गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ の時代の政治家(駆け引きの人)politician の名前を覚えているかな?
 
彼らはどこにいる?
 
そして、彼らはアードヴァーニー Advani さんと同じくらいうるさかった noisy はずだ。
 
彼ら自身の時間の中で、彼らはとてもうるさかった noisy はずだ、
彼らはとても騒ぎ立てた fuss に違いない。
 
あなたはイエス Jesus を磔 crucified にした政治家(駆け引きの人)politician を覚えているかな?
 
そして、もし、あなたがポンテオ ピラト Pontius Pilate(ユダヤ属州総督)の名前を覚えているならば、
あなたはピラト Pilate が
エス Jesus を磔にした crucified からこそ覚えているのだ、
さもなければ、誰が覚えているだろうか?
 
世界の中には何千人もの総督 governor-generals がいる。
 
 
 
政治家(駆け引きの人)politician は
死に逝くソクテラス Socrates に言った、
 
「私達はあなたが死刑で死ななければならないことを残念に思う。
 
We are sorry that you had to be sentenced to death.」
 
ソクテラス Socrates は目を開けて言った、
 
「気にしなくていい。
あなたは私を殺すことはできない、
私は生きる live だろう。
そして、覚えておきなさい、
私のためにあなたの名前は覚えられるだろう。
 
Don’t be worried. 
You cannot kill me, I will live. 
And remember, your name will be remembered only because of me.」
 
そして、それはそうなった。
 
 
 
本物・本当・現実 real のインドとは
人間の最も奥の魂 soul の探索 quest だ
 
…地理的なものではなく、
政治的な歴史ではなく、
それは内なる旅 inner journey だ。
 
The real India is a quest of the innermost soul of man 
– not the geography, not the political history
but the inner journey. 
 
瞑想 meditation の旅 journey が
本物・本当・現実 real のインドだ。
 
The journey of meditation is the real India. 
 
महावीर Mahāvīra マハーヴィーラ はそれを象徴する。
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダはそれを象徴する。
कृष्णः kṛṣṇaḥ クリシュナ
キリスト Christ 
…彼らは本物・本当・現実 real のインドを象徴する。
 
Mahavir represents it. 
Buddha represents it. 
Krishna and Christ and Nanak
– they represent the real India. 
 
そして、私は彼らの全てを受け継いでいる
…そしてよりもっと。
しかし、それはいつもそうだ。
 
And I have the heritage of all of them – and much more.
But it has been always so. 
 
 
 
もし、アードヴァーニー Advani さんが
महावीर Mahāvīra マハーヴィーラ の時代の放送大臣 Minister of Broadcasting だったならば、
彼は महावीर Mahāvīra マハーヴィーラ の撮影をBBCで放送することを止めただろう
なぜなら、महावीर Mahāvīra マハーヴィーラ は裸 naked で暮らしていたからだ。
 
または、もし、彼がラーラ Lalla の時代の大臣だったならば…
ラーラ Lalla は神秘家 mystic の女性 woman だ、
彼女は裸 naked で暮らした。
 
きっと、彼は同じ理由で近寄ってくる approaching 人々の
どんなテレビ局や映像チームをも防止しただろう、
 
本物・本当・現実 real のインドのイメージを
映し出さない、象徴しない人々を。
 
that they don’t represent, 
they don’t reflect, 
the real image of India.
 
 
 
アードヴァーニー Advani さんは
本物・本当・現実 real のインドのイメージを映し出しているだろうか?
 
Does Mr. Advani reflect the real image of India? 
 
あなたはまもなく干される drain だろう、
私は予測する predict。
 
次の選挙であなたのことはもう聞かれなくなるだろう。
 
あなたとあなたの全ての仲間はただ干されるだろう、
なぜなら、国は
あなたがそれを欺き、だましたことを見るからだ。
 
You and your whole company will just go down the drain, 
because the country has seen that you have deceived and cheated it. 
 
民主主義 democracy の名のもとで
あらゆる種の間違っている wrong 人々が
インドの中で権力的 powerful になっている。 
 
そして、彼らは権力 power を持って以来
口論 quarrel 以外の何1つのこともしていない。
 
 
 
私はあなた方に
マハートマー ガンディー Mahatma Gandhi の3人の猿たちを
思い出させなければならない。
 
(महात्मा mahātmā マハートマー 聖人・寛大な人)
 
I must remind you of the three monkeys of Mahatma Gandhi. 
 
あなた方は彼らについて聴いたことがあるに違いない
…それらの3人の猿たち monkeys はとても有名 famous だからだ。
彼はいつも彼らをそばに立たせていた。
 
日本か中国から来た誰かは
マハートマー ガンディー Mahatma Gandhiと共に
3人の猿たち monkeys を紹介された。
 
1人の猿 monkey は彼の目 eyes を彼の手 hands で覆っていた、
それはあなたが間違いを見てはならないことを表している。
 
One monkey keeps his hands on his eyes, 
representing that you should not see that which is wrong. 
 
別の猿 monkey は彼の耳 ears を彼の手 hands で覆っていた、
それはあなたが間違いを聞いてはならないことを表している。
 
Another monkey keeps his hands on his ears, 
symbolizing that you should not hear that which is not worth hearing. 
 
3番目の猿 monkey は彼の口 mouth を彼の手 hands で覆っていた、
それはあなたが間違ったことを言ってはならないことを表している、
あなたは静か quiet でいなければならない。
 
And the third monkey keeps his hands on his mouth: 
you should not say what is not worth saying, you should keep quiet.
 
これらの3人の猿 monkeys は規則 rule になった。
 
今や、彼らは त्रिमूर्तिः trimūrti トリムールティ trinity 三位一体と呼ばれている
…その3人の猿たちとはマハートマー ガンディー Mahatma Gandhi のことだ。
 
These three monkeys have come to rule. Now they are called the TRIMURTI 
– the three monkeys are Mahatma Gandhi. 
 
 
 
その猿の長 chief monkey は彼の耳 ears を彼の手 hands で覆っている、
彼は聞こうとしない。
 
全国が叫んでいる、
 
「私達は死にます。
私達は飢えています。
人口は増えています。
 
We are dying. 
We are starving. 
The population is growing.」
 
しかし、マハートマー ガンディー Mahatma Gandhi は聞こうとしない。
 
彼の名前は マハートマー モラルジー デーサーイー Mahatma Morarji Desai. 
 
(महात्मा mahātmā マハートマー 聖人・寛大な人)
 
彼は聞こうとしない。
 
全国が泣いている、
 
「あなたの息子は犯罪者だ、
彼の活動は捜査されるべきだ
…彼は違法によってお金を集めている。
 
Your son is a criminal; 
his activities should be investigated 
– he is accumulating money by illegal means.」
 
しかし、彼は聞こうとしない。
 
彼はマハートマー ガンディー Mahatma Gandhi の猿の長 chief monkey だ。
 
彼は彼の耳 ears を閉じて shut 微笑み smiling 続ける、
彼自身の尿 urine を飲み、
彼自身の健康 healthy を維持する。
 
それが彼がしている全てだ。
 
That’s all that he is doing.
 
 
 
他の猿 monkey は彼の目 eyes を閉じ shut 続けている、
なぜなら、彼は
触れてはならないもの untouchables、
下へ踏みつけられた down-trodden、
最も低い the lowest of the low 
を表している
…そして、彼らは生きながらにして燃やされている!
– and they are being burned alive! 
 
彼らは殺されている killed、
殺戮されている butchered、
殺害されている murdered、
レイプされている raped。
 
そして、このようなことが起こったのはこれまでけっしてなかった。
 
国の全ての彼らの生 life は危険 danger にある。
 
そして、その人は彼らを表している、
ジャジヴァン ラム Jagjivan Ram、
単に彼の目 eyes を閉じ続けている、
なぜなら、もし、彼が彼の目 eyes を開け、
何が起こっているのかを見るならば、
彼は彼らの代表 representative であると言うことができないだろうからだ。
 
 
 
しかし、3人目の猿 monkey は
…何も言わずに黙っていなければならないと思っている人…
他人を裏切り betrayed
そして、何かを言った…チャラン シン Charan Singh。
 
そして、彼が何かを言ったことで
彼は त्रिमूर्तिः trimūrti トリムールティ trinity 三位一体 から放り出された。
 
しかし、彼は再びそこに戻ろうとした。
 
そして、他の2人の猿たち monkeys は
彼を外したままにしようとした
なぜなら、彼は彼が言うべきことではないことを言いはじめたからだった。
 
 
 
そして、なぜ、彼は物事を言いはじめたのだろうか?
 
…なぜなら、彼は年老いてきたからだった。
 
心臓発作などあらゆることが彼に起こった、
そして、彼はインドの首相になる機会がないように思えた。
 
彼は話さなければならなかった。
時間はあっという間に過ぎて行く。
彼は必死 struggle にならなければならなかった、
彼はもうこれ以上黙っていることができなかった。
 
 
 
これらのニューデリー New Delhi の猿のような人々、
彼らは
彼ら THEY がインドの本物・本当・現実 real を表していると
思っているのかな?
 
彼らは単にインドの神経症 neurotic の1部分を表している、
彼らは劣等感 inferiority complexes の苦しみ suffer の人々を表している。
 
 
 
それが偉大な心理学者 psychologist 
ルフレッド アドラー Alfred Adler が言うことだ、
 
劣等感 inferiority complex に苦しむ suffers 人のみが
政治(駆け引き)politics の中へと入って行く。
 
a man goes into politics only if he suffers from an inferiority complex. 
 
その人は自身が(特別な)誰かであることを証明したい。
 
He wants to prove to himself that he is somebody. 
 
その人はそれを証明 prove しなければならない、
さもなければ、彼の『存在 being』の中で大きな苦悩 anguish がある、
「私は劣っている inferior。」と。
 
 
 
才能がない人々 untalented people、
頭がよくない人々 unintelligent people は
政治(駆け引き)politics の中へ入って行く。
 
才能がある人々 talented は
芸術家 artists、
画家 painters、
詩人 poets、
哲学者 philosophers、
神秘家 mystic
ダンサー dancers になる。
 
 
 
彼らは千とひとつの他の美しいことをすることがある、
政治(駆け引き)politics ではなく。
 
国の3割の最も賢くない1部分の人々だけが
政治(駆け引き)politics の中へと入って行く。
 
他の何かをすることができない人々、
最低でも彼らは政治(駆け引き)politics の中へと入って行くはできる。
 
政治家(駆け引きの人)politician はほとんど
隠された犯罪 hidden criminals だ、
同じ質の人々が犯罪者 criminals になる。
 
もし、彼らが権力 power に到達することができないならば、
彼らは破壊的 destructive になる。
 
 
 
そして、彼らが恐れている
世界全体に知られるべきではない
どんな間違ったことがここ here で起こっているのだろうか?
 
And what wrong is happening here that 
they are afraid should not be known in the world at large?
 
1つのことだ。One thing.
 
大きな総合 synthesis がここ here で起こっている
…これまでけっして1度も起こったことがないこと、
彼らが恐れていること、
そして、起こる必要があること。
 
A great synthesis is happening here 
– something that has never happened before, 
of which they are afraid, 
and which NEEDS to happen. 
 
人類が生き延びるためになくてはならないもの。
 
It is a must for humanity’s survival. 
 
 
 
私は大きな総合 synthesis を作ろうとしている、
 
ギリシャゾルバ Zorba the Greek と
गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
総合 synthesis を、
 
物質主義 materialism と 精神主義 spiritualism の総合 synthesis を。
 
I am trying to create a great synthesis: 
the synthesis between Zorba the Greek and Gautam the Buddha, 
the synthesis between materialism and spiritualism. 
 
私は精神的な物質主義を作ろうとしている。
 
I am trying to create a spiritual materialism. 
 
 
 
物質主義 materialism と 精神主義 spiritualism 
 
これら2つはいつも分離 separate されたままだ、
 
お互いに敵対している antagonistic。
 
そして、それらの敵対 antagonism のために
人は一貫性に欠けた schizophrenic ままだ、
 
なぜなら、人間は
体 body と 魂 soul の 両方 both だからだ。
 
人間は魂 soul だけではないし、
人間は体 body だけではない。
 
 
 
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人間は体 body だけだと主張する insist のは
物質主義 materialism だ。
 
人間は魂 soul だけだと主張する insist のは
精神主義 spiritualism だ。
 
 
 
どちらも半分 half だ、
 
そして、どちらも間違っている wrong
 
なぜなら、それらは半分 half だからだ、
 
そして、どちらも半分 half だけでは不満足 unsatisfactory だ。
 
それらは不満足 unsatisfactory を証明する proved。
 
 
 
人間はその人の全て totality を受け入れなければならない。
 
Man has to be accepted in his totality. 
 
 
 
体 body に関心がある限りでは、
その人間はギリシャゾルバ Zorba the Greek であるに違いない。
 
As far as the body is concerned, 
a man has to be Zorba the Greek. 
 
魂 soul に関心がある限りでは、
その人間は गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ であるに違いない。
 
And as far as the soul is concerned, 
a man has to be Gautam the Buddha. 
 
 
 
もし、体 body と 魂 soul が一緒に存在 exist できるならば、
ブッダ Buddha と ゾルバ Zorba が1人の人間の中に
なぜ一緒に存在 exist できないだろうか?
 
それは最も高い総合 synthesis だろう。
 
If body and soul can exist together, 
why can Buddha and Zorba not exist together in a single man? 
 
That will be the highest synthesis.
 
 
 
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西洋 west は物質主義 materialistic のままだ。
 
それは物質主義 materialism により苦しむ suffers。
 
それは物質主義 materialism の全ての利益 benefits がある、
偉大な技術 technology、
美しい家 houses、
よりよい医療の施設 medical facilities、
より長生き longer life、
より美しい体 beautiful body、
より健康な体 healthy body。
 
それは物質主義 materialism の全ての利益 benefits がある、
それは豊か rich で、裕福 affluent だ、
 
しかし、それは苦しむ suffers
なぜなら、それはそれの魂 soul を失っている。
 
内側 inside の世界 world は
空っぽ empty で、空洞 hollow だ。
 
西洋 west は外側 outside で必要とされるものは全てある、
 
しかし、外側 outside の管理は
物質主義 materialism の方にとても傾き
自身の内なる世界 inner world を忘れてしまう。
 
主人 master を失う、
魂 soul を失う。
 
王国 kingdom はある
しかし、王 king は死んでいる dead、
ゆえに、西洋の苦悩 Western anguish、
ゆえに、西洋の王の探索 Western search for the king。
 
ゆえに、瞑想 meditation の中へと入っての探究 inquiry、
なぜなら、瞑想 meditation は
内なる王 inner king を探し求め seek 探索する search 唯一の方法だからだ。
 
王 king はどこに行ったのか?
内なる光 inner light はどこなのか?
 
Where has he gone? 
Where is the inner light?
 
 
 
東洋 east は精神的 spiritual なままだ。
 
それは精神性 spirituality の全ての美しさを持っている、
 
冷静さ calmness、
静けさ quietness、
くつろぎ relaxedness、
愛 loving、
より大きな思いやり compassion。
 
ある質 quality、内側 inner の風味 flavour がある、
 
しかし、体 body は病気 sick だ、
大きな貧困 poverty と飢餓 starvation があちこちにある。
 
そして、外なる世界 outer world は醜い ugly、
それは苦しみ suffered でいっぱいだ。
 
そして、両方(西洋と東洋)とも緊張だ、
なぜなら、あなたが全体 whole にならない限りあなたは緊張だろう。
 
And both are tense, 
because unless you are whole you will be tense.
 
 
 
あなたは東洋 east が瞑想 meditation に興味がないことを
見ることができるかな?
 
Can’t you see that the East is no more interested in meditation? 
 
だからこそ、あなたはここ here で多くのインド人を見ないのだ。
 
That’s why you don’t see many Indians here. 
 
東洋 east はもう瞑想 meditation に興味はない、
東洋 east はもうブッダ 覚者 buddha に興味がない、
その興味は移った shifted、
そして、それは自然 natural だ。
 
東洋 east はもっとこれらについて知りたい
物理学 physics、
化学 chemistry
工学 engineering、
医療科学 medical science。
 
東洋の才能 eastern talent は
西 west で起こっていることを学ぶために西 west へ行った、
オックスフォード Oxford、
ケンブリッジ Cambridge、
ハーバード Harvard、
プリンストン Princeton。
 
東洋の才能 eastern talent はたった1つの欲 desire がある、
近代科学 modern science を学ぶために
いかにして西 west へ行くか、だ。
 
 
 
東洋の才能の人 talented eastern person は
なぜ、あなた方西洋人 westerners が
東 east へやって来るのか信じることができない。
 
あなた方はオックスフォード Oxford がある、
あなた方はハーバード Harvard がある、
なぜ、あなた方はここ here にやって来るのか?
 
私たちは西 west へ行こうとして、
あなた方は東 east のここ here へ来ようとする。
それはとってもどうかしている absurd。
 
 
 
しかし、西洋 west は 東洋 east へ来なくてはならない。
 
But the West has to come to the East. 
 
ハーバード Harvard や オックスフォード Oxford は
欠いている lacking と証明された。
 
Harvard and Oxford have proved lacking. 
 
それらはたくさん与えた、
しかし、それらは内なる豊かさ inner richness を与えなかった。
 
They have given much, 
but they have not given inner richness. 
 
西洋 west は裕福 affluent だ、
そして、西洋 west は裕福 affluent であるために、
西洋 west は
外なる裕福 outer affluence と
内なる貧困 inner poverty や 
内なるブラックホール inner black hole との
対比 contrast にもっと気づく aware ようになった。
 
外側 outside は光 light に満ち full 
内なるブラックホール inner black hole との対比 contrast が
とてもはっきり clear した。
 
探索 search がはじまった
…西洋 west は東洋 east の方へと動き、
東洋 east は西洋 west の方へと動いている。
 
東洋 eastern の知 intellectual は共産主義者 communist となり、
西洋 western の知 intellectual は瞑想者 meditator となる。
 
これは続いていくことができる、
そして、これは別の種類の移動 shift と惨めさ misery に
再び導く lead ことができる。
 
This can go on, 
and this can lead again to another kind of shift and to misery. 
 
西洋 west は東洋 east になることができ、
東洋 east は西洋 west になることができる、
そして、問題 problem は同じままだろう。
 
The West can become the East 
and the East can become the West, 
and the problem will remain the same.
 
 
 
ここ here での私の努力 effort は
東洋 east と 西洋 west をひとつにもたらす
大いなる実験 experiment だ。
 
My effort here is a great experiment in bringing the East and West together.
 
 
 
キップリング Rudyard Kipling は言った
東洋 east と 西洋 west はけっして出会うことはないと。
 
Kipling has said that East and West shall never meet.
 
私はキップリング Kipling に言う
…彼はどこかの彼のお墓の中にいるはずだ、
彼がキリスト教徒 Christian であるために
彼は最後の審判の日 Last Judgement Day の以前に
彼はお墓 grave から去ることはないだろうから…
キップリング Kipling さん、
東洋 east と 西洋 west は出会っているよ。
 
Sir, East and West ARE meeting. 
 
東洋 east と 西洋 west はすでに出会った。
 
 
 
東洋 east と 西洋 west  は、
アードヴァーニー Advani が言う
インドの本物・本当・現実 real のイメージを映し出していないという
この場所のここ here で出会っている、
 
They are meeting here in this place, 
which Advani says does not represent the real image of India.
 
それは東洋 east を表している represents、
しかし、それは東洋 east より
より多くを表している represents、
 
それは東洋 east プラス 西洋 west を表している represents、
それは人類 humanity 全体 whole を表している represents、
それは宇宙の仲間 universal brotherhood の実験 experiment だ。
 
あなたはここ here で
全てのある種類の人々を見つけるだろう
キリスト教徒 Christians、
イスラム教徒 Mohammedans、
パールシー教徒 Parsees、
ジャイナ教徒 Jainas、
仏教徒 Buddhists、
 
彼らは彼らの自己 identities を全て落とした dropped、
彼らは宇宙の仲間 universal brotherhood の中へと落ちていった fallen。
 
そして、あなたはこれは
本物・本当・現実 real のインドのイメージを
映し出していないと言うのかな?
 
And you say this does not represent the real image of India?
 
 
 
そして、これもまた覚えておきなさい、
インドは小さな国 small country ではない、
インドは広大な大陸 vast continent だ。
 
インドは1つの伝統 tradition ではない、
インドは多くの伝統 tradition だ。
 
しかし、今 now、権力 power がある人々は
ヒンドゥー教の優位偏見主義者 chauvinists が基盤である。
 
まさに間違った wrong 種類の人が権力 power を握っている。
 
彼らの全アイデア whole idea は
とても狭い narrow ヒンドゥー教 Hinduism だ
…全ての最新 current のヒンドゥー教 Hinduism でさえ含まれていないほどとても狭い narrow。
 
ゆえに、それはとっても恐れている afraid。
 
もし、これらの人々が彼らの言うことを許すならば、
遅かれ早かれ、彼らは
カジュラーホー Khajuraho、
コナーラク Konarak を
ブルドーザーで壊す bulldoze だろう、
なぜなら、彼らは
インドの本物・本当・現実 real のイメージを映し出していないと言うだろうからだ。
 
because they will say they don’t represent the real image of India.
 
 
 
なぜ、彼らは私にとても反対 against なのだろうか?
 
…なぜなら、ここ here では
योगः yogaḥ ヨーガ が起こっている happening、
スーフィー教 Sufism が起こっている happening、
禅 Zen が起こっている happening、
道(Tao タオ)がが起こっている happening、
タントラ Tantra もが起こっている happening。
 
そして、タントラ Tantra は問題 trouble を作り出している。
 
ニューデリー New Delhi のこれらの人々は完全に
欲求不満であり sexually frustrated、
抑圧した人々 repressed people である。
 
カジュラーホー Khajuraho はここ here で再び生まれた。
 
Khajuraho is being born again here. 
 
カジュラーホー Khajuraho は誰に属している?
 
To whom does Khajuraho belong? 
 
私はその寺院 temple を作ってはいない。
 
 
 
私はアードヴァーニー Advani に提案する suggest、
カジュラーホー Khajuraho を壊しなさい、
なぜなら、BBCの人々はたぶんやって来て
それを記録するだろうからだ。
 
Destroy Khajuraho,
because the BBC people may come and film it. 
 
それは美しい寺院 temple だ、
地球上で最も美しいひとつだ、
なぜなら、愛 love よりもっと美しいものは何ひとつないからだ。
 
深い愛 love の中にある、
深い愛 love の中で抱き合っている恋人の2人より
もっと優美 graceful なものは何ひとつない。
 
それよりもっと神聖 divine なものは何ひとつない。
 
深い愛 love の中、
オーガズムの恍惚  orgasmic ecstasy の中の
恋人同士である時には
神 God の何かが降りてくる descends。
 
カジュラーホーはそれを表している。
コナーラクはそれを表している。
 
Khajuraho represents that.
Konarak represents that. 
 
そしてそこにはとても多くのタントラ Tantra聖典がある。
 
And there are thousands of Tantra scriptures. 
 
誰かがそれらについて知ろうとしてやって来る前に
どうかそれらを壊してください。
 
Please destroy them before anybody comes to know about them. 
 
ヴァーツヤーヤナのカーマの経文を壊しなさい。
 
Destroy Vatsyayana’s KAMA SUTRA.
 
 
 
なぜ、あなたは私や私の人々をそんなに恐れるのかな?
 
Why are you so afraid of me and my people? 
 
彼らは誰にも危害 harm を加えていない。
彼らはどんな戦争 war の練習もしていない、
彼らはより愛 love のある生 life のために準備している。
 
They are not doing any harm to anybody. They are not training for any war, 
they are preparing for a more loving life. 
 
そうだ、
योगः yogaḥ ヨーガ、
道(Tao タオ)、
禅 zen ध्यान dhyān ディヤーン、
タントラ Tantra をも
1部分として一緒に働く alongside。
 
 
 
そして、少数の新聞のために
…そして、新聞者の彼らもまた
性的 sexual なマインド(思考)mind を
抑圧 repressed している同じものに属している…
アシュラム ashram の中で
裸 nude の写真を撮り
それらを印刷している。
 
And because a few newspapers 
– and they also belong to the same repressed sexual mind – 
print some nude pictures taken in the ashram... 
 
それらはみな彼らが私に反対していることだ。
 
That is all they have against me.
 
 
 
その裸であること nudity 自身は
長いインドの伝統 tradition の1部分だ。
 
ディガンバラ ムニス DIGAMBARA MUNIS は
裸 nude だ
…彼らの先駆けだ prevent、
ジャイナ教の人々は裸 nude のままだ。
 
とても多くのヒンドゥー教のサニヤシン sannyasin 達は
裸であること nudity の中でいきている
…彼らの先駆けだ prevent。
 
 
 
全てのジャイナ教の寺院 temple を壊しなさい、
なぜなら、महावीर Mahāvīra マハーヴィーラ
他の23人のティールタンカラ TEERTHANKARAS は
彼らの裸 nude の像 statues がある。
 
そして、全てのヒンドゥー教
शिव Śiva シヴァ 大黒天 の寺院 temple を壊しなさい、
なぜなら、シヴァ-リンガ SHIVA-LINGA は
男根の象徴 phallic symbol にすぎないからだ。
 
そうしてはじめて、あなたは言うことができる…
 
まず最初に、全てのこれらを壊しなさい、
そうしてはじめて、あなたはこう言うことができる
ラジニーシ Rajneesh と彼のアシュラム ashram は
インドの本物・本当・現実 real のイメージを映し出していない、と。
 
さもなければ、インドは
広大な大陸で何千年にも渡り
多くの伝統 traditions と一緒に生きてきた。
 
 
 
タントラ Tantra は योगः yogaḥ ヨーガ と
並んで存在してきた existed。
 
योगः yogaḥ ヨーガ は抑圧的 repressive、
タントラ Tantra は表現的 expressive だ。
 
योगः yogaḥ ヨーガ はセックス sex を恐れ afraid、
タントラ Tantra はセックス sex に歓喜する rejoices。
 
योगः yogaḥ ヨーガ は言う、
 
「セックス sex を避けなさい avoid
もし、あなたが神 God のもとへ行きたいならば、」
 
そして、タントラ Tantra は言う、
 
「セックス sex を使いなさい use
もし、あなたが神 God のもとへ行きたいならば、」
 
そして、私自身の観察 observation では
タントラ Tantra は योगः yogaḥ ヨーガ より
はるかにもっと深遠だ profound、
なぜなら、セックス sex は
神 God によってあなた方に与えらるエネルギー energy だからだ、
抑圧的であること repressing は
神 God に対してとても無礼である disrespectful だろう。
 
セックス sex を使いなさい use。
 
そして、それはあなたの中の
創造的 creative なエネルギー energy である、
それは子供 child を創る creates、
それは新しい命 new life をもたらす。
 
それはいくつかの他の側面 aspects もある、
隠れた側面 hidden aspects が。
 
もし、あなたがそれを瞑想的 meditatively に使うのならば、
もし、あなたがそれを祈り prayer として使うのならば、
それはあなたを新しく anew 創る create と呼ぶ、
それはあなたに再生 rebirth を与えることができる。
 
あなたは2度生まれる、ドヴィジャ DWIJA になるだろう。
 
You will become a DWIJA, a twice-born.
 
 
 
セックス sex のエネルギー energy には
2つの極 pole がある。
 
Sex energy has two poles to it. 
 
1つの極 pole は、
もし、セックス sex が
「下降 downward」に動くのならば、
それは子供を生む。
途方もない奇跡、子供の誕生。
 
One is: if it moves downwards, it reproduces children. 
A tremendous miracle, the birth of a child. 
 
もし、セックス sex が「上昇 upward」するならば、
それはあなたを創る、
新しい完全な状態、
新しい個、
新しい『存在 being』の中心 center(中核 core)が生まれる。
 
If it moves upwards, it creates you: 
a new integrity, 
a new individuation, 
a new centre of being is born. 
 
タントラ Tantra
人間の変容 transformation のために生まれた
最も偉大な科学の1つだ。
 
Tantra is one of the greatest sciences ever born for the transformation of man. 
 
 
 
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そして、この場所は
退屈 dull で、死んでいる dead、
インド人に馴染みのある accustomed アシュラム ashram のような
普通 ordinary のアシュラム ashram ではない、
この場所は錬金術学院 alchemical academy だ。
 
私達は人間の意識 consciousness を広げる expanding ための
大きな実験 experiments をしている、
 
そして、私達は人間に利用可能 available な
あらゆる種類の技術 techniques を使っている、
 
東洋 Eastern と 西洋 Western の両方 both の。
 
 
 
彼らはこのことにとてもたくさん恐れている afraid。
 
彼は言う、
 
ラジニーシ Rajneesh の映像は
インドの本物・本当・現実 real のイメージを映し出していないだろう…
アシュラム ashram の活動の映像は
海外へ向けてのインドのイメージを
好意的に映し出すものではないだろうと思われる。
 
The Rajneesh film won’t reflect the real image of India... 
it is felt that a film on the activities of the ashram would not reflect favourably on India’s image abroad.」
 
しかし、
スペインのテレビ部門 the Spanish TV unit, 
オーストラリアのテレビ部門 the Australian TV unit, 
ドイツのテレビ部門 the German TV unit, 
そして、ここ here に辿り着いた報道関係者達を
ただ妨害する preventing ことにより、
 
あなたはここに辿り着いた人々から
私を妨げる prevent ことができるだろうと
思っているのかな?
 
もし、イエス Jesus がBBCなしで到達 reach することができたならば、
あなたはここに辿り着いた人々から
私を妨げる prevent ことができるだろうと
思っているのかな?
 
If Jesus could reach without the BBC
do you think you will be able to prevent me from reaching people? 
 
もし、ブッダ Buddha が彼に利用可能などんな近代の媒体なしに
到達 reach することができたならば、
あなたはここに辿り着いた人々から
私を妨げる prevent ことができるだろうと
思っているのかな?
 
If Buddha could reach without any modern media available to him, 
do you think you will be able to prevent me?
 
それは妨害されることはできない。
 
It cannot be prevented.
 
 
 
〈 真理 truth 〉はけっして妨害されることはできない。
 
Truth can never be prevented. 
 
 
 
もし、私の中になんらかの〈 真理 truth 〉があるならば、
それは人々へ到達しなければならない。
 
If there is some truth in me, 
it has to reach people. 
 
それは到達するだろう、
そして、人々は私に到達するだろう。
 
It will reach, 
and people will reach me. 
 
 
 
政治(駆け引き)は
到達する人々から私を妨げることはできない。
 
No government can prevent me from reaching people. 
 
そうだ、あなたは新聞 newspapers を妨害する prevent ことはできる、
あなたはテレビ局 television stations を妨害する prevent ことはできる、
あなたはラジオ radio を妨害する prevent ことはできる。
 
誰が気にする? Who cares?
 
 
 
私は大勢の人々へ
私の人々を通して到達するだろう。
 
I will reach through my people to millions of people. 
 
 
 
もし、〈 真理 truth 〉があるならば、
人々は世界中からやって来て、
探し求め seeking、捜す searching だろう。
 
If there is truth, 
people will come from all over the world, 
seeking and searching. 
 
もし、彼らが渇いているならば、
彼らはきっと探し求め seek、捜す search、
なぜなら、私はここ here に
彼らの渇きをいやすことができるものを持っているからだ。
 
If they are thirsty, 
they are bound to seek and search, 
because I have something here which can quench their thirst.
 
 
 
そして、ここ here にさえも来ないで…
 
アードヴァーニー Advani はけっしてここ here には来ない、
他の大臣 minister でさえもここ here には来ない。
 
ここ here に来ないで
このような愚かなことを言うのは
正しくない。
 
Saying such silly things without coming here is not right.
 
 
 
そして、アードヴァーニー Advani さん、
私はあなたに提案する suggest…
 
あなたの政治(駆け引き)government は
委員会 commissions を作ることに
とても長けている skillful。
 
それは今年の内にあなたがしたことだ
そして、その半分はあなたは権力 power の中にある。
 
全てのあなたがしたことは
委員会 commissions を作ったことだ。
 
なぜ、ここ here で何が起こっているのかを見るために
アシュラム ashram を訪問する委員会 commission を作らないのかな?
 
Why don’t you create a commission to visit the ashram to see what is happening here? 
 
 
 
ただ1つのことを覚えておきなさい、
 
気をつけなさい be careful、
 
なぜなら、ここ here に来た人々はつかまった。
 
because people who come here get caught. 
 
そして、あなたが誰に送るかにも気をつけなさい。
 
And be careful also whom you send.
 
あなたの警察署から得たあなたが頼り持っている
アシュラム ashram についての全ての情報。
 
どうやって彼らは理解ができるのかな?
 
How can they understand? 
 
なにを彼らは理解できるのかな?
 
What can they understand? 
 
あなたの政治機関から得たあなたが頼り持っている全ての情報。
 
なにを彼らは理解できるのかな?
 
What can they understand? 
 
そうだから、ぼけて senile 引退した retired 判事 judge を
委員会 commission を任命 appoint しないようにしなさい。
 
それは助けにはならない。That won’t help. 
 
 
 
覚えておきなさい、
とても科学的 scientific な何かがここ here で起こっていることを、
 
人文主義的心理学の近代の発展について何かを知っている人々、
 
エンカウンター 出会い療法、
ゲシュタルト 形態療法、
サイコドラマ 心理劇療法、
プライマル 根本療法
について何かを知っている人々、
 
精神分析療法、
精神統合療法
について何かを知っている人々、
 
EST、アリカ Arica 
について何かを知っている人々、
(EST eastern standard time、Arica chile time)
 
ヴィパッサナー、
について何かを知っている人々、
 
…彼らだけがここ here で何かが起こっているのかを理解することができるだろう。
 
Remember that what is happening here is something so scientific that only people 
who know something about modern developments in humanistic psychology, 
who know something about encounter therapy, gestalt, psychodrama, primal therapy, 
who know something about psychoanalysis, psychosynthesis, 
who know something about EST, Arica, 
who know something about Vipassana, Zazen, Sufi whirling 
– only they will be able to understand what is happening here.
 
この場所は
偉大な知 great intellect だ、
偉大な知性 great intelligence だ、
偉大な才能 great talent だ。
 
私達は何百人もの
文学博士達 D.Litt.s (Doctor of Letters)
哲学博士達 Ph.D.s (Philosophiae Doctor)
哲学博士達 D.Phil.s (Doctor of Philosophy)
を持っている、
そして、何千人もの
文学修士達 M.A.s (Master of Arts)
理学修士達 M.Sc.s (Master of Science)
そして、他の資格 qualifications のある人々
を持っている。
 
インドのどの他の大学 university も
私達がここ here に持っているのと同じほど
たくさんの才能 talent を
主張する claim ことはできない。
 
No other Indian university can claim as much talent as we have here. 
 
哲学博士達 Ph.D.s  (Philosophiae Doctor) の人々でさえトイレ掃除をしている!
 
Even Ph.D.s are cleaning toilets!
 
 
 
そうだから、教育された人々を送ってきなさい、
あなたの M.P.s (Military Police 憲兵) ではなく
…彼らは物事を理解しないだろう…
その後、決めなさい。
 
So send some educated people, 
not your M.P.s – they won’t understand a thing – 
and then decide. 
 
アードヴァーニー Advani さん、あなたもまた招待されている。
 
 
 
そして、これはなんの種類の民主主義 democracy かな?
 
あなたは民主主義 democracy の名のもとに権力 power を持った。
 
インディラ Indira さえ、あえて私の行いを妨害していないのに。
 
Even Indira did not dare to interfere with my work. 
 
 
 
そして、あなたは民主主義者 democrats ですか…?
 
ヒンドゥー教の優位偏見主義者 chauvinists にすぎない!
 
インドは広大な大陸 vast continent だ。
 
あなたはチャールヴァーカ Charvarka と彼の物資主義 materialism はインドではなかったと思うのかな?
 
Do you think Charvarka and his materialism is not India? 
 
神 God を否定し who denies God、
魂 soul を否定し who denies the soul、
世界を否定する who denies the world、
虚無主義者である who is a nihilist 
…完全なる虚無主義者、優越な虚無主義者…
– an utter nihilist, a nihilist PAR EXCELLENCE – 
である गौतम बुद्धः Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ
ヒンドゥー教徒ではないと
あなたは思うのかな?
 
あなたはティロパ Tilopa とサラハ Saraha はインド人ではないと思うのかな?
 
偉大なタントリカだ Great tantrikas。
 
 
 
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サラハ Saraha

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ティロパ Tilopa

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ティロパ Tilopa の弟子のナロパ Naropa
 
 
 
あなたは誰がインド人だと思うのかな?
 
Who do you think is Indian? 
 
マハートマー ガンディー Mahatma Gandhi と
マハートマー モラルジー デーサーイー Mahatma Morarji Desai 
…この2人だけがインド人なのかな?
 
すると、あなたはマハートマー ガンディー Mahatma Gandhi についてさえあまり知っていない。
 
彼の全人生で彼はセックス sex を抑圧した repressed、
そして、彼は老齢になり彼は間違った道にいたことがわかった。
 
そうすると、彼ははじめた
…彼ははじめなければならなかった…
タントラ Tantra を試しみることを experiments。
 
それはなんだろうか?
 
彼の人生の最後の年に、
彼は裸の若い少女と一緒に寝ていた。
 
彼の全人生の抑圧 repression は失敗した failed
なぜなら、彼は70歳であってさえも
性的な夢想 sexual fantasies の潤いの夢 wet dreams に苦しんで suffering いたからだ。
 
すると、
究極の保養所 resort として、
究極の避難所 shelter として、
彼はタントラ Tantra の中を覗きはじめた。
 
彼はタントリカ tantrika として死んだ。
 
それはなんだろうか?
 
そして、あなたは彼を国家の父 Father of the Nation と呼ぶのかな?
 
彼を国家の父 Father of the Nation と呼ぶのを止めなさい、
彼はインドの本物・本当・現実 real のイメージを表していない。
 
Stop calling him Father of the Nation; 
he does not represent the real image of India. 
 
あなたは彼について何を思うかな?
…70歳で、18歳の裸の少女と寝る彼について。
 
そして、あなたは彼を国家の父 Father of the Nation と呼ぶ…
 
 
 
そして、もう1つ。And one thing more. 
 
これらの人々、アードヴァーニー Advani と その仲間 company は、
マハートマー ガンディー Mahatma Gandhi が殺害された murdered
情勢 climate を作った人々だ
…これらのヒンドゥー教の優位偏見主義者達 chauvinists。
 
These are the people, Advani and company, who created the climate in which this man, 
Mahatma Gandhi, was murdered – these Hindu chauvinists. 
 
しかし、これはなんという種類の偽善行為 hypocrisy だろうか?
 
今や、彼らは敬意を表し pay tribute
そして、彼を国家の父 Father of the Nation と呼ぶ。
 
そして、これらの人々は殺人者 murdered だ、
彼らはマハートマー ガンディー Mahatma Gandhi を殺害 murder するために
国の中に情勢 climate を作った。
 
今や、彼らはマハートマー ガンディー Mahatma Gandhi を崇拝 worship する。
 
マハートマー ガンディー Mahatma Gandhi の名のもとに
今や、彼らは権力 power がある。
 
And these are the murderers; 
they created the climate in the country to murder that man. 
 
And now they worship him.
In his name now they are in power.
 
 
 
インドは多くの風潮 currents がある。
そして、それは美しい。
それは1枚岩 monolith ではない、
だからこそ、それは美しい。
 
それは虹 rainbow だ、それは全ての色 color を持つ、
 
 
 

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仏教徒 Buddhists はひとつの観念形態 ideology がある、
ジャイナ教徒 Jainas はまったく異なる 観念形態 ideology がある、
そして、ヒンドゥー教徒 Hindus は多くの観念形態 ideology がある。
 
ヒンドゥー教 Hinduism は狭い narrow 宗教 religion ではない。
 
ヒンドゥー教 Hinduism の中には
教皇的存在 Pope または教会 church のようなものはなにもない、
それはまったく宗教 religion 団体 organized ではない。
 
そして、それがその美しさだ、
それはあらゆる種類の人々が
あらゆる種類の道を持つことを許す。
 
And that is the beauty of it;
it allows all kinds of people to have all kinds of ways. 
 
それは言う、
全ての道は神 God につながる。
 
It says: All ways lead to God.
 
それは世界の中で最も寛容な tolerant 宗教 religion だ。
 
 
 
しかし、ヒンドゥー優位偏見主義者 Hindu chauvinist はそれに寛容 tolerate であることができない。
 
その人はその人が狭い narrow のと同じように
ヒンドゥー教も狭く narrow しようと試しはじめる。
 
これらが彼らのマインド(思考)mind の中の考え ideas だ。
 
これらの考え ideas が彼らに問題 trouble を作り出している。
 
 
 
あらゆる種類の人々が私のところへやって来る。
 
あなたはここ here で科学者 scientists を見つけるだろう、
あなたはここ here で心理学者 psychologists を見つけるだろう
…何百人もの。
 
あなたはここ here で心理療法医 psychotherapists を見つけるだろう、
 
あなたは
詩人 poets、
画家 painters、
芸術家 artists、
楽家 musicians、
役者 actors
を見つけるだろう。
 
あなたはここ here であらゆる種類の才能ある talented 人々を見つけるだろう
 
…政治家(駆け引きの人)politician を除いては。
 
 
 
なぜ、政治家(駆け引きの人)politician は
ここ here に来ることをとても恐る afraid のだろうか?
 
理由がある。There is a reason. 
 
政治家(駆け引きの人)politician は
世界の中で最も宗教 religion の低い least 人だ、
世界の中で最も反宗教的 anti-religious な人々だ。
 
政治(駆け引き)politics と宗教 religion は
反対 opposite の極 polar だ。
 
政治(駆け引き)politics は野心 ambition だ、
宗教 religion は非野心 non-ambition だ。
 
政治(駆け引き)politics はエゴ(欲・自我)ego の旅 trip だ、
宗教 religion はエゴ(欲・自我)ego の死滅 dissolution だ。
 
 
 
政治(駆け引き)politics は闘争 struggle だ、
喉を切る競争 cut-throat competition だ、
 
政治(駆け引き)politics は
基本的 basically に、本質的 essentially に
暴力的 violent だ。
 
宗教 religion は愛 love だ
…競争 competition はない、
比較 comparison はない。
 
ゆえに、あなたはここ here で
政治家(駆け引きの人)politician を見つけることはないだろう。
 
 
 
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そして、私がありのままをずけずけ言うために、
彼らは私を恐ている。
 
And because I call a spade a spade, 
they are afraid of me. 
 
彼らは私と直接顔を合わせることができない。
 
 
 
アードヴァーニー Advani さん、
私はあなたとあなたの同僚達 colleagues をここ here に招待 invite する
そして、私と直接向き合い encounter、
私の人々と直接向き合い encounter なさい。
 
それはあなたに
ここ here でなにが起こっているのかという
なんらかの洞察 insight を与えるだろう。
 
それはこれまでに行われた中で
最も素晴らしい実験 experiments の1つだ、
 
いかにして薬物 drugs なしで
人間の意識 consciousness を広げる expand かという。
 
 
 
そして、あなたに言おう、
政治(駆け引き)politics は薬物 drug だ。
 
政治家(駆け引きの人)politician 達はアルコール中毒 alcoholics だ。
政治(駆け引き)politics はある種の神経症 neurosis だ。
 
あなたは国会 parliament に行くことができる
そして、1日中そこに座ってただ見る
そして、あなたは見るだろう、
あなたは精神病院 madhouse でさえも
そのような狂気 madness を見ることはだろう。
 
そして、これらの人々が
誰がインドを表しているのかを
決めようとしているのだろうか?
 
And these people are going to decide who represents India?
 
 
 
インドは広大 vast だ、
再びあなたにそれを言おう。
 
誰1人もインドの全体 whole を表す represent ことはできない
…誰1人もインドの全体 whole を表す represent ことの権限 authority を持っていない。
 
それは小さく tiny ない、小さな場所ではない、
1つの伝統 tradition ではない、
1つの宗教 religion ではない、
1人つの言葉 language でもない。
 
そして、これらのヒンドゥー教優位偏見主義者達 Hindu chauvinists は
国に1つの言葉 language を強制しよう force としている。
 
ヒンディー語 Hindi の背後は
ヒンドゥー教優位偏見主義者 Hindu chauvinism にすぎない。
 
Behind Hindi there is nothing but Hindu chauvinism. 
 
彼らは国全体 whole に
ヒンディー語 Hindi という1つの言葉 language を強制しよう force としている
…無意味な nonsense ことを、
それはすることはできない、
それはするべきではない。
 
 
 
そして、覚えておきなさい、
私自身の母国語 mother tongue はヒンディー語 Hindi だ、
そして、私はヒンディー語 Hindi を愛している、
それは美しい言葉 language だ。
 
しかし、それは別の問題だ。But that is another matter. 
 
この国には多くの美しい言葉 language がある。
 
国に言葉 language を強制する forced べきではない、
 
それは暴力 violent であり、
非民主的 undemocratic であるだろう。
 
しかし、それが彼らがしようとしていることだ
…直接的に directly、
間接的に indirectly。
 
 
 
そして、国に警告 warn しよう、
 
もし、これらの人々が
国の全体 whole にヒンディー語 Hindi を
強制する force ことを貫こう persist とするならば、
それが、ある日またはいつか、
インドが分裂 split する
理由 reason であるだろう。
 
南インド北インドに反対 against し
それ自身の道を行こうときっとする、
なぜなら、北インドはとてもヒンドゥー教優位偏見主義者 Hindu chauvinistic になっているからだ。
 
もし、この国がある日、壊される destroyed ならば、
その理由 reason は今日に権力 power を持つこれらの人々であるだろう。
 
インドは1つの言葉 language を持つことはできない。
 
 
 
そして、もし、それが1つの言葉 language を持つことができるならば、
その言葉 language は中立 neutral でなければならない、
 
 
 
それは
英語 English か 
どちらかだろう、
 
しかし、
ヒンディー語 Hindi でもなく、
グジャラート語 Gujarati でもなく、
マラーティー語 Marathi でもなく、
ベンガリ語 Bengali でもなく、
タミル語 Tamil でもない。
 
それは中立 neutral の言葉 language でなければならないだろう。
 
It will have to be a neutral language. 
 
英語 English は中立 neutral だ、
それはインドでは誰1人もの母国語 mother tongue ではない。
 
English is neutral; 
it is nobody’s mother tongue in India. 
 
そして、英語 English は国際的 international でもある、
だから、それは完全によい。
 
And English is international too, 
so it is perfectly good. 
 
 
 
私は2つの言葉 two-language の案 formula をサポートする、
 
国語 national language としての英語 English、
なぜなら、それは国際的でもあり
そして、第二言語としても、母国語としてもある。
 
I support a two-language formula: 
English as the national language, 
because it is also international and as the second language, the mother tongue. 
 
それぞれの子供は2つの言葉 language を教えられるべきだ。
 
Each child should be taught two languages. 
 
ヒンディー語 Hindi について全てを忘れて、
そして、さまざまな種類 variety、多様性 multiplicity のあるこの国で
1つの1枚岩 monolith を作ることについて全てを忘れなさい。
 
そして、彼らは同じやり方で、
宗教 religion でも同じことをしようとしている。
 
私の取り組み approach が非政治的 non-political だから
彼らは私がここ here でしていることを
しないように強制 force したいのだ。
 
私は何にも利害関係 vested interest を持っていない
…どの言葉 language にも、
どこの地方 province にも、
どの宗教 religion にも、
どの伝統 tradition にも。
 
 
 
私の取り組み approach は
過去 past 全てが私達のものであり
…そして、インドの過去 past だけでなく、
人類の過去 past 全てが私達のものである。
 
だからこそ、私は
中国人 Chinese の導師 master 達、
日本人 Japanese の導師 master 達、
ギリシャ人 Greek の導師 master 達、
ヘブライ人 Hebrew の導師 master 達
についての話しを選んだ。
 
私は世界の全ての導師 master 達について話すつもりだ、
そうだから、
全てのこれらの異なる歌を聴きなさい、
あなたは普遍的 universal になることができる。
 
I am going to speak on all the Masters of the world, 
so that, listening to all these different songs, you can become universal.
 
 
 
彼らはこの全てを恐れている afraid。
 
彼らは私に Bhagavad Gita
भगवद्गीता bhagavadgītā バガヴァッド ギーター
だけについて話して欲しい。
 
भगवद्गीता bhagavadgītā バガヴァッド ギーター は美しい、
そして、私はそれについて話した、
 
しかし、私はこれについてだけ ONLY を話すつもりはない。
 
私はどの伝統 tradition にも、どの過去 past にも属して belong いない。
 
私は全ての過去 past を私のものと主張し、
そして、全ての未来 future も私のものと主張する。
 
I claim the whole past as mine, 
and the whole future too.
 
 
 
それはときどき起こる happen 
政治家(駆け引きの人)politician はここ here にやって来たい、
しかしすると、彼は「探りを入れる人々 feelers」を送ってくる、
彼は人々を送ってくる。
 
そして、それらの人々はやって来て
そして、彼らは私に
政治家(駆け引きの人)politician を招待 invite して欲しい。
 
なぜ、私が招待するべきなのか?
 
Why should I invite? 
 
全ての人々はここ here に来る。
 
誰であれここ here に来たい人々は
ここ here へ来ることができる。
 
私達は誰かに対して
特別な敬意 special respect を払うために
ここ here にあるのではない、
そして、政治家(駆け引きの人)politician 達に対しては、確かにそうではない。
 
彼らは私にメッセージを送ってくる
 
「Xはアシュラム ashram を就任するinaugurate 用意がある、」
 
「Yは新しいコミューンのための土台の用意がある。」
 
They send messages to me that
’X is ready to come to inaugurate the ashram,’ 
that ’Y is ready to lay the foundation for the new commune.’
 
私は私のコミューンの基礎を築くことに
いかなる政治家(駆け引きの人)politician も許す allow ことはないだろう、
それは冒涜的 sacrilegious であるだろう。
 
私は私のアシュラム ashram に
いかなる政治家(駆け引きの人)politician も
やって来て、就任する inaugurate ことを許さないだろう。
 
政治家(駆け引きの人)politician
…彼らは宗教 religion と何をするのかな?
 
彼らは宗教 religion について何を知っているのかな?
 
彼らは可能な限り最も汚い雰囲気 vibe を持っている。
 
しかし、過去 past には良い日もあった、
そして、偉大な人々もいた。
 
この逸話 anecdote を聴きなさい。
 
Listen to this anecdote. 
 
 
 
皇帝 Emperor が
自身の部屋で瞑想 meditation をしていた
禅 Zen の導師 master 趙州従諗 Joshu を
訪ねて来た。
 
「ここへ入って来て、挨拶をするように彼に伝えなさい、」
 
’Tell him to come in and make his bows,’ 
 
導師 master は彼のびっくりしている案内係に言った。
 
the Master said to his horrified attendant.
 
皇帝は入って来て、会釈をした。
 
The Emperor entered and made his obeisance.
 
後に、趙州従諗 Joshu が彼の失礼な行動について尋ねられた時、
彼はこう説明した、
 
When Joshu was later asked about his rude behaviour, he explained, 
 
「あなたはただ理解していない。
 
もし、低い階級の訪問者が来たら、
私は彼を出迎えるために寺院の門へ行く。
 
中流階級の訪問者には
私は私の席を立つ。
 
偉大な皇帝にはそのようにもてなすことはできない。」
 
’You just don’t understand. 
If a visitor of low class comes, 
I go to the temple gate to greet him. 
For a middle class guest I get up from my seat. 
A great emperor cannot be treated like that.’
 
皇帝は、もちろん、彼の接待に喜んだ。
 
The Emperor, of course, had been delighted with his reception.
 
 
 
しかし、それらは素晴らしい日々だった。
 
皇帝 emperor は喜んだ delighted …
 
しかし、これらの貧しい政治家(駆け引きの人)politician 達は、
彼らは門で、花冠で、受け入られるべきだというメッセージを送っている、
彼らは VIP’s(重要人物)としてもてなされるべきだ、と。
 
 
 
なんという無意味なことだ!
 
What nonsense! 
 
もし、私があなたの入場を許可すならば、
それはあなたにとって十分な敬意だ。
 
If I even allow you entry, that is enough respect for you. 
 
もし、サント Sant が門であなたを妨げないならば、
あなたは十分幸運を感じるべきだ。
 
If Sant does not prevent you at the gate, 
you should feel fortunate enough.
 
新しいコミューンでは、
私は門に看板を置くつもりだ、
 
In the new commune, I am going to put a board on the gate: 
 
政治家(駆け引きの人)politician 達と
犬 dogs 達は
入ることは許可されません。
 
Politicians and dogs are not allowed.
 
 
 
Enough for today.
 
 
 
chapter 11 へ続く : The Whole and Holy Circle…
 
 
 
from osho talks
 
The Secret of Secrets, Vol 1
 
Talks on the Secret of the Golden Flower
 
Talks given from 11/08/78 am to 26/08/78 am 
English Discourse series
 
chapter 10 : Zorba-Buddha Synthesis
 
20 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
osho の講話は
1日目はある題材に関するお話、
2日目は質問に答えるお話、
というように1日起きにその順番で行われます。
 
あらゆる質問にものすごく丁寧に、
詳しく、わかりやすく、話していています。
 
はじめは厳しいように感じるかもしれませんが
人々が苦しみに気づき、手放せるように、と
とても深い愛 love の導きがあります。
 
人々からの質問は一見その講話の題材と
関係ないように思えるかもしれませんが
 
その質問があり、それに答えるからこそ
その題材がより深くわかったりもする
講話となっているような、
 
質問と答えのお話も含めて
何日間にも渡る講話全体を聞き終わると
その題材の講話の内容が
すーと身に染み込むようにわかります。
 
この講話の和訳本がありましたが
もう販売されていなくて入手不可能ですから
自力で英語の講話を読んで
さらに、英語の勉強と osho との瞑想と思い
自力で和訳してみました。
 
とても時間がかかるので
全チャプター和訳する前に
死んでしまうかもしれませんしσ(^_^;)
 
チャプター11 の和訳がいつ終わるのかわかりませんがσ(^_^;)
 
ど素人なので直訳しかできませんがσ(^_^;)
 
趣味レベルでよろしければ
興味がある方はお楽しみください。
 
詳しくは「osho でイングリッシュ!」に書きました。
 
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ぜひ英語の原文で読みたい!という方は…
 
この osho の英語の全チャプターの講話
The Secret of Secrets, Vol 1&2 は 
pdf データで
サイドバーのリンクにもある
OSHO WORLD にてフリーダウンロードできます。
こちらをクリックしてください。
 
 
 
また、この osho samadhi समाधिः の英語の方のブログでは
この The Secret of Secrets, Vol 1&2 の講話の
全チャプターを載せてありますから
こちらの日本語のブログのように
絵つきでよければご覧になってください。
 
 
 
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subtle body and chakra について
英語の講話の1チャプターだけです。
yoga : the alpha and the omega, vol 9 ch1
 
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beloved osho
beloved all enlightened masters 
beloved all
 
 
 
”The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.”
 
 
 
sammasati
It means right remembrance.
サマサティの意味は ”正しく想起する”。
 
 
 
meditation & love
 
 
 
osho samadhi समाधिः
 
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