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ch2 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1

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ch2 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1
 
 
 
黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)
The secret of the Golden Flower
 
 
 
ch2 : The Secret of Secrets, Vol 1
 
 
 
chapter 2
Empty Eyes 
空っぽな目
 
12 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
質問 1
the first question
 
最近、数人の友達が私に尋ねました
私がサニヤス sannyas、アシュラム ashram やあなた(osho)へ
疑い深い sceptical のではないかと。
 
私は真実を認めなければならず
「はい、今の時点ではそうです。」
と言いました。
これは罪悪感を私に残します。
 
私はなにか許されない unforgivable、
冒涜的な sacrilegious 犯罪を犯したのか、
または
確かではないことに疑い深くあることは自然なことなのか?
 
私はあなたが光明 enlightenment を得ているのかわかりません。
 
私はただあなたの美しさと信頼 trust を感じることができます。
 
 
 
(osho)
 
バハ Bhava、
信仰 faith は疑い doubt を恐れている afraid
 
…恐れている afraid
なぜなら、それを抑圧 repress しているからだ。
 
そして、なんであれあなたが抑圧 repress すると
あなたは恐れている afraid ままだ、
 
なぜなら、それは
いつもあなたの内側 inside 奥深くにあるからだ、
 
復讐 revenge を待っている、
 
そして、機会が生じるときはいつも
それは復讐 vengeance と共にあなたの中で爆発するだろう。
 
 
 
あなたの信仰 faith は地震の上に座っている
 
そして毎日、その疑い doubt は強くなる、
 
なぜなら毎日、あなたはそれを抑圧 repress しなければならないからだ。
 
遅かれ早かれ、
それはあなたが抑圧 repress できる以上のものになり、
それはあなたの信仰 faith 以上のものになる。
 
するとそれは単にあなたの信仰 faith を捨てる。
 
 
 
しかし、信頼 trust は疑い doubt を恐れない
 
なぜなら、信頼 trust は疑い doubt に反しないからだ。
 
信頼 trust は疑い doubt を使う、
信頼 trust は疑い doubt それ自身に含まれたエネルギーの使い方を知っている。
 
 
 
それが
信仰 faith と
信頼 trust の
違いだ。
 
 
 
信仰 faith は偽り false だ、
信仰 faith は宗教 religion の 偽りpseudo の種類を作る、
信仰 faith は偽善者 hypocrite を作る。
 
 
 
信頼 trust はそれについての
崇高 sublime な美 beauty と真実 truth を持っている。
 
信頼 trust は疑い doubt を通して成長する、
信頼 trust は疑い doubt を肥料のように使う、
信頼 trust は疑い doubt を変容 transform する。
 
疑い doubt は友達 friend だ、
疑い doubt は敵 enemy ではない。
 
 
 
そして、あなたの信頼 trust が
たくさんの疑い doubt を通過しない限り
それは無力 impotent のままだろう。
 
どこから力 strength が集まり、
どこから統合 integration が集まるのだろう?
 
もし挑戦 challenge がなければ
それはきっと弱いままだろう。
 
疑い doubt は挑戦 challenge だ。
 
もしあなたの信頼 trust が挑戦 challenge に応えることができるならば、
あなたの疑い doubt の力(援助 befriend)になることができる、
それはそれを通して成長するだろう。
 
 
 
そして、あなたは分割 split された人ではなくなるだろう
 
…奥深いところでは疑い doubting
そして、
表面だけの信仰 faithful や 信じること believing
(というような2つに分割された状態ではなくなるだろう)…
 
あなたはある種の一元性 unity を持つだろう、
あなたは個 individual、非分割 undevided であるだろう。
 
そして、その個性 individuality は
古い宗教では「魂 soul」と呼ばれている。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
魂 soul は
疑い doubt を通してやって来る、
信じる believing ことを通してではない。
 
 
 
信仰 belief はただの仮面 mask だ、
 
あなたはあなたのオリジナル original の顔 face を隠している。
 
 
 
信頼 trust は変容 transformation だ、
 
あなたはもっと輝きになる。
 
なぜなら、あなたは疑い doubt を
挑戦 challenge や1つの機会として使い、
そこにはどんな抑圧 repression もけっしてない。
 
ゆっくり、ゆっくり、
疑い doubt は消え去る、
 
なぜなら、そのエネルギーは信頼 trust によって取られているからだ。
 
 
 
疑い doubt は、実際には、信頼 trust の成長に過ぎない。
 
疑い doubt は信頼 trust の道の途中だ。
 
いつも疑い doubt をそのように考えなさい、
 
疑い doubt は信頼 trust の道の途中だ。
 
 
 
疑い doubt は質問 inquiry で、
信頼 trust は質問 inquiry の達成 fulfillment だ。
 
疑い doubt は質問 question で、
信頼 trust は答え answer だ。
 
 
 
答え answer は質問 question に反しない
 
…もし質問 question がないならば
どんな答え answer の可能性もないだろう…
 
質問 question は
答え answer が起こる機会を作っている。
 
 
 
だから、どうか、私の周りでは
けっして罪悪感 guilty を感じないように。
 
私はどんな種類の罪 guilt にも完全に反対 against だ。
 
罪 guilt は絶対に間違っている。
 
 
 
しかし、何世紀にもわたり、
罪 guilt は
司祭・牧師 priest や政治家 politician や清教徒 puritan たちによって使われてきた。
 
罪 guilt は戦略 strategy だ、
人々を不当に利用する exploit 戦略 strategy であり、
人々に罪悪感 guilty を感じさせるものだ。
 
ひとたびあなたが
人々に罪悪感 guilty を感じさせることに成功したら、
彼らはあなたの奴隷 slave になるだろう。
 
 
 
罪悪感 guilty のために
彼らはけっして十分に統合 integrate しないだろう。
 
罪悪感 guilty のために
彼らは分割 devide のままだろう。
 
罪悪感 guilty のために
彼らはけっして自分自身を受け入れることができないだろう、
彼らはいつも責めている condemning だろう。
 
罪悪感 guilty のために
彼らはなんでも信じる believe 用意があるだろう、
ただ罪 guilt を取り除くために。
 
彼らはなんでもするだろう
 
…どんな意味のないこと nonsense、
どんな意味のない nonsense 儀式 ritual を彼らは行う…
 
ただ罪 guilt を取り除くために。
 
 
 
何世紀にもわたり、
司祭・牧師 priest は人々に罪悪感 guilty を作っている。
 
全ての宗教 religion と呼ばれているものは
あなたの罪 guilt で存在 exist する、
彼らは神 God の存在 existence で存在 exist しない。
 
 
 
彼らは神 God と何の関係もない
そして
神 God は彼らと何の関係もない。
 
彼らはあなたの罪 guilt で存在 exist する。
 
 
 
あなたは恐れている afraid、
 
あなたはあなたが間違っている wrong ことを知っている、
 
あなたは
間違っていない誰かの助けを
探さなければならない。
 
 
 
あなたはあなたが価値がない unworthy ことを知っている、
 
あなたはひれ伏さなければならない、
 
あなたは価値がある worthy 人々に仕えなければならない。
 
 
 
あなたはあなた自身を信頼 trust できないことを知っている、
 
なぜなら、あなたは分割 devide しているからだ。
 
 
 
分割 devide していない人だけが
自分自身を信頼 trust することができる、
 
自分自身の感覚 feeling、
自分自身の直感 intuitionを
信頼 trust することができる。
 
 
 
あなたは内側 inside ではいつも震えている、
 
あなたは寄りかかる誰かを必要としている。
 
そしてひとたび、
あなたが誰かに寄りかかると、
 
ひとたび、
あなたが誰かに依存 dependent するようになると、
 
あなたは子供っぽい childish ままで、
あなたはけっして成長しない。
 
あなたの精神年齢は子供のままだ。
 
あなたはけっして成熟 maturity に達しないし、
あなたはけっして自立 independent にならない。
 
そして、司祭・牧師 priest は
自立 independent になることを
あなたにして欲しくない。
 
 
 
自立 independent は、
あなたは彼を失っている、
 
依存 dependent は、
あなたは彼の全市場、彼の全商売だ。
 
 
 
私はどんな種類の罪 guilt にも完全に反対 against だ。
 
 
 
いつも覚えておきなさい、
 
もしあなたが私の周りで何かについて
罪悪感 guilty を感じはじめるならば、
 
すると、あなたがあなた自身にそれをしているのだ、
 
すると、あなたはまだあなたの内に
あなたの両親 parents や
その司祭・牧師 priest の
声 voice を持ち運んでいて、
 
あなたはまだ私を聞いていない、
you have not yet heard me,
 
あなたはまだ私を聴いていない。
you have not yet listened to me.
 
 
 
私はあなたに
全ての罪 guilt から完全 totally に自由 free になって欲しい。
 
 
 
ひとたびあなたが罪 guilt から自由 free であると
あなたは宗教の人 religious person だ。
 
それが私の宗教の人 religious person の定義 definition だ。
 
 
 
疑い doubt を使いなさい
 
…疑い doubt は美しい…
 
なぜなら、
疑い doubt を通してのみ
信頼 trust は成熟 maturity に達するからだ。
 
それ以外にどのようにしてそれになることができるだろう?
 
それは美しくなければならない
 
…疑い doubt を通してのみ
信頼 trust は中心 center になる。
 
疑い doubt を通してのみ
信頼 trust の花は咲く。
 
疑い doubt の暗い夜は
あなたの近くへ黄金の朝をもたらす。
 
暗い夜は暁 dawn に反対しない、
暗い夜は暁 dawn のための子宮 womb だ。
 
暁 dawn は暗い夜のはじまりの中で準備をしている。
 
 
 
疑い doubt と信頼 trust は
補い合う complementary と考えてごらん、
 
男性 man と女性 woman と同じように、
夜 night と昼 day のように、
夏 summer と冬 winter、
生 life と死 death。
 
 
 
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いつもこれらのペアーは
必然的な補完 inevitable complementariness の用語と考えなさい、
 
けっして対立 opposition の用語と考えないように。
 
 
 
表面では彼らは対立 oppose しているように見えても、
奥深いところでは彼らは友達であり、
お互いを助け合っている。
 
 
 
信頼 trust を持たない人を考えてごらん、
 
彼はどんな疑い doubt も持たないだろう、
 
なぜなら、彼は疑うことについて何1つ持っていないからだ。
 
 
まったく信頼 trust を持たない人をただ考えてごらん
…どうやって彼は疑うことができる?
何を疑うのか?
 
 
 
信頼 trust の人だけが
何かに疑い doubt を持つ。
 
なぜなら、あなたは信頼 trust する
したがって、あなたは疑う doubt。
 
あなたの疑い doubt は
あなたの信頼 trust を証明 prove する、
それ以外にはない。
 
 
 
疑う doubt ことのできない人を考えてごらん
…どうやって彼は信頼 trust できるのか?
 
もし彼がたとえ疑う doubt ことが不可能ならば
 
どうやって彼は信頼 trust することが可能にできるのか?
 
 
 
信頼 trust は疑い doubt と同じエネルギーの最も高い形だ、
 
疑い doubt は同じ梯子の最も低い段階で、
信頼 trust は同じ梯子の最も高い段階だ。
 
 
 
疑い doubt を使いなさい
疑い doubt を喜びに満ちて使いなさい。
 
罪悪感 guilty を感じる必要はまったくない。
 
 
 
時には私について大きな疑い doubt を感じたり
ここで起こっている何かについて大きな疑い doubt を感じることは
完全に人間的で自然なことだ。
 
それは完全に人間的だ
…何1つも異常なさま extraordinary ではない。
 
もし疑い doubt が起こらなければ、
その方がなんだか異常 abnormal にみえる。
 
 
 
しかし、覚えておきなさい
 
人は信頼 trust へ達しなければならない。
 
 
 
疑い doubt を使いなさい、
しかし、
目的地 goal を忘れてはならない、
梯子の最も高い段階を忘れてはならない。
 
 
 
もしあなたが最も低い段階に立っているとしても、
最も高い段階を見なさい。
 
あなたはそこに達しなければならない。
 
 
 
実際には、疑い doubt はあなたを目的地 goal の方へと押している
 
なぜなら、誰1人も疑い doubt と一緒に
安心 ease を感じることはできないからだ。
 
あなたはそれを見たことはないかな?
 
疑い doubt があるときは
不安 uneasiness がある。
 
不安 uneasiness を変えてはならない、
不安 uneasiness は罪 guilt のようだと解釈 interpret してはならない。
 
そうだ、不安 uneasiness はそこにある、
 
なぜなら、
疑い doubt はあなたが立っている場所が不確か uncertain であることを意味する、
 
疑い doubt はあなたが不確か ambiguous であることを意味する、
 
疑い doubt はあなたがまだ1つ (統一)unity ではないことを意味する。
 
 
 
どうしてあなたは安心 ease できるのか?
 
あなたは群衆 crowd だ、
あなたは1人の人 one person ではない、
あなたは多くの人 many person だ。
 
どうしてあなたは安心 ease できるのか?
 
 
 
あなたの内側 inside には大きな雑音 noise があるに違いない、
 
1部分はあなたをこちらの方向へとひっぱり
他の部分はあなたをあちらの方向へとひっぱる。
 
もし同時 simultaneously に
そんなにたくさんの方向へとひっぱられたとしたら
どのようにしてあなたは成長できるのか?
 
きっと
不安 unease、
緊張 tension、
苦悩 anguish
心配 anxiety があるはずだ。
 
 
 
誰1人も
疑い doubt と一緒に
疑い doubt の中で
生きることはできない。
 
疑い doubt はあなたを
信頼 trust の方へと押す、
 
疑い doubt は言う、
 
「あなたがくつろぐ relax ことができる場所を探しに行きなさい、
あなたが全一 total であることができる場所に。」
 
疑い doubt はあなたの友達 friend だ。
 
それは単に言う、
 
「これはホーム home ではない。
行きなさい、
捜しなさい search、
探し求めなさい seek、
探究しなさい inquire。」
 
それは探究 inquire や探検 explore の衝動 urge を作り出す。
 
ひとたびあなたが疑い doubt を
友達 friend ように、
機会 occasion のように、
信頼 trust に対立していないが
あなたを信頼 trust の方へと押していると
見え始めたら、
突然、罪 guilt は消える。
 
大きな喜びがある。
 
あなたが疑う doubt ときでさえ、
あなたは喜びに満ちて疑う doubt、
あなたは意識 consciously して疑う doubt、
そして、あなたは疑い doubt を使って信頼 trustを見つける。
 
それはまったく正常 normal だ。
 
 
 
あなたは言う、
「私はあなたが光明 enlightenment を得ているのかわかりません。」
 
 
 
どうやってあなたがそれを知ることができる?
 
それを知る方法はない
あなたが光明 enlightenment を得ない限りは。
 
それがあなたにも起こらない限り
どうやってあなたが私に何が起こったのかを知ることができる?
 
 
 
ときどきあなたが私を信頼 trust できないと感じることはまったく正しい。
 
奇跡 miracle はときどきあなたが信頼 trust できることだ。
 
ほんの少しの瞬間で十分だ。
 
心配しなくていい。
 
信頼 trust はそのような無限 infinite の力 power を持っている。
 
 
 
信頼 trust はちょうど光 light のようで
疑い doubt は闇 darkness のようだ。
 
小さなろうそくほどの信頼 trust は
長年にわたる闇 darkness を破壊するには十分だ。
 
「私はこの場所にとても長い間生きた、
私はそんなに簡単に去ることはできない
私はこの小さなろうそくのためだけに去ることはできない。」
と、闇 darkness は言うことはできない。
 
小さなろうそくでさえ
長年にわたる、
何世紀にもわたる、
何生にもわたる
闇 darkness よりもっと秘めた力 power がある。
 
しかし、それは行かなければならないだろう…
ひとたび光 light がそこにあれば
闇 darkness は行かなければならない。
 
信頼 trust のほんの少しの瞬間
 
…それら(闇)を遠くへやり間には少なくする、
心配しなくていい…
 
それ(信頼 trust のほんの少しの瞬間)は
全てのあなたの疑い doubt を破壊するには十分だ、
ゆっくり、ゆっくりと。
 
 
 
そして、「破壊する destroying」と私が意味するのは
疑い doubt の中に含まれるエネルギーをただ解放する、ということだ。
 
ただ殻を壊すことを疑い doubt と呼ぶ
 
…そして、内側 inside 奥深くにあなたは信頼 trust への純粋なエネルギーを見つけるだろう。
 
ひとたびそれが解放されると
もっともっと信頼 trust はあなたの役に立つだろう。
 
 
 
あなたは言う、
「私はあなたが光明 enlightenment を得ているのかわかりません。」
 
 
 
あなたが信じないことは良い。
 
もしあなたが信じはじめたら
あなたは探し求めること seeking をやめるだろう。
 
 
 
信者 believer はけっして動かない
 
…信者 believer はいつも信じている。
 
 
 
だから、何百万人もの人々が崇拝 worshipping している
 
教会で、寺院で、モスクで、グルドワラで…
 
しかし、彼らの崇拝 worship は信じること belief から外れている、
 
信じること belief から外れていることで、
それらの何百万人もの人々は無宗教 irreligious のままだ。
 
彼らは神 God を捜していない、
彼らは神 God を探し求めていない
 
…彼らはすでに受け入れている accept。
 
彼らの受け入れ acceptance は説得力がない lame
彼らはそれのために必死 struggle ではない、
彼らはそれを得て earn いない。
 
あなたは戦わなければならない、
あには必死にならなければならない、
あなたは得なければならない。
 
生 life の中に代価 price がないものは何1つもない、
 
あなたは代価 price を払わなければならない。
 
彼らは代価 price を払っていない。
 
そして、彼らは寺院で崇拝 worshipping するだけで
彼らは達するだろうと思っているのか?
 
彼らはまったく愚か者だ、
彼らは彼らの時間を無駄にしている!
 
全ての彼らの崇拝 worship はただの幻想 illusion だ。
 
 
 
本物の宗教の人は信じること believe はできない、
 
本物の宗教の人は捜す search。
 
なぜなら、
その人は信じること believe ができないし、
その人はまだ疑い doubt の中だし、
そして、誰1人も疑い doubt と一緒では休むことはできないからだ。
 
人は探し求め、捜して、見つけなければならない。
 
疑い doubt は
あなたの存在 being を悩ませ gnawing 続け、
あなたを刺激 goading し続ける、
 
「捜しなさい search、
探し求めなさい seek、
見つけなさい find、
そして、あなたが見つける前に
満足 content しないように。」
 
 
 
あなたが信じること believe ができないのは良い。
 
ただ覚えておきなさい、
 
信じる believe 必要はないことを
そして、
信じない disbelieve 必要はないことを。
 
それは起こる。
 
そして、私は幸せだ。
 
 
 
あなたは言う、
「私はただあなたの美しさと信頼 trust を感じることができます。」
 
 
 
それが必要とされる全てだ。
 
それで十分だ、十分より多い、
 
それは他の岸への舟 boat となるだろう。
 
もしあなたが私の愛 love を感じることができれば、
もしあなたが私の信頼 trust をあなたの中に感じることができれば、
もしあなたが私の希望 hope をあなたの中に感じることができれば、
もしあなたがそれが正確になんであるのか知らなくても
なにか美しいことが起こっていることを見ることができれば
 
…あなたはそれを定義することはできない
そして、あなたはそれを説明できない…
 
しかし、あなたは超越したなにかを感じることさえできる…
 
 
 
それが美しさ beauty だ、
美 beauty はいつも超越 beyond だ。
 
あなたは薔薇の花を見るといつでも言う、
 
「それは美しい beautiful。」
 
どういう意味かな?
 
あなたは超越 beyond した何かを見たと言う。
 
目で見えない invisible 何かが
あなたには目で見える visible ようになる、
 
あなたはそれを証明することはできない。
 
もし他の誰かがあなたの横に立っていて
どんな薔薇の美しさをも否定 deny するならば、
あなたはその人にそれを証明することはできない
 
…方法はない。
 
あなたはただ肩をすくめるしかないだろう。
あなたは言うだろう、
 
「では、それについては何もすることはできない。
私は見る
そして
あなたは見ない、
それはそれだ。」
 
 
 
薔薇を解剖し dissect 
そして
薔薇が美 beauty を含むのか含まないのかを見つけるために
あなたは科学者のところへ行くことはできない。
 
それはそれを含んでいない、
 
その美 beauty は薔薇の中に含まれていない。
 
その美 beauty は形 form を超越 beyond している、
 
それは単に薔薇の上で踊っている。
 
目を持っている者は、
彼らが見えるだろう、
 
目を持っていない者は、
彼らが見えないだろう。
 
あなたは化学者へ薔薇を持って行くことはできる、
彼はそれを解剖する dissect だろう、
彼は薔薇の中にあるあらゆるものを見つけるだろう
 
…しかし、薔薇の中に美 beauty はない。
 
 
 
薔薇は
美 beauty の降下 descend から超越 beyond への
引き金 occasion にすぎない。
 
薔薇は
美 beauty を演出するための
ただの画面 screen にすぎない。
 
薔薇は
ドラマ drama が起こるための
舞台 stage にすぎない、
 
薔薇は
ドラマ drama そのものではない。
 
あなたは薔薇を取り去り、
あなたは薔薇を解剖し dissect、
あなたは薔薇をバラバラに切って、
あなたは全ての構成要素 constituent を見つけるだろう
 
…しかし、美 beauty は薔薇の構成要素 constituent ではない、
 
薔薇がないにもかかわらず
美 beauty は降下 descend できない。
 
 
 
それはちょうど朝に太陽 sun が昇り
その光線 rays が蓮の池の上で踊っているようなものだ。
 
あなたはその光線 rays そのものは見えない、
あなたは見ることができない。
 
それが『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower が言う、
 
あなたは本質(性)essence を見ることはできない、
あなたは生 life を見ることはできない、
あなたが見るもの全ては結果 consequence だけだ。
 
 
 
あなたは光 light そのものを見たことがあるかな?
 
いいや、あなたはけっして光 light を見たことはない。
 
もしあなたが光 light そのものを見たことがあると考えているならば、
あなたはそれについて考えなかった、
あなたはそれをじっくり考えた ponder ことがない。
 
あなたは光っている物は見たことがある、
あなたは光 light そのものを見たことはない。
 
あなたは光った池を見た、
あなたは光った蓮を見た
あなたはあなたの女性や男性や子供の光った顔を見た、
あなたは光った世界を見た、
 
しかし、あなたは光 light そのものを見たことはあるかな?
 
もし光 light を演出するためのものが何もなければ、
あなたは光 light を見ることはできないだろう。
 
 
 
だから、宇宙飛行士が地球から離れていく瞬間、
昼間でさえも、
空 sky は暗く dark、まったく暗い dark、
 
なぜなら、あなたは光 light そのものを見ることはできないからだ
そして、そこには光 light を演出するためのものが何もない。
 
したがって無限 infinite の空 sky は暗い dark。
 
あなたは星の光 light を見る
なぜなら、星が光 light の遊び場になるからだ
しかし、星を取り囲んでいるのは全て暗闇 darkness だ
なぜなら、光 light を遮る obstruct ものが何1つもないからだ。
 
光 light が遮られない限り
あなたはそれを見ることはできない。
 
 
 
あなたは光明 enlightenment を見ることはできない、
 
あなたはそれの結果 consequence だけを見ることができる。
 
 
 
あなたは私に何が起こったのかを見ることはできない、
 
しかし、あなたは起こった何かを見ることはできる、
X のような何かを。
 
 
 
それを光明 enlightenment と呼ぶ必要もない、
ただ X がするだろう。
 
何か神秘的なこと mysterious が起こった。
 
そして、あなたがもっと私を感じると、
あなたはもっとそれに気づく aware ようになるだろう、
 
そして、あなたがもっとそれに気づく aware ようになるとき、
 
あなたの内側 inside にある何かが
それに応答 respond し始めるようになる。
 
私に起こった何かは
あなたの中で過程 process を引き起こすことができる。
 
それはあなたの光明 enlightenment の原因 cause であることはできない、
 
覚えておきなさい、
 
あなたの光明 enlightenment
私の光明 enlightenment の結果 effect ではないだろう。
 
 
 
導師 master と弟子 disciple の間に
原因 cause と結果 effect の関係性 relationship(因果関係)はない、
 
それは全く異なる種類の関係性 relationship だ。
 
 
 
ちょうどこの世紀に
カール グスタフ ユング carl gustav jung は
その異なる種類の関係性 relationship の
神秘を見抜く penetrate ことができた。
 
彼はそれを「共時性 synchronicity」と呼ぶ。
 
原因 cause と結果 effect (因果)は
科学的 scientific な関係性 relationship だ、
 
共時性 synchronicity」は
詩的 poetic な関係性 relationship だ。
 
 
 
共時性 synchronicity」によるという意味は
 
もし、何かがどこかで起こったとして
そして、あなたがそれに利用可能 available になると、
あなたはそれにもろくて弱い vulnerable ままだ、
それと並行 parallel して
何かがあなたの中で応答 respond し始めることができる。
 
しかし、それはそれの原因 cause ではない、
それはそれを引き起こすこと cause はできない。
 
 
 
それはちょうど誰かが美しい音楽を演奏していて
あなたの中に踊るという大きな欲求が湧き上がるようなものだ。
 
それは音楽によって引き起こされた cause のではない、
それはあなたの中の平行応答 parallel response だ。
 
あなたの中で眠っていた
何か…踊るというエネルギー…が
叩かれた hit 
 
原因 cause ではない、
 
ただ叩かれた hit だけだ、
 
刺激された provoke
吹き込まれた inspire。
 
それが「共時性 synchronicity」だ。
 
もしそれが原因 cause であれば
するとそれは誰にでも起こるだろう。
 
 
 
例えば、あなたはここにいる、
3000人のサニヤシン sannyasin が居合わせている present。
 
私はあなた方すべてに利用可能 available だ、
 
しかし、あなたは私に全てを利用可能 available にしてはいない
 
または、もしあなたが私に利用可能 available であったとしても、
 
あなたは異なる方法で利用可能 available だ。
 
質 quality の違い、
量 quantity の違い。
 
もし私があなたの光明 enlightenment の原因 cause であることができるならば、
 
すると、あなた方全3000人は光明 enlightenment になるだろう。
 
 
 
しかし、私は原因 cause ではない、
 
私はただ変化を促す働き catalytic の代理人 agent になることはできる。
 
しかし、そのためには、
あなたは私に向かって開いて open いなければならない。
 
 
 
もし私が原因 cause であれば、
あなたは私に開く open 必要はないだろう。
 
木が開いているかいないかに関わらず
火 fire は燃える、
それが原因 cause だ。
 
100度に熱すると
水 water は蒸発する、
熱が開いているかいないかは関係ない。
 
 
 
原因 cause と結果 effect は盲目的な関係性 relationship だ、
それは物質主義 materialistic だ、
 
それは物質 matter と物質 matter の間だ。
 
 
 
しかし、「共時性 synchronicity」は
物質 material ではない、
 
それは精神 spiritual だ、
それは詩的 poetic だ、
それは愛 love の情事だ。
 
 
 
もしあなたが私にオープン open になれば、
何かがあなたに起こり始めるだろう。
 
そして、覚えておきなさい、
私はそれの原因 cause ではない。
 
あなたは私に感謝する必要はない、
あなたは私にありがたく思う必要はない。
 
私はそれの原因 cause ではない。
 
もし誰かがそれの原因 cause であれば
それはあなただ、
なぜなら、あなたが私の方に向かって開いた open からだ。
 
私は独りでそれをすることはできなかった。
 
私の側では何もしていない。
 
 
 
私は在る present、
 
必要となる全ては
 
あなたも「現在 present」ここ here に在ることだ
 
 
 
f:id:premmashal:20180911155600j:image
 
 
 
そして、
何かが起こり始めるだろう。
 
そして、誰1人もそれをしない、
 
私もそれをしないし
あなたもそれをしない。
 
私は利用可能 available だ、
あなたは利用可能 available となる、
 
そして、これらの2人のエネルギーが愛の情事の中に落ちると、
彼らは一緒に踊り始める。
 
 
 
だからあなたが私の光明 enlightenment について
知ることができないことを心配しないように。
 
 
 
あなたは言う、
 
「私はただあなたの美しさと信頼 trust を感じることができます。」
 
 
 
これで十分だ。
 
これで成すだろう。
 
そして、ひとたびそれがあなたの中で起こったら、
あなたは知るだろう。
 
ブッダ buddha を知るには
人はブッダ buddha にならなければならない、
 
キリスト christ を知るには
人はキリスト christ にならなければならない。
 
 
 
質問 2
the second question
 
過去数週間、
ちょうど私がこの世界と生 life の
神秘 mystery や奇蹟 miracle に
圧倒 overwhelmed されているのを感じているとき、
 
私は突然
私の外側 outside にあるあらゆるものが
私の目の内側 inside に入るまで
降りて descending 近づいてくるのを感じます。
 
私はその後
ちょうど私の目に座っている
1次元の画面のように見える何かを見ている
私自身を見つけます。
 
それは私にしかすぎないように見えます
そして、私はとても孤独 alone です。
 
しかしその後、
画面上にいる人々が私と一緒に触れ合うinteracting と
私は混乱 confuse になります。
 
そして、あなたは何ですか?
 
あなたも絵の1部だけのように見えます。
 
たとえこのたった数秒でさえも、
これが起こるとき
私はとても怯えます terrified。
 
これは私のマインド(思考)mind が私と遊んでいるのでしょうか?
 
どうして私は本当にとても孤独 alone であることができるのでしょうか?
 
 
 
(osho)
 
マイトリ maitri、
人は孤独 alone だ
 
…孤独 aloneness は究極 ultimate だ…
 
しかし、
独りあること(孤独)aloneness は
寂しさ(孤独)loneliness ではない。
 
 
 
あなたは寂しく孤独 lonely ではない。
 
そこに、
全ての誤解 misunderstanding がある
 
それが、
あなたをとても怯え terrify させる。
 
 
 
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寂しく孤独 lonely である、という意味は
あなたは他者がいないので寂しく思う missing 、ということだ。
 
寂しく孤独 lonely である、というのは
負 negative の状態 state だ。
 
寂しく孤独 lonely である、という意味は
あなたは空っぽ empty を感じている、
 
あなたは他者を探している
 
…あなたは他者を信じ believe、
あなたは他者に依存する depend…
 
そして、他者はそこにいない。
 
なぜなら、他者はそこにいないので
 
大きな無 nothingness がある、
 
しかし、その無 nothingness は
負 negative の無 nothingness の種類だ。
 
あなたは他者を探し求める groping、
そして、あなたは他者を見つけることはできない、
そして、あらゆるものが消え始める。
 
そして、あらゆるものが消え始めるときの
本物の問題は
あなたはあなた自身のままであることができない、ということだ。
 
 
 
他のあらゆるものが消えるとき、
あなたも消えなければならない、
 
なぜなら、あなたは他者に依存 depend するからだ、
あなたは他者の反映 reflection だけだ。
 
あなたは他者の目の中にある
あなたの顔を見ている、
彼らは鏡だ。
 
今や、もうどこにも鏡はない、
 
 
 
あなたは誰かな?
 
 
 
全ては消えてしまった、
その後、どうしてあなたはこの寂しい孤独 loneliness のままであることができるのか?
 
あなたも蒸発 evaporating し始める
そして、それが大きな怖れ fear 、
死 death の怖れ fear を作る。
 
エゴ(欲・自我)ego が死にはじめる
そして、
エゴ(欲・自我)ego はしがみつくための誰かを
どこかで探しはじめる。
 
だからあなたはすぐに人々と触れ合いinteracting 始める。
 
死 death の恐れ fear から
あなたは再び他者に占領 occupied されはじめる。
 
 
 
すると、大きな混乱 confusion がきっとそこにあるだろう
 
なぜなら、あなたの自然な存在 being は
無 nothingness の奥深くへと
入り動いているからだ
 
しかし、あなたは怯え frighten
 
そして、あなたはそれ(無 nothingness の奥深く)の外へと
あなた自身を引っ張り出した。
 
あなたはエネルギーの中に矛盾 contradiction を作り出した、
 
そのエネルギーは中へ行こうとしている
そして、
あなたは外へ飛び出した、
 
したがって、混乱 confusion する。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
しかし、独りあること(孤独)aloneness は究極 ultimate だ。
 
そして、私が独りあること(孤独)aloneness は究極 ultimate だと言うとき、
 
私が意味するのは
1つ One だけ、多 many ではない
ということだ。
 
 
 
あなたは存在 existence から分離 separate していない。
 
誰1人も他の誰からも分離 separate していない、
 
存在 existence はまったく1つ One だ。
 
 
 
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分離 separate の考えは私たちの惨めさ misery だ、
 
「私は孤島 island だ」という考えは
地獄 hell を作る。
 
誰1人も孤島 island ではない、
 
私たちは大陸 continent に属している、
 
私たちはこの海洋 oceanic の存在 existence の1部だ、
 
過去 past、現在 present、未来 future。
 
全ての方向 direction と
全ての次元 dimension で
それは全て1つ One だ。
 
 
 
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実際には、アロン alone という言葉の意味は
 
「全て all - 1つ One」
 
’all-oneness’
 
…それが alone-ness だ。
 
「全て all 1つ One」は alone だ。
 
’all one’ is alone.
 
 
 
しかし、そのためには、
マイトリ maitri、
あなたはこの無 nothingness の中へと
もう少し入って行かなければならないだろう。
 
 
 
最初はその無 nothingness は負 negative だ
 
それは核 core の最も外側だ、
 
その殻の部分は負 negative だ。
 
 
 
もしあなたが少し深く入るならば
あなたは正 positive の負 negativeness を見つけるだろう。
 
その正 positive の負 negativeness は
ゴータマ・ブッダ Gautam Buddha が呼ぶ
涅槃 nirvana だ、
光明 enlightenment だ、
空 shunya だ。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
あなたがもっと深く移動し
 
あなたが
硬い負 negative の部分、
闇 dark の部分の
殻の部分を横切ると、
 
突然、そこには光 light がある。
 
夜は終わった。
 
 
 
すると、あなたはこれまで感じたことのなかった
全く新しい種類の独りあること(孤独)aloneness を感じる、
 
すると、あなたは
寂しい(孤独)loneliness と
独りあること(孤独)aloneness の
区別 distinction を知る。
 
 
 
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寂しい(孤独)loneliness の中では
あなたは他者を探していた、
 
独りあること(孤独)aloneness の中では
他者は消えた、
 
だから、エゴ(欲・自我)ego も消えた。
 
今や、内側 inside には誰もいない
そして、外側 outside にも誰もいない、
 
そして、全ては1つだ。all is one.
 
この1つ unity、
この絶対的な1つあること Onenes は
祝福 benediction をもたらす。
 
 
 
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すると、そこには恐れ fear はない、
 
あることはできない、
なぜなら、今や死 death はあることができないからだ
 
…どうして恐れがあることができるかな?
 
死 death はすでに起こった、
死ぬことができるものが死んだ。
 
 
 
今や、あなたは不死 immortal の世界の中にある、
仙薬 elixir を見つけた。
 
これは私たちが『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower の経文 sutras  の中で
何度も何度も話すであろう甘露 nectar だ。
 
これは(東洋での)甘露 nectar、アムリタ amrit。
 
これは仙薬 elixir、(西洋での)賢者の石 philosopher's stone だ。
 
 
 
ひとたび、あなたがそれを味わったら、
全ての死 death は消える、
全ての時間 time は消える、
全ての区別 distinction は消える。
 
 
 
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今やあなたは
木をあなたの延長 extension のように見るだろう、
雲をあなたの延長 extension のように見るだろう、
または、
あなたが木の延長 extension のように見るだろう。
 
 
 
今や、中心 center はどこでもあり everywhere
そして、どこにもない nowhere。
 
 
 
「私 ’I’」はもうどこにも存在 exist しない。
 
 
 
その言葉はまったくの偽り false になる。
 
 
 
あるとき、キリスト教の宣教師が禅の導師 master に尋ねた、
 
「人間の旅の終わりの地点は
神 God と1つになる union ことではないのですか?」
 
禅の導師 master は言った、
 
「人間の旅の終わりの地点は
神 God と1つになる union ことではない、
 
なぜなら、
これまでけっして分離 separate していないからだ。
 
必要な全てのことは
洞察のひらめき flash of insight だ
 
それは人がそれを見えるようにする。」
 
 
 
道(Tao タオ)、
タントラ tantra
 
…彼らの洞察 insight は
いわゆる市場の宗教 religion と呼ばれるものよりも
はるかに奥深い。
 
神 God に参加するという用語から、
神 God と1つ One である、と考える、
 
しかし、
 
禅の導師 master の洞察 insight は
はるかに深く見抜いている。
 
彼は言う、
 
しかし、どこに分離 separate があったかな?
 
いつ?
 
分離 separate は全く起こっていない、
 
あなたは分離 separate しているという
夢を見ている。
 
ただ夢から出て来なさい!
 
1つになる union はない、
あなたはいつも存在 existence と1つ One である。
 
一瞬の間も分離 separate していない、
 
分離 separate の可能性はない。
 
 
 
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マイトリ maitri、あなたはとてもとても
重要 important で、重大 significant な洞察 insight に来ている。
 
もし、あなたが怯えず frightened 
そして、この体験 experience から逃げなければ、
あなたはそれを見えるようにする
洞察のひらめき flash of insight に
達するだろう、
 
それとは、全ては1つ One だ。
 
 
 
しかし、恐れ fear はいつもやって来る。
 
それは新しいことではない
…それぞれの探究者 seeker はそれを通らなければならない。
 
そして、それは本当に大変なので
あなたがそれについて考える前に
あなたはすでにそれから逃げている。
 
それはとても恐ろしい frightening
…何をすればいいのかということを
あなたがじっくり考える
時間 time、空間 space、を与えない。
 
それは家が燃えているようだ。
 
あなたはもう考えない、
 
「私は外に出るべきか、または、出ないべきか?」
 
もう選択肢 alternative は残っていない、
 
あなたは何も考えずただ単に家から逃げ出す。
 
考える時間 time はないのだ。
 
後であなたは考えることができる。
 
あなたが家の外にいるときに、
木の下に座って、
あなたは余裕を持ってじっくり考えることができる。
 
しかし、家が燃えているとき、
どうやってあなたは考えることができるかな?
 
行動 action が直ちに必要だ
そして、考えることはけっして直ちにではない。
 
それが問題だ、
 
あなたがあなたの独りあること(孤独)aloneness の中へ入るとき、
まず最初に、それはとても寂しい(孤独)lonely、
 
なぜなら、あなたは他者の考えと一緒に生きていたからだ。
 
それは夢の考えだった、
他者はそこにいない。
 
「私’I’」と「汝(あなた)’thou'」
…どちらも偽り false だ。
 
 
 
マーティン ブバー martin buber は言う
究極の祈りの質は
「私’I’」と「汝(あなた)’thou'」の間の対話 dialogue だ、と。
 
そこがユダヤ教がつまる stuck ところだ。
 
 
 
究極の祈りは
まったく対話 dialogue ではない、
 
究極の祈りは
独白 monologue だ、
 
なぜなら、他者はいないからだ。
 
 
 
ある禅の導師 master が
朝に彼自身の名前を呼んでいた、
 
毎朝、彼は彼自身の名前を叫び、言う、
 
「お元気ですか?」
 
そして、彼は答える、
 
「私は元気です。」
 
あなたは彼が狂ったと考えるだろう、
しかし、これが祈りだ。
 
「私’I’」はない、
「汝(あなた)’thou'」はない。
 
あなたはどちらの側をも演じなければならない。
 
それはゲームだ、
それは遊びだ。
 
祈りは遊びだ、
あなた自身との遊びだ。
 
「他者 other」はいない。
 
 
 
しかし、ユダヤ教はそこでつまる stuck、
「私’I’」と「汝(あなた)’thou'」という考えで。
 
だからこそ、彼らはイエス Jesus にたくさん反対した、
なぜなら、
彼は宣言 declared したからだ
 
…禅の導師 master が宣言 declare したような
大胆 drastic ではなかったにもかかわらず…
 
彼の状況ではもっと大胆 drastic になる可能性はなかった。
 
しかし、まだ彼は言った、
 
「私と私の父は1つ One だ。」
 
しかし、それは人々が激怒 infuriate するのに十分だった。
 
人々は怒った。
 
「彼は何を言っているのか?
彼自身が神 God だと宣言 declare しているのか?」
 
彼は何も言わない、
彼は彼自身を神 God だと宣言 declare していない、
 
彼は単に
神 God と信者 devotee はいない
と言っている、
1つ One だけがあると。
 
 
 
確かな状況の中で
あなたはそれを「信者 devotee」と呼ぶことができる、
 
他の状況の中で
あなたはそれを「神 God」と呼ぶことができる。
 
だから彼は言う、
 
「私と私の父は1つ One だ。
 
もし、あなたが私の肉体 body を見るならば
私は息子だ、
 
もし、あなたが私の魂 soul を見るならば
私は父だ。
 
もし、あなたが私の形 form を見るならば
私は人間だ、人間の息子だ、
 
もし、あなたが私の本質(性)essence を見れば
私は神 God の息子だ。」
 
だから、彼は何度も何度もそれを繰り返し続ける。
 
ときには彼は言う、
私は人間の息子だ、
 
ときには彼は言う、
私は神 God の息子だ。
 
矛盾 contradictory しているように見えるが、
そうではない。
 
 
 
マイトリ maitri、あなたは言う、
 
「過去数週間、
ちょうど私がこの世界と生 life の
神秘 mystery や奇蹟 miracle に
圧倒 overwhelmed されているのを感じているとき、
 
私は突然
私の外側 outside にあるあらゆるものが
私の目の内側 inside に入るまで
降りて descending 近づいてくるのを感じます。」
 
 
 
あなたが見る全てはあなたの目の投影 projection だ。
 
それはあなたがまだ見ていない世界のようだ。
 
あなたが見ている何かは単なる投影 projection だ、
 
だから、あなたが「内向 inward」へと動きはじめるとき、
 
あなたが世界に投影 project したあらゆるもは
目にどんどん近づき
そして、あなたの目の中へと消えるだろう。
 
この世界はあなたの目の投影 projection だ。
 
あなたはそれが見えない、
 
あなたがそれに夢を投影 project する。
 
 
 
例えば、
すばらしいダイアモンド、コヒノー kohinoor がある。
 
さて、それは他のどの石のようなただの石だ、
しかし、私たちはそれにとても大きな価値を投影 project した。
 
コヒノー kohinoor のために
たくさんの人々が死んだ、
 
それを所有 possess した者は誰であれ殺された。
 
さて、それのばかばかしい nonsense 全体 whole を見てごらん、
 
人々の投影 projection のために
ただの石がとても殺人的 murderous なことが証明された。
 
世界の中でそれは最も貴重 precious な物の1つだ、
世界の中で高価な costliest 物だ、
 
しかし、もし人間が地球から消えれば
それは他のどの小石 pebble より何かになるだろうか?
 
それは他の小石 pebble と同じように
ただそこに転がっているだろう。
 
区別 distinction なく、
違い difference なくあるだろう。
 
 
 
どこからその違い difference はやって来るのか?
 
私たちの目の投影 project、
私たちはそれを特別 special なものにする。
 
私たちはその上に
私たちの欲 desire 、貪欲 greed を注ぎ続ける。
 
それはとても貴重 precious になり、
そして、とても危険 dangerous にもなる。
 
 
 
もし、あなたがコヒノー kohonoor に瞑想 meditation すれば、
静かにそれを見て、それを見ると、
ある瞬間がやって来る
あなたがコヒノー kohonoor から何かが
あなたの目にどんどん近づいて来るのを見るとき
すると、それは目の中へと消える。
 
すると、あなたはあなたの目を開ける
…コヒノー kohonoor は消えた。
 
何かがそこにある、
しかし、以前あなたはそれを知らなかった
そして、以前あなたが知っていたものは
もうそこにはない。
 
美しい体験 experience、
途方もなく tremendously 重大 significant だ。
 
その中へと入って行きなさい、
深く、深くその中へと入って行きなさい。
 
全世界を消しなさい。
 
 
 
そうだ、その中では私も消えるだろう、
なぜなら、私は
あなたがまだ見ていないものだからだ
そして、あなたが見ているものはあなたの投影 projection だからだ。
 
あなたの投影 projection は消えるだろう、
そして、全てのあなたの投影 projection が消えるとき、
その後、世界は裸 nakedness の状態になる、
ありのままの。
 
なんて不思議だろう!
 
すると、小さいものがとても素晴らしい
すると、普通 ordinary の小石 pebble はとても素晴らしい。
 
コヒノー kohonoor のために
彼らは素晴らしくあることができない、
 
あなたはコヒノー kohonoor に全てを投影した、
あなたは他のどれにも
どんな愛 love も残さなかった。
 
 
 
ひとたび投影 projection が消えると
あなたはあなたの目を開ける、
 
Empty eyes 空っぽな目、
 
全く何も投影 projection しない、
なんであれただそれを見る、
それが何であるのかという考えもなく、
名前 name もなく、
ラベル label もなく、
解釈 interpretation なく、
ただ見る seeing、
空っぽ emptied、
受容的に passive、
世界はまったく異なる意味を持ってやって来る、
重大な。
 
 
 
「私は突然
私の外側 outside にあるあらゆるものが
私の目の内側 inside に入るまで
降りて descending 近づいてくるのを感じます。
 
私はその後
ちょうど私の目に座っている
1次元の画面のように見える何かを見ている
私自身を見つけます。」
 
 
 
完全に良い
それは完璧に正しい。
 
これは人が瞑想 meditation へ深く入って行く方法だ。
 
 
 
「それは私にしかすぎないように見えます
そして、私はとても孤独 alone です。」
 
 
 
ただ唯一の問題は
 
あなたがまだそこにいるということだ、
 
だからこそ、あなたはとても孤独 alone に感じる。
 
あなたが意味するのは寂しい(孤独)lonely だ。
 
「私’I’」は孤独 alone のままだ、
「汝(あなた)’thou'」は消えた、
 
そして、「汝(あなた)’thou'」なしでは
「私’I’」は寂しい(孤独)lonely。
 
 
 
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「私’I’」は関係性 relationship の中だけで存在 exist する、
 
「私’I’」は実体 entity ではない
しかし、関係性 relationship だ
 
…それは「汝(あなた)’thou'」なしでは存在 exist することができない、
 
それは「汝(あなた)’thou'」を必要とする。
 
 
 
どうやって愛する者 lover は
最愛の者(恋人)beloved なしで存在 exist できるのか?
 
ひとたび、最愛の者(恋人)beloved がいなくなれば
愛する者 lover は消えはじめる。
 
あなたは最愛の者(恋人)beloved が必要だ。
 
愛 love は関係性 relationship だ、
 
だから、「私’I’」は関係性 relationship だ。
 
そして、どうにかしてあなたが「私’I’」をまだ守っているので、
あなたは「私’I’」を手放す十分な勇気を持てないままでもある。
 
 
 
全世界が消えたように、
この「私’I’」も消えなさい。
 
最初は恐ろしいだろう、
それは死 death の過程 process になるだろう
 
…それは死 death の過程 process だ。
 
それはまるであなたが自殺 suicide をするようだ、
それはまるで…
 
あなたがどこへ行こうとしているのか誰が知る、
あなたは再び帰って来るのか来ないのか?
 
それはまるでもし狂気 madness が
あなたの中で爆発 exploding しているかのように見えるだろう。
 
そして、大きな恐れ fear が生じるだろう
そして、その恐れ fear の中であなたは何度も何度も追い出す thrown out だろう。
 
それは何度も起こるだろう。
 
ゆっくり、ゆっくりとあなたは
とても恐れないことを学ばなければならないだろう、
 
恐ることはなにもない。
 
あなたは宝物のとても近くにいる。
 
 
 
これらは導師 master があなたを助けることが必要な瞬間だ、
あなたに勇気 courage を与え、
あなたの手を握って、
あなたに言う、
「マイトリ maitri、全ては完璧に正しい。
入って行きなさい!」。
 
私も同じものを通らなければならなかった
そして、私もまたあなたと同じようにたくさん恐れた afraid。
 
そして、あなたか出てきたように何度も私は出てきた。
 
そして、あなたは私よりもっと幸運 fortunate だ
 
なぜなら、私は導師 master がいなかったからだ
 
…私に勇気 courage を与える者は誰1人もいない、
私の手を握る者は誰1人もいない。
 
私は単に私自身によって奮闘 struggling していた。
 
誰1人も私に先に何が起こるのかを話すことができる者がいなかった。
 
私は手探り grope でその中に入って行かなければならなかった
 
…そして、それは危険 dangerous だった、
それは狂気 maddening だった。
 
そして、その当時、私の周りにいた人々は
私が狂ったとすでに信じはじめていた。
 
私を愛したみんなは心配していた
 
…私の友達は心配していた、
私の先生達、私の大学の教授達は心配していた、
私の両親は心配していた、
みんな心配していた。
 
しかし、私は行かなければならなかった。
 
何度も私は外に出た、
恐れ fear はとても大きかった。
 
私は恐れを完全に精通 acquainted している。
 
しかし、ある日、
人はそれと向き合わなければならない
そして、それを通らなければならない、
なぜなら、何度も何度もあなたはそれに落ち
そして、あなたは急いで外に出る。
 
そして、外はもはや意味がない、
外は全て空っぽ empty だ。
 
そして、あなたは内側 inside にやって来る
…そして、恐れる fear。
 
あなたは2つの間で選ばなければならない。
 
 
 
外側 outside はもはや適切 relevant ではない。
 
あなたは空っぽ empty の しぐさ gesture をし続けることはできる、
 
しかし、どれくらい長くあなたはあなた自身を欺く deceive ことができる?
 
あなたはその画面 screen が空っぽ empty であることを知っている
そして、全てのあなたの投影 projection は死んでいる。
 
そして、あなたは内側 inside に行く…
そして、恐れ fear、大きな嵐の恐れ fear が生じる。
 
しかし、他の道(方法)はない
…人は
この死 death の後に何が起こるのかを
確かに知るために
それを通らなければならない。
 
まもなくあなたはより良い勇気 courage を集める。
 
そして、私は再び言う
あなたはもっと幸運 fortunate だ、
 
なぜなら、私はまったくの空 emptiness の中であなたの先に立っている、
 
何度も何度もあなたを呼ぶ
「おいで!みんなおいで!来なさい!」。
 
そして、
キリスト christ が墓 grave からラザロ lazarus を呼ぶように
 
「ラザロ lazarus、出ておいで!」
 
私はあなたを呼び続ける。
 
 
 
実際に、その寓話 parable は歴史的な事実ではない、
それは寓話 parable だ。
 
それは外側 outside から内側 inside への動きの寓話 parable だ。
 
その意味が失われるとき
外側 outside は墓 grave になる。
 
外側 outside は単なる
無益 futility、
不毛の土地 wasteland、
墓 grave になる。
 
その中ではそれ以上何1つも成長しない、
その中ではそれ以上何1つの花はない
 
…どんな歌と踊りの可能性はない…
 
そして、あなたは
空っぽ empty の動作 motion、
空っぽ empty のしぐさ gesture のみで生きる。
 
 
 
しかし、導師 master は
あなたが恐れている afraid 場所に立っていて
そして、彼はそこから呼んでいる。
 
私はあなたの外側 outside に立っているだけではない、
 
あなたは最奥の無 nothingness の中で
私と会うだろう
 
…私としてではなく、
もちろん、人 person としてではなく
しかし、存在 presence として、
 
あなたから分離 separate ではない
しかし、
あなたと1つ One だ。
 
 
 
だから、私はとてもたくさんサニヤス sannyas を要求 insist する。
 
あなたがサニヤシン sannyasin (探究者)でない限り
内側 inside からあなたを呼ぶことは
私には難しくなるだろう。
 
私は外側 outside からあなたを呼ぶことはできる、
 
しかし、すると、あなたはただの生徒 student のままだ。
 
私はあなたに少しのことを教える teach ことはできる
 
…それは知識 knowledge になるだろう…
 
しかし、私はあなたの内側 inside からあなたを呼ぶことはできない、
 
あなたの心 heart から。
 
そして、その必要性がそこにある。
 
もし、あなたが私の弟子 disciple になる場合にのみ
それは可能だ、
 
もし、あなたがサニヤシン sannyasin ならば、
もし、あなたが私と共に行く用意があるならば、
もし、あなたが私を信頼 trust する用意があるならば、
ある瞬間の中で。
 
私はそれらの「ある瞬間」を使い
遅かれ早かれ、彼らはあなたの存在 being の状態になるだろう。
 
 
 
だから、行きなさい。
 
さあ
この「私 ’me’」、
この「私’I’」も
消えなさい disappear。
 
そして、ひとたび、この「私’I’」が消える disappear と
寂しい(孤独)loneliness はなくなり、
独りあること(孤独)aloneness がある。
 
そして、独りあること(孤独)aloneness は美しい、
 
独りあること(孤独)aloneness は自由 freedom だ、
 
それは良い存在 being のとても正の感じ positive feeling だ、
 
大きな喜び joy の正の感じ positive feeling だ、
 
それは祝祭 celebration だ。
 
 
 
「それは私にしかすぎないように見えます
そして、私はとても孤独 alone です。」
 
 
 
そうだ、もし「私’I’」が残っているならば
あなあは寂しい(孤独)lonely ままだろう。
 
 
 
「しかしその後、
画面上にいる人々が私と一緒に触れ合うinteracting と
私は混乱 confuse になります。
 
そして、あなたは何ですか?
 
あなたも絵の1部だけのように見えます。」
 
 
 
私を外側 outside の絵の1部になることを許しなさい、
 
そうするときだけ、私は内側 inside から働きはじめることができる。
 
私を外側 outside から消しなさい
そうすると、あなたは内側 inside で私と出会うことができる。
 
そして、それが私の真実 truth になる。
 
そして、それがキリスト christ の真実 truth だ
 
そして、それがゴータマ・ブッダ Gautam Buddha やクリシュナ krishna の真実 truth だ。
 
それは全ての導師 master たちの真実 truth だ、
 
目覚めた awakened 全ての者たちの真実 truth だ。
 
 
 
「たとえこのたった数秒でさえも、
これが起こるとき
私はとても怯えます terrified。」
 
 
 
それは自然 natural だ、
 
しかし、勇気 courage を集めなさい。
 
私はあなたと一緒にいる。
 
入って行きなさい。
 
 
 
「これは私のマインド(思考)mind が私と遊んでいるのでしょうか?」
 
 
 
いいや、まったくそうでない。
 
マインド(思考)mind は恐れ fear を作り出す、
この体験 experience ではない。
 
恐れ fear が作られるとき
マインド(思考)mind は遊んでいる。
 
全てのあなたの投影 projection がどんどん近づいて
あなたの目の中で消えるのを
あなたが見るとき
それはマインド(思考)mind ではない。
 
あらゆるものが白い空っぽの画面 white empty screen になるとき
それはマインド(思考)mind ではない、
 
それは瞑想 meditation だ、
 
それはマインド(思考)mind が無い no-mind の方への動きだ。
 
 
 
マインド(思考)mind は恐れ fear を作り出す。
 
それがマインド(思考)mind が無い no-mind 方へとても近づくとき、
それは死 death をたいへん恐れる afraid ようになるので
それは恐れ fear を作り出す。
 
そして、その恐れ fear の中で
あなたは再び急いで外に出る。
 
次にそれが起こったら、
マイトリ maitri、中へ行きなさい、
恐れ fear をものともせず。
 
ちょうど犬が吠えているにもかかわらず
移動し続ける象のように。
 
犬には吠えさせなさい。
 
象のように移動し続けなさい。
 
マインド(思考)mind について
まったく気にしないように
 
…それが何と言っていても。
 
 
 
質問 3
the third question
 
光明 enlightenment を得た人が
妄想 delusion の中に後戻りすると
どうなりますか?
 
 
 
(osho)
 
落ちた花は枝に再び飛んで戻ることはない。
 
それは可能ではない。
 
光明 enlightenment を得た人は
幻想 illusion の中に後戻りすることはできない。
 
その道(方法)はない、
 
たくさんの理由からその道(方法)はない。
 
 
 
第1の理由 : 
 
光明 enlightenment を得た人はもういない
 
…誰が後戻りするのだろうか?
 
光明 enlightenment だ。
 
「光明 enlightenment を得た人」といようなものはない。
 
光明 enlightenment は完全にある、
 
しかし、光明 enlightenment を得た人というのは誰1人もいない。
 
それは単なる話し方だ、
言語の誤り linguistic fallacy だ。
 
誰が後戻りするのだろうか?
 
後戻りをすることができるその人は消えた。
 
そして、その人はどこで後戻りできるのか?
 
ひとたび、あなたがそれが幻想 illusion であるということを見つけたら、
それはもうない。
 
ひとたび、あなたがそれはもうないということを見たら、
それで終わりだ!
 
あなたはどこに戻ることができるのか?
 
それは可能ではない。
 
 
 
しかし、私たちのマインド(思考)mind の中に考えが生じる
 
なぜなら、生 life の中で
私たちはそのようなものはけっして見たことがなかったからだ。
 
私たちは1つのことに達する
そして、私たちは後戻りする、
 
私たちは愛 love の中にいる
そして、私たちはそれの外に出て後戻りする。
 
私たちは恋に落ちる
そして、私たちはそれの外に出て後戻りする。
 
私たちは幸せだ
そしてその後、私たちは不幸になる、
 
私たちは良いと感じている
そしてその後、私たちはとても悪いと感じはじめる。
 
 
 
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私たちは二元性 duality を知っている、
 
その二元性 duality はけっして消えない、
 
だから、
あたかも光明 enlightenment
もしかしたら後戻りできるかのように
私たちが考えるのは自然だ。
 
 
 
光明 enlightenment
不二 non duality / advaita の実現 realization だ。
 
 
 
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だから、禅の導師 master は言う
サムサーラは涅槃だ、と。
 
 
 
まさに世界は涅槃 nirvana だ、
 
まさに幻想 illusion は真実 truth だ、
 
区別 distinction は残されていない。
 
これは真実 truth
そして
これは幻想 illusion
というのはない、
 
全てが真実 truth だ、
真実 truth だけがある。
 
 
 
どこにあなたは後戻りできるのか?
 
あなたは戻ることのない地点を超越 beyond した。
 
誰1人も後戻りしたことはない。
 
 
 
そして、これらの人々について心配することはない
 
…あなたはあなた自身について心配するべきだ。
 
最初に光明 enlightenment を得る
そしてその後、後戻りを試す
 
そしてその後、あなたはわかるだろう
 
…光明 enlightenment を得ることの方が簡単であると!
 
後戻りはとても難しい。
 
私は試してみた、
しかし、私は成功していない。
 
 
 
最後の質問
the fourth question
 
至福 bliss と惨め misery について説明してください、
愛 love または美 beauty に私が向き合う間はかならず、
私は途方もない痛みだけを感じ
至福 bliss はありません、
そして、私はこれを理解 understand していません。
 
 
 
(osho)
 
スパルナ suparna、
あなたは何度も何度も話された、
あなたは何度も何度も教えられた、
 
嬉しく joyous なることは間違い wrong で
惨め miserable になることは正しい right と。
 
あなたはとても直接に話されていないかもしれない、
しかし、間接的にあなたは条件付けられた conditioned 
そして、惨めさ misery のために催眠 hypnotized をかけられた。
 
あなたは惨めさ misery は自然なことであると信じはじめた。
 
あなたは周り全てが惨め misery なのを見る、
惨めさ misery はたくさんある abound、
みんな惨め misery だ。
 
ものごとはそうであるかのように見える。
 
 
 
あなたが生まれたとき、
あなたは幸せな子供だった
…全ての子供が幸せであるように。
 
そうでなければそれは起こらなかった、けっして。
 
いつでも子供が生まれるとその子は幸せだ、
まったく幸せだ。
 
そして、だからこそ、子供たちはとても自分勝手に見える、
彼らは彼ら自身のことを考えるだけだ、
彼らは世界について心配していない。
 
そして、彼らは小さいことについて幸せだ。
 
庭の中の蝶々、
そして、その完全な喜び joy と
彼らの驚き wonder
 
…小さなものでも、
なんでもないものでも、
 
しかし、彼らは幸せだ、
 
彼らは自然に幸せだ。
 
 
 
しかし、ゆっくり、ゆっくりと
私たちは彼らの幸せを不自由 cripple にする、
私たちはそれを破壊 destroy する。
 
私たちはとてもたくさんの幸せを許す tolerate ことができない。
 
世界はとても惨め miserable だ
そして、私たちは世界のためにそれらを準備 prepare しなければならない。
 
 
 
だから、間接的に私たちは
「世界は惨め misery である」
「あなたは幸せになる余裕 afford はない」
「幸せはただの希望 hope だ、
どうやってあなたは幸せになることができるのか?
そんな自分勝手にならないように!
周り全てにとてもたくさんの惨め misery がある
…他者を感じなさい、
他者を思いやりなさい consider。」
と、彼らに吹き込み indoctrinating はじめる。
 
ゆっくり、ゆっくり、子供は
幸せになることは罪の一種だと感じだす。
 
世界がそのような惨め misery なときに
どうやってあなたは幸せになることができるかな?
 
 
 
人々は私に手紙を書いて尋ねる、
「世界がそのような惨め misery の中にあるときに
どうやってあなたは人々に瞑想 meditation を教える teach ことができるのか?
 
人々が飢えている starving ときに
どのようにして人を幸せにできるのか?」
 
あたかも不幸であるかのように
あなたは彼らを助けるだろう!
 
あたかも瞑想的 meditative ではないかのように
あなたは彼らのどんな種類の奉仕 service にもなれるだろう!
 
あたかも戦争 war が消えるかのように
もしあなたが瞑想 meditation をしなければ、
そして、貧困 poverty は消えるだろう
もしあなたが幸せでないならば!
 
 
 
しかし、惨め misery は台座 pedestal に置かれ、
惨め misery は崇拝 worshipped される。
 
私はいつも
十字架 cross のせいで
キリスト教は最も大きな宗教 religion になったのではないかと思う。
 
それは惨め misery、苦難 suffering を表す represent。
 
 
 
クリシュナ krishna は大きな宗教 religion になることはできなかった
彼の笛 flute のために
彼の踊り dance のために。
 
クリシュナ krishna を崇拝 worship する者でさえ
彼について少し罪悪感を感じる。
 
どうしてあなたはガールフレンドと一緒に踊って dancing 
そんなに幸せになれるのか?
 
そして、1人だけではなく…千ものの!
 
そして、笛 flute で歌い singing 演奏する playing!
 
そして、人々は死に瀕していて
そして、死 death と餓死 starvation があり
戦争 war、
暴力 violence、
さまざまな種類のことが周りで起こっている。
 
それは地獄 hell だ、
そして、あなたはあなたの笛 flute で遊んでいる!
 
それは無情 callous のようで、
それは残酷 cruel のようだ。
 
 
 
エス Jesus は
十字架 cross の上で死んで、
もっとふさわしい suitable ようだ。
 
エス Jesus の顔を見てごらん!
 
キリスト教のやり方では長い間
彼の顔は悲しく描かれてきた。
 
彼は地球の全ての重荷 burden を背負っている。
 
彼は全ての人々の全ての罪 sin を
彼自身の上に乗せた。
 
彼は最も偉大な奉仕者 servant のようだ
…とても身勝手ではない unselfish。
 
 
 
しかし、私の感じでは
キリスト教はキリスト christ を誤って描いた depicted。
 
このキリスト christ は神話 myth だ、
 
本当のキリスト christ はクリシュナ krishna に似ている。
 
実際に、
もし、あなたが「キリスト christ」という言葉の中に
奥深く降りて行くならば、
あなたは驚くだろう、
 
「キリスト christ」は
「クリシュナ krishna」から来ている、
 
その根源は「クリシュナ krishna」だ。
 
 
 
キリスト christ はとても楽しい joyous 人だったに違いない、
そうでなければ、
どのようにしてあなたは彼が
食べたり eating、
飲んだり drinking、
陽気にはしゃぐ merry
ことを考えることができるのか?
 
友達が集まり
そして、彼らは食べたり、飲んだり、噂話をしたりする
たくさんの場面 scenes がある。
 
彼はいつも「福音 gospelling」ではない、
ときどき彼は噂話 gossiping もする!
 
そして、彼は
よく飲んだり食べたりする
生 life の小さな喜び pleasure を楽しむ
唯一の神 God からの使者 messenger のようだ。
 
 
 
私の感じでは
もし禅の導師 master がイエス Jesus の宗教 religion を作ったならば、
彼らは十字架 cross の上で笑う彼を作るだろう
…腹から笑う belly laugh。
 
エス Jesus はボディダルマ Bodhidharma と同じ
大きな腹 belly を持つだろう!
 
そして、その腹 belly は
大きな笑いで地震のように揺れるだろう!
 
そして、それはより真実 true で、はるかにもっと真実 true だ。
 
 
 
日本と中国でも
ゴータマ・ブッダ Gautam Buddha  の像 statue は
大きな腹 belly に作られている。
 
インドでは
それは大きな腹 belly に作らない、
いいや、まったくない。
 
インドの概念 concept では、
ヨガ yogic の概念 concept は
腹 belly はとても小さくなければならない
そして、胸 chest は大きくなければならない、
 
なぜなら、ヨガ yogic の呼吸は誤った呼吸だからだ、
それは自然ではない。
 
それはあなたからモハメッド アリ mohammed ali を作ることはできる、
しかし、ゴータマ・ブッダ Gautam Buddha を作ることはできない。
 
それはミスターユニバース mr universe の形をあなたに与えるだろう、
しかし、世界の中の他の種類の人々で
より醜い ugly 人をあなたは見たことがありますか?
 
ミスターユニバース mr universe は最も醜い ugly ようだ。
 
どんな女性もミスターユニバース mr universe と恋に落ちることはできないと思う。
 
彼はとても動物的 animalistic に見える
…全ての筋肉、人ではない、
ただの機械装置 mechanism の種類だ。
 
彼の筋肉の動きを見てごらん
…ただの機械装置 mechanism の種類だ、機械だ、
しかし、魂 soul はない!
 
 
 
インドのゴータマ・ブッダ Gautam Buddha の像 statue はヨガ yogic の像だ。
 
中国でゴータマ・ブッダ Gautam Buddha の像 statue を彼らが作ったとき、
彼らは大きな腹 belly でそれを作った。
 
人が笑うとき
そして、人が自然に呼吸するとき、
腹 belly はゆっくりと大きくなる、
なぜなら、人の呼吸は腹 belly からで
胸 chest からではないからだ
 
…呼吸は全体 whole の方へと降りていく。
 
 
 
もし、禅がキリスト教から宗教 religion を作ったならば
エス Jesus が十字架 cross の上にある、
しかも笑っている、
そのような笑いは何世紀にも渡って鳴り響く resound だろう。
 
しかし、それは宗教 religion の成功はなかったかもしれない、
なぜなら、泣いたり crying 嘆いたり weeping することだけしか知らない人々に
どうしたらそれは適する suit だろうか?
 
彼は完全に一風変わった eccentric、
奇妙な outlandish ように見えるだろう。
 
十字架 cross の上にいて
そして、悲しい見た目は完全に正しい、
なぜなら、誰もがみな確かに十字架 cross と悲しみ sad の上にいるからだ。
 
 
 
そして、あなたは
世界は誤った場所 wrong place であると
あなたのとても幼い頃 childhood から
教えられたに違いない。
 
どうしたらこの場所であなたは幸せになることができるのか?
 
私たちは罰 punishment のようなものに苦しんでいる suffering。
 
神 God はアダム adam とイブ eve に楽園 paradise を去るように命じた
 
なぜなら、彼らは従わなかった disobeyed からだ、
 
そして、人類はその災い curse の下にある。
 
どうしたらあなたは幸せになることができるのか?
 
キリスト教徒 christian である
そして
幸せ happy
それは名辞矛盾 contradiction in terms であるだろう。
 
 
 
だから、スパルナ suparna、
あなたは世界は惨めな miserable 場所だと教えられたに違いない、
 
その中では惨め misery は完全に正しい、
それと調和 tune している。
 
そして、誰もがみな惨め miserable だ、
 
幸せ happy で喜ぶ joyous ことは
あなたにとっては
それはとても難しく残酷 cruel になるだろう。
 
だから、人々は罪悪感 guilty を感じる
そして、楽しむ瞬間であってもためらう hold back。
 
 
 
ラーソン larson はシャーロット charlotte を連れて
田舎の外へとドライブし荒地が広がるdesolate stretch 中に車を駐車した。
 
「もしあなたが私にみだらな molest ことをするならば、」
シャーロット charlotte は言った、
「私は叫ぶでしょう。」
 
「何がいいの?」
ラーソン larson は尋ねた。
「周り何マイルに魂 soul はないよ。」
 
「知ってます、」
シャーロット charlotte は言った、
「でも、楽しい時をはじめる前に
私は私の良心 conscience を満たしたいの。」
 
 
 
人々は愛を交わす make love ことさえ
十字架 cross の上にいるように
悲しい sad 顔をする
…深刻 serious で、義務 duty でする。
 
そして、彼らが楽しみたいことでさえ
彼らはそれを隠す、
それは「正しいようではない」、
彼らは罪悪感 guilty を感じる。
 
 
 
もし、人々が本当に愛を交わす make love ことを喜ぶならば、
彼らは叫ぶ scream だろう、
彼らはわめく shout だろう、
彼らは泣く cry だろう、
彼らは嘆く weep だろう、
彼らは笑う laugh だろう。
 
どんな種類の感情 emotion が現れるのか
人はけっしてわからない、
 
だから、コントロールの中で
あなた自身を保つほうがいい、
 
そうでなければ、あなたはとても愚か foolish に見えるだろう。
 
すると、近隣はなんて思う?
 
そして、近代の壁はとても薄い
あなたはヨガ Yoga の姿勢 posture で愛を交わさなければならない
…shavasana、死体の姿勢 posture で。
 
そして、それをできるだけ早く終わらせ、
オーガズム orgasmic にならないようにする。
 
あなたは何をしているのか?
 
そして、イエス Jesus は十字架 cross の上で
あなたのために苦しんだ suffered!
 
そして、あなたは喜びとともに叫び shouting ましたか?
 
 
 
エス Jesus を考えてごらん、
かわいそうなイエス Jesus、
彼はあなたをなんて思うだろう?
 
神 God を考えてごらん
 
…覗き見をする人 peeping torn みたいに
いつも鍵穴から見ている…
 
神 God はなんて思うだろう?
 
もし、あなたが
全ての神 God たち
天使 angels たち
キリスト christ 
聖人 saints たち
を考えるならば
 
…すると、彼らはみな愛を交わす making love あなたを見ている、
そして、おおいに楽しむ relish…
 
あなたは地獄 hell の中で苦しむ suffer だろう!
 
それはコントロールを保つ方がえ、
それは罪悪感 guilty を感じることはいい。
 
だから、愛を交わした making love 後
人々は悲しいような
欲求不満 frustration のように感じる、
まるで彼らはなにかの犯罪 criminal を犯したように。
 
再び彼らは彼ら自身を楽しんだ
「それは正しくない」と。
 
 
 
ただ見てごらん。
なんであれ、あなたが惨め miserable に感じることは
なにか良いと感じる。
 
それは矛盾 contradiction のように見えるだろう、
 
しかし、それはこのようだ、
 
なんであれ、あなたが惨め miserable であると
あなたは至福 blissful を感じる
 
そして、なんであれ、
あなたが至福 blissful であると
あなたは惨め miserable に感じる。
 
 
 
あなたは言う、
 
「至福 bliss と惨め misery について説明してください、
愛 love または美 beauty に私が向き合う間はかならず、
私は途方もない痛みだけを感じ
至福 bliss はありません、
そして、私はこれを理解 understand していません。」
 
 
 
あなたはまったくこれを理解 understand できないだろう
 
なぜなら、あなたの全理解 whole understanding は毒されているからだ。
 
あなたは全てのマインド(思考)mind を
落とさなければならない!
 
理解 understand する必要はない。
 
あなたは無垢 innocence で
その中へ入って行かなければならない、
 
理解 understanding なしで、
 
なぜなら、その理解 understanding は
再び計算 calculation のようだからだ。
 
その理解 understanding は
再び知識 knowledge だ
 
それは社会によって与えられた、
 
そして、その知識 knowledge が全ての問題 trouble を作り出している。
 
あなたは再び子供にならなければならない、
無垢 innocent に。
 
 
 
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しかし、あなたは理解 understand したい。
 
理解 understanding について全て忘れなさい!
 
理解 understanding は再び
計算 calculation で、
狡猾 cunningness だ。
 
 
 
私は聞いたことがある…
 
ある高齢 elderly の恋人同士 couple が医者へ行った。
その男性は言った、
 
「もし、私たちが適切に properly 
愛を交わしている make love のかを知りたいのです。
私たちを見てもらえますか?」
 
「どうぞ」
 
医者は言った。
 
彼らは愛を交わした make love。
 
「あなた方は完璧に愛を交わしています。」
 
医者はいった。
 
「それは(費用は)10になります。」
 
彼らは6週間連続してやってきて
同じことをした。
 
7回目の訪問で医者は言った、
 
「あなた方は何のためにこのようにここに来ていますか
…私はあなた方が適切に properly に
愛を交わしている make love と話しました!」
 
その男性は言った、
 
「彼女は私の家に来ることはできません。」
 
その男性は言った、
 
「そして、私は彼女の家に行くことはできません。
モーテルの費用 costs 20です。
あなたは私たちに10の料金を請求 charge します
そして、私たちは国民健康保険 medicare から8戻ってきます。」
 
 
 
計算 calculation しないように、
生 life を悪賢く cunning しないように。
 
さあ、これは何の種類の愛 love だろうか?
 
商売 business、商売 business、商売 business …
 
知識 knowledge は商売 business のために必要とされる、
 
無垢 innocent は生 life のために必要とされる。
 
 
 
知識 knowledge は
市場の中では絶対に必要なもの must だ、
 
しかし、あなたが神秘 mystery の中へと入って行くときは
まったく必要ではない。
 
あなたは知る know ことはできない、
あなたは在る be ことのみできる。
 
 
 
このマインド(思考)mind を落としなさい、
Drop this mind,
 
全てのこの条件付け conditioning を落としなさい、
drop all this conditioning,
 
そして、動きはじめなさい。
start moving.
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
あなたが喜び joyous を感じるとき、
喜び joyous を感じなさい、
喜び joyous を感じることをあなた自身が助けなさい、
踊りなさい dance、
歌いなさい sing。
 
 
 
古い習慣 habit はあなたを引き戻す
…それらを聞かないようにしなさい。
 
ゆっくり、ゆっくりと、
あなたは古い習慣 habit を取り除かなければならないだろう。
 
それは苦労 struggle のようだろう、
なぜなら、習慣 habit は簡単にあなたを離れないからだ。
 
しかし、これらの習慣 habit は
あなたに反対 against し
神 God に反対 against する、
 
なぜなら、喜び joy に反対 against する何かは
神 God に反対 against するからだ。
 
もし、神 God がどんな言葉によってでも
定義 define できるならば、
その言葉は「至福 bliss」だ
他には何1つない。
 
 
 
スパルナ suparna、
なんであれ、あなたが美しいと感じるものは
痛み pain があなたの内に生じる、
 
その痛み pain はあなたの存在 being の中にはない、
 
その痛み pain はあなたのマインド(思考)mind の中にある。
 
あなたの存在 being は美 beautiful の中へと入ろうとしている、
 
しかし、
 
あなたのマインド(思考)mind は
あなたを引き戻している。
 
なんであれ、
あなたが愛 love が生じるのを感じたら、
至福 bliss が生じたら、
そして、痛み pain さえも生じたら、
 
至福 bliss を選びなさい。
 
痛み pain を放って neglect おきなさい、
痛み pain を無視 ignore しなさい。
 
痛み pain を無視 ignore すると、
痛み pain は死ぬだろう、
 
もし、あなたが痛み pain に注意 attention を払い続けていたら
あなたは痛み pain に餌を与えるだろう。
 
注意 attention は食べ物だ。
 
間違い wrong には
けっしてどんな注意 attention も払わないようにしなさい、
 
そうでなければ、
あなたはそれがそこにいることを助けている、
あなたはそれにもっともっと力 strength を与えている。
 
無視 ignore しなさい
 
…無視 ignore 以外の良い方法はない。
 
そうだ、そこにいさせて、ただ言う、
 
「いいよ、あなたはそこにいて。
あなたは私の過去 past からのただの遺物 hangover だ。
あなたはそこにいる。
私は先へ進んで行く、
私はあなたに耳を傾けないよ。」
 
 
 
至福 blissful の挑発 provocation に耳を傾けなさい、
いつもそれらと行きなさい、
そして、あなたは正しい方向へ動いていく
 
…あなたは神 God に向かって動いていく。
 
 
 
けっしてあなたに
罪悪感 guilt 、
痛み pain、
惨め misery
を与えるどんなことにも耳を傾けないように
 
…あなたは神 God から離れて動いていく。
 
 
 
なんであれ、
あなたが惨め miserable であると、
あなたは地獄 hell の中にいる
…神 God から遠く離れて行く…
 
 
 
そして、なんであれ、
あなたが完全に喜び joyous であると、
あなたは神 God の中にいる、
あなたは天国 heaven の中にいる。
 
 
 
あなたは言う、
 
「至福 bliss と惨め misery について説明してください、」
 
 
 
惨め misery は不自然 unnatural だ、
 
至福 bliss はあなたの自然な状態(本質)nature だ。
 
 
 
惨め misery は他者 other によって教えられたものだ、
 
至福 bliss は神 God によって与えられたものだ。
 
 
 
惨め misery は条件付け conditioning だ、
 
至福 bliss はあなたの内側にある魂 soul だ、
あなたの本質(性)essence だ。
 
 
 
惨め misery は人格 personality だ、
あなたの周りにあるただの建造物 structure だ、
 
至福 bliss はあなたの自由 freedom だ、
それは建造物ではない unstructured。
 
 
 
「至福 bliss と惨め misery について説明してください、
愛 love または美 beauty に私が向き合う間はかならず、
私は途方もない痛みだけを感じ
至福 bliss はありません、
そして、私はこれを理解 understand していません。」
 
 
 
これを全く理解 understand しようとしないように。
 
ただ痛み pain をそこに残して、
数日間それを受け入れる accept、
そして、愛 love の中へと入る
…狂ったように愛 love の中へと入る。
 
美 beauty 中へと入って行く、
 
木の周りで踊って dance ごらん、
そして、あなたは
あなたに届きはじめる木の形の何かを感じるだろう。
 
星の下で踊って dance ごらん。
 
はじまりは、あなたは
あなたの足が動かず
そして、あなたは動かなければならないと
感じるかもしれない
 
…なぜなら、あなたはとても長い間
踊り dance なしで生きるよう強いられて forced きたため、
あなたの足は踊る dance ことの言語を忘れてしまった。
 
しかし、すぐに彼らは学ぶだろう、
なぜなら、それは自然 natural な言語 だからだ。
 
 
 
それぞれの子供は踊り dance 方を知っている、
それぞれの子供は喜び joyous 方を知っている。
 
あなたは再びそれを学ばなければならない。
 
 
 
しかし、それは自然 natural なので、
それははやく学べる。
 
ただ少しの努力 effort で、
突然、ある日、
あなたは罠 trap から抜け出す。
 
あなたの松葉杖 crutches は捨てなければならない。
 
もし、あなたがときどき倒れるときでさえ、
それは完全に良い、
 
しかし、あなたはあなた自身の足で立たなければならない。
 
社会の松葉杖 crutches、
宗教 religion 組織の松葉杖 crutches、
司祭や牧師 priest の松葉杖 crutches は
捨てなければならない
 
もし数日間あなたが貧困 impoverished を感じるだろうとしても。
 
数日間貧困 impoverished を感じることは自然なことだ、
あなたはそれを受け入れなければならない。
 
しかし、もし、あなたが自然 natural の方へ向かって動いて行くならば、
あなたはあなたの生 life の中で道(Tao タオ)を見つけるだろう。
 
 
 
道(Tao タオ)は自然な開花だ。
 
自然 natural に従いなさい。
 
誰1人も惨め miserable になりたくはない、
そして、みんな惨め miserable だ。
 
彼らは自然 natural に従っていない。
 
 
 
誰1人も至福 blissful より他の何かを欲しくない
そして、誰1人も至福 blissful ではない。
 
 
 
欲 desire に耳を傾けなさい
…最も深い欲 desire は正しい道を指し示して indicate いる。
 
あなたの熱望 longing は
 
至福 bliss のためだ、
 
美 beauty のためだ、
 
あなたを圧倒 overwhelm するだろう何かのためだ、
 
あなたを他の岸 shore へと連れて行くだろう何かのためだ、
 
過去 past と未来 future が洗い流され
そして
あなたがただ今ここ herenow にあるだろう
とても途方もなく tremendous そして信じられない incredible
何かのためだ。
 
 
 
しかし、理解 understand しようとしないように。
 
もし、あなたが理解 understand しようとし始めると、
 
あなたは精神分析 psychoanalysis の犠牲者 victim になるだろう。
 
そして、その分析 analyzing は限りなく続く過程 process だ。
 
あなたは分析 analyzing、分析 analyzing をし続けることはできる
そして、それはけっして終わらない。
 
世界の中でたった1人の人も
完全に精神分析 psychoanalyzed されていない、
けっしてできない。
 
 
 
これは私が精神分析 psychoanalysis と異なるところだ。
 
分析 analysis の中へと入って行かないように。
 
 
 
全てのマインド(思考)mind を横に置きなさい。
 
そこから飛び出しなさい!
 
理解 understand する必要はない。
 
必要な全てのことは生きる live ことだ、
 
真正 authentically に生きなさい。
 
必要な全てのことは在る be ことだ。
 
 
 
Enough for today.
 
 
 
chapter 3 へ続く : The Atomic Moment…
 
 
 
from osho talks

The Secret of Secrets, Vol 1

Talks on the Secret of the Golden Flower

Talks given from 11/08/78 am to 26/08/78 am
English Discourse series

chapter 2 : Empty Eyes

12 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
osho の講話は
1日目はある題材に関するお話、
2日目は質問に答えるお話、
というように1日起きにその順番で行われます。
 
あらゆる質問にものすごく丁寧に、
詳しく、わかりやすく、話していています。
 
はじめは厳しいように感じるかもしれませんが
人々が苦しみに気づき、手放せるように、と
とても深い愛 love の導きがあります。
 
人々からの質問は一見その講話の題材と
関係ないように思えるかもしれませんが
 
その質問があり、それに答えるからこそ
その題材がより深くわかったりもする
講話となっているような、
 
質問と答えのお話も含めて
何日間にも渡る講話全体を聞き終わると
その題材の講話の内容が
すーと身に染み込むようにわかります。
 
この講話の和訳本がありましたが
もう販売されていなくて入手不可能ですから
自力で英語の講話を読んで
さらに、英語の勉強と osho との瞑想と思い
自力で和訳してみました。
 
とても時間がかかるので
全チャプター和訳する前に
死んでしまうかもしれませんしσ(^_^;)
 
チャプター3 の和訳がいつ終わるのかわかりませんがσ(^_^;)
 
ど素人なので直訳しかできませんがσ(^_^;)
 
趣味レベルでよろしければ
興味がある方はお楽しみください。
 
詳しくは「osho でイングリッシュ!」に書きました。
 
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ぜひ英語の原文で読みたい!という方は…
 
この osho の英語の全チャプターの講話
The Secret of Secrets, Vol 1&2 は 
pdf データで
サイドバーのリンクにもある
OSHO WORLD にてフリーダウンロードできます。
こちらをクリックしてください。
 
 
 
また、この osho samadhi समाधिः の英語の方のブログでは
この The Secret of Secrets, Vol 1&2 の講話の
全チャプターを載せてありますから
こちらの日本語のブログのように
絵つきでよければご覧になってください。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
subtle body and chakra について
英語の講話の1チャプターだけです。
yoga : the alpha and the omega, vol 9 ch1
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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beloved osho
beloved all enlightened masters 
beloved all
 
 
 
”The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.”
 
 
 
sammasati
It means right remembrance.
サマサティの意味は ”正しく想起する”。
 
 
 
meditation & love
 
 
 
osho samadhi समाधिः 
 
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The Secret of Secrets: The Secret of the Golden Flower

The Secret of Secrets: The Secret of the Golden Flower

  • Osho
  • 宗教/スピリチュアル
  • ¥1350

ch1 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1

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ch1 : 黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)Vol 1
 
 
 
黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)
The secret of the Golden Flower
 
 
 
ch1 : The Secret of Secrets, Vol 1
 
 
 
chapter 1
Animus 魂 and Anima 魄
 
11 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密の原文
 
 
 
天心第一
 
呂祖曰。
 
自然曰道。
道無名相。
 
一性而已。
一元神而已。
 
性命不可見。寄之天光。
天光不可見。寄之兩目。
 
古來仙真口口相傳。傳一得一。
自太上見化。東華遞傳某。
以及南北兩宗。全真可為極盛。
盛者盛其徒眾。衰者衰於心傳。
以至今曰。濫泛極矣。
凌替極矣。極則返。
故蒙淨明許祖垂慈普度。
特立教外別傳之旨。接引上根。
聞者乾劫難逢。受者一時法會。
皆當仰體許租苦心。
必於人倫曰用間立定腳跟。
方可修真悟性。
 
我今叨為度師。
先以太乙金華宗旨發明。
然後細為開說。
 
太乙者無上之謂。
丹訣總假有為而臻無為。
非一超直入之旨。
 
所傳宗旨。直提性功。
不落第二法門。所以為妙。
 
金華即光也。光是何色。
取象於金華。
 
亦秘一光字在內。
是先天太乙之真氣。
水鄉鉛只一位者此也。
 
回光之功。全用逆法。
 
注想天心。
 
天心居曰月中。
 
黃庭經云
「寸田尺宅可治生。」
 
尺宅面也。面上寸田。非天心而何。
 
方寸中具有鬱羅肖台之勝。
玉京丹闕之奇。乃至虛至靈之神所住。
 
儒曰「虛中」
釋曰「靈台」
道曰「祖土」曰「黃庭」曰「玄關」曰「先天竅」。
 
蓋天心猶宅舍一般。光乃主人翁也。
 
故一回光。周身之氣皆上朝。
 
如聖王定都立極。執玉帛者萬國。
又如主人精明。奴婢自然奉命。各司其事。
 
諸子只去回光。便是無上妙誦。
光易動而難定。
回之既久。此光凝結。
即是自然法身。
而凝神於九霄之上矣。
 
心印經所謂「默朝飛升」者此也。
 
宗旨行去。別無求進之法。
只在純想於此。
 
楞嚴經云「純想即飛。必生天上。」
 
天非蒼蒼之天。即生身於乾宮是也。
久之自然身外有身。
 
金華即金丹。神明變化。各師於心。
此種妙訣。雖不差毫末。然而甚活。
全要聰明。又須沉靜。
非極聰明人行不得。
非極沉靜人守不得。
 
 
 
The Secret of the Golden Flower
 
( It is from osho’s English discourse series of 
The Secret of Secrets. )
 
 
 
Master Lu-Tsu said:
 
That which exists through itself is called the Way (Tao).
 
Tao has neither name nor shape.
 
It is the one essence, 
the one primal spirit.
 
Essence and life cannot be seen.
They are contained in the light of heaven.
 
The light of heaven cannot be seen.
It is contained in the two eyes.
 
The Great One is the term given to that which has nothing above it.
 
The secret of the magic of life consists in using action in order to attain non-action.
 
The Golden Flower is the light.
 
One uses the Golden Flower as a symbol.
 
The phrase ”The lead of the water-region has but one taste” refers to it.
 
The work on the circulation of the light depends entirely on the backward-flowing movement, so that the thoughts are gathered together.
 
The heavenly heart lies between sun and moon.
 
The Book of the Yellow Castle says:
”In the square inch field of the square foot house, life can be regulated.”
 
In the middle of the square inch dwells the splendour.
In the purple hall of the city of jade dwells the God of utmost emptiness and life.
 
Therefore when the light circulates, 
the energies of the whole body appear before its throne, 
as, when a holy king had established the capital 
and had laid down the fundamental rules of order, 
all the states approach with tribute;
or as, when the master is quiet and calm,
men-servants and maids obey his orders of their own accord, 
and each does his work.
 
Therefore you only have to make the light circulate:
that is the deepest and most wonderful secret.
 
The light is easy to move,
but difficult to fix.
 
If it is made to circulate long enough,
then it crystallizes itself.
 
It is the condition of which it is said:
”Silently thou fliest upward in the morning. ”
 
In carrying out this fundamental principle 
you need to seek for no other methods, 
but must only concentrate your thoughts on it.
By collecting the thoughts 
one can fly 
and will be born in heaven.
 
The Golden Flower is the Elixir of Life.
 
Although it works very accurately, 
it is yet so fluid that it needs extreme intelligence and clarity,
and the most complete absorption and tranquility.
 
People without this highest degree of intelligence and understanding do not find the way;
people without this utmost capacity for absorption and tranquility cannot keep fast hold of it.
 
 
 
太乙金華宗旨 / 黄金の華の秘密の日本語
 
(osho の英語の講話 The Secret of Secrets にある文の和訳のみ)
 
 
 
呂祖師は言った、
 
自然をとおして存在するものを
道(Tao タオ)と言う。
 
道(Tao タオ)には名前もなければ形(相)もない。
 
それは1つの本質(性)、
それは原始の精神(元神)。
 
本質(性)と命は見ることができない。
それらは天の光の中に含まれている。
 
天の光は見ることができない。
それは両目の中に含まれている。
 
大いなる者(太乙者)とは
それより上が無い…この上ない…ものに与えられた用語だ。
 
生命の丹術の秘訣は
無爲(無為)に達するために
有爲(有為)を使うことに基づいている。
 
黄金の華とは光だ。
 
人は黄金の華をシンボル(象)として使っている。
 
「水郷の鉛はただ1つの味しかない(水郷鉛只一味)」
という詩句はそれを示している。
 
光の循環の働き(功)は
完全に逆流する(後ろへ流れる)動きによる、
そうすると想いが(天の心に)1つに集まる。
 
天の心は太陽(陽)と月(陰)の間の
真ん中(中庸)に位置する。
 
黄庭経は言う、
「寸田尺宅(1平方フィートの家の1平方インチ)の場所では、
生命を調整することができる。」
 
1平方インチ(一寸四方=方寸=第3の目)の真ん中には
光の主が住んでいる。
 
翡翠の都の紫の広間には
最大の空虚と命の神が住んでいる。
 
したがって、光が循環するとき、
全身のエネルギー(気)はその王座の前に現れる、
 
それはまるで、
聖なる王が都を築き、
秩序の基本的な規則を定め、
全ての国が賛辞とともに近づいてくるようである、
 
または、
主人が静かで穏やかであり、
男と女の召使いが自発的に主人の命令に従い奉仕し、
各自がそれぞれの仕事をするようなものである。
 
したがって、あなたはただ光の循環を作ればいいだけだ、
それが最も深く、最も素晴らしい秘法だ。
 
光は流れ動きやすく
しかし、
固定するのは難しい。
 
もし十分に長く光を循環させると、
すると、光は自ずと結晶化する。
 
その状態とは
「黙すれば汝は朝に飛昇する(黙朝飛昇)」
と言われたことだ。
 
この基本原理を実践するにあたって
あなたは他の方法を探し求める必要はない、
 
しかし、ただあなたの想いを純に集めなければならない。
 
想いを純に集めることによって
人は飛ぶことができ
天に生まれるだろう。
 
黄金の華は金丹(生命の仙薬)だ。
(金丹 : 不死なる生命の仙薬、
東洋での甘露 / アムリタ、西洋での賢者の石)
 
それはとても正確に効くけれど、
それでもやはりとても流動的なので
 
極めて高い知性と明晰さ(聡明)、
そして
最も完全な受容と静謐(沈静)が
必要だ。
 
この最高度の知性と理解を持たない人々には
その道は見つけられない、
 
受容と静謐の最大限の能力がない人々には
それをしっかりと保持することはできない。
 
 
 
寓話を1つ…
 
 
 
昔、羊をたくさん飼っている
とても裕福な魔術師がいた。
 
しかし同時に、この魔術師はとてもけちで意地悪でもあった。
 
彼は羊飼いを雇いたくなかったし、
彼の羊が草を食べる放牧場の周りに柵を建てることもしたくなかった。
 
羊はその結果として
しばしば森の中へ迷い込んだり、
谷へ落ちたりするなどした、
その上、全ての羊たちが逃げ出すこともあった、
羊たちは魔術師が羊たちの肉や皮を欲しがっていることを知っていたし、
そして、このことを羊たちは嫌がっていた。
 
 
 
ついに魔術師は解決策を見つけた。
 
彼は彼の羊に催眠術 hypnotism をかけ
そして暗示をかけた
 
 
 
まず第1に、
羊たちは不死 immortal だ
だから
羊たちが皮を剥がされたとき何の危害にもならない、
それどころか、
それは羊たちのためにとても良いことであり快適なくらいだ。
 
 
 
第2に、
このように暗示をかけた
その魔術師は羊の群れをとても愛する”善い主人”だから
彼は羊たちのためならこの世界で何でもする用意がある。
 
 
 
そして第3に、
このように暗示をかけた
もし万が一羊たちに何かが起こるとしても
それは今すぐ起こることはないし、
その日という確率はない、
だから羊たちはそれについて考える必要はない。
 
 
 
さらに、その魔術師は彼の羊に暗示をかけた
 
羊たちはまったく羊ではない、と。
 
何頭かの羊にはライオンだと暗示をかけ、
他の何頭かには鷲だと暗示をかけ、
他の何頭かには人間だと暗示をかけ、
他の何頭かには魔術師だと暗示をかけた。
 
 
 
この後、羊についての全ての彼の世話や心配は終わった。
 
羊たちは再び決して逃げなかった
 
しかし、
魔術師が羊たちの肉や皮を要求するときを
羊たちは静かに待った。
 
 
 
ゲオルギー・グルジェフ George Gurdjieff は
この寓話をとても愛していた。
彼の全哲学は
この小さな寓話の中に含まれている。
 
そしてこの寓話は
普通の無意識 unconsciousness の状態の人間を表している。
 
人間のそのままを描いた
最も美しい寓話の1つだ。
 
 
 
人間は機械だ。
 
人間は機械であるために生まれてはいない、
 
しかし、人間は機械のように生き
そして、機械のように死ぬ。
 
 
 
人間は意識 consciousness の素晴らしい開花の種を持っている、
人間は神 God になる可能性を持っている、
 
しかし、それは起こらない。
 
 
 
それが起らないのは
人間が催眠術 hypnotism をかけられているからだ、
社会によって、
国家によって、
組織化された教会によって、
既得権益によって。
 
 
 
社会は奴隷を必要とする
 
そして
 
人間は奴隷のままであることができる
 
もし人間がその人の極限の開花への成長を許されない限り。
 
 
 
社会は
あなたの肉や
あなたの皮を
必要とする、
 
そしてあたりまえのように、
誰1人もそれを好まない。
 
したがって、
文明、社会化の全過程は、
深い催眠 hypnosis に過ぎない。
 
 
 
人間は
生まれるその瞬間から催眠術 hypnotism をかけられている。
 
人間は
 
その人の有利や利益のために社会は存在する
 
と信じるために
催眠術 hypnotism をかけられている。
 
 
 
それはまったく間違っている。
 
 
 
人間は不死 immortal である
 
と信じるために
催眠術 hypnotism をかけられている。
 
人間はそうではない。
 
人間は(不死 immortal になることが)できるだろう、
しかし、人間はそうではない。
 
 
 
そして、もし催眠 hypnosis がいつまでも続けば
人間はけっして不死 immortal ではないだろう。
 
 
 
あなたは死 death を免れない存在 being としてのみ生きている、
 
なぜなら、あなたは肉体 body の中で生きているからだ。
 
肉体 body は死んでいく。
 
生まれたものはいずれ死ぬ。
 
誕生 birth は肉体 body の始まりであり
死 death は肉体 body の終わりだ。
 
 
 
あなたはあなたの内にある
肉体 body 以上の何かを
知っているだろうか?
 
あなたは
肉体 body よりも高く
肉体 body よりも深い
何かを経験したことがあるだろうか?
 
あなたはあなたの内にある
あなたが生まれる以前の何かを
見たことがあるだろうか?
 
もしあなたがそれを見たことがあるならば、
あなたは不死 immortal だ。
 
もしあなたが
あなたの顔、
あなたのオリジナル original の顔 face 、
あなたが生まれる以前にあなたが持っていたその顔を
知っているなら、
あなたが死 death の以後にもそこにあることをあなたは知っている、
そうでなければ不死 immortal ではない。
 
 
 
人間は不死 immortal になることができる、
 
しかし、人間は死 death に囲まれて生きている
 
なぜなら、人間は肉体 body と同一化 identify して生きているからだ。
 
 
 
社会は
肉体 body 以上のことを知る
あなたを許さない。
 
社会はあなたの肉体 body だけに興味がある
 
…あなたの肉体 body は使うことができる
 
…あなたの魂 soul は危険だ。
 
 
 
魂の人 a man of soul はいつも危険だ
 
なぜなら、
 
魂の人 a man of soul は
自由な人 a free man だからだ。
 
魂の人 a man of soul を奴隷に無理やり変えることはできない。
 
不死 immortal の魂 soul を内に持つ人は
存在 existence そのものに
神 God そのものに
深いかかわり合い commitment を持っている。
 
 
 
魂の人 a man of soul は
社会、文明、文化の人工構造について
ほんの少しも気にならない、
 
これらは魂の人 a man of soul にとっての刑務所の独房だ。
 
 
 
 
魂の人 a man of soul は
イスラム教徒としては存在 exist しない。
 
 
 
魂の人 a man of soul は
群衆の1部分になることはできない。
 
魂の人 a man of soul は
個 individual として存在 exist する。
 
 
 
肉体 body は群衆の1部だ、
あなたの魂 soul はそうではない。
 
あなたの魂 soul は深く個 individual である。
 
その風味 flavour は自由 freedom だ。
 
 
 
しかし、あなたの魂 soul は市場で使うことはできない。
 
社会はあなたの肉体 body だけが必要だ。
 
 
 
そして、もしあなたが魂 soul のために懸命になりはじめたら
それは社会にとってはとても危険だ、
なぜなら、
そうなればあなたの興味が変わるからだ。
 
あなたは外向的 extrovert な人から
内向的 introvert な人へと向きを変える、
 
あなたは「内向 inward」へと動き始める。
 
 
 
社会は外側 outside にある、
 
社会はあなたに外向的 extrovert のままでいて欲しい、
 
お金 money、
権力 power、
名声 prestige、
それら全てに興味を持つこと、
 
そうすれば、あなたのエネルギーは「外向 outward」に動き続けるからだ。
 
 
 
もしあなたが「内向 inward」に動き始めるならば、
 
その意味は
あなたは離脱者 drop-out になったということだ、
 
あなたはもう外側 outside で遊ばれているゲームの1部ではないということだ。
 
(ゲームから離脱した、1抜けたをした人)
 
あなたはそれに属していない。
 
あなたはあなた自身の存在 being の中へと深く潜り始める。
 
そして、そこには不死 immortality の源 source がある。
 
 
 
社会はあなたが「内向 inward」へ行くのを妨げる。
 
そして、ベストな方法は
 
『あなたは「内向 inward」へ行っている』
 
という ”偽りの考え false idea” をあなたに与えることだ。
 
 
 
魔術師は羊に話した
彼らはライオンであると、
 
羊たちに暗示をかけた
彼らは不死 immortal であると、
 
羊たちにこう信じ込ませるために
催眠術 hypnotism をかけた、
彼らはただの人間であるだけではなく
偉大な魔術師であると。
 
 
 
あなたが教会へ行くとき
あなたは「内向 inward」へ行くのではない。
 
あなたが寺院へ行くとき
あなたは「内向 inward」へ行くのではない。
 
 
 
しかし、社会は
あなたがこのように信じるために
あなたに催眠術 hypnotism をかけた
 
「もしあなたが「内向 inward」に行きたければ、
教会へ行きなさい。」
 
しかし、教会は他のものと同じくらい外側 outside にある。
 
 
 
社会は
あなたがこのように信じるために
あなたに催眠術 hypnotism をかけた
 
「もしあなたが「内向 inward」に行きたければ、
司祭や牧師へ行きなさい。」
 
そして、司祭や牧師は国家や社会の代理人だ。
 
 
 
司祭や牧師はいつも神秘家 mystic に反対してきた、
なぜなら、
もしあなたが神秘家 mystic のところへ行けば
あなたは「内向 inward」へと動き始めるからだ。
 
 
 
神秘家 mystic はまったく異なる生き方をする。
 
神秘家 mystic のエネルギーは異なる形態 gestalt で動く、
 
神秘家 mystic の川は「内向 inward」へと動く。
 
だから、神秘家 mystic のもとへ来る人は、
神秘家 mystic と調和し波長が合うと、
自然に、簡単に、自発的に
「内向 inward」へと動き始めるだろう。
 
それが導師 master や神秘家 mystic と一緒にあることの全目的だ。
 
 
 
この本『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower は
世界で最も秘教的な論文の1つだ。
 
それは肉体 body 以上になる方法をあなたに示すだろう。
 
それは死 death を超越 beyond する方法をあなたに示すだろう。
 
それは開花する方法をあなたに示すだろう
…いかにして種 seed のままではなく
黄金の華 golden flower になる方法を。
 
インドで私たちが呼ぶ「一千枚の花弁の蓮の華」は、
’the one-thousand-petalled lotus’
 
中国で彼らが呼ぶ「黄金の華」だ。
’the golden flower’
 
それは象徴 symbol だ。
 
 
 
華 flower は完全 perfection、全一 totality を表す。
 
華 flower は潜在的な能力の最大限の表現、
潜在的な能力の実現を表す。
 
華 flower は美しさ、壮大さ、存在 being の素晴らしさを表す。
 
そして、あなたが「一千枚の花弁の蓮の華」
’the one-thousand-petalled lotus’
または「黄金の華」にならない限り…
’the golden flower’
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
覚えておきなさい
あなたは遠くへ行かなければならない。
 
覚えておきなさい
あなたは社会があなたの周りに置く罠から
抜けださなければならない。
 
覚えておきなさい
あなたはあなたが地球に来た仕事をまだ終わらせていない。
 
覚えておきなさい
あなたは単なる種 seed であり、
まだ魂 soul ではない。
 
 
 
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この論文『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower はとても古い
 
…おそらく25世紀前の世界で最も古い論文の1つである、
そして、それより古い可能性がある。
 
しかし、25世紀はとても簡単に遡って掘り起こすことができる。
 
そして、この論文は全ての偉大な宗教の
大いなる統合 synthesis でもある。
 
それは稀 rare で、特有 unique だ。
 
 
 
聖書 bible はキリスト教徒 christians に属し、
タルムード talmud はユダヤ教徒 jews に属し、
ヴェーダ vedas はヒンドゥー教徒 hindus に属し、
法華経 dhammapada は仏教徒 buddhists に属し、
道徳経 tao te ching は道家 Taoist に属す。
 
しかし、この小さな本
『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower は
特定の誰にも属さない、
または、
それは全てに属する。
 
その本は道家 Taoist の教えに深く基づいている。
 
それは命 life と存在 existence への
道家 Taoist の取り組み approach の開花だ。
 
 
 
しかし、それだけではない
ツァラツストラ zarathustra が役割を演じた。
 
ツァラツストラ zarathustra の教えがその中に組み込まれているし、
 
仏教の教えもその中に組み込まれている。
 
そして、キリスト教のある秘教学校、ネストリウス派 nestorians、
彼らもまた彼らのパートの役割を演じた。
 
だから、キリスト教ユダヤ教もその1部になった。
 
それは最も統合的 synthetical な取り組み approach の1つだ。 
 
それは世界のあらゆる伝統の中にある美しい全てを組み合わせている。
 
 
 
何世紀もの間、それは口伝 oral tradition のみだった、
 
そして、その本は秘伝 esoteric のままだった。
 
 
 
それは大衆 public には入手可能ではなかった
 
なぜなら、それは教えることがとても秘密 secret の何かがあったからだ、
 
それは弟子 disciple のみ入手可能だった。
 
機が熟したときにのみ
導師 master は弟子 disciple に話すだろう、
 
なぜなら、
それはあなたにそのような潜在的な力の秘密を与えるので
もしあなたが正しく理解しなかったら、
もしあなたが何か間違ったら、
そこから有害な影響があるからだ。
 
それは正しく理解されなければならない、
 
それは導師 master の臨在の中でのみ行わなければならない。
 
それは強力な方法だ、
それは原子力エネルギーと同じほど強力だ。
 
 
 
今は、原子力エネルギーの秘密は大衆には隠されている。
 
ひとたびその秘密が大衆に漏れ出しはじめると、
大きな危険となるだろう。
 
もし人々がプライベートで原子力爆弾を作ることができれば、
大きな混沌 chaos となるだろう。
 
原子力の研究については厳重に秘密が守り続けられている。
 
 
 
それと全く同じように
この本『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower は
内なる爆発 inner explosion の
最も可能性を秘めた方法の1つを
あなたに教える。
 
何世紀もの間、その秘密 secret は護られた
…内密に、親密に、弟子 disciple にのみ与えられた。
 
そして、この特定の秘伝の学校に従った人々は
その本を書くという全ての誘いを断った。
 
実際、世界のあらゆる宗教は
彼らの精神的・霊的 spiritual な教えを書くことを長い間断ってきた。
 
 
 
何かが真に贈与されるとき
そこにはなんらかの美しさがある。
 
それは生きている
 
…1つのもの one thing…
 
導師 master はそれの後ろにある。
 
それは死んだ言葉ではない、
 
その言葉は魂 soul 、翼 wings がある。
 
導師 master の経験はそれをサポートする、
導師 master はその目撃者 witness だ。
 
それはただの推測 speculation ではない、
それはただの哲学 philosophy ではない、
 
しかし、
実存の existential、
経験の experience、
生きた lived
何かだ。
 
そして、導師 master はその道を旅してきている、
 
彼は道にある危険を知っている、
彼は落とし穴を知っている、
彼は人々が道からそれる地点を知っている、
 
そして
導師 master は弟子 disciple が道からそれることができないように
あらゆる世話をするだろう。
 
 
 
あなたが〈 真理 truth 〉に近づくほど、
道からそれる可能性が増す、
 
なぜなら、あなたが〈 真理 truth 〉に近づいたとき、
あなたはとても自分本位 egoistic になることができるからだ、
 
「さあ、私は知っている Now I know」
「さあ、私だ Now I am」。
 
そして、もし自我 ego が
あなたの古い闇の谷へあなたがまた落ちるその状況につけこめば、
あなたは頂点を失うだろう。
 
あなたが〈 真理 truth 〉に近づくとき、
人々にそれを分かち合いたいという
大きな欲 desire が湧いてくる。
 
しかし、あなたは全体 whole の中のそれに達してはいない、
 
 
 
そして、半分 half の〈 真理 truth 〉を分かち合うことは危険だ
 
なぜなら、半分 half の〈 真理 truth 〉は
嘘よりもっと危険だからだ、
 
なぜなら、これらは強力だからだ。
 
嘘 lie は無力 impotent だ。
 
遅かれ早かれ人々は彼ら自身で
それは嘘であるということを見つけるだろう。
 
しかし、半分 half の〈 真理 truth 〉は
何世紀もの間、持続できる、
何世紀もの間、影響を及ぼすことができる。
 
 
 
誰1人も半分 half の〈 真理 truth 〉を通して達成することはできない、
 
そして、旅の道の半ばにいる人は
この世界にも他の世界にも属さないだろう。
 
その人は天国と地獄のはざまにいて
どっちつかずの忘れられた状態 limbo になり、
それはとても奇妙な状況の中にある。
 
あなたは古いものは失った
そして
あなたは新しいものは得られない、
 
あなたは混沌 chaos になる。
 
古い秩序は去った
そして
新しいものは起こっていない。
 
あなたは雲になる、
あなたは混乱する。
 
もっと明晰 clear になるより、
もっと生きいき alive となるより、
もっと光 light で満ちているより、
あなたの生 life は2つの極 polarities の間で葛藤になる。
 
あなたは引き裂かれ、
あなたはバラバラになり始める。
 
あなたの半分 half は地球 earth に属し
あなたの半分 half は空 sky に属する。
 
今、あなたはどこにもいない nowhere、
 
今、あなたは誰でもない nobody。
 
これは狂気 madness をつくることができる。
 
 
 
だから、何世紀もの間
『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower は
口伝 oral tradition のみだった。
 
 
 
第2に、口伝 oral tradition では
その本はいつも生きたままだ。
 
そのようにしてそれは統合 synthesis になった。
 
基本的にそれは中国の道家 Taoist の風潮の中で生まれた。
 
しかしその後、
ボディダルマ Bodhidharma が中国に到着した
…新しい導師 masterは
インドからの新しいメッセージ、
ゴータマ・ブッダ Gautam Buddha のメッセージと一緒にやってきた。
 
 
 
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そして『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower に
従っていた人々はとてもオープンな人々だった、
 
彼らはいかなる確立された教会の1部ではなかった。
 
彼らはボディダルマ Bodhidharma もそれがあることを
直ちにわかることができた
 
…それはとても明らかで、とてもはっきりとしていた。
 
彼らはボディダルマ Bodhidharma の教えを
彼らの教えの1部にすることを許した。
 
そして、ゾロアスター教 zoroastrian の導師 master たち、
ネストリウス派 nestorian のキリスト教でも同じことが起こった。
 
何度も何度も何かが中国へ来て、
そして、もしそれが価値あるものであれば、
それは取り組まれた。
 
 
 
口伝 oral tradition の教えは川のように生きたまま成長する。
 
新しい水の流れがやって来て
その1部になる。
 
ひとたび教えが書かれると、
するとそれはそれ以上何にも組み込むことはできない。
 
すると、
それは硬くなり、
流動性が失われ、
それは死になる、
 
それは死体だ。
 
 
 
さて、『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower は成長していない。
 
何世紀もの間、それは成長していない。
 
書かれて以来それは成長していない。
 
 
 
なぜ私は『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower について
話すことを選択したのか?
 
…そうすればそれはまだ成長できるからだ。
 
 
 
それは世界へのとても美しいメッセージだ、
それは死ぬべきではない。
 
私はそれを生き返らせようと思う。
 
そして今、私は
弟子 disciple である人々、
私のもとへやって来た人々
生まれ変わるために死ぬ準備ができている人々
花咲くために死ぬ準備がある人々へ
話すことができる。
 
種 seed は死ななければならない、
その後でのみ、それは成長できる。
 
種 seed は消えなければならない、
その後でのみ、木は生じることができる。
 
 
 
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私はこの小さいけれども途方もなく価値のある本についてあなたに話していく
そうすると、その本は再び生きることができる。
 
それはあなたと私の間で生きることができる。
 
それは再び流れはじめることができる。
 
そして、それは途方もなく重要な何かがある。
 
もしあなたがそれを理解したら
そして、もしあなたがそれを練習したら、
あなたは豊かになるだろう。
 
 
 
しかし、最初に理解することは、
 
覚えておきなさい
あなたは催眠術 hypnotism をかけられていることを、
そして
あなたはその催眠 hypnosis を解く過程を通らなければならないことを。
 
覚えておきなさい
あなたは条件付け conditioned られていることを、
そして
あなたは無条件 unconditioned でなければならないことを。
 
覚えておきなさい
死 death がやって来ていることを。
 
今日それは起こらない、と考えないように、
 
それはどの瞬間でも起こることができる。
 
 
 
実際、全ての出来事は
いつも今 now 起こっている。
 
種 seed は今 now 死ぬ、
蕾 bud は今 now 花となる、
鳥は今 now 鳴きはじめる。
 
これまでに起こった全てのことは
今 now 、この瞬間 moment に作られた可能な空間の中でのみ起こる。
 
過去 past に何1つも起こらず、
未来 future も何1つも起こらない。
 
起こること全ては
いつも現在 present で起こる
 
…ものごとが起こるのはその方法のみだ
 
なぜなら、
現在 present が存在する唯一の時間だからだ。
 
 
 
過去 past は単にあなたの記憶 memory だ
未来 future は単にあなたの想像 imagination だ。
 
 
 
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しかし、
あなたは過去 past に生きるよう
催眠術 hypnotism をかけられている、
 
そして、
あなたは未来 future に生きるよう
催眠術 hypnotism をかけられている。
 
過去 past または未来 future のどちらかを選びなさいと、
 
しかし、
社会は現在 present に生きることを
あなたに許さない。
 
 
 
キリスト教 christians
イスラム教 mohammedans
 
…彼らはあなたに条件付ける condition
 
過去 past に生きるようにと。
 
彼らの黄金時代は過去 past にあった。
 
 
 
共産主義 communists
社会主義 socialists
 
…彼らはあなたに条件付ける condition
 
未来 future に生きるようにと、
 
彼らの黄金時代は未来 future にある、
理想郷 utopia は来つつある、
 
「革命 revolution がやって来るとき、
すると、あなたは本当に生きることができるだろう、
すると、黄金時代があるだろう。」
 
 
 
あなたが過去 past に連れて行かれるか、
それは間違いだ、
 
または
 
あなたが未来 future に連れて行かれるか、
それも再び間違いだ。
 
社会はあなたに話さない
現在 present 、今ここ herenow を生きるようにと。
 
 
 
サニヤシン sannyasin (探究者)であること、
真の探究者 seeker の意味は
今ここ herenow を生きるということだ。
 
今ここ herenow を生きる、
その他の生 life はない。
 
 
 
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しかし、そのためには
 
あなたはあなた自身を
非自動化 deautomatize しなければならないし、
 
あなたは機械ではなく
人間にならなければならないだろう。
 
あなたはもう少し意識的 conscious にならなければならないだろう。
 
あなたは意識的 conscious ではない。
 
 
 
あるとき、私は死にゆく男のそばに座っていた
…彼は私が教授だった同じ大学の教授だった。
 
彼は彼の成功した職業 career の頂上にいた。
 
そして、心臓発作がやって来た
…頂上を極めたときに心臓発作はいつもやって来る。
 
成功はいつも心臓発作がついて来る。
 
成功の後、あなたは他に何を得ることができるだろう?
 
だから、彼は心臓発作を起こして死にそうになっていた。
 
私は彼に会いにいった。
 
彼はとても悲しそうだった
…誰が死にたいだろうか?…
そして、彼は大きな絶望と苦痛の中にいた。
 
私は彼に話した、
「心配する必要はない。あなたは死なないよ。」
 
彼は言った、
「あなたは何を言っている?
しかし、医者は…全ての医者たちは
私の生存の可能性はないと言うんだ。
何を根拠にあなたは私は死なないと言うのか?」
 
私は言った、
「まず最初にあなたは死ぬことはできない、
なぜなら、あなたはけっして生きたことがないからだ。
 
あなたは死ぬための最初の必要条件を満たしていない。
 
55年の間、あなたは眠りながら歩く夢遊病者のようだった、
あなたは夢を見ていきた、
あなたは生きていない。
 
私は何年間もあなたを見てきた。」
 
彼はショックを受け、怒った
…しばらくの間、彼は死についての全てを忘れたほどとても怒った。
 
彼の目は怒りに燃えていた
そして、彼は言った、
「これが死んでゆく人への対応の仕方か?
あなたはもう少し思いやることはできないのか?
なぜあなたは私にそんなに厳しいんだ?
私は死んでゆく
そして、あなたはそのような偉大な哲学を話している
…『あなたはけっして生きていなかった。』
そのようなことを言う時かな?」
 
私は静かに聞いた。
私は完全に静かになった。
 
すると、激怒は消え去り、
彼は泣きはじめた、
そして、大きな涙が彼の目にあふれた。
 
彼は大きな愛で私の手を握り、
すると彼は言った、
「たぶんあなたは正しい。
私はけっして生きていなかった。
たぶんあなたは失礼ではない、
あなたはただ真実である。
そして、私にこのことを言ってくれる人は
他に誰1人もいないことを私は知っている。」
 
すると、大きな感謝がおこり、
しばらくの間、顔に光 light を見ることができるほど
彼はとても意識的 conscious になった
…光 light があった、彼は全てオーラだった。
 
そして、彼は私に感謝した。
 
その夜、彼は死んだ。
 
私は彼の最期の瞬間まで一緒にいた。
 
彼は言った、
「もしあなたがここにいなかったら、
私の生 life を見逃したように
私は私の死 death をも見逃しただろう。
 
しかし、私は意識 consciously して死んでいく。
 
少なくとも1つだけ私は幸せだ、それは
…私は無意識 unconsciously に死んでいくのではない。」
 
そして彼の死 death は美しかった。
 
彼はどんな後悔 regret もなく死んだ、
彼はリラックス relax して死んだ。
 
彼はほとんど死 death を歓迎する心で死んだ、
彼は感謝で満たされて死んだ。
彼は祈りに満ちて死んだ。
 
彼の次の生 life はきっと異なる質を持つはずだ。
 
 
 
もし死 death がとても美しかったら
それは新しい生 life をあなたにもたらす。
 
しかし、人は瞬間、瞬間を生きなければならない、
それが生 life の瞬間であっても、
愛 love の瞬間であっても、
怒り anger の瞬間であっても、
死 death の瞬間であっても。
 
それがなんであれ、
人は可能な限り意識 consciously して
瞬間、瞬間を生きなければならない。
 
 
 
ある農夫が、
彼の想像 imagination に夢中になりながら、
野菜畑で胡瓜を盗んでいる彼自身を見つけた。
 
「私はこの胡瓜の袋を運び去ろう、」
 
彼は考えた、
 
「そして、胡瓜を売って得たお金で
私は一羽の雌鶏を買うだろう。
 
その雌鶏は卵を産んで、
雌鶏は卵の上に座り何匹かのひよこが孵化し、
そして、私はそのひよこたちが成長するまで餌をやり、
その後、私はその鶏たちを売り
そして、一匹の子豚を買うだろう。
 
私はその子豚が雌豚に成長するまで餌をやり、
私はその雌豚を繁殖させ、
雌豚が子豚たちを産んだら
その子豚たちを売るだろう。
 
豚を売って得たお金で
私は庭付きの家を買うだろう、
 
私は庭に胡瓜を栽培するだろう、
 
私は胡瓜を誰にも盗ませない
…私は胡瓜を護るだろう。
 
私は強い見張り人を雇うだろう、
そして時々私は庭に出て叫ぶだろう、
 
「おい、おまえ!しっかり見張れ!」
 
農夫はこの考えにとても夢中になっていたので
彼は高らかな声で叫んでしまった。
 
見張り人が農夫の声を聞いたので駆けつけて来た。
 
見張り人は農夫を捕まえ激しくたたいた。
 
 
 
だが、このようにして人間は生きている、
 
夢 dream の中で、
想像 imagination の中で、
投影 projection の中で。
 
このようにしてあなたは生きている。
 
 
 
そして、これは
この美しく、途方もなく価値がある生 life の
生き方ではない!
 
これは全くの浪費 wastage だ!
 
あなたは瞬間 moment に、現在 present に
もっと注意深く attentive ならなければならない。
 
あなたはあなたの意識 consciousness を集めなければならない。
 
 
 
意識 consciousness はあなたの宝だ、
 
そして、何世紀にもわたり発明や考案された全ての方法は、
あなたの内の意識 consciousness をもっと高め、
あなたの内の火 fire をもっと増し、
あなたの生 life を情熱的な出来事にして、炎にする、
方法に過ぎない。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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人々は鈍い dull 生活を生きている、
人々はマインドの不在 absent-mindedly で生きている、
人々は不注意 inattentively に生きている。
 
どうしてあなたの周りにそんなに不注意に生きることができるのか?
 
不注意 inattention は闇 darkness だ、
注意 attention は光 light だ。
 
そして、この論文があなたに教えるだろうことは
どのようにしてあなたの内にもっと光 light を増すのか、
そうしてある日、黄金の華が…。
 
 
 
2人の精神科の医者が路上で出会った。
 
「あなたは元気だね、」
 
1人が言った。
 
「私はどうかな?」
 
 
 
人々はお互いに尋ねている。
 
誰1人も自分自身がどうなのかを知らない、
彼らはお互いの目をのぞき見て、
自分自身についての情報を他人から集めている。
 
だから、他人の意見がとても重要になる。
 
 
 
もし誰かがあなたは馬鹿だと言ったら、
あなたは怒るだろう。
 
なぜ?
 
または、あなたは悲しくなるだろう。
 
なぜ?
 
あなたは打ちのめされる。
 
あなたはあなたが賢い人だと思っていた、
なぜなら、他人があなたは賢いと話したからだ。
 
それはあなたが依存する他人の意見だった。
 
今や、他の誰かがあなたにあなたは馬鹿だと言う。
 
彼はあなたの知恵を簡単に打ちのめすことができる、とても簡単に。
 
あなたがカードで遊んで作った宮殿に
彼は石を投げた。
 
さあ、全てが打ちのめされた。
 
だから、人はとても怒りになる、
とてもひどく腹を立てる、
とても暴力的で、
そして、人はとても心配し、不安になる。
 
 
 
あなたは他人が考えている何かを探し続けている、
 
なぜなら、あなたは
他人があなたについて考えることだけしか知らないからだ、
 
あなたはあなた自身について何も知らない。
 
さあ、これはどんな種類の状況だろう?
 
 
 
もし私が私自身について知ることができないならば、
他の誰が私について知ることができるのだろうか?
 
外側 outside からは誰1人も私を見ることはできない、
その方法では私は入手可能ではない。
 
外側 outside からは私の肉体 body だけを見ることができる。
 
内側 inside からは私は私の意識 consciousness を知ることができる。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
あなたが鏡の前に立つ時でも
 
あなたはあなたの肉体 body だけが見える、
 
鏡の中にあなたの意識 consciousness を見ることはできない。
 
鏡の中でそれを見ることさえできない
…あなた自身の意識 consciousness を。
 
あなたは意識 consciousness を直接 directly 見なければならない。
 
それはけっして映らない、
それはけっして何にも反映されない、
 
それは不可視 invisible だ。
 
 
 
あなたは目を閉じなければならない
そして
それで在る be it。
 
そして、それが意識 consciousness を知る
ただ唯一の方法だ。
 
 
 
しかし、人々はとても無意識的 unconsciously に生きている。
 
人々は単に他人の意見によって生きている。
 
他人が言った何かが人々の魂 soul になる。
 
他人はいつの瞬間もそれを取り除くことができる。
 
人々は乞食のままだ。
 
 
 
あなたは直接 directly あなた自身についての何かを知ったことがあるだろうか?
 
あなたは他人の意見を持ち込まずに
直接 directly あなた自身と出会った encounter ことはあるだろうか?
 
もしそれをしたことがないならば、
あなたはまだ生きていない。
 
 
 
生 life は
唯一自分自身と出会う encounter ことによって始まる、
直接 directly、直ちに、自分自身を見る see ことによって。
 
生 life は
あなたについての他人の考えではなく、
あるがままのあなた自身を見る see 能力があるときにのみ存在 exist する。
 
 
 
他人があなたについて何を考える think ことができるのか?
 
他人があなたについて何を言う say ことができるのか?
 
 
 
他人はあなたの行動を見ることはできる、
他人はあなたを見ることはできない。
 
もしあなたがあなた自身を見たいならば、
あなただけがそれができる、
他の誰でもない。
 
それは召使いによってなされることはできない。
それは他の誰かに任せることはできない。
それは専門家によってもなされることはできない。
 
しかし、私たちは他人の意見にとても興味がある
なぜなら、私たちは完全に欠席・ぼんやり absent しているからだ
 
…誰1人も内側 inside が目覚め awake ていない。
 
深く眠っている deeply asleep、
 
私たちは内側 inside でいびきをかいている。
 
 
 
ぼんやりした教授が散髪に出かけた。
 
彼は床屋の椅子に座った、
しかし、彼は帽子を脱がなかった。
 
「帽子を脱がなければならないと思いますが。」
 
理髪師は言った。
 
「あ〜、すみません!」
教授は言った、
「ご婦人がいらっしゃるとは知りませんでした。」
 
 
 
あなた自身の欠席・ぼんやりしたマインド(思考)absent-mindedness を見なさい。
 
見ること watching で
あなたの内に注意深さ attentiveness が生まれるだろう。
 
あなたの内で何が起こっているのかを見なさい、
 
考えや思いが通り過ぎていく、
記憶が蘇る、
怒りの雲、
悲しみの暗い夜、
または
喜びの美しい朝。
 
あなたの中を通る全てを見なさい。
 
もっともっと油断なく watchful なりなさい。
 
ゆっくりゆっくりあなたは油断なく watchfulness 統合 integrate になるだろう。
 
そして『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower によって教えられる方法は
どのようにして
あなたの内なる光 light の中で
統合 integrate になるのかというものだ。
 
 
 
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私たちが経文 sutras の中に入っていく前に
この本のこんな話がある。
 
この本は中国のある秘伝団体 esoteric circle からやって来た。
 
この秘伝団体 esoteric circle の創始者
よく知られた道家 Taoist の熟達者、呂厳 lu yen だと言われている。
 
呂厳 lu yen はどこでこの秘密の教えを得たのか?
 
呂厳 lu yen 彼自身は
導師 master 関伊喜 kuan yiu-hsi に帰していて、
伝統によると、関伊喜 kuan yiu-hsi のために、
老子 Lao Tzu は彼の道徳経 Tao te Ching を書いた。
 
 
 
老子 Lao Tzu は彼の全生涯の中でけっして一言も書かなかった。
 
彼は何かを書くという誘いを何度も何度も断った。
 
彼は彼の弟子達 disciples に
彼が知ったことはなんでも伝えた、
しかし、彼は書く用意はなかった、
なぜなら、彼は言った、
 
「言うことができる道(Tao タオ)は真の道(Tao タオ)ではない。」
 
’The Tao which can be said is not the true Tao.’
 
表現できる道(Tao タオ)はすでに偽りだ。
 
道(Tao タオ)は導師 master との親密な交流の中だけで学ぶことができる。
 
それを伝える他の方法はない。
 
 
 
それは弟子 disciple と導師 master の出会いの
深いコミュニオン communion 交感(魂と魂の交流)の中でのみ
学ぶことができる、
 
弟子 disciple は何1つもためらわず、
 
弟子 disciple と導師 master が重なり、
 
弟子 disciple と導師 master の意識 consciousness が
お互いの中で溶け合い1つになる。
 
そのような出会い、
コミュニオン communion 交感 (魂の交流)の中だけで、
道(Tao タオ)は伝えることができる。
 
 
 
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だから老子 Lao Tzu は何度も何度も(書き記すことを)断った。
 
 
 
老子 Lao Tzu は長い人生を生きた。
 
しかし、彼は死ぬとき
水牛に乗って中国を去った。
 
なぜ水牛に乗るのか?
 
老子 Lao Tzu の全体の教えは
水流 watercourse の教えだった。
 
彼は言った、
 
人は水 water のようでなければならない
 
…流れるように flowing
流動的で fluid、
新鮮で fresh、
いつも海 ocean へ向かって動く。
 
人は水 water のようでなければならない
 
…柔らかくて soft、
女性的で feminine、
受容性が高く receptive、
優しくて loving、
非暴力的だ non-violent。
 
 
 
人は岩 rock のようであってはならない。
 
岩 rock はとても強く見えるがそうではない、
 
水 water はとても弱く見えるがそうではない。
 
 
 
けっして見た目に騙されてはならない。
 
最後には、水 water は岩 rock に勝って
岩 rock は砕かれ砂となり
そして海へと運ばれていく。
 
岩 rock は最後には消えてしまう
…柔らかい水 water に対して。
 
 
 
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岩 rock は男性性 masculine だ、
それは男性 male のマインド(思考)mind だ、
攻撃的 aggressive なマインド(思考)mind だ。
 
水 water は女性性 feminine だ、
柔らかくて soft、優しくて loving、
全く攻撃的ではない non-aggressive。
 
 
 
しかし、攻撃的ではないものが勝つ。
 
 
 
水 water はいつも明け渡す surrender 用意がある、
しかし、降伏(明け渡し surrender)を通して征服 conquer する
 
…それは女性 woman のやり方だ。
 
 
 
女性 woman はいつも明け渡し surrender
そして、それを通して征服 conquer する。
 
男性 man は征服 conquer したい
そして、究極の結果は
ただの降伏(明け渡し surrender)だけで他にはなにもない。
 
 
 
したがって、
老子 Lao Tzu は中国を去るときに水牛を選んだ。
 
 
 
老子 Lao Tzu はどこへ行こうとしたのか?
 
彼は永遠の美しさの中で死ぬためにヒマラヤへ行こうとした。
 
本物の人はどのように生き、どのように死ぬかを知っている。
 
本物の人は全一 total に生き、全一 total に死ぬ。
 
本物の人は祝福の中で生き、祝福の中で死ぬ。
 
老子 Lao Tzu はヒマラヤで完全に独り aloneness になろうとしていた。
 
 
 
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しかし、老子 Lao Tzu は国境でつかまった。
 
そして、国境で老子 Lao Tzu をつかまえたその男は
導師 master 関伊喜 kuan yiu-hsi だった。
 
関伊喜 kuan yiu-hsi は中国の国境の最後の関所の警備員だった。
 
老子 Lao Tzu はその関所を通らなければならなかった、
中国を出る他の道はなかった。
 
そして、関伊喜 kuan yiu-hsi は老子 Lao Tzu を説得した、
 
「あなたは逝こうとしている、
あなたは永遠に中国を去ろうとしている、
そして、まもなくあなたは肉体 body を去るでしょう。
 
どうかほんの少しの言葉だけでも書いてください。
 
そして、もしあなたが書いてくださらなければ、
私はあなたがこの土地を出ることを許さないでしょう。
 
この代償はあなたが支払わなければならないのです。」
 
そして、老子 Lao Tzu は3日間
関伊喜 kuan yiu-hsi の小屋の中に座らなければならなかった、
そして、老子 Lao Tzu は道徳経 Tao te Ching を書いた。
 
 
 
『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower の伝統は
呂厳 lu yen に始まると言われている。
 
呂厳 lu yen 彼自身は
導師 master 関伊喜 kuan yiu-hsi に帰していて、
伝統によると、関伊喜 kuan yiu-hsi のために、
老子 Lao Tzu は彼の道徳経 Tao te Ching を書いた。
 
 
 
関 kuan の意味は「函谷の関所」、
したがって、彼は導師 master 関 kuan と呼ばれた、
それは「函谷の関所の導師 master」である。
 
そして、関伊喜 kuan yiu-hsi は偉大な熟達者だったに違いない、
そうでなければ、老子 Lao Tzu に書くことを説得することは不可能だっただろう。
 
老子 Lao Tzu の全生涯で彼は断った
…彼は関伊喜 kuan yiu-hsi の誘いを断ることができなかった。
 
関伊喜 kuan yiu-hsi は
老子 Lao Tzu でさえも否 no と言うことが不可能な
何かがあったに違いない。
 
『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower の伝統は
このようにして老子 Lao Tzu と繋がっている。
 
 
 
しかし、それは老子 Lao Tzu に始まらなかった。
 
老子 Lao Tzu 彼自身は言う
なんであれ彼が言うことは
以前から言われてきたことだ、
何世紀もの間、何度も何度も。
 
老子 Lao Tzu は世界に
新しい〈 真理 truth 〉をもたらしているのではなく
新しい表現をもたらしているだけだ。
 
それはいつもそうだ。
 
〈 真理 truth 〉は同じだ、
表現だけが異なる。
 
老子 Lao Tzu が言ったことは
老子 Lao Tzu の以前にクリシュナ krishna が言ったことと同じだ。
 
クリシュナ krishna が言ったことは
後にゴータマ・ブッダ Gautam Buddha が言ったことと同じだ。
 
ゴータマ・ブッダ Gautam Buddha が言ったことは
モハメッド mohammed、
エス Jesus、
ツァラトゥストラ zarathustra が
言ったことと同じだ、
 
だけれども、彼らの表現はとても異なるので
その核心を見るには大いなる知性 intelligence が必要になるだろう。
 
構造は異なっているし、
言葉は異なっているし、
彼らの言い方は異なっている、
 
自然なことだ、
なぜなら、彼らは異なる人だからだ、
異なる個 individual、
彼ら自身の独特さ uniqueness。
 
しかし、〈 真理 truth 〉は
新しくもなければ古くもない、
 
そして、どんな場合も〈 真理 truth 〉は、
永遠 eternal だ。
 
 
 
この本『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower は
永遠 eternal の源 source の1つだ
人が再び生きいきとなることができるように、
人が再び神聖への扉を見つけることができるように。
 
 
 
経文 sutras :
 
 
 
呂祖師は言った、
 
自然曰道。
 
自然をとおして存在するものを
道(Tao タオ)と言う。
 
That which exists through itself is called the Way (Tao).
 
 
 
「Tao タオ」という言葉の本質的な意味は「道 / the Way」だ。
 
終着点 goal については何1つも言うことができない。
 
終着点 goal は言葉では言い表せないほど
とらえどころがないままだ。
 
しかし、道 / the Way については何かを言うことができる。
 
したがって、道家の人々 Taoists は
「神 God」
「 真理 truth 」
「涅槃 Nirvana
という言葉をけっして使わなかった、
ノー no、
 
彼らは単に「道 / the Way」という言葉を使う。
 
 
 
ゴータマ・ブッダ Gautam Buddha は言う、
 
ブッダ達 Buddhas(目覚めた者)は
あなたに道 / the Wayを見せることのみできる。
もしあなたがその道をたどるならば、
あなたは〈 真理 truth 〉に到達するだろう。」
 
 
 
〈 真理 truth 〉はあなた自身の経験でなければならないだろう。
 
〈 真理 truth 〉は誰1人も定義することはできない、
 
しかし、
道 / the Wayを定義することはできる、
道 / the Wayは明確にすることができる。
 
 
 
導師 master は〈 真理 truth 〉をあなたに授けることはできない、
しかし、
導師 master は道 / the Wayをあなたに授けることはできる。
 
そして、ひとたび道 / the Wayがそこにあるならば、
その後必要な全ては
その道 / the Wayを歩くことだ。
 
それは弟子 disciple によって果たされなければならない。
 
 
 
私があなたの代わりに歩くことはできないし、
私があなたの代わりに食べることはできない。
私があなたの代わりに生きることはできないし、
私があなたの代わりに死ぬことはできない。
 
これらのことは自分自身によってしなければならない。
 
 
 
しかし、私はその道 / the Wayを見せることはできる、
私はその道 / the Wayを歩いてきた。
 
 
 
道(Tao タオ)とは単に「道 / the Way」という意味だ。
 
 
 
自然曰道。
 
自然をとおして存在するものを
道(Tao タオ)と言う。
 
That which exists through itself is called the Way (Tao).
 
 
 
その定義は美しい。
 
呂祖師は言う、
 
「自然によって存在するもの
(自(おの)ずから然(しか)り)、
 
他の誰1人のサポートを必要としないもの
(人の作為のない本来のあるがままの状態)、
 
あなたがそれを歩いても歩かなくてもいつも存在しているもの…」
 
誰かがその道 / the Wayを
歩くか歩かないかは問題ではなく、
道(Tao タオ)はいつも存在する。
 
実際には、全ての存在 existence は
知らぬ間に道(Tao タオ)をたどっている。
 
もしあなたがそのことを知っていてたどることができるならば
あなたの生は大いなる祝福となるだろう。
 
もしあなたがそのことを知らない間にたどるならば、
あなたは失敗をし続けるだろう、
 
あなたは楽しむはずである道(Tao タオ)を楽しむことができない。
 
 
 
ある人を庭に連れて来ることはできるが、
その人は無意識 unconscious なのかもしれない。
 
その人は酔っているのかもしれないし、
昏睡状態にあるか、またはクロロフォルムの影響下にあるかもしれない。
 
その人を庭に連れて来ることはできる。
その人は無意識 unconscious だ。
 
鳥の歌声がその人の耳に届いたとしても、
その人はその歌声に気づかないだろう。
 
花の香りが風に乗って彼の鼻腔に届いたとしても、
その人はその香りに気づかないだろう。
 
太陽がその人に輝く光を降らせたとしても、
その人はその輝きに気づかないだろう。
 
風がその人に優しく触れたとしても、
その人はその風に気づかないだろう。
 
あなたがその人を大きな木の木陰の涼しさの中に置いたとしても、
その人はそれに気づかないだろう。
 
それが人間の(無意識 unconscious の)状態だ。
 
 
 
私たちは道(Tao タオ)の中に在る、
他のどこに在ることができるだろうか?
 
生きるということは道 / the Way の上に在るということだ。
 
生きるということは神 God の中に生きるということだ。
 
呼吸をするというのは神 God の中で呼吸をするということだ。
 
他のどこに在ることができるだろうか?
 
 
 
しかし、
海の中で生きている魚が
海にまったく気づかないように、
 
私たちは道(Tao タオ)の中で生きているが
道(Tao タオ)にまったく気づいていない。
 
実際には、それがとても明白だからこそ、
私たちはそれにまったく気づかないのだ。
 
魚は海をとてもよく知っている…
魚は海の中で生まれ、
魚は海からけっして出たことがないし、
魚はそれを当然だと思っている、
したがって、魚は海に気づかないのだ。
 
私たちは道 / the Wayの上に在り、
私たちは神 God の中に在り、
私たちは道(Tao タオ)の中に生きている、
道(Tao タオ)をとおして、
しかし、私たちは道(Tao タオ)に気づかない。
 
 
 
道(Tao タオ)は存在している、
なぜなら、
道(Tao タオ)なしでは
木は成長しないだろう、
星は動かないだろう、
血液は循環しないだろう、
呼吸は入って来ないだろう。
 
命 life は消えてしまうだろう。
 
 
 
命 life はそれを保持する基本の法則がある場合にのみ可能だ。
 
命 life はそれをサポートする何かがある場合にのみ可能だ。
 
存在 existence の中にある計り知れない秩序を見てごらん。
 
それは混沌 chaos (無秩序)ではなく、
それは宇宙 cosmos (秩序)だ。
 
宇宙 cosmos (秩序)を作っているのは何なのか?
 
なぜとてもたくさんの調和 harmony があるのだろうか?
 
調和を保ちながら、流れながら、
全てのものが一致を保つ法則があるに違いない。
 
しかし、私たちはそれについて知らない。
 
私たちは私たち自身の存在 being についてなにも知らない、
 
そして、私たちは
道(Tao タオ)と共に私たちの存在 being を通して繋がっている。
 
 
 
道無名相。
 
道(Tao タオ)には名前 name もなければ形(相)shape もない。
 
一性而已。
一元神而已。
 
それは1つの本質(性)essence、
それは原始の精神(元神)primal spirit。
 
Tao has neither name nor shape.
 
It is the one essence, 
the one primal spirit.
 
 
 
私たちを取り囲んでいるのは命 life の海だ。
 
それは内 within にもあり外 without にもある
…純粋な本質(性)pure essence だ。
 
それが存在 existence だ、
 
それは原始の精神(元神)primal spirit だ。
 
 
 
名前 name はそれを含むことはできない。
 
全ての名前 name はそれの名前 name だ、
 
そして、それを特定する形(相)shape はない
なぜなら、全ての形(相)shape は道(Tao タオ)の形(相)shape だからだ。
 
道(Tao タオ)は無数の形 form で存在する。
 
木ではそれは緑で、
花ではそれは赤だ。
 
人間ではそれは人間で、
魚ではそれは魚だ。
 
それは同じ法則だ。
 
 
 
あなたは「道(Tao タオ)」という言葉を
「神 God」と置き換えることができる
そしてそれは同じことだ。
 
キリスト教徒やイスラム教徒が呼ぶ「神 God」、
道家 Taoists の人々 が呼ぶ「道(Tao タオ)」、
仏教徒が呼ぶ「ダンマ Dharma」、
ユダヤ教徒が呼ぶ「ロゴス Logos」、
 
しかし、それらは同じものを意味する。
 
名前 name はそれを含むことはできない、
または、
それはどんな名前 name でも表現できる。
 
 
 
性命不可見。寄之天光。
天光不可見。寄之兩目。
 
本質(性)essence と命 life は見ることができない。
それらは天の光の中に含まれている。
 
天の光は見ることができない。
それは両目の中に含まれている。
 
Essence and life cannot be seen.
They are contained in the light of heaven.
 
The light of heaven cannot be seen.
It is contained in the two eyes.
 
 
 
あなたは形 form を見ることはできるし、
あなたは肉体 body を見ることはできる
 
…肉体 body は
形 form であり、
本質(性)essence を囲んでいる物質 substance だ…
 
しかし、あなたは本質(性)essence を見るはできない。
 
本質(性)essence は目には不可視 invisible だし、
五感 senses によってとらえることはできない。
 
それは直接感じとらなければならない、
どんな媒体 media も通さずに。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
あなたは私の肉体 body を見ている、
私はあなたの肉体 body を見ている
 
…それは媒体 medium を通してだ。
 
私の目はあなたがここにいると私に伝えている。
あなたの目は私がここにいるとあなたに伝えている。
 
しかし、誰が知っている?
 
目が欺かれているかもしれない
…目はときどき欺く deceive。
 
夜、暗闇の中で、
あなたは一本の縄がまるで蛇のように見える。
そして、あなたがそれを蛇だと見るとき
その縄は蛇としてあなたに影響する。
あなたは怖くなり、走り出す。
 
または、あなたは砂漠の中で
ありもしないオアシスを見ることができる、
それはただの投影による現象だ
なぜなら、あなたはとても喉が渇いているので、
オアシスがそこにあって欲しいからだ、
だから、あなたはそこにオアシスを作り出す。
 
目は何度も欺く deceive。
 
だから、誰が知っている?
 
 
 
もし〈 真理 truth 〉が媒体 medium をとおして知られているならば
それはいつも怪しく、疑わしいままだ。
それは確実さを持つことができない
…絶対的な確実を持つことはできない。
 
そして絶対に確実ではない〈 真理 truth 〉は
まったく〈 真理 truth 〉ではない。
 
〈 真理 truth 〉は絶対に確実でなければならない、
 
それは、およそ確実…とはできない。
 
 
 
そうすると、道は唯一1つだけだ、
 
〈 真理 truth 〉は媒体 medium なしで知るべきである。
 
人は〈 真理 truth 〉を直接 directly に、直ちに immediately 知らなければならない。
 
人は〈 真理 truth 〉をどんな五感 senses もなしで知らなければならない。
 
〈 真理 truth 〉はそのようにして知られている。
 
 
 
あなたは命 life を見ることはできない、
しかし、あなたはそれを感じることはできる。
 
それは主観的 subjective な体験であり、
客観 object ではない。
 
 
 
f:id:premmashal:20180822173947j:image
(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
性命不可見。寄之天光。
天光不可見。寄之兩目。
 
本質(性)essence と命 life は見ることができない。
それらは天の光の中に含まれている。
 
天の光は見ることができない。
それは両目の中に含まれている。
 
Essence and life cannot be seen.
They are contained in the light of heaven.
 
The light of heaven cannot be seen.
It is contained in the two eyes.
 
 
 
あなたは両目 two eyes を持っている。
 
両目 two eyes は道家 Taoist にとってとても重要な意味がある。
 
現代の科学だけはその真実を見ることができるようになった。
 
両目 two eyes は見ることのためだけにあるのではない。
 
両目 two eyes は
あなたの内にある
男性 male と女性 female を表している。
 
 
 
今では、現代の科学は
人間の脳は2つの半球に分かれていて、
1つの半球は男性 male で、
もう1つの半球は女性 female だ、
と言う。
 
あなたのマインド(思考)mind の右側(右側の脳)は女性性 feminine であり、
あなたのマインド(思考)mind の左側(左側の脳)は男性性 masculine である。
 
だから、あなたの1つの目はあなたの内側 inside にある男性 male を表し、
そして、あなたのもう1つの目はあなたの内側 inside にある女性 female を表している。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
そして、あなたの内側 inside にある
男性 male と女性 female が出会うとき、
 
その出会いこそが「天国 heaven」と呼ばれているものだ
 
…その出会い、
あなたの男性 male と女性 female の
内なるコミュニオン communion 交感。
 
 
 
エス Jesus は言う、
「あなたの両目 two eyes が1つになるとき
光 light があるだろう。」
 
’When your two eyes become one there will be light.’
 
 
 
エス Jesus は道教の煉丹術師 Taoist alchemist のように話している。
 
あなたの両目 two eyes が1つになるとき、
光 light があるだろう。
 
あなたの両目 two eyes が1つになるとき
 
…あなたの男性 male と女性 female がお互いの中に消えるとき…
 
それが究極のオーガズム orgasmic の体験である。
 
 
 
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女性または男性と愛を交わすときにあなたが感じるものは
その究極のオーガズム orgasmic の体験の
ほんの一瞥 glimpse、つかの間の一瞥 glimpse だけだ。
 
それはとても一瞬なので
あなたがそれに気づいた時には、
それはすでに過ぎ去っている。
 
あなたは過去の中だけでそれに気づくだろう、
それはとてもつかの間だ。
 
しかし、それは一瞥 glimpse だ、
男性 man と女性 woman の出会いの一瞥 glimpse だ。
 
これは外側 exterior の世界での出会いだ。
 
たとえ一瞬であってもそれが起こるのは奇跡だ、
しかし、そこには深い可能性がある。
 
 
 
タントラ Tantra
道(Tao タオ)、
ヨガ Yoga、
世界の全ての偉大な秘密を教える者たちはそれに働きかけてきた、
 
内側 inside にあるあなたの
「女性性 feminine」と「男性性 masculine」に
あなたが気づくことを助けることに働きかけてきた
 
…タントラの人々 Tantrikas が呼ぶ「シバ Shiva」と「シャクティ Shakti」、
 
道家 Taoist の人々が呼ぶ「陰 Yin」と「陽 Yang」。
 
その両極性 polarity (陰と陽などの2つの極)、
あなたの内にあるポジティブとネガティブ、
あなたの内にある昼と夜
…その2つの極は出会わなければならない。
 
 
 
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天光不可見。寄之兩目。
 
天の光は見ることができない。
それは両目の中に含まれている。
 
The light of heaven cannot be seen.
It is contained in the two eyes.
 
 
 
しかし、両目 two eyes が1つにならない限り
あなたは天の光 the light of heaven に気づかない。
 
 
 
それは両目 two eyes の中に含まれている。
It is contained in the two eyes.
 
 
 
しかし、両目 two eyes が1つにならない限り
あなたは天の光 the light of heaven を見ることはできない、
 
1つになった後、
その天の光 the light of heaven は解き放たれる。
 
すると、とても大きな光 light の爆発 explosion が起こる。
 
ツァラトゥストラ Zarathustra はそれを
「火の爆発」と呼ぶ。
’explosion of fire’
 
老子 Lao Tzu はそれを
「光の爆発」と呼ぶ。
’explosion of light’
 
それは同じものだ。
 
 
 
あなたには洗礼者ヨハネ John の声明が伝わっているにちがいない。
彼は彼の弟子 disciple たちに言っていた、
 
「私は水 water であなたに洗礼をほどこす。
私の後には、火 fire であなたに洗礼をほどこす者がやって来るだろう。」
 
’I baptize you with water. 
After me shall come one who will baptize you with fire.’ 
 
「私の後には、火 fire であなたに洗礼をほどこす者がやって来るだろう。」
と彼が言ったその意味は、
その火の爆発 ’explosion of fire’ のことだ。
 
 
 
水 water の洗礼は外側 outer の洗礼だ。
 
洗礼者ヨハネ John にとって
水 water は外へと向かう
「外向 outward」の流れ flow を象徴している。
 
 
 
このことを覚えておきなさい。
 
「外向 outward」と「下降 downward」は同じ意味であり、
 
「内向 inward」と「上昇 upward」は同じ意味である。
 
 
 
どんな「下降 downward」でも「外向 outward」で、
 
どんな「上昇 upward」でも「内向 inward」だ、
 
そして、その逆もそうである。
 
(「外向 outward」は「下降 downward」
「内向 inward」は「上昇 upward」)
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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水 water はつねに「下降 downward」する、
ゆえに、水 water は「外向 outward」の流れ flow を象徴する。
 
水 water はそれ自身から離れていく。
水 water の旅は外側 exterior の世界の旅だ。
 
 
 
火 fire は「上昇 upward」だ、
火 fire はつねに「上昇 upward」する。
 
そして「上昇 upward」は「内向 inward」と同じ意味だ。
 
火 fire の旅はいつも内側 interior の世界の旅だ。
 
 
 
洗礼者ヨハネ John は言う、
 
私は水 water であなたに洗礼をほどこしている、
私はあなたに宗教の外側の体(輪郭)を与えている。
 
私の後には、
キリスト Christ がやって来て
あなたに内なる洗礼をほどこすだろう、
火 fire の洗礼を。
 
 
 
エス Jesus 彼自身は何度も何度も言っている、
 
「悔い改なさい、悔い改なさい。」
”Repent. Repent ye.”
 
そして、その言葉はキリスト教徒の誤った解釈の中に落ちて行った。
 
彼らはこう解釈した、
「悪行を悔い改める。」
’repentance for misdeeds.’
 
 
 
それは悪行とは何の関係もない。
 
 
 
「悔い改める repent」という言葉の本当の意味は、
 
戻ること return、
内へ行くこと go in、
帰ること go back。
 
その意味とは、
(踵を返して)戻ること turn back
 
あなたのオリジナルを取り戻すこと 
restore your-originality。
 
「悔い改める repent」という言葉の意味は
 
メタノイア metanoia、
 
(踵を返して)戻ること turning back
…180度回転して進路を変えること。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
もしあなたが「外向 outward」へ流れ flow 続けていたら、
あなたは水 water のままだ。
 
もしあなたが「内向 inward」へと向きを変えれば、
あなたは火 fire になる。
 
 
 
そして、
その両目 two eyes、
それらの2つの炎 flames、
それらのあなたの意識 consciousness の2つの半球が
つなぎ合わさり
完全に橋がかかると
あなたは1つ one の炎 flame となり、
 
その1つの炎 one flame こそ
プロティノス Plotinus が呼ぶ
「一者 to hen から一者 to hen への飛翔」だ。
’the flight of the alone to the alone.’
 
 
 
太乙者無上之謂。
 
大いなる者(太乙者)とは
それより上が無い…この上ない…ものに与えられた用語だ。
 
The Great One is the term given to that which has nothing above it.
 
 
 
そして、もしあなたが1つ One になることができるならば、
あなたは大いなる者(太乙者)になっている。
 
これが道家 Taoist の
「神 God」という言葉を使わずに
神 God についてなにかを言う方法だ。
 
もしあなたが1つ One になれば、
あなたは神 God になった。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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丹訣總假有為而臻無為。
 
生命 life の丹術の秘訣は
無爲(無為)non-action に達するために
有爲(有為)action を使うことに基づいている。
 
The secret of the magic of life consists in using action in order to attain non-action.
 
 
 
これらは可能性を秘めた言葉だ。
 
これらの両目 two eyes を1つ One にする秘訣とは何か?
 
どのようにして
あなたの内の男性 male と女性 female を1つ One にするのか?
 
どのようにして
あなたの女性 woman と男性 man が
お互いの中で溶け合わさるのか?
 
そうすれば、あなたはもう二元性 duality ではなくなるし、
そうすれば、あなたはもうそれ自身に逆らって分割した家ではなくなるし、
そうすれば、もうどんな葛藤や緊張もなくなるし、
そうすれば、全ては1つ One であるのか?
 
「1つである oneness」中は至福だ
 
なぜなら、
全ての緊張 tension が消え、
全ての葛藤 conflict が消え、
全ての不安 anxiety が消えるからだ。
 
どのようにして
1つ One になるのだろう?
 
 
 
丹訣總假有為而臻無為。
 
生命 life の丹術の秘訣は
無爲(無為)non-action に達するために
有爲(有為)action を使うことに基づいている。
 
The secret of the magic of life consists in using action in order to attain non-action.
 
 
 
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男性 man は有爲(有為)action を表し、
女性 woman は無爲(無為)non-action を表している。
 
 
 
無爲(無為)non-action に達するためには
有爲(有為)action を使わなければならない。
 
You have to use action to attain non-action.
 
 
 
無努力 effortless になるためには
努力 effort をしなければならない。
 
You have to make effort to become effortless.
 
 
 
あなたは行かなければならない
そして
あなたのエネルギーの全てを注ぎ込まなければならない、
後に何1つも残らないほど
とても活動的 active にならなければならない。
 
全てのエネルギーが創造性 creativity の中に投入されていく、
すると、突然、全てのエネルギーが投入されたとき、
変容 transformation は起こる。
 
ちょうど100度で水が蒸発するように、
 
有爲(有為)action が全一 total になるとき、
蒸発して、
そして、
無爲(無為)non-action が後に残る。
 
 
 
まず最初に、
あなたはどのようにダンスをするのかを学ばなければならない、
そして、あなたのエネルギーの全てをダンスに注ぎ込まなければならない。
 
そしてある日、不思議な体験が起こる
 
突然、ダンサーがダンスの中に消えて、
そして、ダンスはどんな努力 effort もなしに起こる。
 
するとそれが無爲(無為)non-action だ。
 
 
 
まず最初に、
あなたは無爲(無為)non-action に入って行くために
有爲(有為)action を学ばなければならない。
 
 
 
それが瞑想 meditation についての全てだ。
 
 
 
人々はやって来て私に尋ねる
 
なぜ私は活動的 active な瞑想 meditation を教えているのかと
 
…なぜなら、それが無爲(無為)non-action を見つける唯一の方法だからだ。
 
 
 
最大限にダンスしなさい、
熱中してダンスしなさい、
狂ったようにダンスしなさい、
 
そして、もしあなたの全エネルギーが
ダンスの中に投入されたならば、
 
ダンスがひとりでに起こっているのを
突然あなたが見る瞬間がやってくる
 
…その中に努力 effort はない。
 
それが有爲(有為)action のない有爲(有為)action だ。
 
It is action without action.
 
 
 
金華即光也。光是何色。
取象於金華。
 
亦秘一光字在內。
是先天太乙之真氣。
水鄉鉛只一位者此也。
 
黄金の華とは光だ。
 
人は黄金の華をシンボル(象)として使っている。
 
「水郷の鉛はただ1つの味しかない(水郷鉛只一味)」
という詩句はそれを示している。
 
The Golden Flower is the light.
 
One uses the Golden Flower as a symbol.
 
The phrase ”The lead of the water-region has but one taste” refers to it.
 
 
 
黄金の華 golden flower は象徴だ、
 
あなたのエネルギーが
もう2つ dual ではなく
1つ One になったときの象徴だ。
 
とても大きな光 light が解き放たれる、
 
そして、その光 light は黄金 gold だ。
 
それはまるで黄金 gold の光 light の華 flower が
あなたの内で開いたかのようだ。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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そして、それはただ象徴だけではない
…それは象徴だが、ほぼ文字通り真実だ。
 
それはまさにそのように起こる。
 
ちょうど今、あなたは闇のように、暗い夜のように存在している。
 
それが起こると、あなたは日の出のように存在する。
 
あなたはどこにも太陽を見ることはできない
しかし、光 light はそこにある。
 
その光 light には源 source はない
…それは源 source のない光 light だ。
 
しかし、ひとたびあなたの内にある黄金 gold の光 light を知れば、
あなたは不死 immortal になる。
 
すると、死 death はない
なぜなら、光 light はけっして死ぬことがないからだ。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
命 life の全て、
全ての存在 existence は
光 light だけで構成されている。
 
全てが光 light の形 form だ。
 
 
 
あなたは現代の物理学者にも尋ねることができる、
そして、現代の物理学者は
全てが光 light だという道(Tao タオ)に完全に一致している、
 
形 forms は変化し続けるが、
しかし、
光 light は続いている。
 
光 light は永遠 eternal だ。
 
 
 
世界の多くの聖典 scripture は
「光 light」という言葉から始まる。
 
「始めに…神 God は言われた、『光 light あれ』」
 
’In the beginning…God said, Let there be light…’
 
それが始まり beginning だ。
 
もし始まりがあったとすれば、
光 light と一緒でなければ
それ(始まること)はできなかったはずだ。
 
 
 
しかし、始まり beginning はけっしてなかった。
 
これは単なる寓話だ。
 
光 light はいつも存在していた。
 
 
 
コーラン Koran は神 God は光 light だと言う。
スーフィー Sufis によって与えられた神 God の名前の1つはヌル Nur だ。
 
ヌル Nur は光 light を意味する。
 
 
 
そして、その味は同じだ
…それが私の内で起こっても
それがあなたの内で起こっても
その味は同じだ。
 
仏性 buddhahood の味は同じだ。
 
ゴータマ・ブッダ Gautam Buddha は言った、
 
「仏性 buddhahood の味は海 ocean のようだ。
 
北から、または、南から、
または、ここから、または、あちらから、
岸辺から、または、沖から
あなたは海を味わうことができる、
しかし、
海 ocean の味は同じだ。
 
仏性 buddhahood の味もそうだ。」
 
 
 
人がこの永遠 eternal の光 light に達する瞬間、
その人の命 life は1つの風味 flavour がある。
 
その風味 flavour は絶対的な気づき awareness によって含まれている。
 
その人の無意識 unconsciousness は消えてしまった。
 
その人の存在 being にはもはやどんな暗い部分もない。
 
 
 
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今、もしフロイト派の人がそのような人を見入ると、
 
その人は意識 consciousness だけを見つけるだろう、
意識 consciousness だけを、
 
その人が無意識 unconsciousness を見つけることはないだろう。
 
 
 
もしフロイト派の人があなたの内を見ると、
1割だけが意識 conscious だ。
 
この1割に対して、9割は無意識 unconscious だ
 
…あなたのマインド(思考)mind の10分の1だけが意識 conscious だ。
 
ブッダ buddha(覚者)は100%意識 consciousness だ。
 
 
 
回光之功。全用逆法。
 
注想天心。
 
天心居曰月中。
 
光の循環の働き(功)は
完全に逆流する(後ろへ流れる)動きによる、
そうすると想いが(天の心に)1つに集まる。
 
天の心は太陽(陽)と月(陰)の間の
真ん中(中庸)に位置する。
 
The work on the circulation of the light depends entirely on the backward-flowing movement, so that the thoughts are gathered together.
 
The heavenly heart lies between sun and moon.
 
 
 
再び覚えておきなさい、
 
太陽 sun は男性 male エネルギーを象徴し、
月 moon は女性 female エネルギーを象徴する。
 
 
 
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そして心 heart はその2つの間に位置する。
 
心 heart は男性 male でもなければ女性 female でもない。
 
そして、それが心 heart の美しさだ。
 
心 heart は神聖だ、
男性 male でもなければ女性 female でもない。
 
そして、心 heart はまさしくその2つの間にある。
 
 
 
もしあなたが男性 male のエネルギーの方にたくさん傾いているならば
あなたはとても活動的 active で
どのようにして受動的 passive になるのかわからない。
 
 
 
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それが西洋で起こっていることだ。
 
西洋は太陽志向 sun-oriented(男性性 masculine)だ
…過剰に活動的 active だ。
 
人々は彼らの活動のせいで彼ら自身を狂わせている。
 
過剰な速度 speed だ
…あらゆることを直ちに終わらせなければならない、
 
忍耐 patience がない
…待てない。
 
彼らはどのようにして受動的 passive であるのか、
どのようにして忍耐 patient であるのか、
どのようにして物事を待つ wait のかを忘れてしまった。
 
彼らは不活動 inactive であることの全ての能力を失ってしまった。
 
彼らは休暇をどうすごせばいいのかわからない。
 
もし彼らが休暇に出かけたとしても、
彼らはいつもよりもっと活動的 active になる。
 
 
 
西洋では日曜日に心臓発作を起こす人が他の日よりも多い、
なぜなら、休暇だからだ。
人々はとても忙しい。
 
1週間働いている間は
彼らは休暇のときは休もうと思う、
そして休暇が来ると、
彼らは千と一つのことをする。
 
やらなければならないものではない、
必要があるわけではない、
いいや、まったくない、
 
しかし、彼らは休息にすごすことができない。
 
彼らはただ芝生の上に横たわり地球と一緒にあることができない。
 
彼らはただ木の下に静かに座って何もしないでいることができない。
 
いいや、彼らは家の周りで千と一つのことをしはじめる。
 
彼らはこれを修理したり、あれを修理しなかったり、
彼らは車のエンジンを開けて何かをしはじめる。
 
彼らは何かをするだろう。
しかし、彼らは活動的 active なままだ。
 
 
 
彼らの全生涯の中で
人々は退職したその後で楽しむことをしようと考えている。
 
しかし、彼らは楽しめない、
彼らは休息できない。
 
人々はひとたび退職するととても早く死ぬ。
 
心理学者は言う、
退職した人は10年早く死ぬ
なぜなら、彼らは他に何をすれはいいのかわからないからだ、と。
 
死 death は
無意味になった人生を、
いつも無意味だった人生を、
ただ急いでいた人生を、
取り去る唯一の方法に見える。
 
 
 
人々はどこへ行くのか知らないまま急いでいる。
 
彼らが知っている全ては
速く行かなければならないこと
心配することさえなくもっともっと速く行くこと。
 
「あなたは正確にはどこへ行こうとしているのか?
あなたはたぶん円 circle を走っている。」
 
それこそがまさに起こっていることだ、
人々は円 circle を走っている。
 
 
 
西洋は太陽志向 sun-oriented(男性性 masculine)だ。
東洋は月志向 moon-oriented(女性性 feminine)だ。
 
 
 
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東洋は過剰に受動的 passive で、
過剰に運命論的 fatalistic になった、
 
「何もすることはない。
ただ待つことだ、
神 God がなさるだろう。」
 
これは別の種類の愚かさで、馬鹿げている。
 
東洋は貧しく、怠惰で、不潔だ、
人々はどんなことにも心配していない。
 
その惨めさはいたるところにある、
貧しさ、乞食、病気
…誰1人も心配しない。
全ては受け入れられている。
 
「何ができるのでしょうか?
それは神 God のご意志なのです。
私たちは受け入れなければなりません。
私たちはただ待つのです。
ことが過剰になるとき、神 God はいらっしゃるでしょう。
他に何が私たちにできるでしょうか?」
 
これは女性性 feminine のマインド(思考)mind だ。
 
 
 
『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower は言う
 
あなたは確かに真ん中 middle にいなければならない、
 
男性 male でもなく
女性 female でもなく、
どちらの極端 extreme にも傾くことなく。
 
すると、そこにはバランス balance がある。
 
 
 
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すると、人は活動的 active であっても
内側 inside 深くは不活動 inactive のままだ。
 
すると、人は不活動 inactive であっても
外側 outside は活動的 active なままだ。
 
 
 
外側 outside は太陽志向 sun-oriented(男性性 masculine)、
内側 inside は月志向 moon-oriented(女性性 feminine)。
 
太陽 sun と月 moon をあなたの内で出会わせてみよう、
 
そして、あなたはちょうど真ん中 middle にある。
 
そして、その真ん中(中庸)middle が超越 transcendence だ。
 
 
 
回光之功。全用逆法。
 
注想天心。
 
光の循環の働き(功)は
完全に逆流する(後ろへ流れる)動きによる、
そうすると想いが(天の心に)1つに集まる。
 
The work on the circulation of the light depends entirely on the backward-flowing movement, so that the thoughts are gathered together.
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
人間は中心 center であり
また、周辺 circumference でもある。
 
もしあなたが周辺 circumference の方へ動くと、
すると、あなたは多くの想い thought を持つだろう。
 
 
 
周辺 circumference は多 many から成り立つ。
 
中心 center は1つ One だ。
 
 
 
もしあなたが中心 center の方へ動くと、
想い thought は消えはじめる。
 
まさにその中核 core では全ての想い thought が消える、
 
気づき(覚醒)awareness だけがある。
 
それがこの秘密の論文が言っていることだ
 
 
 
注想天心。
そうすると想いが(天の心に)1つに集まる。
so that the thoughts are gathered together.
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
光 light は「内向 inward」へと動かなければならない。
 
 
 
あなたが木を見るとき
あなたの目はその光 light を木へ投げている
…光 light は「外向 outward」へと動いている。
 
あなたが目を閉じるとき
光 light は「内向 inward」へと向きを変えはじめる
…メタノイア metanoia、
内へ行くこと repent、
戻ること return。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
そして、光 light があなた自身の存在 being に降りるとき、
自己知識 self-knowledge、
自己知 self-knowing がある。
 
その自己知 self-knowing は
あなたに自由 freedom をもたらす
 
…全ての困難からの自由 freedom、
全ての執着からの自由 freedom、
死 death からの自由 freedom、
肉体 body からの自由 freedom。
 
それはあなたの内に魂 soul をつくる。
 
 
 
それはグルジェフ Gurdjieff がよく彼の弟子 disciple に言っていたことだ
 
あなたは魂 soul とともに生まれてはいない、
あなたはメタノイア metanoia によって魂 soul をつくらなければならない。
 
(メタノイア metanoia…180度の方向転換、視点を変える)
 
 
 
黃庭經云
「寸田尺宅可治生。」
 
黄庭経は言う、
「寸田尺宅(1平方フィートの家の1平方インチ)の場所では、
生命を調整する regulate ことができる。」
 
The Book of the Yellow Castle says:
”In the square inch field of the square foot house, life can be regulated.”
 
 
 
あなたの肉体 body のこの小さな寺院の中で
命 life を調整する regulate ことができる。
 
 
 
方寸中具有鬱羅肖台之勝。
玉京丹闕之奇。乃至虛至靈之神所住。
 
1平方インチ(一寸四方=方寸=第3の目)の真ん中には
光の主が住んでいる。
 
翡翠の都の紫の広間には
最大の空虚と命の神が住んでいる。
 
In the middle of the square inch dwells the splendour.
In the purple hall of the city of jade dwells the God of utmost emptiness and life.
 
 
 
その矛盾を見てごらん、
空虚 emptiness と命 life。
 
命 life は男性 male、
空虚 emptiness は女性 femaleだ。
 
命 life と空虚 emptiness
…両方とも内なる神 God の2つの側面 aspect だ。
 
 
 
あなたがえり好みせずどちらをも選択しないとき、
あなたが全く選択しないとき
 
…あなたはただ観る人 watcher である…
 
あなたは
 
1つの側面 aspect が命 life であり
もう1つの他の側面 aspect が死 death である神 God になる、
 
1つの側面 aspect が完璧であり、
もう1つの他の側面 aspect が無である神 God になる。
 
 
 
故一回光。周身之氣皆上朝。
 
したがって、光が循環するとき、
全身のエネルギー(気)がその王座の前に現れる…
 
Therefore when the light circulates, 
the energies of the whole body appear before its throne,
 
 
 
そして、光 light が「内向 inward」へと動くとき
あなたの存在 being の中で循環する circulate。
なぜなら、出口が残されていないからだ…。
 
それが瞑想 meditation だ。
 
それがゴータマ・ブッダ Gautam Buddha が菩提樹の下でやっていることだ。
 
 
 
あなたは静かに坐り、
全ての扉を閉め、
そして、光 light が内側で循環する circulate。
 
そうしてはじめてあなたは
肉体 body と肉体 body が含む全てに気づく aware ようになる
 
…全ての神秘に。
 
この小さな身体 body は
宇宙 universe の全ての神秘を含んでいる。
 
肉体 body は小さい宇宙 cosmos だ。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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故一回光。周身之氣皆上朝。
 
如聖王定都立極。執玉帛者萬國。
又如主人精明。奴婢自然奉命。各司其事。
 
したがって、光が循環するとき、
全身のエネルギー(気)はその王座の前に現れる、
 
それはまるで、
聖なる王が都を築き、
秩序の基本的な規則を定め、
全ての国が賛辞とともに近づいてくるようである、
 
または、
主人が静かで穏やかであり、
男と女の召使いが自発的に主人の命令に従い奉仕し、
各自がそれぞれの仕事をするようなものである。
 
Therefore when the light circulates, 
the energies of the whole body appear before its throne, 
as, when a holy king had established the capital 
and had laid down the fundamental rules of order, 
all the states approach with tribute;
or as, when the master is quiet and calm,
men-servants and maids obey his orders of their own accord, 
and each does his work.
 
 
 
そして、
この光 light があなたの内側 inside で動くとき、
肉体 body は召使いになる。
 
五感 senses は従順な召使いになる。
 
あなたは彼らをコントロールしようとする必要はない
 
…彼らはひとりでにあなたに従う。
 
 
 
これが道(Tao タオ)の美しさだ、
 
けっして何も強制しない、
どんな人格も育てようとしたがらない。
 
道(Tao タオ)は言う、
 
ただ光 light で満ちていなさい
すると他の全てはついてくる。
 
 
 
諸子只去回光。便是無上妙誦。
光易動而難定。
回之既久。此光凝結。
即是自然法身。
而凝神於九霄之上矣。
 
心印經所謂「默朝飛升」者此也。
 
したがって、あなたはただ光の循環を作ればいいだけだ、
それが最も深く、最も素晴らしい秘法だ。
 
光は流れ動きやすく
しかし、
固定するのは難しい。
 
もし十分に長く光を循環させると、
すると、光は自ずと結晶化する。
 
その状態とは
「黙すれば汝は朝に飛昇する(黙朝飛昇)」
と言われたことだ。
 
Therefore you only have to make the light circulate:
that is the deepest and most wonderful secret.
 
The light is easy to move,
but difficult to fix.
 
If it is made to circulate long enough,
then it crystallizes itself.
 
It is the condition of which it is said:
”Silently thou fliest upward in the morning. ”
 
 
 
とても重要なことがこの経文の中で言われている、
 
光 light は簡単に流れ動く、
しかし、それを固定する fix のは難しい。
 
だから、光 light を固定 fix しようと試さないように。
 
 
 
ここでヨガ Yoga は簡単にできないことを試そうとする。
 
したがって、ヨガ Yoga は骨が折れ、困難となる
 
…ヨガ Yoga は光 light を固定 fix しようとする。
 
ヨガ Yoga も両目 two eyes の間に光 light を固定 fix しようと試す
 
…第3の目のセンターである
2つの眉毛の間のちょうど間に。
 
ヨガ Yoga は光 light を固定 fix しようとする。
 
 
 
それが道(Tao タオ)とヨガ Yogaの違いだ。
 
 
 
ヨガ Yoga は光 light を固定 fix したい。
 
「第3の目に集中しなさい。」
…くるみの殻の中に、
それがヨガ Yoga の哲学の全てだ。
 
「もしあなたが第3の目に
あなたの全ての意識 consciousness を集中させることができたら
あなたは変容 transformation するだろう、
あなたの両目 two eyes は1つ One になり
あなたは光 light で満たされるだろう。」
 
そして、第3の目を超越 beyond すると
 
…ヨガ Yoga の意識 consciousness の地図では
第3の目は第6のセンター(チャクラ)だ…
 
第6のセンター(チャクラ)を超越 beyond したら
第7のセンター(チャクラ)がある。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
第7のセンター(チャクラ)は
「千枚の花びらの蓮の華」
’the one-thousand-petalled lotus’
と呼ばれている。
 
もし光 light が第3の目に集中すると、
光 light があまりにもいっぱいになるとき、
光 light は第7のセンター(チャクラ)を押し上げるだろう。
 
光 light は貯水池の水のように上昇しはじめる。
 
そして、第7のセンター(チャクラ)を押し上げることで蕾が開く、
 
何世紀も、何百万の生にもわたり蕾のままだったのが。
 
 
 
道(Tao タオ)は別の立場から働きかける。
 
道(Tao タオ)は言う、
 
光 light を固定する fix ことはとても難しい。
光 light を固定する fix ことを心配しないように。
 
 
 
簡単な方法は光 light を循環する circulate ことだ。
 
 
 
マインド(思考)mind はいつも簡単に循環 circulation を見つける。
 
動くことはマインド(思考)mind の自然な本質だ。
 
マインド(思考)mind はいつも集中することが難しい、
 
そうであるならば、
なぜマインド(思考)mind の能力を使わないのか?
なぜそれに乗ってみないのか?
 
 
 
道(Tao タオ)は自然の科学だ。
 
手を加えない、
強制しない、
あなた自身のために不必要なトラブルを作り出さない。
 
 
 
マインド(思考)mind の自然な能力を使いなさい、
動くという能力、
動くことを好む能力、
さまよう(放浪)という能力を。
 
それを使いなさい。
 
光 light を循環 circulate させよう
 
…私たちは光 light を循環 circulate させる方法について後で知ることになるだろう…
 
経路 path を見つけ、
そして、光 light を循環 circulate させよう。
 
 
 
光 light を循環する circulate ことを通して
道家 Taoist の人々は鍼の700の経穴(つぼ)を発見した。
 
全身に光 light を循環 circulate させることで、
彼らは光 light がとてもとても輝く700の経穴(つぼ)に気づいた。
 
そして彼らは正確に経穴(つぼ)を数えた。
 
今では、科学はそれを裏付ける、
確かに700の経穴(つぼ)がある。
 
今では、あなたの700の経穴(つぼ)の写真を撮ることができ、
あなたの経穴(つぼ)で光 light が失われている箇所や、
正しい経絡にエネルギー(気)が流れていない箇所を
示す機械までもが発明された。
 
どのようにして道家 Taoist の人々はそれについて知ったのだろうか?
 
彼らは機械を持っていなかった、
技術もなかった。
 
彼らの唯一の技術は
内に入って行き
そして、光 light を循環 circulate させることだった。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
 
 
私たちは実際の方法について後で知ることになる
…光 light を循環 circulate させる方法を。
 
今回の講話は
道家 Taoist の人々の取り組み approach を
あなたが正しく理解するための背景を作成しているだけだ。
 
 
 
彼らは言う
もしあなたが光 light を循環し circulate 
そのまま光 light を循環し circulate 続けたら、
ある確かなポイントで光 light はおのずと結晶化 crystallize する。
 
 
 
あなたは光 light を固定する fix ことについて心配する必要はない。
 
 
 
循環 circulating、循環、循環、
ある瞬間、突然、
あなたは全てが止まっているのを見つける、
 
そして、ヨガ Yoga が起こそうとして試していることが起こった。
 
 
 
道(Tao タオ)ではそれは起こっている。
 
ヨガ Yoga ではそれは難しい、
努力 effort の長い旅だ。
 
ヨガ Yoga は男性志向 male-oriented だ。
 
 
 
道(Tao タオ)は女性志向 female-oriented ではない。
 
道(Tao タオ)は両方だ…統合 synthesis だ。
 
 
 
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循環 circulation は男性性 masculine のエネルギーだ、
固定 fixation は女性性 feminine のエネルギーだ。
 
 
 
不活動 non-activeに達する、
有爲(有為)action を通して受動的 passive に達する。
 
努力 effort を通して
無努力 effortlessness に達する。
 
 
 
宗旨行去。別無求進之法。
只在純想於此。
 
楞嚴經云「純想即飛。必生天上。」
 
天非蒼蒼之天。即生身於乾宮是也。
久之自然身外有身。
 
金華即金丹。
 
この基本原理を実践するにあたって
あなたは他の方法を探し求める必要はない、
 
しかし、ただあなたの想いを純に集めなければならない。
 
想いを純に集めることによって
人は飛ぶことができ
天に生まれるだろう。
 
黄金の華は金丹(生命の仙薬)だ。
(金丹 : 不死なる生命の仙薬、
東洋での甘露 / アムリタ、西洋での賢者の石)
 
In carrying out this fundamental principle 
you need to seek for no other methods, 
but must only concentrate your thoughts on it.
By collecting the thoughts 
one can fly 
and will be born in heaven.
 
The Golden Flower is the Elixir of Life.
 
 
 
それが全ての不死 immortality の秘密だ。
 
これは西洋の錬金術師たちが呼ぶ
「賢者の石」
’the philosopher's stone’ であり、
 
インドでは
アムリット amrit、
仙薬 elixir  
甘露 nectar 
と呼ばれているものだ。
 
この『黄金の華の秘密(太乙金華宗旨)』
The secret of the Golden Flower は錬金術に関する論文だ、
 
あなたの化学 chemistry錬金術 alchemy へと
変容 transformation するための秘密だ、
 
卑金属 baser metal を黄金 gold へと
変容 transformation するための。
 
今のあなたは卑金属 baser metal だけだ。
 
しかし、あなたは秘密 secret を含んでいる。
 
もしこれらの秘密 secret が働いたら、
あなたは黄金 gold へと変容 transformation する。
 
黄金 gold は不死 immortal だ。
 
 
 
金華即金丹。神明變化。各師於心。
此種妙訣。雖不差毫末。然而甚活。
全要聰明。又須沉靜。
非極聰明人行不得。
非極沉靜人守不得。
 
黄金の華は金丹(生命の仙薬)だ。
(金丹 : 不死なる生命の仙薬、
東洋での甘露 / アムリタ、西洋での賢者の石)
 
それはとても正確に効くけれど、
それでもやはりとても流動的なので
 
極めて高い知性と明晰さ(聡明)、
そして
最も完全な受容と静謐(沈静)が
必要だ。
 
この最高度の知性と理解を持たない人々には
その道は見つけられない、
 
受容と静謐の最大限の能力がない人々には
それをしっかりと保持することはできない。
 
The Golden Flower is the Elixir of Life.
 
Although it works very accurately, 
it is yet so fluid that it needs extreme intelligence and clarity,
and the most complete absorption and tranquility.
 
People without this highest degree of intelligence and understanding do not find the way;
people without this utmost capacity for absorption and tranquility cannot keep fast hold of it.
 
 
 
2つの要件 requirements。
 
 
 
第1に、
人は知性 intelligence と明晰 clarity が必要だ。
 
それについて心配しなくていい。
 
知性 intelligence と明晰 clarity がないかもしれない
などと考えはじめなくてもいい。
 
人はみな知性的 intelligent に生まれる。
 
知性 intelligence は本来備わっている質だ
 
…誰もがみな呼吸をして生まれるように、
誰もがみな知性的 intelligent に生まれる。
 
 
 
少数の人々は知性的 intelligent であり
少数の人々は知性的 intelligent ではない
 
という考えはまったく間違っている
 
…その考えはとても多くの人々の人間らしさを失わせた…
 
とても侮辱的 insulting で、卑しい degrading。
 
 
 
全ては知性的 intelligent に生まれる、
 
彼らの知性 intelligence は彼らの表現により異なるかもしれないが。
 
 
 
ある人は音楽に知性的 intelligent で、
他の人は数学に知性的 intelligent だ、
 
しかし、もしあなたが数学を基準にすれば、
すると、音楽家は無知 unintelligent に見える。
 
もしあなたが彼ら両者に
数学が基準である一つの試験を受けさせたならば、
楽家は試験に受からず落ちてしまう。
 
基準を変えて、音楽を基準にしよう、
そして、彼らに音楽が基準である試験を受けさせたならば、
すると、数学者は馬鹿に見える。
 
 
 
私たちは特定の基準を選択してきた、
 
だからこそ、
たくさんの人々が馬鹿のようだと非難されている、
 
…彼らは馬鹿ではない。
 
私は馬鹿な1人の人間にけっして出会ったことがない
 
…それは起こらない…
 
 
 
しかし、その人の知性 intelligence は
別の種類の知性 intelligence かもしれない。
 
詩は商売とは別の種類の知性 intelligence が必要だ。
 
詩人は商売人になることはできない、
そして、
商売人は詩人になることは難しいということを見つけるだろう。
 
政治家になるにはある種類の知性 intelligence が必要とされ、
 
画家になるには他の種類の知性 intelligence が必要とされる。
 
そして、とてもたくさんの可能性がある。
 
 
 
覚えておきなさい、
 
誰もがみな知性的 intelligent に生まれる、
 
だから、誰かを締め出せない。
 
 
 
あなたはただあなたの知性 intelligence を見つけなければならない
 
…それがどこにあるのか。
 
そしてひとたび、
あなたがあなたの知性 intelligence を見つけたならば
あなたは明晰 clear になるだろう。
 
 
 
人々は不明確 unclarity に生きている
 
なぜなら、彼らは彼ら自身について間違った考えを持って生きているからだ。
 
 
 
誰かがあなたに話した
…校長、教頭、大学…
あなたは知性的 intelligent ではないと。
 
しかし、彼らの基準はただの選択基準だ、
 
彼らの基準 criterion は全てに適用できない。
 
 
 
大学 university は
まだ普遍的 universal ではない。
 
彼らはあらゆる種類の知性 intelligence を認めていない、
 
彼らは知性 intelligence の全ての顕現 manifestation を受け入れていない。
 
 
 
ひとたびあなたがあなたの知性 intelligence を受け入れ
そして、
あなたがそれを尊重 respecting しはじめると、
 
あなたは明晰 clear になるだろう、
 
問題はなくなるだろう。
 
 
 
詩人は馬鹿だと感じる
なぜなら、彼は良い商売人であることができないからだ。
 
さあ、これが混乱 confusion を作る。
 
彼は彼自身の目の中では
劣り inferior、
無礼で disrespectful、
非難する condemning ようになる。
 
彼は商売で成功しようと試す
しかし、彼はできない。
 
これは彼の周りに大きな煙を作る。
 
 
 
もし彼が単に、
 
彼は詩人であり
 
そして、彼は商売人であることは意図しない
 
そして、商売人としての成功は彼の自殺になるだろうし、
 
彼は詩人として成功するべきだ…
 
ということを理解したならば。
 
 
 
それが彼の知性 intelligence であり、
 
彼自身のやり方で
彼の知性 intelligence は花開かなければならない。
 
彼は「他の誰かの真似 imitate」をするべきではない。
 
 
 
社会はそれにお金を支払わないかもしれない、
 
なぜなら、詩は爆弾が必要とされているほどに
必要とされていないからだ。
 
愛 love は憎しみ hate が必要とされているほどに
必要とされていない。
 
 
 
だからこそ、
映画 films、
ラジオ radio、
テレビ television
では
殺人 murder が許されている、
 
殺人 murder は
わいせつ obscene とは呼ばれていない。
 
しかし、愛を交わすこと love-making は許されていない、
 
愛を交わすこと love-making は
わいせつ obscene と呼ばれている。
 
 
 
この社会は愛 love を通してではなく
憎しみ hate を通して生きている。
 
 
 
もし誰かが人を殺しても、
それは完全に大丈夫 okay だ。
 
もし誰かがあなたの心臓に短剣を突き刺し
血が噴水のように噴き出しても、
それは完全に大丈夫 okay だ。
 
しかし、
もし誰かがあなたを抱きしめて、
キスをして、
愛 love したら、
 
社会は恐れる。
the society is afraid.
 
 
 
これは奇妙 strange だ…
 
愛 love はわいせつ obscene であり
殺人 murder はわいせつ obscene ではないとは…
 
愛する人々は非難され
人を殺す人々兵士達は報酬を与えられ…
 
戦争 war は正しく
愛 love は間違っているとは…。
 
 
 
もしあなたがあなたの知性 intelligence を受け入れ、
 
もしあなたがあなた自身を受け入れると、
 
あなたは明晰 clear になるだろう、
絶対に明晰 clear になる。
 
全ての雲 clouds は消え去るだろう。
 
 
 
そして、第2のこと、
 
あなたは受容 absorption と静謐 tranquillity が必要だ。
 
 
 
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知性 intelligence と明晰 clarity は
男性 male のマインド(思考)mind の1部分だ。
 
受容 absorption と静謐 tranquillity は
女性 female のマインド(思考)mind の1部分だ。
 
 
 
女性 woman だけが受容 absorb できる、
 
だからこそ、女性 woman は妊娠する
 
…彼女は子宮 womb を持っている。
 
 
 
知性 intelligence と明晰 clarity 
受容 absorption と静謐 tranquillity 
 
これらの2つのことが共に必要とされる。
 
 
 
もしあなたが知性的 intelligent ではなかったら
 
あなたは存在 being があなたに何を言ったのか理解できないだろう、
 
あなたは導師 master があなたに何を伝えようとしているのか理解しないだろう。
 
 
 
そして、もしあなたが女性的 feminine でないならば、
 
あなたはそれを受容 absob することができないだろう、
 
あなたはそれを妊娠することができないだろう。
 
だから、両方が必要とされる。
 
 
 
あなたは知性的 intelligent でなければならない、
 
要点を見るために
完全に知性的 intelligent でなければならない。
 
そして、
 
あなたはあなたの内にそれを保持するために
完全に受容的 absorptive でなければならない、
 
そうすれば、それはあなたの1部となる。
 
 
 
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今回の講話はたんなる背景だ。
 
ゆっくり、ゆっくり、私たちは
光 light を循環 circulate させる方法の技法へと入って行くだろう。
 
注意深く attentively、
知的 intelligently に
聞きなさい。
 
それを受容 absorb しなさい。
 
それはあなたの人生の最も素晴らしい経験 experience のひとつであることができる。
 
 
 
Enough for today.
 
 
 
chapter 2 へ続く : Empty Eyes…
 
 
 
from osho talks

The Secret of Secrets, Vol 1

Talks on the Secret of the Golden Flower

Talks given from 11/08/78 am to 26/08/78 am
English Discourse series

chapter 1 : Animus and Anima

11 August 1978 am in Buddha Hall
 
 
 
osho の講話は
1日目はある題材に関するお話、
2日目は質問に答えるお話、
というように1日起きにその順番で行われます。
 
あらゆる質問にものすごく丁寧に、
詳しく、わかりやすく、話していています。
 
はじめは厳しいように感じるかもしれませんが
人々が苦しみに気づき、手放せるように、と
とても深い愛 love の導きがあります。
 
人々からの質問は一見その講話の題材と
関係ないように思えるかもしれませんが
 
その質問があり、それに答えるからこそ
その題材がより深くわかったりもする
講話となっているような、
 
質問と答えのお話も含めて
何日間にも渡る講話全体を聞き終わると
その題材の講話の内容が
すーと身に染み込むようにわかります。
 
この講話の和訳本がありましたが
もう販売されていなくて入手不可能ですから
自力で英語の講話を読んで
さらに、英語の勉強と osho との瞑想と思い
自力で和訳してみました。
 
とても時間がかかるので
全チャプター和訳する前に
死んでしまうかもしれませんしσ(^_^;)
 
チャプター2 の和訳がいつ終わるのかわかりませんがσ(^_^;)
 
ど素人なので直訳しかできませんがσ(^_^;)
 
趣味レベルでよろしければ
興味がある方はお楽しみください。
 
詳しくは「osho でイングリッシュ!」に書きました。
 
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ぜひ英語の原文で読みたい!という方は…
 
この osho の英語の全チャプターの講話
The Secret of Secrets, Vol 1&2 は 
pdf データで
サイドバーのリンクにもある
OSHO WORLD にてフリーダウンロードできます。
こちらをクリックしてください。
 
 
 
また、この osho samadhi समाधिः の英語の方のブログでは
この The Secret of Secrets, Vol 1&2 の講話の
全チャプターを載せてありますから
こちらの日本語のブログのように
絵つきでよければご覧になってください。
 
 
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
subtle body and chakra について
英語の講話の1チャプターだけです。
yoga : the alpha and the omega, vol 9 ch1
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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(2nd チャクラと存在 being は同じものではありません)
 
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osho transformation tarot のこのカードの解説はこちら。
 
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osho transformation tarot のこのカードの解説はこちら。
 
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osho transformation tarot のこのカードの解説はこちら。
 
 
 
beloved osho
beloved all enlightened masters 
beloved all
 
 
 
”The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.”
 
 
 
sammasati
It means right remembrance.
サマサティの意味は ”正しく想起する”。
 
 
 
meditation & love
 
 
 
osho samadhi समाधिः 
 
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